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RUN WITH WOLVES  作者: HINO
6/19

――秋山獅道の戦略――

 「ゴットリート……。あんた、あとどれくらい飲むつもり?」


 時刻は午前一時過ぎ。


 僕はゴットリートと共に、深夜の街中へと繰り出していた。


 「太陽が出るまでだ。私が眠るのは完全に朝日が登って以降だな」


 目立つ風貌を全く隠そうとはせずに、ゴットリートは堂々と歩きながら言い放つ。


 「偉そうな顔で言うことじゃねえんだよ」


 まったく、得意げな顔しやがって。


 街を行き交う人々は皆、ゴットリートを遠巻きに眺めながら過ぎ去っていく。無駄に目立ってしまう風貌であるから、それはまあ仕方がないんだろうと思う。ただ、当然、その隣にいる僕にも視線が向いてくるわけだ。別に僕自身が見られているわけじゃあないんだが、人から一方的に視線を向けられるというのはあまりいい気分の良いものではない。


 「だから家にいろって言ったんだよ」


 思わず愚痴がこぼれてしまう。


 「ん? 何か言ったか」


 「何でもねえよ」


 ほんっと、こいつだけは……。


 僕はゴットリートの顔を横目で睨みつけた。しかし、他人からの目を一切気にしていないこの巨人が、僕から発せられている微々たる悪意などに気付くはずもない。


 眠らぬ街の光景が気にいったらしいゴットリートは、楽しそうに目を細めている。


 何やら上機嫌だ。


 ゴットリートのそんな顔を見て、僕は更なる苛立ちを覚えた。


 そもそもの話として。


 僕は本来、他人が幸せそうにしているのを見て苛立つような人間ではない。ではどうして、僕は今、こんなにも苛立ってしまっているんだろうか。


 思い返すまでもまく、理由は単純だった。


 我が家にあったお酒を全て飲み干し、その上まだ飲み足りないと難癖をつけてきやがったゴットリートがにこにことしているからだ。誰だって怒るだろう。


 ゴットリートの奴、遠慮を知らないどころの話ではない。人として終わっている。


 が、しかし、結局。


 最終的に。


 酔えないのなら朝まで語ると脅されてしまい、こうして僕は今、ゴットリートの晩酌のための買い出しに付き合わされているというわけだ。


 僕の方が駄目じゃないか、これ……?


 ただのアルコール中毒に根負けした自分に、何より腹が立つ。しかも、出費は僕持ちときた。本当、とんだボディーガードもいたもんだと思う。


 「コンビニの中には僕一人で入るからな、あんたは外で待ってろ」


 歩く先にコンビニの明かりが見えてきた頃、苛立ちを露わにしていただろう僕は、その苛立ちをさらに込めて言葉を放った。


 「うむ。ならば注文を一つ。基本的に酒ならなんでもよいが、ウオッカは必ず買ってきてくれ」


 そんな僕の気は知らないで、ゴットリートは嬉々とした声で言う。そこにやっぱり腹が立つ。


 「はいはい。というか、何? あんたってやっぱり、ロシアとかの出身なわけ?」


 「うむ、その通りだ。五角戦争がきっかけでこの国にやってきたが、なかなかにいいところだな。焼酎もうまいし」


 ……ふうん。戦争がきっかけで、ね。


 「日本語かなり上手いけど、日本での生活は長いのか?」


 「ん? ああ……言語の習得もまた、情報化の恩恵を受けているのだ」


 「……あ?」


 「言語プログラムというものがあってだな、それをインストールすれば大体の言語は扱える。二十年後の時間座標では、誰もが世界中の人間と話せるようになっていたのだぞ?」


 「へえ。そりゃすごい」


 結果として災厄をもたらした情報化技術も、悪いことばかりではなかったということか。未来の僕たちはきっと、そういうことのために科学を発展させていったんだろうな。


 そうであってほしいと、僕は強く思った。


 「しかし、皮肉なものだ」


 「皮肉?」


 ゴットリートは言う。


 「世界中の人間たちと話し合う術を持ちながら、殺し合いをしたというのだからな」


 ああ……。


 「確かにそうだな」


 皮肉を言えるほどに開き直っている、ということではないらしい。ゴットリートの顔はどんよりと曇っている。


 僕は苛立ちを忘れ、ただ、そんなゴットリートの顔を見つめていた。


 何があっても大丈夫そうなこの男が、こんな顔をしてしまう未来がある。


 ふと、僕は考えた。


 自分がすべきこと、できることを。顔も知らない大勢のためにできることじゃなく、こいつのためにできることがあるんじゃないだろうか。僕自身がしたいと思えることがあるんじゃないだろうか。


 今はまだ、はっきりとはわからない。


 考えている間に、僕たちはコンビニの前へと到着する。


 「……じゃあ、買ってくるから待ってろ」


 「うむ」


 頷くゴットリートを残し、僕はコンビニの中へと入った。深夜のコンビニには人も少なく、精々暇つぶしのために雑誌を読みに来ているような人間しかいなかった。


 店員の挨拶を聞き流し、お酒が置いてあるコーナーに向かう。


 そういえば、コンビニにウオッカなんてあるのか?


