12 新浪の過去進行形。
新浪から聞いた内容は、おおむね予想した通りだった。
父親が浮気をしていたこと。
ある日突然、終わらせ屋が訪ねてきて母親に離婚を提案してきたこと。
離婚すれば莫大なお金が貰えるということ。
そして……真偽を尋ねた母親に対し、父親は謝ることしかしなかったこと。
誰が終わらせ屋に依頼を頼んだのかはわからない。
だが、そんなことを依頼できるのは資産家ぐらいだろう。
「――ママはそれで精神的に病んじゃって、正直私が落ち込んでる暇なんてなかった。どうすればいいのかも分からなくて……ただ、それまで"あの人"に抱いていた気持ちは全部なくなったことだけは……理解してた」
新浪は父親のことを「あの人」と言った。
そこには冷たい感情が流れていて、もう元には戻れない現実がある。
「今は再婚もしてママは元気だけど……私には、なんというか……うまくは言えないんだけど……信じられない気持ちのほうが強い。どうしてそんな簡単に再婚しちゃうの? って思う」
新浪はうつむきながら語る。片足で蹴った小石が数メートル先まで転がり、勢いをなくして止まった。
「良い人だとは思うけど私には受け入れられない。あの人が来てから私の居場所はなくなったの」
張り込みをしていた時、疑問ではあったのだ。
なぜ、彼女の親は何も気づかないのだろうか? と。
そして、新浪は新しい父親さえもあの人と言った。
「家に帰りたくなくて、でも……何もすることないから放課後はいろんな所で暇潰してた。クラスでは私を見た人が不良だとか言ってたけど」
それでか……。
「こんなこと誰にも言えない。言ったって何も変わらない。そんなことを考えてたら……なーんか全部面倒になっちゃった」
投げやりに言い、せめてもとばかりに乾いた笑いを添える。
そのまま彼女は黙ってしまった。
俺はただ、駅前を行き交う人たちを眺めていた。
何を言えばいいのか分からない。
なら、もう何も言わなくていい。
何気ない雑多が俺たちの前を通過していく。
誰も俺たちには見向きもしない。
それと同じくらい、俺と新浪はどうしたって他人なのだ。
共感なんてできない。
嘆いたって彼女の言うとおり何も変わらない。
怒ったって疲れるだけだ。
そもそも、俺には何もできやしない。
それはきっと、新浪自身がよくわかっていたはずだ。
それでも……新浪を知る俺だけは、ここに居座ることができた。
「悪いのは浮気したあの人なの。そんなの……わかってるの」
そうしてようやく口を開いた新浪の言葉には、悔しさを堪えるような緊張があった。
「それでも私は許せなかった。お門違いなのはわかってるけど、どうしても許すことができなかった。だから……あの日、黒井くんが「終わらせ屋」だって知ったとき復讐してやろうと思ったの。……それをしたのは……あなたじゃないってわかっていても」
――恨まれるのも仕事だ
前に彩芽さんからそう言われたことを思い出した。
昔、彼女に来た依頼で「別れた彼氏から貰った婚約指輪を捨ててきてほしい」というものがあったらしい。
彩芽さんはその指輪を受け取り、できるかぎり高値で売ってそのお金を依頼人に渡した。
当然ながら依頼人は怒ったらしい。
怒声を響かせて彩芽さんを罵倒したそうだ。
だが、彩芽さんはそれを後悔していない。
それが終わらせ屋の仕事でもあるのだと俺に説いた。
その時はよく分からないまま、分かったふりをして返事をしたが……今ならもう少し理解できる気がする。
「復讐していいんだぞ。たぶん、俺にはそれを拒否する資格はない」
嫌われて当然の仕事。
恨まれて当然の仕事。
わかっているからこそ、俺はそれを受け入れられる。
「でも……わからなくなっちゃった」
だが、新浪は力ない言葉をこぼした。
「本当にあなたたちを恨んでいいのか……わからなくなっちゃったの」
彼女は再び片足で地面を軽く蹴ったが、そこにはもう何もなくて、ただ空かした足だけが揺れた。
「私は……どうしたらいいんだろ」
その答えを俺は知らない。
だから、何も言えずにいた。
それを新浪もわかっていたのだろう。
沈黙が続いても何一つ追い討ちをかけてきたりはしなかった。
俺たちは駅前の人たちが少なくなるまで、ただボンヤリとそこに居続けた。
無駄だとわかっていながら、それでも頑なに動こうとはしなかった。
だが、時間は無情にも過ぎるばかりで、学生服のままこんな所に居続けるわけにもいかない。
「――ありがとう聞いてくれて」
どれ程の時間が経ったのか、ようやくベンチから腰を上げた新浪はそう言って俺に笑いかけた。
「それと……さよなら」
小さく手を振り、それから去っていく。
その後ろ姿はすぐに闇夜に消えた。
家まで送る、そんな声をかけられなかったのは、果たしてそれをしても良いのか迷ったからだ。
これまで俺は、依頼がある限りどんな人間関係も終わらせてきた。
そこに自信を持ち始めてもいた。
だが、迷っている人間にはどんな言葉をかけてやればいいのか何一つわからない。
どうやらそれは自信ではなく、慢心だったらしい。
それでも……。
スマホの画面からLINEを開く。
新浪の名前をタップしてから「また明日な」とだけ打った。
返事は返ってこなかったものの、既読だけはすぐにつく。
終わらせ屋を知って迷ってしまった新浪。
その迷いを生じさせてしまったのが俺だというのなら、このままではいけない気がした。
それは明確な答えではなかったものの。
まだ、俺は新浪との関係を終わらせるべきではないと思った。




