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男女恋愛法  作者: hiroki.is
8/14

第8話・沙和音‐初めての法廷に入る。

はじめに、読者のみな様へ。

遅くなりましたが、新年のお喜び申し上げます。

年末年始と遊び惚けてまして、著者としてましても第8話のアップが予定より大幅に遅れましたことを、読者諸氏にお詫び申し上げます。

ちょっと著者に、年末の大掃除の際に不手際がありまして、本作品の第1話~3話までとそれ以降のストーリの概要を纏めたデータを保存したCD‐Rを誤まって捨ててしまうという、大失態をしてしまいました。そのため、本作品のストーリの再考をし直してストーリ作りに追われてしまいました。


さて、第8話ですが著者も悩んだのですが、クリスマスシーンを本作品に組み入れるか否かで迷いました。ですが、本ストーリ上の季節感を大切にしたいという思いから、そのクリスマスシーンから始まります。人それぞれクリスマスの過ごし方があると思いますが、本主人公である沙和音にも素敵なクリスマスを過ごさせたいとの著者の思い入れから、敢えて本ストーリとは冗長し掛け離れたシーンを描いてみました。

そして、本篇のラストに沙和音が法廷へ入って行くシーンへと繋げてみましたが、ちょっと苦しい展開になってしまいました。これから折を見てもう少し、本篇のラストシーンを加筆していく所存です。


では、著者の未熟さを曝け出すような拙く稚拙な文章ですが、沙和音とその妹の美沙絵の姉妹愛と、裁判所に訴状を提出するまでの沙和音の思考錯の葛藤の日々をご一読ください。

 そこはまるで別世界のように、幻想的な輝きを照らして人々を華やかに包み込んでいた。クリスマスソングの定番とも言える「クリスマス・イブ」や「白い恋人たち」が流れ、無数のイルミネーションが映え渡り、さらにそのマーケット空間を美しく演出していた。

 高さ、約10メートルはあろうかという、本物のモミの木でできているクリスマスツリーが威風堂々と海側に聳え立ち、来訪者たちを歓迎するかのように、光煌めいていた。時折、強く吹く海風が顔をしかめさせたが、人々の喜びの歓声は途絶えない。

 まさに、Xmas・Eveのその夜に、沙和音と美沙絵はその輝いた空間の中にいた。

 学校が冬休みに入る前からの美沙絵からのリクエストは、赤レンガ倉庫で行われているクリスマスマイベントを、一緒に楽しもうよだった。

 しかも、食事をご馳走してねっとの、条件付きだった。

 わざさわざ、クリスマスイブの日を指定したのは、1人寂しくクリスマスを過ごす姉への気遣いなのかも知れないが、本当のところは音沙汰なしの姉の様子を見て来るようにと、両親から美沙絵は仰せ使ったのだろう。

 1人暮らしを始めた頃は、寂しさも手伝ってかわりと実家に帰っていた。でも、ここのところは両親の反対を押し切って1人暮らしを始めた手前、沙和音の意地みたいなものが、実家へ帰ることを躊躇わせていた。

 それに帰る都度に、咎めるようにこの家に住めば良いだろうと言う、そんな父の小言が無粋に思えて沙和音は仕事を理由にして、実家へ足を運ぶことが億劫に感じていた。近頃はめっきりと両親への連絡さえも疎かにしてる。

