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黄昏のG   作者: 裏山おもて
3章 失われるもの
24/73

 

 その日、シンクは帰ってこなかった。

 夜遅くまで待ってみたものの、深夜になっても帰ってくる気配はない。保存庫にある食料でありあわせの食事をつくって待っていたが、さすがに眠くなってきたので先に食べて寝床についた。


 朝起きてもシンクの姿はなく、部屋は静かだった。

『複巣母体』のことで夜通し話し合っているのだろうか。この都市ほどもある大きさの鎧獣なら、対処の方法も困難を極めるだろう。ユウトの力が必要になれば声をかけてくるに違いない。

 あまり心配することでもないか。

 ユウトは顔を洗って歯を磨き、パンを焼きながらぼうっとする。

 朝はあまり頭が回らない。今日も訓練か、と憂鬱になりかけて思い出した。


「……あ、休みか」


 リビングのカレンダーを確認する。

 休日だった。

 とくに予定はない。こんなに早く起きる必要もなかったのに、もう朝食も作り終えてしまった。

 なにしよう。

 朝食を摂りながらぼうっと考えていたユウト。靴磨きをしていたときは毎日市場にでかけていて、休みなんてなかった。

 初めての休日だ。

 手持無沙汰になるのが目に見えていたから、とりあえず食事を終えるとさっそく着替えた。


「よし」


 機動隊の外套ではなく、久々に自分の外套を羽織って街に繰り出した。



 ❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆



 相変わらず街は活気づいていた。

 街のひとたちはまだ『複巣母体』のことを知らない。それもそのはず、機動隊東支部には箝口令(かんこうれい)が敷かれていた。もちろん市民の混乱を防ぐためだが、同時に機動隊内部でも広めないためだった。


 不安な状況だが、気にしても仕方ない。気を紛らわせるために目的もなく東の街を練り歩いた。

 朝市で賑わう広場、パン屋からの芳ばしい香り、仕事に向かう人々。

 何度か出勤前の機動隊員ともすれ違う。ユウトの長い白髪を見て、手を振られる。そろそろ顔も知られてきただろう。


 ふらふらと散策するままに歩いて、気がつけばかなり都市の中心部に近づいていた。内壁のそばの雑貨屋を少しだけ覗いて、壁沿いに歩く。

 内壁が囲むのは貴族街だ。その内側に農業区域と王城がある。

 そういえば東部側の端にはレイト家がある。内壁にほど近い貴族街の隅に、こじんまりと家を構えていたはずだ。

 内壁の門の近くで立ち止まって、壁のむこうがわの空を眺める。


 門兵たちが訝しげにこっちを見るが、ユウトはとくになにもしなかった。

 ミンファに言われたとおり一目でいいから妹に会いたかった。その気持ちに偽りはないが、やはり無断で貴族街に入ることはできなかった。少し悩んだことは確かだが規則を破ることはできなかった。


