想いは変わらず、彼の元へ
燈の元から出発して大体三時間、シルフィの目はカーラント王国の象徴とも言える城を捉えていた。
「燈はまだ大丈夫…早くあそこに…!」
自分は今、信じて飛ぶことしかできない。
燈を思うようにぎゅっと腕に力を込めるとカチャリ、と腕に抱えている刀が音を立てる。
目指すは王子であるルーノの部屋。
そう思い飛んでいると、見覚えのある少年が進路を遮るように浮かんでいる。
「よおシルフィ、そんなに急いでどこ行くんだよ」
「…ギリアム、そこを退きなさい」
立ち塞がるように浮かんでいるのは闇の精霊、ギリアムだった。
見た目はいたずら好きな少年のようだが、その体に内包されている魔力は今のシルフィより大きい。
「はっ! やだね、俺もちょっと用事があってね、あんたに邪魔されちゃたまんないよ」
「…別に邪魔する気はありません。早くそこを退いて」
「嫌だって言ってるだろ? なんでわかんないかなあ」
「…それはこちらの台詞です」
そんな問答をしていると、ギリアムの目がシルフィの左手を捉える。彼は目を見開き、そしてその後スッと目を細める。
「…またか、シルフィ」
突然変わったギリアムの雰囲気。その理由がなんなのかを知っているシルフィは無言のまま、何も答えようとしない。
「また人間なんかに肩入れして…なんでお前がそんな身体になってんのか、忘れたわけじゃないだろ?」
「…ええ」
「だったらなんで!」
「…それでも私は人と共に生きたいのです。流れる時間は違っても、思いは変わらない。そこに人や精霊の違いなんてない。人も精霊も、もう争うのは止めるべきなのですよ」
ギリアムはシルフィの目を見つめ、シルフィも目をそらさない。
「…そうかよ」
そう言い少年は一振りの黒い鎌を呼び出す。
それを肩に担いで、失望した顔になる。
「だったら、早くあんたも精霊武器を出してみろよ。その状態で出せるもんならな!!」
言うやいなや突っ込んでくるギリアム。
シルフィは自分が不利だと十分にわかっているが、今は引くことができない。
とっさに風の盾を創り出し、攻撃を受け止める。一瞬だけ夜の空にバチバチと風と闇の魔力の光が弾け、そしてシルフィは吹き飛ばされる。
「弱くなったもんだなー…俺にとっては好都合なんだけど、ねっ!!」
すかさず距離を詰め、もう一度鎌を叩きつける。
間一髪、シルフィはそれを避けるが続く蹴りを避けれず再び吹き飛ばされる。
「かはっ……!」
こんなところでギリアムに会ってしまうなんて自分は運が無いんだろう。
しかも今は万全とは程遠い状態、そんな状態で彼に勝てるはずがない。
だったら、逃げるしかない。
シルフィは今出せる全力のスピードで、ギリアムを振り切ろうとした。
「…それで逃げてるつもりなの?」
けれど、あっさりギリアムに追いつかれ、地面に叩きつけられる。
「あっ…くぅ……!」
「こんなに弱くなってるとは思わなかったよ、シルフィ。そんなんだったら、特に気にする必要もなかったなー…。いつまでも人間なんかに肩入れしてるからそうなるんだ、よっ!!」
地面に倒れ動かないシルフィに歩み寄り、踏みつけ、蹴る。
シルフィはその間、何もしない。
「大体、あんたはいっつもそうだ! いつもいつも人間なんかに優しくしちゃってさ!!」
「言ったでしょう、ギリアム…」
攻撃が止む。
ギリアムはシルフィの首筋に鎌を当てがい、言葉を待つ。
間違ったことを言ったらいつでもその首は切り離せるんだぞ、という脅迫。
「私は、人間が好きなのです」
「……そうかい」
愚かな女だとばかりに吐き捨て、ギリアムは鎌を持つ手に力をこめる。
(ごめんなさい、燈、楓……)
精霊であるシルフィに命の終わりはない。あるのは、シルフィという意識の消滅だ。
ここでシルフィが死んだとしても、また次には同じように風の精霊が生まれる。
けれど、それは同じもので出来ているというだけで、中身は別のものだ。
シルフィを見つめるギリアムの目は暗く、何を考えているのかは読み取れなかった。
「さよなら、シルフィ」
「待て」
今度こそ首を落とそうとした時、それを制止する声が響く。
「彼女は、私の友の、大切な人だろう。それに、愛する妹の知人でもあるらしいな」
いつ落としたのか、燈がシルフィに預けたあの抜けない刀を手に立っている男。
「誰だよ、お前。邪魔すんならお前も殺す」
シルフィからその男に目を移し、冗談でなく殺気を放つギリアム。
