表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/38

 いつもより遅い電車で帰宅を済ませた悠太は、母親の手料理を食べ、風呂に入って一日の疲れを癒してから、すぐに自室へと引っ込んだ。宿題をするという口実だったが、今日の分は全て帰りの電車で済ませていた。

 悠太は十五インチのノートパソコンに向かい、電源を入れた。ブラウザを立ち上げて、URLを手動入力する。エンターキーを押した瞬間、ブラウザが暗転し、黒い背景に無機質な黄色のロゴが現れた。

 

 Apostoli

 

 悠太はそのタイトルロゴをクリックし、ページを進めた。IDとパスワードと入れるボックスが表示され、悠太はID欄に【ユダ】と打ち込んだ。それから、全部で三十二桁もある長々としたパスワードを入力した。

 最後に【入室】ボタンを押すと、画面が白を基調としたチャットルームに切り替わった。来場者数が十から十一に増え、新規の入室者を伝えるコメントが一番上に現れた。

 

 ユダさんが入室しました!

 

 五分ほど遅れたことを詫びようと、キーボードに指を掛けた途端、慌ただしくコメントが流れ始めた。

 

 ヤコブB ユダ遅いよ

 ヤコブB もう十時過ぎてる

 ヨハネ いつも遅刻してる子が何を言ってるのかしらね

 ヤコブB それでいつも怒られてるだろ? だったらユダにも怒れよ

 シモン 頻度の問題だよ、きみ

 ヤコブB それって不公平じゃね?

 バルトロマイ まあまあ みなさん、たったの五分ですし

 

 短い謝罪文を書き終えた悠太は、エンターキーに指を伸ばした。

 そこで、さらなる妨害が入った。

 

 ペトロ では今夜の使徒会議を始めます

 ペトロ タダイさんはいつも通り欠席ということで

 

 謝る機会を失ってしまった悠太は、従順にその開始宣言を受け入れた。

 

 ペトロ:前回の決定が実現されたことは、全員確認済ですね?

 

 誰も返信しない。会議が始まったら無駄なコメントを避けるのが、この場における暗黙のルールであった。それを了解しているペトロは、淡々と議事を進めていく。

 

 ペトロ 早速、明日の予言について話し合いましょう

 ペトロ どなたか案はありますか?

 

 この手の質問を前にして、人間はおおよそふたつのタイプに分かれる。積極的にアイデアを出すタイプと、それを消極的に判断するタイプだ。悠太は後者だった。そしてほとんどの場合、アイデアを出すのは、特定の人々に限られていた。

 

 シモン ノ

 

 今夜の先頭を切ったのは、シモンだった。

 

 ペトロ シモンさん、どうぞ

 シモン 私もこの合議体における意見交換の重要性は承知している

 シモン だがサメを捕まえるだの何だの、そのようなことでは手緩いと考える

 シモン 世間の目を覚ますような、根本的な一撃を加えねばならない

 ペトロ シモンさん

 シモン それこそが、腐敗した社会を正す第一歩なのだ

 ペトロ 要点はまとめて書き込んでください

 ペトロ ログが流れますので

 

 しばらくの沈黙。機嫌を損ねたのだろう。しかし、そんなのはいつものことだと、他の参加者たちもタカをくくっているようであった。

 しばらくして、シモンの名が再びチャットルームに表示された。

 

 シモン:率直に言おう 見せしめに、町の有力者に死の制裁を加えるべきだ

 

 またこの話題か。悠太は、液晶の前で頭を抱えた。重苦しい空気が流れる中で、真っ先にログを動かしたのはヤコブBだった。

 

 ヤコブB 反対

 ヤコブB 人を殺すとかありえないっつーの

 ヤコブB ってか昨日もこの話したじゃん

 シモン 人の話に割り込まないでもらいたい

 ペトロ すみません

 ヤコブB 否決されたことを蒸し返すの禁止

 シモン 割り込むな

 ペトロ すみません

 

 ペトロが大文字に赤という組み合わせで、画面にでかでかと楔を打った。特殊コマンドの使用は、進行役の特権である。その迫力に押されたのか、それとも議事進行のルールをようやく思い出したのか、シモンとヤコブBは口論を中断した。