 英雄十傑になって立場を得て、自由に出入りできるようになってからにしよう。

 そう自分に言い聞かせたときだった。

 門からひょっこりと出てきたひとりの女性にぶつかってしまう。

 買い物カゴを提げた、熟年の女性だった。


「あ、すみません」

「いえこちらこそ」


 ぶつかった拍子に女性がカゴを落としてしまった。

 ユウトはすぐに拾って渡そうとして、ふと女性の顔を見る。

 ……見覚えがあった。

 顔にシワこそ増えたものの、柔和な顔立ちにすこし猫背な立ち姿。

 どことなく疲れた表情は六年前にはなかったけれど、ユウトが見間違えるはずがない。

 生まれてから十歳まで、母親のようにして育ててくれた人の顔だから。


「ステラ……」


 女性は名前を呼ばれたことに一瞬きょとんとしたものの、ユウトの顔をしっかりと見つめて、こんどは自分でカゴを落とした。


「……ユウトぼっちゃん……?」


 口許を手で覆ったステラ。

 すこし白髪も混じっただろうか。つややかな茶髪にところどころ老いが見えていた。

 ユウトはコクリとうなずくと、微笑みかけた。


「そうだよ。ステラ、久しぶり」

「そんなっ……そんな……」


 ステラの目から涙が溢れた。ユウトの肩を、顔を、その手で触って確かめて、ステラはユウトにゆっくりと抱きついてくる。

 むかしは小さなユウトを包み込むように抱きしめてくれていたステラ。

 いまではもう、ユウトのほうが大きくなってしまっていた。


 ユウトもステラを優しく抱き返す。

 懐かしい、匂いがした。






「ほんとうに、ユウトぼっちゃんなんですね……?」


 ユウトとステラは、街角の喫茶店で紅茶を飲みながら向かい合っていた。

 涙で目を腫らしたステラは、何度目かわからない質問を投げかけてきた。

 黒い髪が真っ白になったユウトを、何度も何度もまばたきを繰り返して見つめる。


「うん」

「私は死んだと聞かされていました。遺体は機動隊が片づけた、と」


 信じられないものを見るような目で見てくるステラに、ユウトは笑いかける。


「そうみたいだね。父さんは、僕を殺したことにしなきゃならなかったって」

「はい。私たち召使いにもそう伝えられました」

「理由は聞いた?」

「いえ、私には……ただ上からの命令とだけ。やむを得ない理由があると」


 やっぱり知らなかったか。

 少しでも情報があるかもしれないと思ったが、やはり父に直接聞いてみたいとダメなようだ。


「ユウトぼっちゃんは、いままでどちらに?」

「ジルレインってひとのところ」

「ジルレイン様ですか。むかしは旦那様と仲が良かった方ですね。何度かお会いしたこともありますが、すこし気難しい方だという印象を受けました。……悪いようにはされなかったですか? 優しくしていただけましたか?」

「ははは、そこは難しいところだね」


 ユウトはジルとの生活のこと、義手のこと、そして機動隊に入ったこと。

 順番にステラに話していった。

 ステラは昔とおなじように、ユウトの話を優しくしっかりと聞いてくれた。本当の母親は生まれたときに死んでしまったけど、ステラのこともずっと母親だと思っている。

 もちろん『G』のことも聞いてみた。

 ステラは首をひねった。


「『G』ですか……どなたでしょうね」

「父さんってことはないかな?」

「ないと思います。数年前から旦那様の資産管理をさせていただいて、寄贈品からヘソクリまで屋敷のすべての物品を把握するのがいまのわたしの仕事のひとつです。でも、義手はいままで一度も見たことありません」

「そっか。それならいいんだ」


 やはり知らないか。

 最近はシンクと一緒に住んでることも話した。機動隊で知り合った人たちのことも。

 ステラはときどき楽しそうに笑った。


「『魔女』は、私が物心ついたときにはもう英雄十傑と呼ばれておりました。そんな方と一緒にいるなんて驚きました」

「僕が一番驚いてるよ」

「でも本当に、元気そうでよかったです……ほんとうに……」

「みんなには黙っててね。ユウト=レイトは死んだんだ。僕はもう、ただのユウトだから」

「ええ、わかっておりますとも。ユウトぼっちゃんが生きていると知れただけで、これ以上望みません」


 また涙ぐむステラ。

 ひととおり話したところで、ユウトは昨日から気になっていたことを話題に触れさせた。

 少しだけ緊張しながら。


「あのさ、レイラは元気かな? ちゃんと勉強してる?」


 小さい頃は、いつも勉強を放り出してユウトの小屋に遊びにきていた。

 何回注意されて怒られても懲りずにユウトと遊んでいたのだ。

 レイラの勉強嫌いは筋金入りだからすこし心配だった。

 ステラは一瞬、言葉に詰まった。表情がすぐに曇る。

 返ってきた言葉は、予想もしていなかった。


「レイラお嬢様は……お亡くなりになりました」

「……え?」


 耳を疑った。


「いま、なんて」

「……レイラお嬢様は、ユウトぼっちゃんが死んだと聞かされてからずっと部屋に籠っておりました。旦那様とは一切口も利かなくなり、私たち召使いたちとも滅多に話そうとはしなくなりました。笑顔が溢れる子だったのに、誰にも笑いかけなくなりました」


 ステラはテーブルの上に置いた手を、ぎゅっと握りしめた。

 悲愴な表情を浮かべる。


「一年が経った頃、レイラお嬢様は病気にかかってしまわれました。ずっとお部屋に籠っていたこともあり、体が弱くなっていたレイラお嬢様はそれから病床に伏しておりました。なんとか医者の助けもあり、食事を摂ることはできていたのですが…………二年ほど前、突然、息を引き取られました」

「そんな……っ!」


 嘘だ。

 そんな。

 そんなことって……。


「ごめんなさい。私たちも、できるだけのことはしたのですが……レイラお嬢様自身、生きる意味を見失っておられるようでした。まだ十歳の幼い命なのに、守ることができず……ごめんなさい」


 額がテーブルにつくほど、深く頭を下げるステラ。

 嘘だ。

 嘘だ。

 ユウトは自分の長い髪を指先で触った。レイラが好きだった長い髪。ずっと小屋に隔離されていたユウトに、ただひとり毎日遊ぼうと会いに来てくれていた。たくさん笑いあって、たくさん喧嘩もして、笑う意味を――生きる希望を与えてくれた。


 彼女のためなら、どんなつらいことでも耐えられると思ったんだ。

 だからこの運命に、右腕に導かれてもいいと思っていた。


「う、ああ……」


 ユウトの口から嗚咽と叫喚が入り混じって漏れる。

 認めたくなかった。

 知りたくなかった。


 でも、最初から、わかっていたんだ。

 この世界は冷たくて、救いのないことくらい知っていたはずだった。希望が見えたと思っても、それは幻想でしかなくて。

 孤独でしかなくて。


 滅びゆくのを待つだけの世界だってことくらい知っていたはずだった。


 目の前が真っ暗になるのを、ただ受け入れるしかなかった。



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