「お姉ちゃん、またお腹が空いちゃったよ」

「あなたは、まだ食べ足りないの?」

 沙和音は少し呆れ気味の口調で言った。美沙絵のお腹の中には、ローストビーフサンドとヴルストのソーセージ3本盛りが、既に収まっていたからだ。

「えっへへ、私って食べ盛りの年頃だし」

 あっけらかんと笑う美沙絵に、何が食べたいと沙和音は訊いた。

 迷いなくビーフシチューと、美沙絵は答えた。

 じゃあ、もう行こうとかと言って、沙和音と美沙絵は観覧車とランドマークタワーの光彩が煌めく方角へと歩き出した。


「お姉ちゃん、お正月はどうするの?」

美沙絵は食べ終えたサラダの皿を避けて、啜っていたクリームソーダを置いた。

「特にスケジュールはなしよ。でも、リナと一緒に初詣に行くことになってるから」

「失恋でもしたの?」

 美沙絵は首を傾げて、やや怪訝な眼差しで沙和音に訊いた。

「え!何よ、突然に」

 美沙絵の突然の突っ込みに、沙和音は一瞬の驚きを覚えて、背に冷や汗を掻いて指に握っていたコーヒーカップをテーブルに落としそうになった。

「だって、何だか元気がないように見えるし、髪も短くしちゃってるしさ」

「何を言ってるのよ。失恋した女性が髪を切るって、そんなのシュールな考え方だし今時はナンセンスでしょう。だから髪形を変えるってことは、単にファションよ」

沙和音は心の傷を隠すように、もっともらしい弁解をした。

「何だか中学生の頃の、お姉ちゃんを思い出すな」

「どうして?」

「だってさ、何かに迷ったり悩んだりした時って必ず、髪を切ってたじゃない」

「ああ、部活での試合で一度もレギュラーになれなくって、バドのラケット振るたびに悔しくってさ。あの頃は、必死になってスイングのスピードやスマッシュの練習を庭でしてたな。だから髪が邪魔だったのよ」

「そっか。何事にも夢中になり過ぎる性格だからかな、お姉ちゃんてっさ」

「そうかもね。でも羨ましかったな。試合に出ている子を見ていると。もっと自分も頑張らなきゃって、思えたしね」

「ケーキ食べたい」

「じゃあ、買って帰ろう」

「ケンタッキーもね」

 好きな男子の前では、そんなに食べないでしょうに、と笑を堪えて美沙絵を冷やかした。えっへへと、愛らしく笑う我が妹に今日は特別な日だからねっと、沙和音は付け加えた。その思いが、自然と沙和音の財布の紐を緩ませた。

 店を出ると、空いててラッキーだったねと美沙絵が満足気味の笑みを作った。その店は「食べログ」でも紹介されている、老舗ホテルが運営する洋食レストランだった。

 満天の星空を見上げ、綺麗で素敵な街だね。すごいねヨコハマって。来年は彼氏と来たいな。4~5人くらいのお友達グループと来るのもいいな。お姉ちゃんなら、どうする?

 他愛もないことを囁いて笑って歩く美沙絵を、スマホをのカメラで、パシャリと何枚か撮った。沙和音は、先を歩く美沙絵に小走りで駆け寄って左腕を取ると、自分の右腕をガッチリと絡めた。そして、美沙絵の横顔に向かって寒くなってきたから、早く帰って暖まろうよっと囁いた。

 様々な灯りに照らされた夜の街並みを、姉妹は仲良く歩いた。何台もの車の目が灯すヘッドライトがハーレションを起こして、姉妹の後姿を白々と輝かせた。その姉妹の視界から、何台もの車が勢いよく遠ざかって行った。


 ローテブルの中央にクリスマスケーキを置いて、ケンタッキーで買ったチキンとサラダパック、お菓子を並べた。グラスには少しでもカロリーを抑えるために、コカコーラ・ゼロを注いだ。

 美沙絵は自分のスマホを使って、無事に沙和音の部屋に辿り着いたことを母に報告を入れている。お姉ちゃんと変われって。そう言って美沙絵は沙和音にスマホを渡した。

 電話の向こう側から聞こえてくる母の声は、お父さんがねーっ、お父さんがねーっと繰り返しては、愚痴を零すかの様に我が娘に気を揉んでいる。

 お正月には帰るからと言って、沙和音は母の斜めになった機嫌を宥めて、そのまま美沙絵にスマホをバトンタッチした。明日は早く帰るからと、美沙絵は小さな笑い声と生返事を何回も繰り返しては、電話の向こうの母の声に、軽い頷きを何度も返して電話を切った。

