41話 約束
「えーと、これはここにしまって、鎧磨き用のアルコールはこっちに入れといて……」
仕事を終え、僕は自分用の荷支度を済ませようとしていた。
学校の遠足とはわけが違うため、じゅんびは入念に行わねばならない。特に鎧関連は自分の命にかかわるのだから、入念にチェックしなければならない。
僕はひと段落終えて椅子に座り込む。
相変わらず心中は穏やかではない。一日中ずっとこんなにも辛気臭い顔をしていたことは過去に一度もない。想像以上に自分はストレスを抱えてしまっているといやでも自覚してしまう。
これではいけない。そう思い、僕は窓を開けて外の空気を思いっきり吸い込んだ。
しかし、夜の空気は実に冷たく、逆に心身ともに冷ややかな物とのなるのみであった。結局、大きなくしゃみを一回して僕は窓を閉めようとした。
そのとき、館からニーナが走ってきているのが見えた。ずいぶんと元気が有り余っているように見える。
よくもまあ、毎度毎度こんな時間に館を抜け出してこれるものだと若干あきれる。
出発の前夜くらいはゆっくりと休みたいのだが、来てしまったものを追い返すわけにもいかない。仕方なく僕は厚着をして例のベンチへ向かうのであった。
「こんばんは。なにか御用でしょうか」
僕はあくび交じりで適当にそう言った。対してニーナはずいぶん息を切らして、なんともあわただしい様子である。
こんなニーナは今まで見たことがない。なんだか嫌な予感がした。
ニーナは呼吸を整えると、毅然とした態度で僕の目を見た。その表情は少し怒っているようにも見えた。
「父様から全部聞いたわ。戦争が始まるんでしょう」
「まあ、うん」
軽く返事をすると、ニーナはこちらに歩み寄って、怒りをあらわにした。
「なんで私に隠してたの!」
しょっちゅう僕を怒鳴りつけるニーナではあるが、この時ばかりはいつもと様子が違った。
以前にも一度だけ、こんな表情を見たことがある気がする。しかし、あと一歩というところで思い出すことができない。それほど昔のことではないはずなのだが、どうしても思い出せなかった。
「夕方にも言っただろう。みんながそうしてるのに僕だけ口を滑らせるわけにはいかない。ほかに理由はないよ」
仕方なく、僕はニーナにそう答えるほかなかった。実際、それ以上の理由はない。ただ、ニーナはそれが気に食わなかったようだ。
僕が隠し事をしていたのがそんなに気に食わなかったのだろうか? いや、さすがにそんなことでここまで怒ったりはしないだろう。
身に覚えはないが、きっと何か、僕が良からぬことをしてしまったのだろう。そう思い、先ほどまでと違い、僕も真摯にニーナと向き合った。すると、ニーナは歯を食いしばり、なぜか、瞳に涙を浮かべだした。
「今生の別れになるかもしれないのよ! あなたが死んだら、私は……!」
噛みつかんばかりに言葉を並べ、しかし、ニーナは言葉を詰まらせた。その次の言葉か何なのか、僕には皆目見当もつかなかった。それでも、ただ、黙ってニーナが口を開くのを待った。
そして、待ちに待ってようやくその言葉を吐き出す時にはニーナはボロボロと涙を流し、声もまるでひねり出すかのようだった。
「私は……また一人ぼっちになっちゃうじゃない……!」
その言葉を言い終えると、ニーナは崩れ落ちるように地面に膝を突き、顔を手で覆った。
しかし、結局のところ僕にはニーナが怒っていた理由も、泣き出す理由もわからなかった。
確かに僕はニーナの友達の一人くらいには数えられているだろう。それくらいは自覚してる。
それでも僕がニーナと話すようになったのはここ数か月のことだし、これほど悲しんでくれるほど仲良くなったとは思えなかった。だから、僕は泣いているニーナのことが理解できず、ただ困惑し、考えなしに言葉を発することしかできなかった。
「何言ってんだ。旦那様も、奥方様も、カレン様もいるじゃないか」
「違うの! いや、違わないけど、そうじゃないの!」
大きく首を横に振って、はっきりと否定すると、何かが吹っ切れたように、続けざまにニーナはしゃべりだした。
「あなたは、私の唯一の友達なの! 社交界でむしゃくしゃしてた時も、母様が亡くなってカレンが来て居心地が悪かった時も、エリザベートの相手に困ってる時も、私を助けてくれたのはあなただけだった。あなたといるときだけは、身分も、古臭いしきたりも、全部忘れられて、私は本当に楽しかったの」
