17話 夜会 その2
「え、エレノア侯爵夫人!」
壁から飛び起きるかのようにエドモンドさんは背筋を伸ばす。
「お久しぶりです。エレノア様」
二年ぶりにみる奥方はやはり美しく、夜会の場で着飾ったその姿は侯爵夫人としてふさわしいものであった。
そう、この夜会にはクラウディウス家も参加しているのだ。先ほどのあいさつ回りでは順番も無視して侯爵が声をかけてきた。
あれは心臓が飛び出るかと思った。勘弁してほしい。
この会場では公爵がいないため、実質クラウディウス家は最も爵位が高い。あの侯爵のことである。どうせまた僕への嫌がらせの一環であろう。おかげで下流貴族からの敵視が強くなったような気がする。
「久しぶりね。元気そうで何よりよ」
「本日はエリザベート様はいらっしゃらないのですか?」
「ふふ、あの子が気になるのかしら? あの子はお留守番よ」
「ええ、まあ、その、そうですね……」
遠い目をしながら言葉を濁す僕に奥方は自分の冗談が想像以上に気まずい空気を生んだことに気づき、苦笑いする。
「……さすがにあの子にはまだ社交界は無理ね。というか、ペイジになったからって普通はあなたでもこの場に来るのは不自然なのよ?」
「……みたいですね」
本来、社交界デビューはこの世界では十五歳前後が一般的らしい。家を継ぐ長男であればもっと早いこともあるが、それも稀である。
「どうしてあなたはここに?」
「えっと……」
ここに来るまでペイジが小間使いとして参加するのは当たり前だと思っていたため、そのあたりの理由付けが僕にはできないのだ。
というか、エドモンドさんはなにか知ってるんじゃないのか?
「私がお答えします」
狙ったようなタイミングでエドモンドさんが口を開いた。
「彼の参加はアルバート様たっての希望ということでしたので、同伴させた次第です」
「アルバート? あの人が?」
「はい。グラハム様からはそのようにうかがっております」
「……ありがとう。あの人は全く……」
頭を抱え、奥方は恨み言を口にした。どうやらこれもあの侯爵の嫌がらせの一環らしい。
「ベストール君、今の生活はどう?」
「何不自由なく、楽しく過ごせていただいてます」
「そう……それはよかったわ」
奥方はどこか憂いを帯びた表情をみせ、静かにそうつぶやいた。
「何かあったんですか?」
「いえ、あなたが気にするようなことじゃないのだけど、そうね、あなたになら少しくらい話してもいいのかしら」
奥方はそう断ると周囲を見渡し、声のトーンを落として話を始めた。
曰く、エリザベートがまたわがまま放題の性格に戻ったらしい。
僕がいなくなってしばらくの間は奥方が何とかエリザベートの生活を管理していたらしい。
しかし、しばらくして奥方は王都に顔を出す要件ができてしまい、一月近く家を空けたのだという。
その際、エリザベートの指導役にエリザベートと年の近い女の子を迎え入れていたそうなのだが、奥方様がいなくなって歯止めが利かなくなったエリザベートを他所の少女が面倒を見切れるはずもなく、耐えらずに三日もせずに辞めていったのだという。
それからというもの、奥方が怒れば侯爵に泣きつくといったような具合で以前にもましてわがまま度合いが増しているのだという。
予想通りひどい有様である。当然ながら二年も放置すれば肉は腐るのだ。
「二年前は引き留めてあげられなくてごめんなさい。あなたがあのまま家に残ってくれてたならこんなことにはならなかったのでしょうね」
「よ、よろしければ僕が直接お嬢様にお会いしましょうか?」
これ幸いと僕はそう言った。これなら前任のケジメとしてクラウディウス家を訪れるのは不自然ではない。
しかし、奥方の返事は意外なものであった。
「ダメよ。あなたはもうすでに自分の道を歩んでるのだから、道草なんてしてはいけないわ。あなたはしっかりと教育を受けて立派な騎士になりなさい」
話の流れ的に僕に屋敷に戻ってきてほしいというものだと思っていたため、僕は驚きを隠せなかった。
「確かに最初は私に何の話もなくあなたをエインベルズ家に押し付けた夫を罵倒したわ。あなたをもう一度当家に呼び戻そうかとも考えた。でもね、ベストール君。あなたはもうすでに立派な騎士に仕えるペイジなの。平民のあなたが貴族になれるかもしれないチャンスを手放すようなことはあってはならないわ」
奥方の言葉は耳が痛くなるほどに正論で、言い返すこともできなかった。
ペイジになること。それはすなわち、将来、騎士になるための教育を受けることを意味する。また、この国ではペイジであれば特段、問題がなければ戦場に駆り出され、生き残りさえすれば平民の僕でも騎士として取り立てられる可能性は高い。
エドモンドさんもそのパターンだ。
つまり、順当にいけば僕の将来は確約されているのだ。そんな将来有望な少年をただの教育係にすることをこの奥方は許さないのだ。
それは、同じ年の娘を持つからかもしれないし、僕がもともとクラウディウス家で働いていて、顔見知りだからなのかもしれない。もしかすると、そんなことは全く関係なく、僕の将来を思ってくれているのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。重要なのは結局、僕はクラウディウス家に戻る口実を失ったのだ。
これは最悪だ。エリザベートの将来を心配する奥方を説得すれば屋敷に帰れると思っていた分、手立てが完全に失われた。
「ベストール君、あなたはきっと将来大きくなるわ。だから、その機を逃しちゃだめよ」
そういうと奥方はくるりときびすを返すと一目散に侯爵のもとに歩み寄っていった。
すると、侯爵の正面にたつや否や、センスで侯爵の頬をひっぱたき、奥方の罵倒が始まった。
周りの貴族は奥方の行為に若干引き気味であったが、身分の差もあり特に口出しすることはなかった。
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