10
あの時、もっと彼女のことを見ていれば。
デルタ=ラッセルアロウが思い出すのは、いつも同じことだった。
生死をかけた戦いが当たり前になっているデルタにとって、人の心が折れる時には、いつも何か事件が起こるものだと思っていた。
なんでもないような日常で、平和な日々のなかで、彼女が逃げ出すなんてことは想像すらしていたかった。
彼女のことを気にしているフリをしていて、何もわかっちゃいなかった。順調に働いていたはずの彼女が『楽園都市』に去ったことを聞かされたデルタは、心の中に穴があいたように立ち尽くしたのだ。
思い出すのは、その時の喪失感ばかり。
彼女にはそれ以来会っていない。
彼女の苦悶に気付いてやれなかった自分が、会ったからといって何かを変えてやれるわけもない。それどころか、楽園都市に囚われた彼女にしてやれることなど何もなかった。
薬物という名の繋がれた楔は、デルタには外せない。
だからデルタはただそこにいることにした。
もしこの都市に――彼女に危機が迫ったとき。
誰よりも早く、彼女のもとに駆け付けてやれるように。
❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆
「……おいおい、どういう風の吹き回しだァ」
困惑したデルタの声が響いた。
楽園都市の塔のふもと、荒れ果てた広場の変わらない立ち位置でユウトたちを出迎えたデルタは、ユウトの後ろに立っている二人の姿を見て顔をしかめた。
「おいババア、どういうことか説明しやがれ」
「相変わらず口が悪いのう」
ペキュラ婆さんが呆れてため息を吐いた。
「うるせェ。そいつァこの都市の敵だ。そいつと一緒にいた金髪の女がいただろォ? その女、『地下』に侵入しようとしやがった。目的はわからねェが、まずカタギじゃねェぞ。殺しても死ななかった」
「ふむ。そうじゃったか」
「んだァ。えらく淡泊じゃねェか」
「わしはこの子らを敵とは思っておらんからのう。むしろ協力する立場じゃ」
ペキュラ婆さんはちらりとユウトを見た。
そこでようやく、デルタも視線をユウトに移した。
「お得意の【予知】ってやつかァ?」
「ちがうわい。魔法なんぞより信頼に足る理由があるんじゃ。ま、おまえさんには関係のないことじゃがのう」
ペキュラとデルタが睨み合う。
口を挟むのは憚られる雰囲気で、ユウトは黙っていた。
「ねえ、あたしには何か言うことないの?」
遠慮なく踏み込んだのはニコだった。
それまで見ないフリをしていたデルタも、そこでようやくニコの存在を認めなければならなくなった。
軽く舌打ちをして、
「なんで来た。てかなんでコイツらと一緒にいやがる」
「この人たち、あたしを助けてくれたの。それで話を聞いてたらデルタがいるって聞いて、一緒に来たんだよ。悪い?」
むすっとした表情になって、幼馴染に食ってかかるニコ。
デルタはバツの悪そうな顔をして視線を逸らした。
「べつに悪くないがよォ……ズブの素人が戦いの場にくんじゃねェよ」
「戦いって、まだ戦う気なの?」
「そりゃァ敵同士は戦うだろォが。殺し合うって言った方がいいか?」
「誰と誰が敵なの?」
「オレと、そこのべっぴんだ。言わなくてもわかるだろォが」
「だから、この人たちは敵じゃないんだって。言ってもわからないの?」
ニコは不機嫌さを隠すことなく、デルタのもとへと歩いていく。
シンクとデルタが争った跡地を、なんの気兼ねもなく越えていく。
「そうやっていっつも敵だ敵だって、ほんっと男の子なんだから。そんなことよりあたしに言うことないの? 久々に会ったっていうのに挨拶もないの? あたしってデルタにとってそんなどうでもいい存在だったの? あたし、デルタに会ったら謝ろうって思ってたよ。でもそんな態度とられたらそれより腹立ってきたし。ねえ、何とか言いなさいよ」
「どうでもいいってわけじゃねェけどよォ……」
「けど、何? それともあたしより『敵』のほうが大事なの? 敵がいないと生きていけないの?」
「んなことねェよ……てか近いって」
「そりゃ近づいてるもん!」
「わかった。わかったから離れろ」
さっきまで殺気溢れていたデルタも、ニコに詰め寄られてタジタジだった。
ニコを連れてきたのは正解だったかもしれない。
「だからさ、あたしこの人たちに助けられて、なにか恩返ししたいなって思ってるの。そしたらデルタがお姉さんに【鎌】使ったって聞いて。だから、解除してあげてよ。悪いひとたちじゃないんだよ?」
「……それは……」
ニコから逃げるように後ずさりながら、こっちを見るデルタ。
ようやくユウトの番が回ってきた。口を開く。
「僕からもお願いします。シンクは先走ったけど、本当は争う気はないんです」
「でもよォ、テメェらはこの都市の心臓に無断で――しかも力づくで踏み込もうとしてたんだぜ? 立派な犯罪だろうが」
「それは、そうだけど……」
円滑に交渉するなんて発想が、シンクにはなかったのだろう。
そこを言われてしまえば断罪を受けるのは拒否できるものじゃない。都市のルールを破っているのはユウトたちなのだ。
「デルタや。なぜそんなことをしたのか、聞いてみてはどうかのう?」
助け舟を出してくれたのはペキュラ婆さんだった。
「この都市の外から来た様子じゃ。おそらくこの都市の事情も知らぬであろうて」
「……ちっ。わかったよ」
デルタは渋々納得した。
「おいべっぴん二号。テメェは何がしてェんだ。なんでこの塔の地下に用がある」
