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黄昏のG   作者: 裏山おもて
6章 楽園都市
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「オラオラァ、見えてんぜ!」


 上空からデルタの咆哮とともに〝翼の刃〟が容赦なく襲いかかってくる。建物の陰をうまく利用しているつもりだが、塔の頂上から完全に隠れることなんてできない。

 動かなくなったシンクに傷がつかないよう、自分の体を盾にして攻撃を防ぐ。手足にはいくつも裂傷が走り、血が滴り落ちていた。


「くそ!」


 またも行き止まり。

 内壁に沿うように移動するも、どこにも扉はない。最低でもレイが待っている借宿に戻りたかったが、思うように進めない。階段をあがって上から越えるしかないが、そんなことをすればデルタから丸見えだ。すぐに翼の餌食になるだろう。


「ほらほら、『死神』がすぐ後ろまで迫ってるぜ!」

「うぐっ」


 反射的に振り返ると、黒い靄のようなものがすぐそばまで近づいてきていた。デルタの魔法なのか、どういう効果があるのかは不明だが、不吉な気配は感じる。アレに追いつかれてはいけない。それだけは確信が持てた。

 ユウトはすぐに駆け出す。退路もなく建物の隙間に飛び出したところを、デルタが翼で狙い撃ちしてきた。


 右足を刃が掠め、血が滲む。

 痛みに顔をしかめる。でも、足は止められない。

 どうすればいい。どうすれば。

 シンクが指一本触れられない相手に反撃の選択肢はない。逃げの一手も打つことができない。せめてレイがいてくれれば、と考えそうになって頭を振る。


「一人じゃ何もできないのかよ……ッ!」


 壁を壊そうにも黑腕は動かなくなった。魔法は使えない。全力の魂威変質で逃げようにも、デルタならユウトの速度についてくるだろう。

 歯を食いしばって刃の雨を避けながら角を曲がる。

 またもや、目の前に塞がった壁。

 走り続けて体力もそろそろ限界に近かった。息を整える隙もない。黒い靄がまた視界に入ってくる。


「……万事休す、か……」


 ユウトの膝が折れかけた、その時だった。


「こっちじゃ」


 行き止まりの壁の方から声が聞こえてきた。

 ……いや、壁じゃない。

 その手前の地面――そこの石畳がズレて、穴が空いていた。

 その穴から声がする。しわがれた老婆のような声だ。


「こっちに飛び込むのじゃ」


 迷ってる暇はなかった。

 すぐに穴に飛び降りた。案の定中は真っ暗だったが、すぐに地面に足がついた。

 ユウトが降りてくると、すかさず穴が塞がった。穴のすぐそばの梯子に誰かがいたのだろう。梯子を降りてくる音と気配がした。

 暗くて見えない。警戒する。


「そう固くならずともよい。それに、じきに目が慣れる」


 謎の人物はユウトの隣を通りすぎ、スタスタと歩いていく。四方八方に反響する足音と遠くに聞こえる水の音を聞くに、ここはこの都市の水道施設なのだろう。

 ふと、故郷のことを思いだす。機動隊のみんなは元気だろうか。


「まだ見えぬか? こちらへ進むのじゃ」

「……あの、あなたは?」


 手招きするような声に、ユウトは問い返した。

 少しずつ暗闇に慣れてきたものの、光源らしいものはかなり遠くの壁に設置してある灯りだけだった。壁や地面との距離感がわからずに、その光と声が待つ方向へと手探りで進んでいく。


