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黄昏のG   作者: 裏山おもて
6章 楽園都市
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 またしてもシンクの姿が消えていた。


 窓の外を見ると、陽が頂上に昇っていた。そばには冷えた朝食のスープが置いたままになっていた。数時間は寝ただろうか。腕のなかのレイが小さくこぼした寝言で目が覚めた。


「なんか、頭がすっきりしたな」


 久々に熟睡した気がする。

 レイの体温も、さっきより下がっていた。起こさないようにゆっくり離れる。


「あ、起きたんですねお兄さん」


 リビングから声がかかった。

 昨夜、倒れていた少女が隣の部屋から顔を覗かせた。

 恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべている。


「今朝はごめんなさい。また変なところ見られちゃった」

「ああ、うん。それはいいんだけど」


 印象がガラリと変わって、ごく普通の感情豊かな少女になっていた。

 戻っていた、という方が正しいのかもしれないが。


「体調は大丈夫なのか?」

「はい。ちゃんと朝食も食べたのでバッチリです。これから仕事にも行かないといけないので、食べられてよかったです」

「朝食……って」


 まさか、と思って部屋を見渡す。

 ない。

 シンクが持って帰ってきた支給品のパンがなくなっていた。


「えっと、君、その……」

「あ、自己紹介してなかったですね。あたしニコっていいます。お兄さんはなんていう名前なんですか? この区域の人じゃないですよね? そんな綺麗な白髪の男の人なんて見たことないし。もしかして貴族……じゃ、なかったんですよね。じゃあ北区ですか? 北区は知り合いいないんですよねえ」


 矢継ぎ早にしゃべる少女――ニコだった。

 もともと口が回るのだろう。質問しておいて自分で言葉を重ねてしまうタイプだった。言葉を考えてから口を開くユウトには、そのテンポについて行くのは少しばかり厳しい。

 ニコのあれこれ聞いてくる質問に目が回りそうだったので、ユウトは掌を向けてニコの言葉を制して、


「ごめん、まずこっちから聞いていいかな?」

「はい。なんですか?」


 話す言葉を中断して、首をかしげるニコ。


「君は、支給されてるパンに、パン以外のものが混じってるのを知ってる?」


 もう少し言葉を選べばよかったが、迂遠させても埒が明かなそうな相手だったので直球で聞いてしまった。

 ニコは唇を一の字に結んで目を伏せた。


「……お兄さんは、」

「ユウトだよ」

「ユウトお兄さんは、この都市の人じゃないんですね」


 軽率だったか。侵入してきたことがバレて焦る。

 だが、その危機感はすぐさま霧散した。

 ニコの表情には見覚えがあったのだ。

 快活な様子から一変して、何かを自分に問いかける表情になっていた。

 あれは、友達の命を救えなかったメリダが浮かべていた、懺悔の表情と同じだった。


「……僕は」

「いいんです。答えなくて。この都市じゃ、外から来る人はべつに珍しくないですから」

「え?」


 意外な言葉に、少し驚く。

 外壁には門がなかった。てっきり外界とは隔絶された都市だとばかり思っていたが。


「ここは『楽園都市』なんです。みんな、一日の労働時間は二時間と決まってます。それだけで衣食住すべてが保証されるんです。その噂を聞きつけた近くの都市から、時々人がやってくるんですよ。ユウトお兄さんも、そのうちの一人なんじゃなかったんです?」

「……いや、ちがう」

「そうですか。じゃあ、外壁から?」

「うん。扉がなくて、越えてきたんだ」

「そうでしたか。まあ、中に入れば同じことですけどね」


 ニコは自嘲気味に笑った。

 窓の外の太陽を眺めて、その遠さに目を細めながら。


「この都市に入ってきたひとは、自分で空いてる部屋を見つけて、定時の配給食糧を貰って食べる。そうすればもうこの都市民になります。……ならざるを、得ないんです」


 なぜそうなるのか。

 それを聞くのは無粋だった。

 彼女の寂しそうな表情ですべて説明がつく。


「あたしが割り当てられた仕事は、昼過ぎに区画を回って住人がいなくなって空いた家を片付けるだけです。いずれそこにまた新しい住人が入ってきて、来た人は仕事を与える仕事をしている人からちょっとした仕事をもらって、そうやってこの都市が回っていくんですよ。たしかに働くことに辛さだとか、痛みだとか、命の危険だとか、そういったことは何もありません。警邏の人たちですら、仕事中に死ぬひとなんてここ何年もいないらしいですし。だからそこだけ聞いたら、本当にここが『楽園』だって、そうだって……素晴らしい都市だって勘違いしてしまいますよねえ……っ」


