20 理解、共感、他人。そして自分
放課後、倉沢さんから連絡があった。
内容は「今日、仕事終わりに時間がとれます」とのこと。
実は連絡先を聞いた夜にSNSでメールを送っており、その返信がきたのだ。
敏伸さんは依頼人であったため事務所を通してでしかやり取りができないが、彼女は個人的にやり取りができた。
それを新浪のLINEで報告すると、すぐに自分も立ち会いたいとくる。
場所と時間を打ってから、時間が少しあるため自分も一度家に帰ることにした。
「またお兄ちゃん出かけるの? ほんと最近ひどいよ?」
そうやって家をでるとき、妹の栞が怒ったように言ってきた。
「……変な遊びにハマってるんじゃないよね?」
そんなわけあるか、そう返すために栞の顔を見れば不安そうな表情がある。
「心配するな。別に悪いことをしてるわけじゃない」
「ねぇ、なにやってるの?」
「遊んでるだけだ。ただ、変なことじゃない」
「じゃあ、なんでうちにはお兄ちゃんの友達こないの?」
「俺だって友達の家に行ってるわけじゃない」
栞は何か言いたげな顔を俺に向けていたが、やがてその口は閉じて怒ったように部屋へかえっていく。
「もうっ、知らないから!」
こちらに聞こえるほどに強く部屋の扉が閉められる。
俺は、ため息を吐いてから家を出た。
◆
待ち合わせをしたのは、とあるファミレス。
外では既に新浪が待っていた。
前回で学んだのだろう。それは張り込みの時のような格好ではなかったが、特段派手な格好でもない。
俺たちは先に入って卓で待っていると、指定した時間直前に倉沢さんが現れた。
「この前は気にならなかったけど……二人とも学生なんだね」
そして定番のトーク。
この話を最初にするのはもはやルーティーンにすらなりつつある。
俺は、それに新浪と顔を見合わせて苦笑いをしたのだ。
「――おそなん推しをやめる?」
倉沢さんには、先日の依頼を手短に話した。
終わらせ屋に依頼した内容が、自分ではなかったことに……はたまた彼の深刻な問題ではなかったことに彼女は安堵したようだった。
「それで終わらせ屋に……。というか、そんなことまで請け負ってるの?」
「こんな依頼は初めてです。だから、断ろうと思ってました」
「なるほど。そこには私がきたわけね」
「えぇ、まぁ」
倉沢さんは少しだけ考えている。
たぶん「自分もおそなんを推しているオタクだ」ということを告白すれば解決……ということはすぐに理解できたはずだ。
だから、それは敢えて提案しない。
「俺たちは、敏伸さんがオタクを辞める必要はないと考えています」
それでも、そこに解決の糸口を見出だしているために、何とかそっち方向へと話を持っていきたくはあった。
「倉沢さんはどう思いますか?」
「そうね。私も彼と同じオタクだもの。それはそうだわ」
そしてまた考えてしまう。
ふと、新浪が口を開いた。
「何か、彼に言えない理由でもあるんですか」
「うーん、そういうわけじゃないの。ただ……私は自分の推しの話を誰かとしたくない派の人間だから」
「好きなんですよね? その、おそなんのこと」
「うん。でも、私は彼女の顔とか歌が好きなわけじゃなくて、頑張ってる彼女が好きなの。いろいろ言われたりしても私たちの前では笑ってくれるその生き方が好きで推してるの。でも……そういうことを熱心に話すと気持ち悪がられたりするし、それに、そういうことが彼女に迷惑をかけるかもしれないし……」
言いながら倉沢さんは深いため息を吐く。
なんというか……よく分からなかった。
なぜ、好きなことを正直に話すことがダメなのか理解できない。仮にその考え方が気持ち悪いからといって、アイドルに迷惑がかかったりするのだろうか。
ふと、林道の言葉を思い出した。
――いい? あんたは四島とよく絡んでる男子で、四島は私と幼馴染なの! つまり、あんたの悪い噂は私に迷惑がかかるわけ。ドゥーユーアンダスタン?
つまり、倉沢さんが気持ち悪いと彼女が好きなおそなんというアイドルも同等に見られてしまう……?