 

 ペトロ ヤコブBさん、私が指名するまでは話を始めないでください

 ペトロ 意見がある場合は、ノとだけ書いてください

 ペトロ 順番に指名していきます

 ヨハネ ノ

 

 今度はヨハネが手を挙げた。それに驚いている者はいないだろう。ヨハネもまた、この面子の中では、かなりのおしゃべりだからだ。

 悠太は、さらなる様子見を続けた。

 

 ペトロ シモンさん、アイデアは以上で提出済ですね?

 シモン そうだ

 ペトロ ではヨハネさん、どうぞ

 ヨハネ シモンさんの意見に賛成だわ

 ヨハネ これまでの私たちの活動が公に報道されてるのは事実

 ヨハネ でもそんなの偶然だって言う人があとを絶たないじゃない

 ヨハネ それもそうよね 偶然と取られても仕方がないことばかりだもの

 

 ヨハネの意見には、一理あった。カミサマの予言を信じる住民は多いが、それは単なる偶然だとか、都合のいい解釈で当たっているように見えるだけだと主張する者も、かなりの数に上っていた。とりわけ報道機関は、一部のゴシップ誌を除いて、カミサマの存在に著しく懐疑的だった。

 

 ペトロ ヨハネさん、以上で終わりですか

 ルカ ノ

 ヨハネ そうよ

 マタイ ノ

 ペトロ ルカさんが先ですね どうぞ

 

 ルカの名前を見て、悠太は心持ち背筋を伸ばす。お互いに見知らぬ者同士だが、ルカの意見には、首肯するものが多い。少なくとも悠太は、この使徒を信頼していた。

 

 ルカ 私たちの活動は、世の中を善くしていくことです

 ルカ 世の中を善くするというのは、個々人の自主性の問題であり

 ルカ 恐怖を与えて社会を統制することではないと思います

 

 その通りだと、悠太はひとり腕組みをして頷いた。

 

 ルカ 私からは以上です

 ペトロ ではマタイさんどうぞ

 

 マタイは打ち込みに手間取っているのか、数秒ほど間が空いた。悠太の予想によれば、マタイは送信前に長々と推敲するタイプらしく、それでいつも発言が遅いのだった。しかし、それがかえって、ヒートアップする議論を和ませてくれることもあった。

 悠太は、ぼんやりと、画面が動くのを待った。

 

 マタイ 私も、基本的にはルカさんの意見に賛成です

 マタイ 但し、もっと実際的な面から考えてみたいと思います

 マタイ 私たちがこうして活動できるのは、ひとえに目立たないからです

 マタイ もちろん街中で噂にはなっていますが、そういうことはともかくとして

 マタイ 警察などの政府機関から注目されていないのです

 マタイ しかし、殺人を予告したらどうなるでしょうか?

 マタイ 当然警察が動きますし、私たちの活動も終わりです

 マタイ 以上です

 

 ここまでは、悠太の予想通りであった。ヤコブBが指摘したように、この話題は何度も俎上に載せられ、その度に否決され続けているのだ。司会のペトロも分かっているらしく、議論が中断したところで、そのまま採決に入った。

 

 ペトロ では、採決を取ります

 ペトロ シモンさんの意見に対して【賛成】【反対】を書き込んでください

 

 それに合わせて、ログが一気に九列流れた。

 

 シモン 賛成

 ヤコブB 反対

 ルカ 反対

 バルトロマイ 反対

 ヨハネ 賛成

 ペトロ 反対

 マルコ 反対

 フィリポ 反対

 マタイ 反対

 

 悠太はキーボードに触れず、ただその結果に満足していた。可決に必要な票の数は七。欠席者に関わらず、使徒の過半数の同意がなければならない。そのことは、これまでの経験則から明らかだった。

 第一回の会議から姿を見せていないタダイなる人物は、常に反対票を投じている計算になる。その条件下で七票を集めるのは、なかなか骨の折れる作業であった。

 

 ペトロ ユダさんとヤコブAさんは?

