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黄昏のG   作者: 裏山おもて
3章 失われるもの
35/73

14

  

 暗闇のなか、視界がぐるぐると回った。

 腕のなかのミンファだけは傷つかないようにしっかりと抱きしめる。体がいたるところにぶつかりながら落下していく。傷が開き、痛みに顔をしかめた。


 吸い込まれて辿り着いた場所は巨大な空間だった。

 天井に、ぼんやりとヒカリゴケが灯っている。

 弾力のある地面には水たまりのようなものが溜まっていた。近くには溶けかけた樹氷のカケラがいくつも落ちている。


 間違いない。『複巣母体』の胃のなかだった。


 水たまりのように溢れている胃液に触れないよう、大きめの樹氷の上にのぼった。

 腕のなかのミンファの息がさらに荒くなっている。額に滲む汗の量が、異常なほど多かった。


「ミンファ、しっかりしてくれ!」


 声をかけると、うっすらと目を開けたミンファ。

 震える唇で、ユウトの名前を呼ぶ。


「……ユウ、ト……くん……」

「すぐに連れて帰ってやるからな。しっかりしろ」


 視線を巡らせる。

 胃袋の上部から、吸い込まれてきた樹氷が落ちて転がってくる。逆側は広大な空間になっていて、暗くて何も見えない。

 どこかに出口はないか。

 必死に探す。


 どれだけ見渡してもそんなものは見つかる気配はなかった。足場もなにもない状態で、胃袋の上部にある入口から出ていくのは至難の業だろう。

 なら胃袋を破るしかない。

 ユウトはそっとミンファを寝かせると、離れた場所で胃の壁にむかってギアを放った。


「【バースト】!」


 烈風は壁を削り取った。

 だが、表面を少し破壊した程度で止まってしまう。頑丈なのは体の中もさほど変わりはなかった。

 相性が悪い。単純な破壊では通じない。


「くそ! くそっ!」


 壁を拳で叩く。

 分厚く硬い肉の壁。外の音も、光も、なにもかもが遮断された空間だった。

 どうすればいい。

 どうすれば。


「ユウト、くん」


 か細い声でミンファが呼んでいた。

 すぐに駆け寄って抱き上げると、ミンファは手をユウトの脇腹にかざした。


「【癒の……息吹】」


 体のなかに流れ込んでくるのは暖かな癒しの力だった。

 傷が塞がっていく。


「なにしてるんだ!」


 とっさに手を掴んで止めた。

 魔力もほとんど枯渇して倒れているのに、これ以上使ったら本当に死んでしまう。それだけは絶対に嫌だった。

 ミンファは力なく笑う。


「だって、怪我してるから……」

「だからって無理しないでくれ。頼むから」


 手は氷のように冷たかった。いまにも命の火が消えてしまいそうなミンファのためにユウトができるのは、その手を握りしめて暖めることだけだった。


 もう、どうしていいのかわからない。

 足場にしている樹氷も溶けていく。胃液に触れた靴が饐えたような臭いを放ちながら焦げていく。それをただ眺めているしかできなかった。


 ちゃぷ――


 そんなユウトの耳に届いたのは、小さな水音。

 胃袋の奥、暗闇のなかから何かが胃液の水たまりをかき分けて進んでくる。近づいてくるその気配に背筋が伸びる。ミンファを背中に隠した。


 足音が止まった。

 かすかなヒカリゴケの灯りに照らされたのは、フードを被った人影だった。

 ミンファをここまで連れ出したやつだ。ここにいたのか。


「誰だ。正体を見せろ」


 警戒するユウトの声に大人しく従い、フードに手を外した人影。

 その下から現れたのは、蒼白な顔だった。


「……な……」


 息を呑む。

 肌は死にそうなほど白く、瞳は焦点が定まっていないように虚ろで、髪は生えていなかった。人のように見えるが明らかに違うとわかるのは、その皮膚にヒビが入っていたからだ。まるで割れた陶器のようにボロボロと欠損する肌。

 そいつはヒビだらけの唇をゆっくりと開いた。


「オマエハ、テキ」


 声はしわがれて聞き取りづらかった。

 だが理解はできた。

 お前は敵。

 ハッキリと、そう言われた。


「僕が敵だって?」

「オマエハ、テキ、ダカラ、コロス」


 虚ろな目で、絡みつくように睨まれる。

 なんだと言うんだ。

 この人モドキに敵視される理由なんて見当もつかなかった。

 たとえこいつが『複巣母体』の仲間で要塞都市の人間が邪魔だという意味だとしても、わざわざユウトを誘い出した意味がわからない。ほかに都市の人間なんていくらでもいるのだ。

