魔王と燈、迫る時間
見渡す限りの黒。
あの扉に足を踏み入れた瞬間から、頭が割れそうなほどの声が聞こえてくる。
『死ね死ね死ね死ね』
『どうして生きている?』
『何もできないくせにこんなところにいていいのか?』
『早く身体を寄越せよ』
老若男女、大小様々な声で頭に響いてきて、燈の精神は消耗していた。
「な、んだよこれ」
そう呟いた気がした。
自分の感覚すら曖昧になる黒に次第に不安になってくる。
歩いてる気はするが実際に歩いているのかはわからない。
右も左もわからず、どこに行けばいいのかもわからない。
「こんなところで、一体どうしろっていうんだ」
『教えてやろうか?』
急に騒いでいた声が止み、様々な声が混ざった聞いていると不快になる声が聞こえた。
次の瞬間、燈は黒い部屋にいた。
先ほどいた白い部屋と真逆の配色。
黒い壁に黒いテーブル、黒い椅子。
椅子は二つしかなく、そのうちの一つに一際濃い黒いモヤがある。
『俺に全部渡せばいいんだよ』
ヒャハハハハハ!!!
と、頭をつんざくような不愉快な笑い声。
「…お前が、魔王か?」
頭を抑えながら呻くように聞く。
すると笑い声がピタリと止み、口の部分がニヤリと笑う。
『魔王? いやいやいやいやいや……俺はただのニンゲンだよ。"元"だけどなァ』
「お前が、人間?」
『おオっと? 信ジられねェって?』
それはそうだ。どこからどう見てもただの黒い霧のようだった。
『まあデモ、"元"だシナァ。魔王魔王…ハハッ…そうダ、俺は魔王の集合意識とでも言うものだヨ。つマり、ナンでもねェってこと!!』
話しているだけで頭が痛くなってくる。
いや、そもそもこれを会話と呼んでいいのだろうか?
「俺は、早くここから出なきゃいけないんだよ。邪魔をするなら、消えろ…!」
ドン、と燈の身体から魔力が溢れ出した。
部屋が激しく揺れる。
『イイネェ、その魔力……イタダキマス』
黒い霧は部屋全体へと広がっていく。
それが魔力に触れた瞬間にそこは何もない空間になる。
魔力を喰っているのだ。
放出した魔力を全て喰われ、脱力感が燈を襲う。
「っ…はあ……はあ…なんだよ、お前…くそっ!! 俺は、早く出なきゃいけないのに…!!」
「なぜ?」
はっと我に返り後ろを向くと、長い銀髪に紫の瞳の青年が立っていた。
『遅えじゃねぇかよ、ミロク。待ちくたびれちまったよ!!』
「お前は遊んでいたからいいだろう。…初めましてだな、遠野燈。私はミロク、お前が探していた魔王だ」
涼しげな風貌、整った顔立ち、しかしその顔からは感情と呼べるものが読み取れず、とても不気味で自分が見透かされているようだった。
「そうかい、じゃあ魔王さんよ…早く俺をここから出してくれよ」
不安を払拭しようと勢いよく魔王…ミロクに詰め寄り胸元を掴む。
思い通りにならないもどかしさと苛立ちが少しずつ、だが確実に燈を蝕んでいた。
「なぜ?」
「は?」
予想もしていなかった質問に固まる。
『また始まったぜ。ハハハッ!!』
「そもそも私はお前を留めようとはしていない。そうなっているとしたら、お前のせいだろう、ニック?」
ニックと呼ばれたその黒い霧はおどけたように笑う。
『俺が? 何言ってんだよ。 俺はお前ら歴代魔王の負の集合体。 つまり、お前は俺だ。そして初代魔王にして歴代最強のお前が全てを持ってる。だ・か・ら! 俺はなぁんにも関係ないんだぜ?』
「そうか」
『んだよミロク!釣れねえなあオイ!』
ミロクは特に興味を示さなかった。
先ほどからこの男からは微塵も感情が感じられないのはなぜだろう。
「そもそも、遠野燈。なぜ戻ろうとする?何がお前をそうさせる?私には理解できない」
紫の瞳が燈を捉えて離さない。
何の感情も浮かんでいないその瞳を見ていると、自分がズブズブと沈んでいくように思える。
「何故って…俺を待っててくれてる人がいるんだよ!」
「なぜだ?」
「…っ」
理由を問われてまた言葉に詰まる。
「どうして待っていると言える? 誰が待っている?」
誰ってそりゃあ楓が待ってて…。
だんだんと意識が混濁していく。
周りの音が遠くなっていくような気がする。
心なしか、また黒が濃くなったのかもしれない。
「なんの根拠も証拠もなしに、人を信じるのか。愚かだな」
人を信じることが愚かだって?
どうしてそんなことが言えるんだ。
確かにどうしようもない奴らが世界にいることは事実だけど、それは信じることが愚かだって理由にはならないはずだ。
「そんなものは全てをくだらない。なんの足しにもならない。だからここにいて、お前を私に委ねろ。そして全てをーーー」
【壊せばいい。】
◆◇◆◇
燈が倒れ、シルフィが出発してから約半日が経とうとしていた。
「ああ…これは、まずいな…」
アレクが舌打ちをする。
現実の燈を拘束していた翡翠色の枷が、少しずつ黒に侵食されていく。
「ど、どうなってるの?」
先ほどまで呻いていた燈が静まり返ってしまっていることと、余裕を見せていたアレクの真剣な表情に何かが起こったことを楓は察した。
「上手いこと、できなかったみたいだね、燈……」
アレクはもう一振り剣を作り出す。
そして楓に向き合い、彼女の手にその剣を渡す。
「これから話すことを落ち着いて聞いてほしい。いいかい、もしかしたら彼はもう戻ってこれないかもしれない」
「どうして!?まだ、まだ時間は…!」
アレクは取り乱す楓の肩にそっと手を添え、しっかりと言い聞かせるように話す。
「落ち着いて、と言っただろう? このままでは、そうなる可能性の方が高い。そして、もしそうなったら彼は彼でなくなってしまう」
「燈くんが…いなくなる……?」
目の前が真っ暗になるような深い絶望感を抱く楓。
それと同時に、思い出されるのはあの時の人を人とも思わないあの燈だ。
(嫌だよ…! あんなのは燈くんじゃないって言ったじゃん!! どうして…どうしてよ…)
俯くと目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちていく。燈が倒れてから泣いてばかりの楓のまぶたは少し腫れていて、いつもの元気な様子は微塵も感じられない。
燈がいなくなる。
それを想像するだけで胸が苦しくなって後から後から涙が込み上げてくる。
「カエデ……」
心配に思ったアリスが楓をそっと抱きしめ、頭を撫でる。
「アリスさん…っうぅああ…!!」
撫でられるその仕草にも燈のことを思い出してしまう。
異世界に来てまだ時間は全然経っていないけれど、ずっと燈を思っていた楓からしてみると、それは夢のような時間で、かけがえのない時間だった。
「落ち着いてって言っただろう? …まだ、希望はあるよ」
アレクの言葉にハッとなり顔を上げる。
彼の顔を見つめると、彼は目をそらし、先ほど預けた翡翠色の剣に視線を移す。
「君が、それを燈に刺すんだ」