 酒類コーナーの前に立ち止まった僕はゆっくりと眼球を上下させ、それぞれの酒瓶を確認していく。


 「……へえ。あるとこにはあるんだな」


 棚の一番下の段に、誰かさんが注文したウオッカのラベルを見つけることができた。


 二本買っておいてやるか。


 僕はウオッカの酒瓶を二本と、自分用のウイスキーを選んでレジに向かった。このラインナップを誰かに見られたら、僕の方がアル中扱いされるだろう。


 早々とレジで会計を済ませた僕は、酒瓶のぶつかる小気味よい音を響かせながら外に出た。


 「お、早かったな」


 ゴットリートは僕を待つ間、渡しておいた煙草で暇を潰していたらしい。白煙を吐き出しながら、ゴットリートが僕を見る。


 「………………」


 「……む? 何だ、その物言いたげな目は」


 「あんた、煙草まで全部吸うなよ?」


 「な……、おいおい獅道よ。お前はもう一箱持っていただろう? ならばこれは、私が好きに吸っていいのではないか?」


 「いちいちお前のために取り出すのが面倒だっただけだ。誰も全部やるなんて言ってねえよ」


 「なんとまあ。小さいな、獅道よ」


 「ああっ!?」


 ゴットリートは目を細め、挑発的な視線を向けてくる。


 こいつ、こいつ、こいつ……!


 「わかった、わかったよ。あんたがそういう態度なら、せっかく二本もあるウオッカは僕が飲む」


 「……ほほう」


 ゴットリートは不敵な笑みを浮かべ、僕を値踏みするよう目を向けてきた。


 「何だよ。そんな目で僕を見るな」


 「いやいや。お前もわかってきたではないか。戦友とは杯を酌み交わすもの……。私の愛飲するウオッカの酒瓶を二本も用意してくれるとは、いや本当に、持つべきものは戦友だな」


 「なっ……」


 今度は下手に出やがった。酒のためならプライドも捨てるのか、この男。


 残念過ぎる。


 それに――


 「誰が戦友だ」


 僕はまだ、戦うなんて一言も言ってない。


 「はっは……。まあ良い。今宵は酒に溺れよう」


 気が高まっているのか、ゴットリートは深く煙草を吸い込み、まるで蒸気機関のように煙を吐き出す。


 「……ったく。さ、帰るぞ」


 言って、僕は来た道を歩き出す。


 しかし、


 「なあ、獅道よ」


 と、背後のゴットリートに呼び止められた。


 「何だ?」


 振り向き、僕はゴットリートの方を見る。しかし、ゴットリートは僕の方を向いておらず、首が据わらない赤ん坊のように夜空を見上げていた。


 ……ん?


 「今宵は月が綺麗である。どうだ? ここは一つ、外で飲んでいかないか?」


 言われて、僕も空を見上げる。


 コンビニや居酒屋など、周囲が明るいせいで星こそよくは見えなかったが、夜の象徴である月は、何一つ欠けることのない姿で天上に君臨していた。


 「まあ、悪くないかもな」


 「よし。ならばお前が場所を選べ。今宵の宴に相応しい場所をな」


 ゴットリートはそう言うと、僕に満足そうな笑みを向ける。厳かな雰囲気を持つこの男には、少々似つかわない顔なのかもしれない。でも、戦場で殺意ある視線をばらまくよりは、何倍もましだろう。


 「しかし、場所と言われてもねえ……」


 僕は酒盛りのできそうな場所を考えてみた。


 ゴットリートの奴、目立つんだよなあ……。警察が来て職務質問されたらアウトだし。


 ああ、あそこなら大丈夫か?


