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初めから、知っていたはずだった。
この世界は冷たくて。
この世界は孤独で。
救いなんてものは、存在しないのだと。
そう、知っていたはずだった。
❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆
「デカすぎる……」
誰かがつぶやいた。
地平線に山のような巨体が影を落としている。
遠すぎてはっきり確認はできないが、かすかに蠢く様子から鎧獣で間違いないだろう。
「……こっちに向かってるのか?」
「わからん。だが、昨日はいなかったぞ」
兵士たちのやりとりを耳に入れながら、ユウトは外壁の下に視線を落とした。
シンクとメオは鎧獣たちとの戦い続けていた。群れも少しずつ数は減ってきているが、まだまだ終わりそうにない。
ふと見ると、その場所に別の鎧獣の集団が近づいてきていた。密集して氷を砕きながら獣の大波となって押し寄せてくる。だがメオとシンクは樹氷に囲まれていて、それに気づいていない。
ヤバい。
ユウトはとっさに壁から飛び降りた。
「ふたりとも退がって!」
ユウトの声に、シンクとメオは大きく飛び退いた。
ふたりの前に着地したユウトは、右手を前方に構えてギアを解放する。
衝撃波と烈風が吹き荒る。
氷の地面を削り周囲の樹氷まで砕きながら鎧獣たちを吹き飛ばしていった。
その光景も見ずに、ユウトは振り返った。
「遠くから別の鎧獣の群れが近づいてきます!」
「厄日だねえ。シンクちゃん、ここはいったん退こう」
「そうですね」
メオとシンクは頷き合った。ふたりの判断通り、ここは撤退が最善手だろう。
ふたりと並んで鉄門まで向かおうとしたユウト。
その視界の端で、ゆるりと影が動いた。
「ユウト危ない!」
うまく近くの樹氷の陰に隠れていた鎧獣が、背後からユウトに襲いかかってきたのだ。
とっさに気づいて飛び出したのはシンク。
ドン、と突き飛ばされる。
ユウトの代わりに鎧獣の突進をまともに受けたシンクは、弾き飛ばされて近くの樹氷に激突した。
「――シンク!」
本当に、厄日なのかもしれなかった。
シンクがぶつかった樹氷は尖っていた。偶然、その鋭利な先端になすすべもなく激突したシンクは背中から腹にかけて大きな穴を開けて、樹氷にぶらりと垂れ下がった。
血が噴き出し、地面を盛大に赤く染める。
脳裏に浮かんだのは死という一文字。即死してもおかしくない出血量だった。
「シンク!」
「まずい」
足を止めてしまった。
鎧獣はその隙を見逃さず、ユウトめがけて飛びついてきた。
メオが呆然としたユウトの首根っこを掴んで引き寄せ、体を捻らせてなんとか鎧獣の突撃を避ける。
「退くよ」
そのまま地を蹴った。
鉄門にむかって躊躇なく駆け出した。
「まってメオさん! シンクが!」
「彼女なら大丈夫。それより僕らは僕らの心配をしたほうがよさそうだ」
メオが舌打ちして、大きく上に跳んだ。
その真下――さっきまで走っていた場所を、また別の鎧獣が通り過ぎていく。
撤退しようとする動きを、完全に読まれている。
「鎧獣も、あながち知能が低いわけじゃなさそうだね」
「感心してる場合ですか!?」
とはいえメオはそう言いながらも、着地までに鎧獣に一太刀を浴びせて小さく折り畳んでいた。ヒラヒラと舞った鎧獣の紙を一瞥すらせずに、周囲を睨みつける。
また囲まれている。
鎧獣たちはあきらかに、ユウトたちを鉄門に辿り着かせないよう動いていた。一体一体の個体それぞれがこちらの狙いを知っているのか、あるいは司令塔のような存在がいるのかはわからない。
とにかくこの四面楚歌のままではどうしようもなかった。
「道、切り拓いてくれるかい?」
「……はい!」
正直、かなり疲れていた。
