5 寺合宿 3
5 寺合宿 3
「そもそもですけどねえ、…黒城さん、彼女に説明する気はないでしょう」
寺の縁側。
夜空をみあげて、そこに足をぶらぶらさせて篠原守がいう。
それに、しずかに黒城が苦笑している。
ともに、唯黙って夜空をみあげて。
「…いいんですけどねえ。…もとより、黒城さんは由樹乃さんに何も知らせずに色々となさるおつもりでしょう?」
無言で、黒城がしずかに篠原守をみる。それに、こまった風にくちをむすんで、天をながめて。
そこに星がみえる程には夜も深く。
寺の境内を包む夜空は広く高い。
月は無くても、星が明るい夜の空を。
「黒城さん、…。いいんですけどねえ、本当に、…けどですねえ、」
困った風にこめかみを掻いて、それから篠原守が不意に視線を黒城に向ける。
それに、無言で少し首を傾げて問い掛けにかえる黒城と。
じっ、とその黒城を見詰めて、篠原守がくちにする。
「少年Aとしましてはね、――――…こういうことは、…。ああもう、いってしまいますけど」
「ああ?」
穏やかに問い掛ける黒城に降参したように、がくりと肩を落として。
「いいんです、…。こういうこと、ぼくだっていいたいわけじゃないことはわかっていただけるといいんですけど、―――ああもう」
「どうした?」
あくまでしずかに黒城が訊くのに、がばっ、と顔をあげていう。
「はっきりいいますけど、黒城さん。あなた、本当に先の巫女がお好きなんですね?いまも恋をされている」
「…――――」
その不意打ちに、驚いた顔をして黒城が篠原守を見返す。
外見の十九才ほどにとてもちかい、おさないようでさえある黒眸がおどろいてみるのを、ふう、と息を吐いて篠原守が見返す。
「ですからね?」
「…恋、か」
不思議と、それにいま気がついたというようにいうと本当に驚いている黒城に、がくりと篠原守が肩を大きく落とす。
「…――黒城さん、…。いいんですけどね?永き刻を生きてきた方は、案外、お年を召しておられるというよりも、こどものように純粋な処がある方の方が案外本当に多いんですよね、…」
肩を落としたままいう篠原守に黒城がおどろいたようにみる。
「そうなのか」
「ええ、…ぼくの狭い経験の範囲でしたら、…―――。ねえ、黒城さん」
「ああ?」
驚いて篠原守を珍しいものをみるようにしてみている黒城に、天を仰いで眉を寄せる。
「僕はね、先日、…――月の落ちた世界からの方をお迎えしました」
「…―――」
淡々といま月の無い夜空を眺めながらいう篠原に、黒城が真剣な視線を注ぐ。
背を向けたまま篠原守が続けて云う。
「つまりは、この世界とはすこしだけ異なる世界です。…――その世界から来た方を、お世話して――いまも担当はしてますが、…。そうですね、黒城さん。量子力学は御存知ですか?」
「名前程度は」
「…では、アインシュタインは?」
「知り合いではないが」
「ええと、相対性理論とかについて学ばれましたか?」
「…――いや、ある程度一般的な知識程度のものだな。専門的に学んだことはない」
夜空をみあげて、篠原守がいう。
「そうですか。…量子論というのは、単純にいうと世界が複数、幾重にも那由多の存在をもつという理論です」
「那由多の」
「そちらの方がなじみがいいですかね。仏様の世界では、幾多の無数の世界が存在しているといいます。科学が発展して、いまの世での解釈はそこに近づいているといえるのかもしれません。無数の世界が、この世界とは少しだけ違う世界が存在します。量子というものは、玉突きの珠をつくように幾重にも次へと影響していき、その選択肢がもし百あるなら百通りの影響しあい絡み合う世界がいまも新たに生まれ存在していっているんです。たとえば、―――」
星の夜空をみあげて。