「わしはただの婆じゃよ。寄る年波には勝てずに、前線を退いた婆じゃ」


 自嘲のような、あるいは諦観のような答えだった。

 ようやくその姿が見えてくる。

 言葉通りに腰の曲がった小柄な老婆だった。猫のような丸い目と、目尻に深い皺がいくつも刻まれていた。


「それより時間もないからのう。進むよ坊や」


 老婆はその年に似合わない健脚でどんどん先へ進んでいく。

 ユウトは一度だけ後ろを振り返った。

 黒い靄も、デルタの翼も追ってくる気配はない。

 罠の可能性も考えたが、ひとまずついていくしかないだろう。


 すぐに老婆の後を追って進む。

 しばらく進むと、水路がある明るい道に辿り着いた。水路の道を右に折れてさらにしばらく進むと、石の階段が見えてきた。


「……あの、僕たちはどこに」

「出てみりゃあわかるわい」


 老婆は階段を迷うことなく登り、天井の石をずらしてその上に出た。ユウトもあとに続いた。

 どこかの路地裏だった。塔からはかなり離れただろうか。すぐそばに建物があるせいで塔は見えないが、上空の樹氷の穴の位置から考えて、外街だということだけはわかる。

 老婆はすぐに石をずらして蓋を閉めていた。慣れた手つきだった。


「あの、ここは、」


 どこですか――と言おうとしたユウトの言葉は、すぐ後ろから聞こえてきた声によって遮られた。


「あれ? ユウトお兄さん?」


 すぐ後ろの家の窓から、ニコがひょっこりと顔を覗かせて首をかしげていた。






 仮宿の家に戻ってきたユウトは、ひとまずシンクを寝かせておいた。ぐっすり眠るレイと、まるで死んだように動かないシンク。ふたりの気配を背中に感じながら老婆と向き合う。


「あの、助けてくれてありがとうございました」


 ひとまず礼を言って頭を下げる。

 老婆は表情を変えずにうなずいた。


「でも、どうして助けてくれたんです? あなたは誰なんです?」

「さっきも言ったとおり、わしは名もない婆じゃよ。助けたのはただの気まぐれじゃ」


 どこか遠い目をする老婆。

 長い人生でいろんなことがあったのだろう。あまり多くを語るような人ではないのかもしれない。ユウトを助けてくれた理由も教えてくれる気はなさそうで――


「なに言ってんのペキュラお婆ちゃん。カッコつけてないで教えてあげれば?」


 と、横からニコがあっさりと名前を呼んだ。


「あ、ごめんねお兄さん。ペキュラお婆ちゃんってば、昔からカッコつけるのが癖みたいなもんなの。ねえ、お婆ちゃん」

「…………。」


 ペキュラ、とやらは視線をゆっくりとニコに移して、


「……まあ、そういう名もあるわい」

「そういう名前しかないでしょう? ボケてるんじゃない?」

「ボケてなどおらん」


 そこは即答したペキュラ婆さんだった。

 ニコが呆れてため息をついて、


「で、ユウトお兄さんはどこいってたの? なんでペキュラお婆ちゃんと一緒にいるの? ていうかなんでお婆ちゃんがここにいるの? デルタと一緒に研究所で暮らしてるんじゃなかったの?」