 

 ペトロの書き込みを見た悠太は、慌ててキーボードを打ち始めた。もっとも、彼の票が意味を持つ段階ではない。それでも悠太は義務に従って、投票を行った。

 

 ユダ 反対

 

 これで残すところはひとり。だが、ヤコブAは動かなかった。不審に思ったのか、ペトロはやや強めの文体で、最後の使徒に投票を促した。

 

 ペトロ ヤコブAさん、投票を

 ヤコブA 結果はもう明らかだと思うので

 ヤコブA 次の議題に移りませんか?


 ヤコブAの反論は、一見尤もらしかった。反対票は既に八つ。過半数絶対の法則が支配する使徒会議において、ヤコブAの意思はもはや結果を左右しない。

 けれども、ペトロにはペトロなりの理由がある。

 

 ペトロ 会議では、各人が賛否を明確にする約束です

 ペトロ そうしないと、自分の意見を隠す人が出てきますから

 ペトロ ヤコブAさんも投票してください

 

 司会の執拗な催促にもかかわらず、ヤコブAはなかなか票を投じない。理由は不明だが、この使徒にはしばしば起こる現象だった。まるでヤコブA自身が合議体であるかのような、長々とした待ち時間の末、ついにログが動く。

 

 ヤコブA 反対

 

 ヤコブAが重い腰を上げたところで、一回目の投票が終わった。シモンの過激な提案は、否決された。

 

 ペトロ シモンさんのアイデアは否決されました

 ペトロ 他にアイデアのある方は?

 バルトロマイ ノ

 

 意外な衝撃が、悠太を襲った。シモンのアイデアが否決されたからではない。そんなことは、投票に付す前から分かっていたことである。そうではなく、バルトロマイが自主的に手を上げたことに、悠太はショックを受けたのだった。

 それはペトロも同じだったらしく、司会にあるまじき遅延を生じさせた。

 

 バルトロマイ ノ?

 ペトロ バルトロマイさんどうぞ

 バルトロマイ ありがとうございます

 バルトロマイ 私はもっとみんなが楽しくなるような予言がいいと思います

 バルトロマイ 例えば、高校の花壇に珍しい花を咲かせるのはどうでしょうか?

 

 一瞬、悠太の心臓が止まりかけた。高校の花壇。少年は、自分の横顔を見つめていたマリアの視線を感じた。幻覚だと分かりつつも、悠太は左頬を拭った。

 

 ペトロ どなたか、意見はありませんか?

 ルカ ノ

 ペトロ ルカさん、どうぞ

 

 悠太は気を取り直し、画面と向かい合う。なぜルカが挙手したのだろうか。このようなメルヘンチックな意見とはほど遠い性格に見えるルカ。彼が、あるいは彼女がいったい何を口にするつもりなのか、悠太は固唾を飲んで見守った。

 

 ルカ 内容はいいと思います とても平和的です

 ルカ ただ、場所を変更できないでしょうか?


 そこで一旦、チャットが止まった。ペトロは先を促す。

 

 ペトロ ルカさん、理由を付してください

 ルカ 高校には生徒が大勢います

 ルカ そこへ取材陣が押しかけると、勉強の邪魔になると思います

 バルトロマイ ノ

 ルカ 子供を巻き込むべきではありません

 

 悠太は、もう少し詳細な理由付けを期待していた。けれども、これはこれで一理あると、少年は自分を納得させた。これまでも、できるだけ特定の集団を贔屓しないように、一般的な事件を取り上げてきたのだ。サメ騒動とて、漁業組合だけでなく、海水浴客など街全体の利害を考慮してのことだった。

 

 ペトロ ルカさん、それで理由付けは終わりですか?

 ルカ はい

 ペトロ バルトロマイさん

 

 主張者であるバルトロマイが、再びチャットのバトンを受け取った。そんな流れを虚ろに追いつつ、悠太は挙手するかどうか悩んでいた。高校はマズい。できれば、身近なところでキセキを起こしたくない。それが、当事者としての切実な心理だった。

 

 バルトロマイ 確かに高校にはたくさん生徒がいますけど

 バルトロマイ 勉強の邪魔になんかならないと思いますよ?