 コーラで乾杯して、細やかな聖夜イブの第二部が姉妹で、スタートした。

「クリスマスって、誰のためにあるのかな?」

 切り分けたケーキのイチゴを頬張って、美沙絵は何気なしに言った。

「えーっと、それは皆のためにあるんじゃない?」

 クリスマスが誰のためにあるかなんて、沙和音は美沙絵から訊かれるまで考えたこともなかった。

「皆のため?そっか。そうだよね。大人も子供もこの世の中に大切な存在だし、だからクリスマスって、皆のためにあるんだよね」

 美沙絵は納得したように、うん。うん。確かにそーだよねっと、何度も頷いた。

「はいこれ。クリスマスプレゼント」

 沙和音は、包装された紙袋を美沙絵に差出した。

「開けていい?」

「もちろん、どうぞ」

 美沙絵は、ローズレッド色のリュックサックに感慨の喜びを表した。

「じゃあ、これ、お姉ちゃんに」

 お返しされた小さな箱の中身を見て、沙和音は微笑んだ。手首を覆う部分にふわふわのラビットフォーが付いた、スマホ対応の手袋だった。落ち着いたネイビー色もいい。

 こうやって、変に姉を気遣ってくれる美沙絵に、沙和音は感謝の気持ちと安らぎの微笑みを浮かべた。

 クリスマスは誰のためにあるのと言う、美沙絵の問いに本来は恋人がいてもいなくても、誰でも自由に楽しんで良い日と答えられなかった自分が、ちょっぴりと、残念な気持ちが沙和音の心の中を埋めていた。

 美沙絵は学校のことや友達のこと。少しおどけて気になる男子のこと、将来は専門学校に行って美容師になるため、頑張って勉強したいことなど、和やかな笑いを交えた話を絶やさなかった。

「私も早く1人暮らししてみたいな。自分で自由なことができるって、とても素敵だし」

「ダメよ、みさは。朝に1人で起きるの苦手でしょ。それに大変だよ、ご飯作ったり、洗い物に掃除や洗濯って家事の仕事をするって」

「じゃあ、お姉ちゃんもご飯作ったりするの?」

 もちろんよ。と言って、沙和音は電子レンジを指差した。あれでお弁当をチーンってね。

 美沙絵は冷蔵庫の上に置かれた電子レンジの方向を見て、そっか?そう言うことなんだ。お姉ちゃんて、やっぱり、すごーい。と、笑いを噴出した。沙和音も美沙絵の笑い顔を見て、腹の底に堪えていた笑いを噴出した。

 姉妹だけでクリスマスイブを過ごすのだって悪くはない日、と沙和音は美沙絵と共に聖夜を愉しんだ。

  

               *

 

 年末年始の、束の間の休暇が明けるのは早い。いつものペースで普段どおりの生活が、あっと言う間に始まって行く。

 仕事帰りには、やれやれといった疲れを感じる。それでも、もうすぐ行われる初めての口頭弁論を思うと、疲れているという気持ちを払い退けて、気を引き締め直した。

 理奈と新宿にある花園神社に初詣に行った時に、証人として何時でも裁判所に来てくれることについて話が纏まっているので、多少の安心感がある。

 初めての口頭弁論は、2月5日と決まった。それも、厚木簡易裁判所ではなく横浜簡易裁判所で行われる。自分のテリトリー内で裁判ができるってことは、沙和音にとっても大きなメリットだ。

 あの日のラーメン店での室杜のアドバイスに、本当に感謝している。


 厨房からは湯気が立ち沸き、中華鍋を振る音や種々の油料理の匂いが店の中に立ち込めている。 

 麻未が、つまみチャーシューのネギ添えを2人前注文したところで「訴状を提出する裁判所は、どこら辺にある裁判所?」と、室杜が沙和音に訊いた。

「厚木の方にある、厚木簡易裁判所です」

「ちょっと、それは今の会社からは遠くなるな」

 室杜は、眉間に皺を寄せて考えあぐねた。

「だって、訴える相手が厚木に住んでいるなら、それはどうにもならないでしょう」

 麻未がビールを煽って言った。確かに沙和音が、弁護士の冬樹ほのかに法律相談に行った時も、そう言っていたので、これは変えられないと思っていた。

「それって、精神的苦痛の慰謝料も含んだ訴えを提起するってことだよね?」

「はい。もちろん、貸したお金を取り戻すってこともあるんですけど」

 さらに、室杜は頭を捻って考えている。運ばれてきたチャーシューのネギ添えを箸でつまんで口に入れ、ビールを煽ってから室杜は言った。

「その男性から、最後に会って別れ話をされたのは何時、何処で?」

「えっ?それは、先月の中頃に、ぴおシティの近くにあるカフェですが」

 室杜が何を考えて、こんなことを訊いてくるのか、その意図がさっぱりと沙和音には分からなかった。麻未も、そんなことが何の関係があるのよ?と、怪訝な言葉で口を挟んだ。

「裁判には、裁判管轄権が決められているってこと。だから、精神的苦痛を被った場所にも、裁判の管轄権は認められるんだ。つまり、慰謝料などの損害賠償なら民法の不法行為の規定を適用してるから、この地を管轄している裁判所は横浜簡易裁判所ってことになるんだ」