 ニコの喉が震えていた。目尻に涙が浮かんでいた。


「外壁に扉がないんです……その意味を、ここに来る前にもっと考えておけばよかったんです。逃げたくても逃げられないんです。出たくても出られないんです。壁のなかは確かに安全で、食べ物だって貰えて、つらいことなんて一つもないはずなんです。だけど、あたしは、あたしはここが怖い……こ、怖いんです……は、は、配給がなくなったら、どど、どうにかなっていまいそうで……っ!」


 奥歯をガチガチと鳴らして、腕を抱えて座り込むニコ。

 ニコは気づいていた。知っていた。

 知っていてなお、もう戻れないことを知っていた。

 そうユウトに教えていた。


「ニコ、ゆっくり息を吸って、落ち着いて、いい子、いい子」


 むかし怖がる妹にやってあげたように、ニコの背中を撫でてあげた。

 自分が食べている物がなんなのか、彼女は身をもって知っている。そこから逃げ出すための手段など物理的に塞がれ、薬で精神的にも縛られてしまっている。

 どこが楽園都市か。


「……で、でも、あたしたちが悪いんです」

「悪い? どうして?」

「あたしたちは、望んで、ここに来たんです……友達とか、家族とか、仕事とか、そういうものから逃げたくて、楽になりたくて……逃げだしてきたんです。ほ、本当はここに来るのは禁止されてるんです。でも、でも……」

「禁止って、ええと……?」


 この都市の正体はわかった。

 だが、まだ全貌が見えてこない。

 ニコはおそらくこの都市の出身ではないのだろう。薬漬けにされるまえ、どこかの都市にいた。そこでは『楽園都市』が理想郷のような扱いを受けていて、逃げ込むことのできる場所だということは、なんとなく察した。


「ニコは、自分でここに?」

「はい……でも、ユウトお兄さんとは違って【バイパス】で来ました。たしかに近くの小さな都市の人たちは、たまに壁を越えてくるらしいですけど……あたしは遠いから、荷物に紛れて【駅】を経由して」

「【バイパス】? 【駅】?」


 聞き覚えのない単語に眉をひそめる。

 かなり落ち着きを取り戻したニコは、大きく深呼吸をしてから頷いた。


「あの……もしかしてユウトお兄さん、かなり遠い場所から来たんですか?」

「ええ、うんと、たぶん。科学時代には『タイヘーヨー』って呼ばれたっていう世界一大きな水たまりを越えてきたらしいから。氷ばかりで実感なかったけど」

「……うそ。もしかして、西から来たんですか!?」


 ニコはようやく驚いた顔をした。


「西にはほとんど暖域もないって聞いたんですけど。もし氷が溶けても土の地面がないからって」

「そうらしいね。まあ、速い乗り物があったおかげで、故郷から三週間ほどでここに着いたよ」

「そうだったんですか……だから、全然知らないんですね。納得しました」

「納得してくれたら、教えてくれるかな。さっきの謎の単語」


 やけに気になった単語だった。

 胸がざわざわするような、良い予感がしない言葉。

 ニコは唇を舐めてから、丁寧に話してくれた。


「【駅】は、暖域の地面の――都市真下にある地下空間です。その【駅】と【駅】を繋ぐために、凍りついた地面を掘って開けた道が【バイパス】です。一度凍ってしまった地面なら、もう樹氷嵐が降ってきても凍りつくことはないですから、地下なら安全に都市間移動ができるんですよ。鎧獣もそこまでは来られません」

「……なるほど。それはたしかに、盲点だね」

「この地域では百年以上も前から使われてる交通手段なのですが……近くならまだしも、遠方まで地上で移動っていうほうが驚きなんですよ。本当に」


 ユウトを見る目が少し変わっただろうか。

 ニコが好奇心を持ってユウトの体をジロジロみてくる。黒い義手を品定めするような、価値を見定めるような。

 その視線には気づかないフリをして、


「てことは、この『楽園都市』もそのひとつだと」

「はい。ただし、最果ての終着駅ですけど」

「ちなみにいくつくらい駅が繋がってるの?」

「小さい都市も合わせて、たしか十くらいです。でもすべての駅が辿り着くのは、ひとつの都市ですけどね。あたしもそこから来ました。物凄く大きい都市ですよ」

「なんて都市?」


 何となしに聞くと、ニコは少し顔をしかめてから答えた。


「シントーキョー」


 その名前を聞いた途端、ユウトの右腕――黑腕がかすかに痛みを上げた気がした。

 まるで悲鳴を上げるような、歓喜に震えたような。


「『科学都市』シントーキョーです」




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