「……」
「だから、行かないでよ……」
最後に弱弱しくそう口にすると、ニーナは僕にもたれかかるようにして泣きついた。そして、ニーナの表情が、カレンにカップを割られて泣きじゃくっていたあの日のそれだとようやく僕は思い出せた。
それと同時に、言葉が出なかった。
ニーナが僕をこんな風に思っているとは正直、夢にも思わなかったのだ。
僕の知るニーナ・エインベルズは、まるで女帝のような強い心の持ち主で、物語で断罪される最後のその瞬間まで、貴族としての己を貫き通すことのできる人間だった。
そんな人間であれば少女時代からさぞ頑強な精神を持っているに違いないと、そう思っていたのだ。
短い付き合いとはいえ、一度もニーナは僕に嘘をついたことなんてなかったというのに、いったい、胸の内側にどんな黒い考えを秘めているのだろう、と内心、いつもニーナを信用することができなかった。
僕の勝手なイメージから、この少女のことを信用してあげることができなかったのだ。
こんなにも自分のことを大切に思ってくれている少女を、僕は今まで得体のしれない何かのように扱ってきたのだ。
僕はなんて愚かなんだろう。心底、偽りなくそう感じた。
もしかすると、僕がこの家に来なかったのなら、ニーナはゲームのような強い女性になっていたのかもしれない。
しかし、本当にゲームのニーナ・エインベルズは強い女性だったのだろうか?
子どものころに母親が病に倒れ、新しくできた姉や、義母とも仲良くなれず、社交界でも居場所を見いだせない。おまけに唯一の友達がエリザベートのような悪女。
元の性格に多少の難はあっただろうが、彼女は決して強くなんてなかったのだ。ただ、自分を保つために強くあらねばならなかったのだ。
だからこそ、物語の主人公が当たり前のように手にしていたものに嫉妬し、あのような悪女になってしまったのだろう。
もはや、目の前のこの少女と、ゲームのニーナ・エインベルズは別人だ。
僕が生半可なものを与えてしまったせいで、もう戻れないのだ。孤高のニーナ・エインベルズがもっていた強さを彼女はもう手に入れることができないのだ。
それはきっと、悪いことではないのだろう。でも、必ずしもそれがいいこととも限らない。
孤独の引き換えに、僕はニーナにこんなにもいびつな心を抱えさせてしまったのだ。僕に依存しすぎてしまってる。それほど、ニーナの心は脆いものだったのだ。
「……ごめん。僕だけ特別扱いってわけにはいかないんだ」
「で、でも!」
「だから、約束しようか」
ニーナが何かを言おうとするのを遮り、僕はそういった。
僕がこの先、いきなり消えてなくなるようなことがあったとき、ニーナがどうなるか予想がつかない。そしてこんな状況を作り出したのはほかでもない僕だ。
ならば、きっと、僕が責任を取るべきなのだろう。
「……約束?」
「そ。約束。戦争中、必ず週に一回、手紙を出すよ。だからニーナはその間、僕とはずっと友達だ。これじゃ、ダメかな?」
僕がそう言い終えると、ニーナは少しの間黙り込んで、僕の顔を見た。涙でぐちゃぐちゃになっていたが、そんなことはちっとも気になりはしなかった。
「絶対に、絶対に破らない?」
「うん。絶対に。何があっても手紙だけは送り続けるよ」
「……わかった。一日でも遅れたら許さないからね」
「うん。約束だ」
そう言って僕は指切りをしようと小指を立てた。しかし、ニーナは不思議な顔をするばかりであった。当然である。この世界に指切りなどという文化はないのだから。
「なにしてるの?」
「あー、えっと……約束の証みたいなもんでさ、こうして……」
そう言って僕はニーナの手を取り、小指を立てさせた。
「ゆーび切りげんまんうそついたら針、千本のーます、指切った。っと、ほい、これで僕は絶対約束を破かない」
僕の言葉を受けてもニーナは何のことやらよくわからないといった風で、しばらく自分の小指を眺めていた。
しかし、しばらくすると、ハッと我に返ったように、涙をぬぐい、恥ずかしそうに立ち上がった。
「……手紙、待ってるから」
去り際、そう言い残してニーナは館に戻っていった。僕は「うん」と小さく返事をして荷支度を再開するのであった。
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