 室杜が何のことを言ってるのか、沙和音に直ちに理解できなかった。

「それって、横浜の簡易裁判所でも、沙和音は裁判ができるってことなの?」

 唇にタバコを挿して、火を点けようとしたライターの右手を止めて、麻未が言った。

「ああ。そのとおりさ」

「沙和音、それだったらさ裁判所に通うのに楽じゃない」

 沙和音は、室杜が話しをするようなことは考えてもいなかったので、驚きと同時に温くなったビールを飲み込んでいた。この場が、何かのディスカッションをするような空気に変わってしまい、喉が渇いていたのだ。

「で、その横浜簡易裁判所って何処にあるのよ」

 麻未は自分のタバコを室杜に勧めて言ったが、横に座る眞理恵に失礼と断って、自分のタバコに火を点けて、苦笑を隠した。

「会社からなら、みなとみらい線の馬車道駅から日本大通り駅で降りて直ぐだけど。会社からもっと先の駅だと、みとなみらい駅からも行けるし、JRなら関内駅で降りて徒歩6、7分くらいで行けると思ったけど」

 古びれたアルミの灰皿に、タバコを揉み消しながら室杜は言った。

「ああ、あそこらは神奈川県庁とかある付近ね」

「でも、そこでその男性と会ったって証拠がないと」

「証拠って?元カレと沙和音の目撃者とかってことなの」

「いや。別に目撃者って、そこまでオバーでなくっても。例えば、メールで会う場所を決めたとか、そういう類のいわば疎明資料かな。それも慰謝料の請求と関係がある地域でさ」

 沙和音は、はっと思いスマートホンを取出して、ラインを開いた。良真のIDは既にブロック済みだが、トーク履歴はまだ削除していなかった。

「ラインとかの、トーク履歴とかは?」

 麻未は沙和音がスマホを操作する仕草を一瞥しながら、室杜に訊き返した。

「そういう通信媒体に保存された証拠については「反訳書」と題して、提出できるけど。でも、新堂さんは相手の男性にお金を貸したときに、返済する場所の取り決めもしてなかったってことだろう。それなら、貸した方の住所を管轄する裁判所にも訴えを起こすことはできるし。つまり、相模原簡易裁判所にもね」

「何だか分らないけど、いろいろと面倒なことが多いんですね。何だか私、飲み直したい気分」

 しばらく無言のまま、麻未と室杜のやりとりを聞いていた眞理恵も、室杜の言っていることがチンプンカンプンのまま、ビールを一気に煽った。そして、おもむろにチャーシューにネギを挟んで口の中に含んだ。その勢いで、冷たいビールもう1本いこうかと、眞理恵は麻未の同意を求めた。

 室杜の話したことを纏めると、どうやら、貸金返還請求事件と慰謝料請求事件は併合の訴えとなるため、横浜簡易裁判所もしくは沙和音が居所とする相模原簡易裁判所にも、裁判の管轄権が認められると言うことらしい。

 沙和音は悩んだ。自分の中では、厚木簡易裁判所で裁判をする腹積もりでいたため、室杜の話はにわかに信じ難かった。

 でも、室杜の話が本当なら、そんなことができる何てことは、沙和音には思いも付かなかったことだろう。冷静になって良く考えてみれば、これはまさかの大どんでん劇ではないだろうか。いや、これは本当ならって室杜を疑うこと自体が、お門違いの話だ。全ては沙和音の浅はかな知識で、裁判をしようとしていたことが間違の元なのだ。

 専門的に法律を勉強している人と、自分の今の知識を比較しても比べようがい。以前、冬樹弁護士に相談した際には、時間的余裕もなかったので、裁判の管轄権についてまでは相談するこはできなかったし、裁判の管轄権さえも理解できていなかったのだから。