「あなたと、先の巫女が結ばれて、そのままともにながく生きることのできた世界もあるかもしれない」
「…―――篠原くん」
黒城の言葉にも振り返らず、篠原守は天をみて。
「応仁の乱の話を聞きました。あなたが、――後悔される選択を、後悔しない選択が出来た世界も別に存在している可能性があります」
「…それは、―――?」
振り向かないままの篠原守に黒城がおだやかに問い掛ける。
「ええ、あなたの巫女があなたとしあわせに暮らせている世界もあるかもしれない。あるいは、その世界ではあなたは巫女としあわせに暮らし、滅することができたのかも」
篠原守のその言葉に、不意に黒城が傷むような顔をみせる。
永遠の刻を生きるのではなく、滅することの、――――。
それに気付いても言葉を止めることなく。
「黒城さん。あなたは、…間違って、後悔していることがあるかもしれません。それを、間違わずに済んで生きた世界もあるかもしれない。幾多の世界が同時に存在して、複数の世界があるというのはそういうことです。多重世界――あるいは、パラレルワールドといまはいいます。それが、量子力学から導き出される世界の有様になります」
「篠原くん」
痛みを消すことはできなくとも、穏やかであることはかわらない黒城に、そっと篠原守が息を吐く。
「黒城さん。――――…僕は、ふっちゃん命ですから、――彼女の邪魔になるようなら、貴方を御仏の御力を借りて滅することもやぶさかではありません」
「…―――それは、実に魅惑的だな。すぐにでも頼みたい処だが」
困ったように篠原守が視線を落とす。縁側を手でつかんで、足をぶらぶらさせて。
「…あなたは危険です。それはわかっています。…―――だから、最終手段としては、ぼくは貴方の消滅を――解脱を導くことを否定しません」
「ふむ、それは頼もしいな」
穏やかに微笑む黒城が本気であることがわかって、篠原守がためいきを吐いて天を仰ぐ。
「ですからねえ、…できれば、あなたは穏当にこの時代では闇を封印して頂いて、夜を夜に、昼を昼のままにしておいていただければ有難いなと思うわけです。…―――あなたを」
「…すまないな」
穏やかに微笑んでうれしそうにいう黒城に、がくりと肩を落とす。
「いいんですけどね?―――…僕としては、ふっちゃんが無事であればいいわけで、…―――その為には、別の世界とかではなくて、ふっちゃんのいるこの世界が無事平穏でいてくれなくては困るわけです。これがぼくの本音ですからね?」
「―――すまないな。厄介事を持ち込んで」
面白そうにいう黒城に、篠原守が額をおさえて、次に頭を抱える。がっくり肩を落としたまま頭を抱えている有様は、随分と深刻そうなのに何処かコミカルだ。
「…ああもう、…!いいですか?御仏の御力はお借りするにも、…――ああもう!もうってばもう!…―――百万世界があろうとも、ぼくにとって大事なのは、ふっちゃんが無事でいてくれるこの世界なわけですよ!それで、…ああもう!もうっ!」
「いや、本当にすまない」
いいながら、何処か微笑っている黒城の気配に、篠原守が唸る。
「うう!もう!もう!…正直いって、ふっちゃんの使命と御力と、あなたたち、―――本多の巫女とあなたとは、正反対で物凄く相性がわるいんですよ!御存知でしょう!それに、…―――ああもう、これをぼくにどうにかしろと?調整なんて苦手なんですー!」
「ああ、すまない」
これは、本当に笑んでしまっていう黒城に、じとっ、とした視線を振り向かせて篠原守がにらむ。
「あのですね?…本当にわかっておいでなのに、―――本多の巫女には何もおっしゃらず、御自身の御力で強引に物事を納めるおつもりでおられて、――――…。
――――黒城さん」
一拍間をおいて、篠原守が黒城を見る。
「篠原くん」