 矢継ぎ早に質問をしてくるニコ。

 どうやら薬の効果が切れている時間なのか、顔色もよくなっていた。安心すると同時に、なにやら聞き逃せない単語まで聞こえてきた。


「デルタって、デルタ=ラッセルアロウのこと?」

「へ? お兄さんデルタのこと知ってるの?」

「知ってるもなにも、いまそのデルタに殺されかけてたところをお婆さんに助けられて逃げて戻ってきたんだけど……」

「デルタが!? この都市に来てるの!?」

「ちょ、ちょっとまって! 君はデルタの知り合いなの?」


 ニコが驚いた声をあげて、ユウトが冷や汗をかく。

 お互い質問ばかりで話が進まないのを見かねたのか、ペキュラ婆さんが口を挟む。


「若いもんは急いていかん。おまえさんら、落ち着くのじゃ」

「すみません……じゃあニコちゃんからどうぞ」

「はい! ねえお兄さん、デルタがこの都市にいるってホント?」


 身を乗り出して聞いてくるニコ。

 ユウトはたじろぎながら頷いた。


「う、うん。塔の防衛役みたいだった」

「元気そうだった!?」

「……まあ、殺されかけるくらいには」

「そっかあ! よかったあ。元気かあ。そうかあ、うんうん」


 ニコは手を合わせてほっとしたようだった。

 ユウトが殺されかけたところには触れるつもりもないようだった。


「じゃあ、つぎはこっちから質問していい?」

「どうぞ」

「ニコちゃんは、デルタと知り合いなんだね?」

「知り合いっていうか、幼馴染っていうか……。デルタとゼータとあたし、同じ孤児院で育ったから」


 ニコは懐かしむように手のひらを眺めた。


「孤児院からあたしたちを引き取ってくれたのが、ペキュラお婆ちゃんなの。お婆ちゃんは王立研究所の研究員でね。魔法の力が特別強かったデルタとゼータを研究するために、あたしたちの後見人になったの。……あ、あたしは特別な力とかはないからね? デルタが、三人一緒じゃなきゃ研究に協力しないって駄々こねてね、あたしもついてきちゃったの」

「はて。そんな過去もあったかねえ」


 とぼけるペキュラ婆さんに、ニコが微笑む。


「ありました~。あたし、お婆ちゃんのおかげで学校に通えたし、お婆ちゃんの紹介で研究所の職員として働くこともできたの。まあ、色々あって逃げ出しちゃったけど」

「……そのことは、すまんかったと思っておる」

「お婆ちゃんが悪いんじゃないの。あたしが、あたしの心が弱かっただけだから」


 ニコとペキュラ婆さんは俯いてしまう。

 二人の間に何があったのか推し量ることすらできないユウトには、そこに言葉を挟むことなどできなかった。


「じゃあ、今度はあたしが質問していいお婆ちゃん?」

「……聞くだけ、聞いてみようかのう」

「なんでこの都市にいるの? お婆ちゃんも逃げてきたわけじゃ、ないんでしょう?」

「仕事じゃよ」

「引退したのに?」

「それとはまた別の話じゃ。死ぬまでにやり遂げなければならないことができたんじゃよ」


 それ以上とりあうつもりはなさそうに、ペキュラ婆さんはニコに背中を向けてしまった。

 老婆の背中が一段と小さくなった気がした。

 ニコは心配そうに見つめていた。育ての親のようなものなのだろう。

 口を挟むのは躊躇われるけど、あまりじっとしている場合でもないのだ。

 ユウトにはユウトの使命がある。


「ニコちゃん、ペキュラさん、僕からも質問していいですか?」


 老婆は横目でユウトを見てうなずいた。


「デルタの魔法、どういう効果があるんですか? シンクが死んだように動かないし、僕の義手も動かなくなってしまってるんです」

「……死んだように、とは迂遠しとるのう」


 ペキュラ婆さんは鼻を鳴らした。


「おぬし、その少女を見て、死んだとは考えなかったのかのう?」

「それは――」


 たしかに息もしてないし、心臓も動いていない。

 普通に考えたら死そのものだった。だが、シンクは死ぬことのないアンドロイドだ。何かが原因で停止しているだけという可能性もある。

 いや、その可能性しか考えてなかった。


「……まさか、本当に死んで……?」

「端的に謂うと、否じゃ」


 芽生えてきたユウトの不安を、ペキュラ婆さんが否定した。


「デルタの『幽世の鎌』の正体は、特殊な電位状態を発生させる磁場じゃ」

「電位状態……?」


 聞き覚えのない単語だった。


「左様。ユウトとやら、おまえさんは人間がどうやって体を動かしているのか知っておるか? 脳から神経回路を通して信号を送り、その信号によって体は動いておる」

「ええ、はい。それくらいは」

「詳しくは省くが、人間の細胞はその信号情報を伝える際に、細胞膜での電位状態を変化させておるわけじゃが、その際に起こる電位の変化……それらをすべて【無】の状態で固定させるのがデルタの【幽世の鎌】じゃ。しかもその効果は狙った個体だけに発揮される」