 きっとあの時、裁判の管轄権を調べて相談していたら、冬樹ほのかも室杜と同じことを話したに違いない。

「会社に近ければ、仕事を休まなくって済むじゃない」

 麻未の言葉に、沙和音も頷いてはみた。しかし、仕事をこなしながら、裁判なんて本当に自分にできるのかだろうかと言う、懸念もなくはない。

「例えば、午前中だけ有給扱いにしてもらうとか病欠ってこでも、話もできるし」

「病欠?」

 室杜の言ったことに、沙和音はまた動揺した。いくら何でも仮病は使えない。

「そうそう。生理休暇は女子の特権だからね」

 麻未は事も無げに、言い放った。

「……」

 男性の室杜を前に、ちょっとした気恥ずかしい沈黙の表情を沙和音は見せた。

「嘘も方便だから。こんな時こそ嘘も許されるのよ」

 麻未の真剣な眼差しは、酔って沙和音をからかってるとは思えない。

 そういう、人に配慮しない悪戯な冗談を言う性格でもないし、確かに麻未の言うことにも一理ある。続けて、室杜が麻未の言葉を補足する解説を始めた。

 労働基準法68条の規定によれば、使用者は生理日の就業が困難な女性が休暇を請求した時は、その者を就業させてはならないとしている。その休暇中の賃金については、就業規則などに別段の定めがないときは無給が原則であると、生理休暇についての法的な根拠を室杜は話した。

「……かな?麻未さんが、そう言うなら」

 迷い顔を崩せずに、麻未の意見に翻弄されるしかなかった、沙和音だった。

「決まり。会社からも行ける横浜簡易裁判所で。だよね、沙和音!」

 麻未のこの一言が、沙和音を決心させた。午前中だけの有給を使うか、この際、理由の如何を問わず欠勤扱いでも仕方がない。

 証人になる予定の理奈だって、きっとこの事情は了解してくれるだろう。

 しかし、一抹の不安は打ち消せない。裁判が何時何時頃に行われるか何て、今の沙和音には知る由もないからだ。

「口頭弁論の時間帯なら、裁判所は臨機応変に対応してくれたと思ったけど」

 沙和音の不安げな顔を察してか、室杜が先回りするかのように言った。

「そうなんだ。自分の希望する時間帯に裁判所が都合を合わせくれるってこと」

もはや、麻未は沙和音の代弁者になっている。沙和音の抱く疑問の全てを沙和音に変わって麻未が、室杜に訊ねる質疑応答が何度も繰り返された。室杜も次々と麻未の突っ込みに対して、苦笑いを沙和音に向けてレクチャーしている。 

 もっとも、沙和音にしてみたら、この場をセッティングしてくれた麻未に習って全てを委ねても致し方ない程に、室杜との距離感がある。何より、室杜と打ち解け合った麻未の言葉の方が自然と室杜をリラックスさる、親近感にも似た何かを持っているようだった。

 室杜は、裁判所が都合を合わせてくれるというよりも、訴状を裁判所に提出すると、裁判官が訴状を審査し、訴状に不備がなければ事件の担当書記官から口頭弁論の日時についての連絡が来るとのことだ。その書記官が口頭弁論の時間帯について午前と午後の幾つかの候補を挙げて、原告になる者の希望時間を考慮して、口頭弁論の期日が決められると言うのが、室杜の論説だった。

 沙和音の懸念していた全ての不安は、室杜の説明によって打ち消されつつあった。

「ねえ、そろそろメインのラーメンにしない?」

 眞理恵が、麻未と室杜のやり取りに区切りがついたところで、第三者としての立場で議論の内容と無関係な意見を言った。眞理恵としたら、ラーメン店にいるのだから、当然の意見である。

 眞理恵の意見で、その場の空気の流れが変わった。沙和音も麻未も室杜も、一様に笑いを交えた顔を、眞理恵の方へ向けた。

 そうね、室杜くんは何ラーメンにする?この店は、醤油とんこつがお勧めよと、麻未が言ったところで、室杜の背広の右ポケットに入っているスマホに、着信音が響いた。

 着信表示を確認してから、ちょっと失敬といって室杜は、一旦その席から離れた。

 メニューを検討して、麻未は醤油とんこつ、眞理恵は味噌、沙和音も醤油とんこつで話が纏まった。席を外していた室杜が、店の入り口から戻って来た。

 室杜は、営業の連中がこの近くで飲んでいるから、今から、そっちに合流するからと言って財布から 千円札を何枚か抜こうとした。それを麻未が制止した。

「いいのよ。ここは、私たちの奢りってことで。ここまで無理に突き合わしたお礼よ」

 麻未からそう言われた室杜は、一瞬躊躇いの顔を作ったが、直ぐに麻未に切り返したの右手を振って、やんわりと断った。

「いや。その気持ちだけでいいや。清海からのこんな相談事くらいで借りを作るってのも、ある意味で怖いからさ。それに、悩める女性陣の懇談会に参加できて愉しかたし。まあ、同じ会社の労働者だから、割り勘は常識だからね」

