164話 平穏 その2
その言葉は、ずっと明確な言葉のないまま、あいまいな関係を築いてきた、僕とニーナの関係を完膚なきまでに崩し去った。
正直なところ、本当は気づいていた。でも、ずっと、見て見ぬふりをして、そのせいで何回もニーナを泣かせてしまった。
それに、心のどこかで不安があった。身分の差もあるし、ニーナほどの美人が自分を選ぶはずがないと心の奥底で否定し続けていたのだ。
しかし——
「私は、ニーナ・エインベルズは、ベストール・ウォレン様をずっとお慕い申し上げていました」
その言葉に感極まり、もう何も考えられなくなってしまった。
(ああ、だめだ……頭が真っ白で何も考えられない)
それでも、そのような状態でも、最後の最後に残った、怪物のようなほんの一握りの理性が僕を現実に引き留めた。
「……ダメだ」
「え……」
僕の言葉にニーナは虚を突かれたように声を発した。しかし、そんなニーナに構ってやれるほどの僕に精神的余裕はなかった。
だから、ただ理性に則り、ただただ、言葉を発した。
「僕じゃ、釣り合わない。第一、平民上がりの僕じゃ、グラハム様が認めないはずだ。お前なら絶対僕なんかよりもいい男を捕まえられる。だから……」
そうだ。僕じゃニーナには不釣り合いすぎるんだ。
たとえニーナが僕をどう思っていても、僕がニーナをどう思っていても、そんなのは関係ないことなのだ。
僕ではダメなのだ。
しかし、その時だった。
「……あなたって、案外こういう時はうぶなのね。身分なんてもう気にする必要ないわよ」
「え」
そういうニーナはやさしく笑っていた。
「お父様はあなたを養子にしたがってる。ほら、うちには家を継ぐ跡取り男子がいないでしょう? 最初はカレンの嫁ぐ男に家を継がせるつもりだったみたいなんだけど、カレンったら、よりにもよって伯爵家の長男を選んじゃったのよね。だからお父様にこの前言われたの。あなたと結婚する気はないかって」
「…………」
「さて、返事を聞かせてもらえないかしら。ベストール様?」
「……絶対、幸せにします」
そういったとき、たぶん、もう僕は何も考えていなかったと思う。もう、考える気力もなくて、体が、心が、気が付いた時にはそう言っていた。
そこに嘘偽りはない。介在する余地もない。
ただ、その時のニーナの顔だけははっきりと覚えている。
恥ずかしくてまともに見れなかったけど、ほんの一瞬、僕の瞳に映ったその顔は、幸せに満ちていて、その笑顔一つでなんだって頑張れてしまいそうな気がするほどの、そんな世界にたった一つの最愛の人の笑顔だった。
この人を僕の一生かけて何があっても守り抜く。そう、たやすく誓えるほどの、そんな笑顔だった。
そんな笑顔に素直に見とれることもできず、僕は精神の限界から半ば放心状態のような状態だった。
その時だった。
「ぶえええぁぁん! よかった! よかったわねぇ、ニーナぁ!」
「ぶえええぁぁん! おめでどうございまずぅうう! にぃなさまぁ!」
馬小屋の入り口から二人の女性のなんともひどい鳴き声が聞こえてくるとともに、その二人はニーナに抱き着いた。
それは、アリーシャと、見たことのない、金髪の美女であった。二人は顔面をぐちゃぐちゃにしてニーナに叫ぶように歓喜の言葉を送っていた。
(こんな人いたっけ?)
しかし、先ほどニーナからの告白を受けたばかりでなんとも不誠実に感じるかもしれないが、僕にはその金髪美女が誰なのかさっぱりわからず、なんとも複雑な心境だった。
僕にとっての一番はもうすでに変わりようがない。
しかし、その人物はあまりにも美人で、一目見ればまず忘れることはないであろう。それほどの美人である。
「なに、さっそく浮気?」
懐疑気にニーナはそういった。怖い。さっきの笑顔はどこ行った?