「それは、僕にはわからないけど」
シンクが独断で侵入しようとしていたから、理由まではわからない。
……だけど。
「一つだけ言えるのは、この楽園都市に蔓延っている現状を変えたいってことだ。たしかにこの都市のことはわからないよ。でも、正直、ここは異常だ。いままで見てきたどんな都市よりも明らかにおかしい。なんでこんなことになっているのかわからないけど、僕はこの都市を変えたい。救いたいんだ。……もう、なにもしないまま見てるのは、嫌だから」
都市が滅ぶのも。
不幸になっていく人たちが目の前にいるのも。
「救世主にでもなったつもりかァ? 偉いこったな」
デルタが皮肉に笑った。
たしかに傲慢かもしれない。自分がそんなことをできるなんて自信があるわけでもない。
でも、ユウトは知っている。
いままで自分が見ていたものは、ほんのわずかなものだったということだ。自分の力が小さくても、視野が小さくても、だからといって決めつけてしまってはいけないんだ。
救えないかもしれない。
でも、救えるかもしれない。
動く理由なんて、それだけでいいんだ。
自分の小ささを理解し、より望みに近づこうと。
レイを抱きしめたとき、そう気づいてしまったから。
だからユウトはハッキリと言う。
この都市を――いや、世界を救うのだと。
「なったつもりじゃないよ。救世主には、これからなるんだ」
「…………。」
そのためには、導き手であるシンクが必要だ。
ユウト一人じゃないもできないのはわかっている。
動かなくなった義手を左手で抱え、頭を下げた。
「だからお願いします。動くようにしてください」
デルタはそんなユウトを眺めて、大きく嘆息を漏らした。
「……まったくよォ。テメェらは結局誰なんだよ」
「僕はユウト。ただのユウトだよ」
「名前聞いてんじゃねェって」
真面目に答えたら苦笑された。
「ま、そういうことなら解除してやる。だが、都市の規則破ってお咎めなしってわけにもいかねェ。本来なら、金髪のべっぴんを拷問してでもテメェらの目的吐かせてやるところだが――」
「目的などわかっておるよ」
ペキュラ婆さんはしれっと言った。
「おぬしらも科学都市の末裔として聞いたことくらいあるじゃろう? ヤナギ博士の【霊王の五躰】の逸話は」
「あァ。耳にタコができるくらい聞いた」
「あたしも知ってる。ていうかお婆ちゃんが何回も言ってたからね。もしかしてボケてる?」
「……オホン。そもそも【霊王の五躰】は世界樹を破壊するために必要な科学兵器じゃ。しかもそれらは科学全盛期であってなお技術力が逸脱しておった。それを造ったヤナギ博士は技術力もさることながら、倫理感すらも逸脱しておった」
ペキュラ婆さんがユウトの義手に触れた。
悲しむような憐れむような視線を、右手に注いでくる。
「その科学兵器は強大さゆえ気軽に扱えてはならない。だからこそヤナギ博士は兵器を使うための条件として、犠牲ーー本来の身体との交換を選んだのじゃ。
ひとつ、全身を失うことで不死になる【無限体躯】。
ひとつ、右腕を失うことで破壊の申し子になる【黑腕】。
ひとつ、眼球を失うことで五感を支配する【白眼】。
ひとつ、言葉を失うことで空間を司る【紫舌】。
ひとつ、骨格を失うことで容姿が自在になる【透骨】。
これらは適応者と呼ばれる者たちの身体の一部になり、ようやくその能力を発揮することができる。……ここまで聞けば赤子でもわかるじゃろう。このユウトとやらが背負ってる宿命がなんなのかを」
「つまり、世界樹の破壊……!?」
ニコが驚いて口元を押さえる。
世界中のどこからでも見上げれば目に入る、天空の樹氷。
その根源となる世界樹を壊すために造られた化学兵器。
「……それならそうと早く言いやがれ」
デルタも科学都市の出身として、その任務の重大さは痛感しているようだった。
ようやく納得してくれたようだ。
「あまり、誰かに言いふらすものでもないから」
「ちげえねェ。誰が敵かもわからねェしな」
デルタは肩をすくめて空を見上げた。
「つうかヤナギ博士ってのは酷だな。そんな重いもんをべっぴん共に背負わせるなんてよォ。なら残りのやつらも、もしかしたら全員べっぴんなのかァ?」
「さっきからべっぴんべっぴんって、デルタって顔ばっかりじゃん」
ニコが不機嫌そうに頬を膨らませる。
「あァん? オレァ顔のいい女が好きだから別にいいじゃねェか」
「あっそ……でも、ユウトお兄さんは男だよ? たしかに美人だけど」
「ハッ。んなわけねェだろうが。こんなべっぴんな男がいるかよ」
デルタが犬歯を覗かせてユウトを眺める。
もしかして、と思っていたけど。
「いや、僕は男だよ」
「……………………あ?」
笑いながら固まったデルタ。
「……嘘、だろォ……?」
「いやほんとだけど」
「ていうかなんで気づかないの? 髪長いひとは全員女だと思ってるでしょ? そういうのよくないよ」
「まあ、僕も筋肉質じゃないし、服もゆるめだし……背も低いからしかたないかもだけど」
「ユウトお兄さんは悪くないよ。どんな格好しててもそれは個人の自由でしょ。悪いのは先入観が強いデルタだよ。なにが美人が好き、よ。バカみたい。……でも、あたしだって努力すればもうちょっとは良く見えるはずだし……ほんとバカ」
「……あり得ねぇ……女だろ……男なわけ……」
「やれやれ。若いのう」
ペキュラ婆さんが暖かい目で、ユウトたちを眺めるのだった。