 バルトロマイ 学生ってそういうことが好きですし

 

 そこで、バルトロマイは筆を置いた。他に挙手する者はいない。悠太は依然として、発言の可否を判断しかねていた。ここで強硬に反対したら、学生身分であることを勘ぐられはしないだろうか。その恐怖が、悠太の指を掴んで放さなかった。

 

 ペトロ 他に意見のある方は?

 

 沈黙。結局、悠太は挙手する権利を放棄した。

 

 ペトロ では採決に移ります

 ペトロ バルトロマイさんの意見に賛否を表明してください

 

 その書き込みを合図に、まず六つの票が投じられた。

 

 バルトロマイ 賛成

 シモン 反対

 フィリポ 賛成

 ヨハネ 反対

 ペトロ 賛成

 マルコ 賛成

 

 そこへ、さらにふたつが追加される。

 

 ルカ 反対

 マタイ 賛成

 

 予想以上にいい勝負だ。シモンとヨハネが反対したのは、バルトロマイのアイデアが、あまりにもお花畑なものに見えたからだろう。悠太は、そう推測した。

 

 ペトロ 残りの方は?

 

 ペトロは投票を促す。悠太は、自分の立ち位置を決めかねていた。反対する理由を表明できず、かといって賛成するのも憚られる。いやそれとも、こんな些細なことで身バレするという自分の考えが杞憂なのだろうか。

 様々な異論対論が、少年の中でぐるぐると渦巻く中、意外な一票が投じられた。

 

 ヤコブB 反対

 ヤコブB なんかインパクト弱い気がする

 

 そんな理由で反対するなと、悠太は頭を掻きむしった。

 反対四、賛成五、常時棄権一。過半数には、賛成がさらに二票必要だ。そして、残る使徒は二人。ヤコブAと、ユダこと悠太である。先に動いたのは、ヤコブAだった。

 

 ヤコブA 賛成

 ヤコブA 対案が出せない以上、仕方がないですね

 

 マズい。悠太の中で、もうひとりの自分が囁いた。

 全てが、悠太の一票にかかってしまった。

 投票を後回しにするのは、このようなリスクを負うことでもある。

 

 ペトロ ユダさん?

 

 悠太は半分混乱しながら、無意識のうちにキーボードを打った。

 

 ユダ 賛成

 

 自分の本心なのかも分からない二文字が、液晶に映し出された。すると、これまで沈黙を守り続けていた存在が、厳かにコメントを添えた。

 

 カミサマ 嘉シタリ

 

 その白い文字列を、悠太は畏怖の念で見つめ続けた。参加者にカウントされていないその言葉がどこから発せられているのか、悠太には知る由もない。

 

 シモン くだらん

 ヨハネ なんかねぇ……

 バルトロマイ みなさん、ありがとうございました m(_ _)m

 ペトロ では高校の花壇に珍しい花が咲くという予言を

 ペトロ ネットで広めますね

 フィリポ すみませんが先に落ちます 明日はどうなりますか?

 ヤコブB あー、もうこんな時間だよ 俺も寝よ

 ペトロ 明日も同じ十時集合です みなさんお疲れさまでした

 フィリポ お疲れさまでした

 フィリポさんが退室しました!

 ヤコブB ほいじゃまた明日

 ヤコブA 私も落ちます おやすみなさい

 ヤコブBさんが退室しました!

 ヤコブAさんが退室しました!

 

 次々とApostoliを退場する使徒たち。チャットルームでおしゃべりを続ける面子と、そうでない面子に分かれるのも、いつものことであった。

 悠太は明日の登校に備え、別れの挨拶を交わした。

 

 ユダ では失礼します

 

 退室ボタンを押すと、ブラウザが再び暗転した。悠太は軽く背伸びをし、明日の準備を終えてからベッドに潜り込む。チャットの文字列が、瞼の裏にちらつく。少年は暗闇の中で、自分の決断が正しかったのかどうか自問しながら、いつしか眠りへと落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=857025499&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