 疑念に眉をひそめるユウトに、人モドキが言葉を継ぎ接ぎに紡いだ。


「ワレワレノ、タベモノ、ホロボス、オマエ、テキ」

「食べ物……それって」


 ハッとする。

『黑腕』は世界樹を破壊するために造られた科学神器(オーパーツ)だ。樹氷をエサとする鎧獣にとって、ユウトは確かに最悪の敵だろう。

 だが、それをなぜ知っている。

 人間社会の外――氷の世界に生きるはずの獣たちがなぜ。


「ココデワレワレガ、シンデモ、オマエハ、コロス」

「おまえは……『複巣母体』の意思なのか? それとも、別に司令塔がいるのか?」

「ワレワレハ、ワレワレ」


 鎧獣の知能は低くない。それは知ったはずだった。

 しかし、もしその知能がユウトたちが思っているよりもさらに高度なものなのだとしたら。鎧獣にも社会があり、理性があり、使命があるのだとしたら。


「まさか、『複巣母体』すら、僕を殺しにきたのか……っ!?」

「ココデ、シネ、ニンゲン」


 すべてはユウトを殺すための計画だというなら、すべてが繋がってしまう。

『黑腕』を目覚めさせて間もない襲来。

 ミンファを攫って誘導する。

 どれも偶然ではなかったのだ。

 都市の防衛計画を出し抜いた策略も、壊滅した街も、死んでいった人たちも。

 すべて、ユウトのせいで……。


「そんな……くそ……っ!」


 ユウトは力なく拳を下に打ちつけた。

 最悪だった。

 もっと早くにこの街から出ていればよかった。シンクと二人ですぐに旅に出ていればよかった。いや、そもそも『黑腕』をつけなければよかったのだ。さらに言うなら、六年前のあの晩――腕ではなく首を斬られていればよかったのだ。

 そうすれば死ななくて済んだ人たちもいたはずだ。妹だって死なずに済んだかもしれないのだ。


「全部……僕のせいで……」

「オマエハ、ダレモ、シアワセニシナイ」


 人モドキの鎧獣が吐き捨てた言葉が、ユウトの体から力を奪った。

 膝をつく。

 震えるような寂寥も、叫ぶほどの激情もなかった。

 ただ音もなく、ユウトの目から涙が零れた。


「僕のせいで……」

「ダカラ、シネ」


 人モドキの鎧獣がユウトの体を蹴った。

 胃液のなかに倒れる。その体を、踏みつけられる。

 傷が開き、血が溢れた。


 痛みも、苦しみも、どこか遠い世界に置いてきてしまったようだった。

 抵抗する気もなくただ蹴られ続ける。


 そんなユウトの反応を不満に思ったのか、人モドキの鎧獣はすぐそばで倒れているミンファに近づいて、ユウトに見せつけるようにその顔をこっちに向けた。


「コイツモ、オマエノセイダ」

「やめろ……」


 彼女はまだ手の届く範囲にいる、唯一の希望だった。


「……ミンファに触るな……殺すぞ……」


 口から漏れたのは穢れた感情だった。

 ユウトの目に渦巻くどす黒い感情。それを眺めた人モドキの鎧獣は首をかしげてから、ミンファの腕を思い切り踏み抜いた。

 ゴリュ、と音を立ててあり得ない方向に曲がったミンファの腕。

 気絶していたミンファが、喉からつんざくほどの悲鳴を上げた。


「貴様あああああッ!」


 自分を制御できなかった。

 ユウトはギアに手をかけて、指が折れるほどの力で解放した。

 烈風が人モドキの鎧獣を貫いた。

 天井に向けて放たれた風は、鎧獣を引きちぎりながら舞い上がっていった。血も細胞も残らないほどに細かく砕かれ飛ばされた鎧獣は、天井にぶつかるまでにその姿を消滅させた。


「ミンファ……っ!」


 ユウトは這って、すぐそばまで近づいていく。

 ミンファの腕は捻れて曲がり、骨が飛び出していた。それでもその痛みに震えるような体力もないのか、目を閉じかけて息を荒げていた。

 魔力も体力も、もう尽きかけていた。


「ミンファごめん、僕のせいで……」


 ずるずるとミンファのそばで這ったユウトは、その顔に手を当てる。

 まだ、かろうじて暖かくやわらかな頬。


「ユウ、ト……くん」


 頬に添えたユウトの手を、握り返してくるミンファ。

 もう何もできなかった。

 立つことも、叫ぶことも、なにも。


「ごめん……助けて、あげられなくて……」


 暗い空洞の中、胃液にまみれたユウトとミンファ。

 ふたりはかすれる声を震わせて、手を繋ぎ合っていた。


「ごめん、ごめん……」

「ううん……あやまら、ないで」


 ミンファが弱々しく微笑む。

 この表情すら守ってやることができなかった。守りたいものはなにひとつ守れなかった。それどころか自分のせいで傷つけて、死なせてしまう。

 何をしても自分のせいになるのなら。 

 もうなにもしたくない。

 もう、疲れてしまった。


「僕は……君と一緒なら……」


 ミンファと一緒になら死んでもいい。

 傷口から流れていく命を止めることができないのなら、このまま朽ち果ててもいい。

 このまま、ふたりで。


「……だめだよ……」


 目を閉じかけたユウトの体に流れ込んできたのは、暖かな癒しの力だった。

 ハッと目を開く。

 ミンファの手からユウトへと移る命の奔流。


「待ってくれ、ミンファ、待って……っ!」

「生き……て、ユウト……くん」


 とめどない力だった。

 ミンファの笑顔が涙で歪む。


 嫌だった。こんなことは嫌だった。

 でもユウトの手ではどうしようもなくて、どうすることもできなくて、ただその優しさを受け入れることしかできなくて。

 なにもしてあげられることは、できなくて。

 溢れ出る涙の向こうで微笑むミンファの最期の言葉を、ユウトはただ嗚咽を押し殺して聞いた。


「……生……きて…………」


 最後に大きな力が流れ込んできて、ぷつりと途絶えた。

 ミンファは笑顔のまま、静かに目を閉じた。


「ミンファ、ミンファ……っ!」


 腹の傷は塞がっていた。

 体はちゃんと動いた。

 ユウトは震える腕でミンファを抱きしめる。

 冷たくなってゆくミンファを抱きしめる。

 守りたかったものは、なにも……。


「……ミンファ……」


 呼び声に応えてくれることはなく。

 少女の亡骸を、静かに抱きしめることしかできなかった。


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