『黑腕』の力は強烈だ。そのかわり全力で放つと疲弊も激しい。まるで体のなかからエネルギーを吸い取られるようで、それを連続して二発も撃っているから全身が重かった。
それでも泣き言は言ってられない場面。すぐに正面に向かってギアを解放した。
鎧獣たちを一掃する。
「さて、走るよ」
メオがまたユウトの首根っこを掴んで駆ける。
どっと力が抜けてしまった。メオが引っ張ってくれるのは正直助かったけど、彼の言うがままにシンクを置いてきてしまった。さっきのはどう見ても致命傷だったはず。メオは大丈夫と言っていたが、ユウトにはその根拠がわからなかった。
最悪、すでに鎧獣に喰われているんじゃ……。
嫌な想像をする。
シンクがいるはずの方向を振り返ろうとして、ユウトは目を見開いた。
「メオさん後ろ!」
すぐそばまで鎧獣が迫っていた。
たとえ魂威変質で身体能力を高めて走っていても、さすがに加速した獣の速度には敵わない。メオはちらりと後ろを見てユウトを真上に放り投げた。
振り返りながら刀を一閃させる。
「【命の折紙】」
何度目だろうか。鎧獣がまた一匹、小さな紙になる。
まだまだ鉄門までは距離がある。こうやって何度も足止めされてしまえば、すぐに次の集団に追いつかれるだろう。メオひとりで戦うならともかくユウトが足を引っ張っていた。
ユウトは落下しながら視線を走らせて、状況を確認する。
鎧獣が数体こっちに追いすがってきていた。そのむこうから群れが押し寄せてきている。キリのない数に、何も消耗するのはユウトだけじゃない。
メオの額にも汗が滲んでいた。
……ここから鉄門まで、メオひとりなら逃げ切ることができるかもしれない。
「先に行ってください」
伸ばしてきたメオの手を払いながら、着地する。
魂威変質をしていても疲れで震える足。
これじゃあ本当に荷物になるだけだ。
「なにを言い出すんだい?」
「僕のことならいいんです。この腕が、きっとまだ働いてくれます」
黒い義手を掲げるユウト。
あと一発撃てば本当に危ないかもしれない。
それでもまだ、動ける。
まだ死んでない。
「だからメオさんははやく都市の中へ。もっと危険な脅威が都市に迫ってるんです」
英雄十傑は都市を守らなければならないのだ。
それはメオに課せられた義務。
なら、ここで生き残るのも仕事のうちだろう。
ユウトはメオを背にして鎧獣たちと向き合った。
ほかに良い案なんて思い浮かばないけど、メオを道連れにするよりはマシだった。
「……君は、姉によく似てるよ」
そんなユウトの肩をぽんと叩いたメオ。
ユウトの前に出る。
向かってくる鎧獣を見据えて、刀を煌めかせる。
「メオさん!」
「僕はね、昔からろくな人間じゃなかったんだ。たいして働きもせず、家族に迷惑ばかりかけていた。子どもの頃は魔法を使って何度も盗みを働いたことがあったし、仕事もはじめたばかりの頃は不真面目で、サボってばかりいたんだ。姉の体が弱いことを知りながらたいして考えもせず、ワガママばかり言っていたよ。病弱な姉が必死に家族を支えてくれることに、感謝すらしなかった」
迫る鎧獣。
メオは腰を落として低く刀を構えた。
「姉は真面目で優しくて、自分のことをあまり考えなかった。子どもを産む負担で自分が死ぬかもしれないことを知ってても、それでも迷うことはなかった。そんな姉が命を賭して守った命を、彼女に守られて育った僕が守らないわけにはいかないだろう?」
メオは小さく息を吸うと、その刀を振るった。
鎧獣に向けてではなく――地面に。
斬撃が地面を深くえぐった。
「【地の折紙】」
次の瞬間、折り畳まれた地面は巨大な穴を開けた。
見下ろすほどに深くて大きな穴を。
いきなり足場が消失し、鎧獣たちはなすすべもなくその穴に落ちていく。
呑みこまれていく。
メオは刀を鞘におさめると、ユウトの頭をぽんと撫でた。
その口許に、薄い笑みを浮かべながら。
「……ま、それも君には関係ないことだけどね。ただのユウトくん」