 室杜は、淀みない滑らかな口調で麻未に言葉を返した。千円札3枚をテーブルの中央に置くと、沙和音と眞理恵を一瞥して、じゃあ、お先に失礼と室杜は屈託なく笑みを浮かべて言った。

「でも室杜くん、今日のことは他言は厳禁よ」

 ああ、了解してるって。麻未のキツイ眼差しを交わすように室杜は、苦笑顔を浮かべながら踵を返して店を出て行った。


 これらの室杜のアドバイスを受けて、沙和音は作成済みの訴状を保存したワードを開いって、裁判所の宛名を「横浜簡易裁判所御中」と改めた。そして、良真とのラインのやり取りのトーク履歴を「反訳書」として、書き起こす作業をこなした。

 室杜の話によると、「反訳書」は証拠としての扱いになるらしい。なので「証拠資料」の箇所に、甲第3号証として「反訳書(被告とのライン履歴)」として、追加した。

 しかし、沙和音はスマホに保存された良真との全てのトーク履歴を「反訳書」に書き起こす作業に、辟易としたジレンマを感じた。良真とのライン履歴を全て文字に書き起こす作業にメンタル的負担が、大きく沙和音に重く伸し掛かってくる。

 それに、今更ながら過ぎ去った異性を思い返す自分が、何よりも嫌に感じたからだ。

 しかたなく、弁護士の冬樹ほのかにメール相談を送ってみた。メールを送信して、2日後に冬樹ほのか法律事務所からの返信メールがあった。必要限度の範囲として、直近の証拠となり得る重要なラインのやり取り箇所だけを「反訳書」にするようにとの回答だった。

 その「反訳書」には、トーク内容はもちろん「月日」「時間」「既読」を文字に書き起こして記載する。例えば、被告笹谷氏「明日会える?(笑い顔の絵文字あり)」原告新堂「大丈夫。待ち合わせは場所は何処で何時にする(絵文字の音符記号あり)」と言った感じで、全てを文章に書いて表現する作業が沙和音を手古摺らせた。

 こうして、試行錯誤を繰り返して完成した訴状と、証拠資料の正本と副本を横浜簡易裁判所に郵送した。

 正本は裁判所用で副本は、良真に送られるものだ。室杜から書留郵便で送ることを勧められたので、会社の近くにある郵便局から、簡易書留で裁判所に送った。

 訴状を郵送することで、時間的なコストや仕事に穴を開けるリスク回避には繋がったのは確かなことだが、何とも言えないもどかしい日々が続くことに、沙和音は耐え難かった。

 これでOKなのかNGなのかが、判然としない毎日だったからだ。

 クリスマスももう直かと思っていると、沙和音の憂いな表情を崩すラインが入った。

 美沙絵からだった。イブに赤レンガ倉庫に一緒にイルミネーションを見に行こうよ。ご飯もご馳走してね、との条件も付け加えられていたメッセージを送って来た。迷いなく美沙絵に、了解のスタンプで返事を返した。

 その翌日のことだった。定時を終えて残業の休息中にスマホをチェックしたら、横浜簡易裁判所書記官の赤崎あかさきという女性の声で留守電が入っていた。沙和音は直ぐに折り返しの電話を入れてみた。そこで、口頭弁論の時間について打ち合わせをした。

 正式な口頭弁論の「呼出状」は、特別送達という郵便で送られて来るとのことだった。

 良真にも特別送達で、訴状と口頭弁論の「呼出状」が送られると聞いて、漸くと一安心した。裁判所からの、これでOKとのGOサインが放たれた瞬間だった。


 もう、1月も半ばを過ぎようとしている。世話しない普段通りの生活に、すっかりと落ち着きを取り戻していた。2月5日午前10時30分から、沙和音の人生初の口頭弁論に挑むことになる。


 果たして、良真はどう出てくるのか―――――――

 沙和音としたら、次に打つ一手は何があるのか――――――

 