 「どうした。思いついたか?」


 「……ああ。ついてこい」


 「うむ。でかした」


 歩き出した僕の横に、ゴットリートが並ぶ。僕は先導するように、ゴットリートよりも数歩前を歩いた。


 「それで獅道、お前が選んだのはどのような場所なのだ?」


 尋ねてくるゴットリートの声は、心なしか弾んでいるように感じられる。


 「まあ、黙ってついてこいよ」


 僕はそう言って、ひたすらに歩を進める。


 明かりの群がる大通りから離れ、路地裏を抜けると、さらには寝静まった住宅街をも横断し――


 「……獅道よ……ここで飲むのか?」


 ゴットリートの顔から、表情の一切が消え失せていた。


 「ああ。あんた目立つからな。人気のない場所を選んだんだ」


 沈黙するゴットリート。


 ぐうの音も出ないと言ったところか。


 しかし、そんな顔をされても困る。僕としてはこれ以上ない選択だと思うのだ。


 「……で、一体、ここは何なのだ?」


 ゴットリートは抗議すら諦めたという声を出す。ふん、最初からそうしてろってんだ。


 「建設途中のマンションだよ」


 気落ちしているゴットリートを無視して、僕は続けた。


 「仕上げの段階まで造り上げた時に、工事していた会社が倒産したらしくてさ。使い道がありそうだからって、まだ放置されてるんだ」


 「……ほう。ここまで造っておきながら、世知辛い世の中であるな」


 「確かにそうだな」


 ゴットリートの感想は、本当に素直なものだと思う。


 マンションとしての外観は出来あがっており、装飾品などの内装を整えれば分譲を開始できそうなほどなのだ。


 マンションの周囲に付帯した施設も造ろうとしていたらしく、立体駐車場らしき建築物や、マンションに比べれば小規模に見える直方体があちらこちらに並んでいた。ただ、これらの付帯施設の方は基礎工事も終わっていなかったようで、剥き出しの鉄骨や中途半端な外壁が目立つ。おそらく、重機が何台も乗り込めば簡単に崩れ落ちるだろう。もちろん、僕はあんな危険なところで酒盛りをするつもりはない。


 「ゴットリート。マンションを上るぞ。どうせなら屋上で、月を見ながら一杯やろう」


 「なるほど。それならよかろう」


 僕とゴットリートは敷地内に入り、そびえ立つマンションの方へと向かう。広大な敷地一つを大改造する計画だっただけに、閑散とした雰囲気が周囲に立ちこめている。


 「しっかし、エレベーターも作動してないってのはきついよな。このマンション、階段で上がるにはかなり高いぞ」


 言って、僕たちはマンションの上部を見上げた。見上げた首が痛くなるほどに高い。


 「若い者が情けないな。なに、一歩きしたあとに飲む酒もまた旨いだろう。ここはゆっくり行こうではないか」


 「……ああ。ま、たまには運動しないとな」


 こうして言葉を交わしながら、僕とゴットリートは建設途中のマンションの中に踏み入り、最上階を目指して歩き始めた。


 しかし。


 ゴットリートの奴、初めは揚々と世間話をしながら上っていたくせに、途中から早く酒が飲みたいだとか、喉が乾いたから酒を飲ませろだとかを言い出す始末で、暗闇の中をただひたすらに歩き続ける中、僕は何度もゴットリートの巨体を階段から突き落としてやりたいと思った。


 護衛対象に殺されるボディーガード。


 僕がそんなことまで考え始めてしまった頃だ。


 「……やっと、やっと着いたなあ」


 街の全景を眼下に見渡せるほどの屋上に辿り着いた。


 天蓋の満月が両手を広げて迎え入れてくれているかのようなその場所に、僕とゴットリートは腰を下ろす。


 「さすがに堪えたな」


 給水塔の壁にもたれかかりながら、ゴットリートは疲労の滲んだ声を出す。


 「だろうな。これでぴんぴんしてたら引くわ」


 「獅道よ。いいから酒を出せ」


 「はいはい……」


 僕はコンビニの袋から酒瓶を取り出し、ウオッカの方をゴットリートに手渡した。続いて、自分のウイスキーを手に取る。


 「よしよし。では……」


 ゴットリートが囁く。僕も急いで瓶の蓋を開け、ゴットリートと同じように囁いた。


 「ああ……」


 そして――乾杯。


 二人同時に言って、互いの酒瓶をぶつけ合う。


 虚空に響くは、ただ一度の快音。


 ガラス瓶の澄んだ音はやけに心地よく、天から降り注ぐ月明かりの下では、下手な音楽よりも優美に感じられる調べとなった。


 きっと僕は、生涯、この夜のことを忘れないだろう。


 僕とゴットリートは瓶を一気に傾け、酒を豪快に体内へと流し込む。熱が食道を這う感覚に、鼓動が高鳴る。


 「旨いな、ゴットリート……」


 「うむ……。これだからやめられない」


 確かにな。けど、いつもより酒が旨く感じられるのは、きっと疲れているからという理由だけじゃあない。


 誰かと言葉を交えながら飲む酒が、こんなに旨いとは思わなかった。今まで一人で飲んできた、どの酒よりも格別だ。


 僕はもう一度、酒を口に流し込む。


 「本当に旨いな……」


 両親でさえも僕を落胆した目で見るようになってから、僕自身、排他的になってしまっていたところがある。そのせいで、これまで友達と呼べる友達もできなかったが、僕はそれを問題だとも感じていなかった。


 一人でだって生きていける。


 力を見せつければ、周りは僕を認めてくれる。


 いつからだったかな。自分にそう言い聞かせ始めたのは。


 実際、僕は偽物でありながらも、天才として振る舞った。


 しかし、偽物は偽物。いつも、あと一歩のところで届かない。


 このマンションと同じだ、なんてことを思った。どんなに形作っていっても、完成はしない。中身を伴わない高さを築き上げても、結局は満ち足りた月に見下される。


 さて、それは哀れだろうか?