「い、いや、違う! でも、初めて見る人だから……」
「? ああ、ベストールとはずいぶんあってないものね」
ニーナは納得したようにそういった。しかし、僕にはさっぱりわからない。
「べずどーるも、おべでどう! ズズズッ」
なおもその金髪美女は美人にあるまじき形相で、涙も、鼻水も、何一つ恥じることなく流し続け、僕に対してそういった。
「あ、ありがとうございます……えっと、申し訳ございません、どちら様でしょうか……」
「なにをふざけてるのよぉ、エリザベート・クラウディウスよ!」
その言葉を聞き、一瞬僕の脳内はまたも真っ白になった。完全に考えることを放棄していたことだろう。そして、しばらく間を置き、はっと覚醒したように、僕はわが目を、耳を疑った。
(何があった!?)
脳内がクエスチョンマークで埋め尽くされる。理解することを拒んでいる証拠だ。
だって、ありえないではないか。僕の知るエリザベートという女性は、どうしようもない女で、およそほめるところが一つも見つからない、ある種の完璧な人間である。
しかし、目の前にいるその女性は、アリーシャにも、ニーナにも引けを取らない美人であり、体型もあのだるま体型とは正反対で、まさに肉体の黄金比という表現がもっとも適切といえた。
もちろん、別人を疑った。しかし、そんな思考に至ろうとしたその瞬間、僕はその美女に手を取られた。
「私、反省したの、だからこれからあなたにもたくさん恩返しをさせてちょうだい。これまであなたにしてきたことの償いを私はしなければならないの」
「え、あ、はい」
償いの言葉でやニーナの反応からいやでも、この女がエリザベートであるという事実を突きつけられた。しかし、それでも僕は信じられなかった。
そして、そんな状況にあっけにとられていたその時だった。
「騒がしいと思ってきてみれば、ベストールじゃないか! 帰っていたのか!」
「連絡してくれればパレードを開いて出迎えてやったぞ?」
なぜか、ここが馬小屋であるというに、王子二人が手を振ってこちらにやってくるのであった。
「いや、それは死んでも勘弁してください」
僕は現実逃避するように、エリザベートから目を背け、王子たちにそう言った。
「お二人とも、ごきげんよう」
そんな僕のことなどまったく気にせず、エリザベートは体勢を立て直し、二人に丁寧にあいさつをした。
「ああ」
ガーラン王子はエリザベートのあいさつに特に特別動揺することもなく返事を返した。
「ふん、僕はまだ君を許したわけじゃないぞ」
しかし、フレデリック王子は、まだエリザベートを許していないようだった。アリーシャにしてきたことや、僕に対する態度など、フレデリック王子からすればそう簡単に許せるものではないのだ。
それでもエリザベートは毅然としていた。
「わかっています。ですので、行動をもって、フレデリック様にお許しいただけるよう、このエリザベート、努力していく所存です」
その言葉に。フレデリック王子はなにも答えなかった。正直なところ、どう言葉を返せばいいのかわからないのだろう。
エリザベートがこんな風に改心するなど、誰も想像できなかったのだから。
しかし、そんな二人の独特の空気感に堪えかねてか、ガーラン王子は少し困ったように二人を交互に見るのであった。
「……ま、まあ、ベストールも帰ってきたことだし、今日は祝杯と行こうじゃないか! 皆、今晩は王城に来るといい! 無礼講だ!」
「ええ! そ、そんな気を使っていただかなくても……」
「俺とお前の中だろう、ベストール。それに、めでたいこともあったみたいだしな」
「う……」
満面の笑顔でガーラン王子はそういった。そういわれては言い返せない。
「いいじゃないベストール。私たちだけなんだから。あなたが主役でも誰も文句を言わないわ」
そしてニーナも僕の背中を押すようにそういった。
その言葉を受け、僕はこの場にいるみんなの顔を見た。
その顔は三者三様で、しかし、全員に共通しているものがそこにはあった。それは、純粋に帰還を喜ぶ友人として、親友として、恋人として、僕のことを信頼しているというものだった。
そんなみんなの顔を見ていると、僕自身感化されてしまったのか、少し気が大きくなってしまい、身分なんてものが実にちっぽけなもののように思えた。
そして、彼ら、彼女らのためにこれまでがむしゃらに頑張ってきて、本当に良かったと心の奥底から、そう思えるのだった。
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