 もどかしい日々は、沙和音の頭のどこかに渦巻いて、消え失せない。

 1月26日の土曜日のことだった。溜まった衣類の洗濯をしていると、裁判所から封書が届いた。急いで封をハサミで切って中身を取り出した。書類には「答弁書」と題されていた。次に眼を移した瞬間、えっ?と自分の眼を疑った。

 被告訴訟代理人認定司法書士―――野間山達実のまやまたつみ

 これは、良真が司法書士を訴訟代理人としたってことだろうと、沙和音にも理解ができた。続いて、紛争の要点に対する答弁(請求の原因に対するる答弁)に眼を走らせた。

 読み進むにつれて、真っ赤な嘘とは良く言ったものだと、沙和音は憤りから漏れた吐息と悔しさを同時に飲み込んだ。

 もう後戻りはできないと、モチベーションを高めるしかなった。例え相手の言ってることが真っ赤な嘘でも、正義を勝ち取ることが自分自信に科せられた使命であり、これからの前進への意欲となり力となるのだから。

 沙和音は、こんなことでモチベーションを下げることはできないと、新たな決意を誓った。それでも、司法書士という専門家に止めどもない不安感と同時に、ずる賢い真っ赤な嘘を並べただけの答弁書により、良真に対するやるせなさが込み上がってくる。

 沙和音は答弁書を握り締めたまま、真っ赤な嘘に対しての反論と次の一手となる傾向と対策の勘考に集中することで、自分の感情を冷静に維持することに努めた。

 そうしてみても、振るえる指先で嘘で固められた答弁書を読み返していると、抑えようとする感情がコントロールを乱れさせて、悔し涙が眼に潤んで来るのをどうしても沙和音は、止められなかった。

 

 当日の2月5日の午前10時。口頭弁論が行われる法廷の関係者入口の扉を開いて、沙和音は中に入った。法廷を見渡すと、既に他の訴訟当事者が何かのやり取りをしていた。

 裁判官と女性の書記官が、沙和音を一瞥する眼を向けた。傍聴席が埋め尽くされていることに、躊躇いを見せていると、法廷と傍聴席を仕切る柵から出て来た裁判所の職員らしき男性が近寄って来た。

 本日の口頭弁論で来られた方ですかと、訊かれた。どうやら、廷吏と呼ばれる職員らしいが、沙和音はトートバックから封筒に入った呼出状を取出して、その廷吏職員に見せた。

 現在の裁判所では、廷吏と呼ばれる専門の職員はいないので、裁判所事務官などが廷吏としての役割を果たしている。その職員は気さくな物言いで、法廷内にある長テ―ブルの上にある出頭カードに、チェックを入れるように促した後に、空いてる席に自由に座ってお待ちくださいと言った。

 沙和音は、柵の向こうの法廷に入り、出頭カードに書かれている自分の名前にチェックを入れた。

 それから、傍聴席の空いてる席を探して座った。法廷で行われている様子を窺いながら、真っ赤な嘘で固められた答弁書の内容をいつの間にか反芻している自分に、沙和音は気付いた。

 憤りと悔しさで握りしめた両手の中に、汗が滲んでいることも忘れて、裁判官が座っている法壇の方へと、沙和音は真剣な眼差しを向けた。

 私も今、目の前にあるあの法廷の中に入るんだと思うと、胸の鼓動が徐々に高鳴って行くのを、沙和音は感じた。


第9話につづく。

本話の冒頭から始まる、クリスマスシーンについては、以下の「hiroki-isの日記」に画像をアップしておりますので、宜しければアクセスしてみてください。


hiroki-is.hatenablog.com/


第9話につきましては、現在引き続き頑張って執筆中です。

読者諸氏の期待に応えられるように、なるべく早くアップする予定です。


いよいよ、本格的に法廷へと立ち向かっていく主人公沙和音を描いて行きます。そして、麻未を始め室杜や様々な人たちに助けられながら、法律の壁に向かって奮闘して行く様子を描いて行きます。

最終話を含めて、後4話程度を予定しております。


なお、お断りとして、本ストーリの法律上の解釈については本ストーリの都合上、著者による創作や敢えて誤謬とも取られる捻りを加えてありますので、実社会で必ずしも通用する法律論ではないことを、お断わりしておきます。



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