そんな馬鹿なことがあるか。
「私は、気持ち悪いとは思わないです! むしろ、すごい素敵な考え方だと思いました! それに、女の人でおそなんを推してる人いたんだなと思いましたし!」
新浪が倉沢さんを元気付けるように肯定した。
だが、俺は『違う』と思う。
肯定すべきじゃない。否定すべきなのだ。
「気持ち悪いなんて思う奴は思わせておけばいいんじゃないですかね。人の考え方なんてそれぞれです。それで迷惑がかかるのなら、迷惑をかけているのはソイツです」
新浪の件だってそうだ。
彼女が悪いわけじゃない。彼女を悪くしたのは周囲の勝手な妄想だ。
何も知らないくせに、人は都合の良い話だけを信じて話をしたがる。
そうやって話した数だけ、それは履き違えた多数決を持ってしまう。
真実でもないくせに、それは真実味を増して簡単に人へと伝わってしまうのだ。
「おそなんを好きな理由は何だって良いんじゃないですかね。それが一致しないからといって否定されるのは間違ってますよ」
少し強い口調で言ってしまった。
倉沢さんは、それに穏やかな表情で答える。
「君は強いんだね。でも、みんながみんなそうじゃない。オタク界隈はなおさらそうなの。みんな弱者なの。自分が弱いと分かっているから、それを人に話したりしない」
「分かりません」
「分からなくていいの。でも、そういう内面の問題で……私は彼に自分もおそなん推しだと告げられない。告げたら、たぶんいろんなことを話さなくてはならないし、もし、そこに相違があったらと思うと……少し怖い」
同じ好きなことだからこそ……意見の食い違いは許せない。そういうことだろうか。
「それは……敏伸さんを好きな気持ちよりも大事なことですか?」
「分からないかな? ただ、私が落ち込んでた時おそなんを見てると元気になれたし、頑張ろうって思えた。だから、推しの意見の食い違いが許せるかどうか分からない。くだらないって思うかもしれないけど……今の私があるのは彼女のおかげ」
「なる、ほど」
これは結構重症なのかもしれない。……いや、"彼女が"というわけではなく、"この問題が"だ。
そして、なにより問題なのは……俺がそれを理解できていないこと。
俺は、自分の意見が誰かの迷惑になるなんて考えたりしない。
くだらないことを思っている奴には、思わせておけばいいと思っている。
血の繋がった家族がいたとしても、最後に自分を助けられるのは自分だけだ。
他人は所詮、他人でしかない。
だから、意見が合わなくても許せないこともない。
所詮他人だからだ。意見が合うほうがおかしいのだから。
「少し……わかる気がします」
そのとき、新浪がポツリと言った。
「その……比べるのはおかしいかも知れないんですが、私も自分の事を話すのが苦手です。それは、誰もが理解してくれることじゃないし共感さえしてくれない。……話せば話すだけ、その人と距離は離れていきます」
彼女は確かめるように、丁寧に言葉を紡いでいく。
「だから話さなくなりました。それが私の生き方なんだって思いました。でも……それは確かに些細なキッカケだったけど……今はそう思わないです。たぶん、それは――」
言葉が途切れて数秒。
不審に思って新浪の方に顔を向けると、彼女もこちらを見ていたようで視線が合ってしまう。
「あっ……」
恥ずかしそうにうつむく新浪。
「どうした。気分でも悪いのか?」
「なんでも……」
急に黙ってしまった彼女には困惑するしかない。
そうしていたら。
「ごめんなさい。そろそろご飯の支度で帰らないと」
倉沢さんが言った。
「分かりました。今日はありがとうございます」
「その……敏伸さんにはまだ黙っておいてくれないかな? 私から話せるようにするから」
「わかりました」
彼女は腕時計を見ると、準備をして店から出ていってしまう。
それを見送ってから、俺たちも遅れて店を出た。
「告白が成功してからもいろいろあるんだな」
「もしかしたら、付き合ってからのほうが大変なのかもね」
少し歩きながら話す。
「でもさ、黒井くんも自分のこと話さないよね」
ふと、言われた質問。
「なんで、終わらせ屋をやってるのか……とかさ」
「別に大した話でもないしな……。ん? もしかして知りたいのか?」
「……知りたい」
「じゃあ、教えておく。彩芽さんに誘われたから」
新浪は「あぁ」と小さく洩らした。
「……そういうことじゃないんだけどな」
「いや、どういうことだ」
「もういい」
彼女はそう言って俺を追い越した。
「じゃあね!」
そして、そのまま走っていってしまう。
「なんなんだ一体……」
急な態度にやはり困惑するしかなく、俺はその場に残された。
その夜、倉沢さんからメールがあった。
内容は、もう一度相談したいから明日時間を取れないか? ということ。
明日は敏伸さんとの約束がある。
どうしようかと思い、新浪にLINEすると。
――倉沢さんとは私が会うよ。
と返事がきた。すこし不安ではあったものの、今日のことを考える限り、新浪のほうが彼女を理解できていた感じがある。
だから、倉沢さんと新浪に相互の連絡先を送り任せることにした。