「ええ、これは忠告ですけれど、…―――いまのあなたは本当に危うい。本多の巫女もまた未覚醒では、誰も制御できるものがいません。
…―――そして、あなたは死ぬ気だ」
「…―――篠原くん」
しずかに黒城が篠原を見据える。それに、対して引くことなく篠原守が応える。
「ぼくは、ぼくの巫女の護り手なんです。…―――あなたが、あなたの巫女の護り手であるように」
「残念だが、いつの世にも、わたしは護るよりも護られてきた。…――本多の巫女こそが、わたしを護り、…滅してきた」
痛みと後悔を抱く黒眸に、呑む後悔の痛さと永い刻に刻まれた護りに抱き続けたくるしい想いに。
唐突にもみえることを篠原守はくちにしていた。
「…黒城さん。あなたの方が御存知だと思いますが、先の巫女は時を止めて封印しても、闇に狂い自我を失い、…―――復活も転生すらできぬ塊となり苦しんで地獄に落ちただけでしたよ?」
「篠原くん」
「…ぼくにいえるのはそれだけです。あなたのすることを止める時間も、力もぼくは持ち合わせていません。唯、これだけはいえます。地獄はとても苦しいですよ?あなたの選択は、…――先の巫女に関して、病を治すことのできなかった後悔は、彼女の魂を救ったとおもいなさい。地獄の煉獄の炎を暗き闇の苦しみをあなたは御存知ありませんが」
無言で、黒城が篠原守を見返す。
真摯に向き合う黒城に、うなずく。
「あなたは忘れてはいけない、―――。あなたは、此の世に来て、この時代で始めて病が医学という術で消える方策を得たことを知りました。ですが、黒城さん」
言葉を切り、まっすぐみつめて。
「病を救う為に、もし、巫女をこの世まで連れて来ていたなら。…―――残念ですが、破により滅し、消失させ転生の魂さえ塵も残せないものとしか」
「…―――篠原くん」
残る痛みとなにかを黒眸に、しずかに黒城が呼びかける。
「ええ、…――酷いことをいっているのはわかっています。ですが、ぼくも必死ですから。…三千世界は存在します。那由多ですら数えきらない世界が本当に存在する。…そのなかで、いまここにいるあなたにどれほど酷でも」
みつめる篠原守の表情は、苦しんでいるようだった。あるいは、それを哀しんでいると。
「…――ぼくはだから、医学を修めようとおもったのですよ。黒城さん」
唐突にいうと。篠原守が視線を下げ、自嘲するようにわずかに笑んだ。
「困りましたね、…。あなたが危険になることはわかっています。本当はこの場であなたを滅した方がいいのかもしれませんが」
縁側のよく磨かれた板に手をつき、大きく息をついて。
ひょい、と身軽く座り直すと、篠原守が夜空をみあげた。
「篠原くん?」
「ええ、…。大日如来様は大層気前が良い御方なので、…――ぼくがここであなたを解脱させるのにも御力を貸してくださるでしょうが」
「ふむ?」
首をかしげてみる黒城に、篠原守が。
「それは最後の手段ですからね」
「それはたすかる」
「…――本気でよろこばないでください。…」
「すまないな」
微笑む黒城もまた夜空をみあげて。
「だが、そういうバックアップがあるときくのは、気が楽になったたすかるな」
本気でいうとわかる黒城に、頭を再度抱えたくなりながら。
「…いいんですけどねえ、―――…。いえ、全然よくないんですけど?高校生にこんなとんでもないこと任せます?それも、受験生ですよ!もうまったく!」
「それはすまないな。だが、頼りにしている」
「…――自爆覚悟で前提にして動かないでください」
「…だがな、」
「あああ!ああもう!」
黒城が微かに笑む。
そして、夜空を仰ぎ、ふと気付いたようにいう。
「ああ、…そうか」
「どうしました?黒城さん」
夜空を向いたまま問う篠原守に。
「いや、…――あれは」
同じ方を向いた篠原守が絶句して。