けれどその男は常人ならば気絶してもおかしくない精霊の殺気を浴びてなお、それを受け流していた。
「そう怖いことを言うな、私は彼女を見逃して欲しいと頼んでいるわけではない。…彼女から、離れろと命令しているんだ」
シルフィにはわかった。彼が、燈の友だと。
そして、この国の王子。ルーノ・ディ・カーラントだと。
「はあ? なんで俺が人間なんかの命令を聞かなくちゃいけないんだよ」
「…だったら人間じゃなければいいのか? そうだな…イフリート」
男…ルーノがそう呟くと同時に、目も開けていられないほどの光と溶けるのではないかと思うほどの熱が吹き出る。
目を開けるとそこにいたのは長身で髪も目も血のように赤い青年だった。
「…呼んだか、契約者」
「ああ」
交わされたのはこの会話のみ。けれどイフリートと呼ばれた炎の精霊は自分の役目を理解していた。
「…久しいな、ギリアム」
「ちっ…てめえかよイフリート。あーあー、やんなっちまうぜ」
ギリアムは鎌をしまい、興が削がれたといった様子だ。
「私は戦ってもいいが、なぜしまう」
殺気が収まり、戦意を見せないギリアムに対してイフリートは首をかしげる。
「うるせえよ! てめえと戦っても割に合わねえんだよ!! じゃあな」
最後にチラリとシルフィを見て、ギリアムはスーッと闇に消えていった。
割に合わない、それはギリアムが元々は戦いに向いている精霊ではないことを示し、イフリートと戦ったとしても勝てないと理解していることが伺える。
「…イフリート」
「ん? …シルフィか。よくもまあその身体で無理をしようと思ったものだな」
言っていることは厳しいが、これは心配しているのだとわかっているシルフィは苦笑することしかできない。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
先ほどの威厳に満ちた様子とは打って変わって、優しげな青年といった風のルーノ。
「ええ、これくらいは休んでいれば…それよりも、大事な話があるの」
まだ少し無理をしただけだ。まだ大丈夫。そう言い聞かせてシルフィはルーノに縋るしかない。
「貴方に頼みがあって来たの」
「そのようですね。しかもそんなになってまでとは…かなり大切な事のようだ。…とりあえず、場所を移しましょう。動けますか?」
精霊であるシルフィをまるで人のように扱うその姿にシルフィは嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
精霊を道具として扱う時代はもう終わった、これが新しい関係なのだと声を大にして言いたい。
「ええ、動けます…きゃっ」
「無理はしない方がいい」
立とうとしたがまだ足元がおぼつかないのかすぐに座り込んでしまうシルフィ。
そんな彼女を見て、特に何も言わずに彼女を抱えるイフリート。
女の憧れ、お姫様抱っこだ。
「…なんですかこれは」
「運ぶんだろう、契約者。だったら私が運んだ方が効率がいいだろう」
「そうなんですけど…ああ、まあ、良いです。頼みましたイフリート」
順にシルフィ、イフリート、ルーノだ。
ルーノはシルフィも女性なのだから配慮して欲しいと言いたかったのだが、この男にそれを求めても酷だろうと判断した。
「とりあえず私の部屋へ向かいましょう。話は歩きながらで良いでしょうか?」
「はい」
それじゃあ頼んだとばかりにイフリートの肩を軽く叩き先を歩き出すルーノ。
「…イフリート、どうして、契約者を?」
ルーノの背を見つめながら、昔のイフリートを思い出す。彼は人間だの精霊だの気にしない男だったが、そこまで人間に肩入れしていなかったはずだ。
「時が流れれば人は変わる。それは人だけではない。精霊も変わらない。あれは、久しくいなかった、私の心を揺さぶる炎のような男だ」
契約者を選ぶ権利は精霊にある。だから人間がどれだけ願おうと精霊に気に入られなかったらそれでおしまい。
逆に気に入られたら、代わりにチカラを手に入れることができる。
人では到底手に入れることのできない強力なチカラ。
燈や楓は加護のおかげで常人離れしたチカラを持っているからチカラを欲することはあまりなかったが、この世界の人間にとっては喉から手が出るほどに精霊のチカラは魅力的に映る。
「あなたがそこまで言うのなら、彼は良き王になるでしょうね」
「ああ」
確信を含んだ声でイフリートはルーノの背を追うように歩き出した。