「……ええと、つまり?」

「デルタの鎌を受けた個体の電位状態が固定化されるのじゃ。つまり、体細胞の変化要因を受け付けなくなる」

「それって、死ぬってことですか?」

「仮死状態じゃな。細胞の時間が止まる、とでも思っておけばよい」


 ユウトはシンクを振り返る。

 シンクが死ぬことはない――いままでそう思っていたが、つまりデルタの魔法はシンクのナノマシンすらも活動停止にしてしまうってことだろう。ナノマシンという物質がシンクの不死性だとすれば、デルタはシンクの天敵ってことになる。


「……あれ、でも僕も鎌を受けたはず……」

「おそらく、その義手じゃな」


 ペキュラ婆さんはだらりと垂れ下がった黑腕を指さした。


「デルタの魔法は強力すぎるゆえ、その分制限もある。電位状態が固定化されているモノと繋がっているモノには効果はない。もし十人が並んで手を繋いでおった場合、電位固定されるのは最初に鎌に当たった一人だけじゃ。デルタが無意識下で制限しておるのか、【鎌】の電位干渉の能力の限界かはわからぬが……とにかく、研究でわかっておるのはただ一つ。【鎌】を受けた者は仮死状態になり、それを解除できるのもデルタだけじゃ」


 一度受ければ仮死状態になり、元に戻すのもデルタ本人しかできない。

 それはあまりにも、とてつもなく強い魔法だ。

 拳を握りしめる。

 ペキュラ婆さんは大きな吐息を漏らした。


「……デルタの阿呆め。【鎌】なんぞ使わなくとも無力化させる方法などいくらでもあろうに」

「でも【翼】はもっと危ないんじゃない? 【鎌】じゃ間に合わない時にしか【翼】は使わないはずでしょ?」


 ニコが庇うように言った。その視線は幾重にも血が滲んだユウトの手足に注がれている。


「それはそうじゃが……」

「それに、デルタの【鎌】は優しいもの。ゼータの【鎌】に比べたら、本当に優しいよ」

「わかっておる……わかっておるが、ううむ」


 納得がいくようないかないような表情のペキュラ婆さんだった。

 とにかく、このままじゃシンクが元に戻らないというのなら。

 ユウトは立ち上がり、窓の外――塔の方向を睨みつけた。


「デルタと話をしないと」


 話が通じるかはわからない。

 だが、ユウトたちがこの都市に危害を加えないつもりだと分かってもらえさえすれば、見逃してもらえるかもしれない。力じゃ敵わないことはハッキリしている。それなら話してわかってもらうしかない。

 ユウトたちの目的は、さらに先にあるのだから。


「お兄さん、デルタのところにいくんですか?」

「ああ、うん」

「じゃああたしもいく!」


 ニコも立ち上がる。


「逃げ出したこと謝らないといけないし、それに、久しぶりにデルタの顔見るのもなんだか楽しそうだし。ねえお婆ちゃん、いいでしょ?」

「老いぼれに止める権利はないわい」

「じゃ、決まりね! お兄さん、道案内よろしくね!」


 驚くほど自然にニコの同行が決まってしまった。

 まあ、デルタの幼馴染だというのなら彼女と一緒にいったほうが話を聞いてくれるかもしれない。

 ユウトとしても断る理由はなさそうだった。


「そういえば【死神】とかなんとか、黒い靄みたいなのが僕らを追ってきたけど……」

「ああ、あれはわしが造ったナノマシンじゃ」


 ペキュラ婆さんはあっけらかんと言った。


「【鎌】で固定化された電位状態を検知して、任意の場所まで運ぶように設定されている運搬用の群生型ナノマシンじゃよ。耐寒構造もしておるゆえ、あの群体ひとつで都市間すら往復することができる、わしとっておきの開発機じゃ。……無論、科学世紀のナノマシンには遠く及ばんが、なかなか優秀だと自負しておる。どうじゃ、すごいじゃろう?」


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