 僕は自分に尋ねてみた。


 自己投影すらできてしまうこの情景を、僕は今、美しいと思えている。今までなら、やっぱりあの月には届かないのだと、自分を卑下していたことだろう。


 じゃあ、昔と今では何が違うのか。


 僕は、隣で酒を煽るゴットリートに目を向けた。


 きっと、この男の存在に他ならない。二十年後の未来から来た、僕のボディーガード。


 この男は僕を必要としてくれた。僕を友と呼んでくれた。


 ああ、そうか。


 僕は嬉しいんだ。


 この最悪の事態の中で、こいつとの出会いに感謝できる。


 偽物は足りないから偽物。本物に近づきたければ、補うしかないのだ。


 きっとゴットリートは、そんな僕に足りない力を与えてくれた。僕が取るべき行動は、一人で道化になることなんかではなく、ただ、手を差し伸べてくれる相手を見つけることだったんだ。


 一人じゃないのなら、怖いものなんて何もない。


 「ゴットリート」


 「何だ」


 「……いや、やっぱりなんでもない」


 今するような話ではなかった。後にしよう。


 「どうした。気になるではないか」


 「酒がうめえなって話だよ。黙って飲め」


 「……そうか。うむ。今宵の酒は格別だ」


 僕とゴットリートは、こうして深い夜に溶けていった。


 ――そして。


 朝日の頭が見え始めた頃。


 僕とゴットリートは、力ない足取りで家へと向かって歩いていた。


 「さすがに眠い……」


 「そうだな。朝が来たということは、そろそろ眠る時間だということだ」


 こいつ、何言ってんだ。


 「とりあえず、寝て起きたらきっと昼過ぎだ。もう飯を買っておくか?」


 「うむ。任せる」


 「……あんた、急に適当だな」


 「獅道よ、ぐっすりと眠りたいのなら、そんなに思考を巡らせるな。変に寝付けなくなるぞ」


 「余計なお世話だ」


 まさか、出会ってすぐの相手と夜通し酒を飲むなんてな。


 そんな会話をしながら、大通りに抜ける路地裏に差し掛かった時のこと。


 「秋山獅道。見つけたぞ」


 背後から声がした。


 「――――――っ!」


 振り向くと、そこには一人の男の姿があった。


 黒髪の短髪に、端正な顔立ち。切れ長で鋭い目は、真っ直ぐに僕の眼球を捉えている。


 身長は一八〇近くといったところだろう。細身の長身にジャケットを羽織ったその体躯を、男は余裕綽々といった態度で構えていた。その態度のせいもあるのだろうが、僕よりはいくらか年上に見える。


 二十六、七が妥当かな。


 大学を卒業したばかりの僕とは違い、誰が見ても大人だと言える男だった。


 「誰だよ、あんた……」


 僕の問いに対し、戸惑いを微塵も感じさせない声で男は言う。


 「霧島一矢だ。知らない名前ではないだろう?」


 一瞬。


 一瞬で心拍が跳ね上がる。


 「霧島……?」


 どうしてこいつがここにいる?


 「秋山獅道。君はこの代理戦争をどう思う?」


 霧島は僕に問いかける。ただ平坦な口調で話しているようにも聞こえるが、確かな誠実さがそこにはある。


 しかし、一体何を考えているのかがわからない。


 まるで仮面を着けているかのような無機質な表情に、僕は不気味さを感じていた。


 いや、そんなことより。一体どうしてそんなことを聞いてくるんだ?


 この戦いをどう思うかだって?


 そんなの決まっている。


 「馬鹿馬鹿しいの一言に尽きるね」


 僕は言った。


 「何も生み出さない、ただの破滅を競い合うだけの殺し合いだ」


 僕の言葉を聞いて、霧島は漂白な笑みを作る。


 「……そうだね。この戦いは何も生み出さない。僕も同意見だよ」


 そして霧島は一度頷いて見せると、僕の隣の大男――ゴットリートに目を向けた。


 ゴットリートは何も言わず、腕組みをして目を瞑っている。


 こいつも何考えてんだか。敵の目の前だぞ?


 「霧島。あんたは何がしたいんだ? まさか、こんな立ち話をするために姿を現したわけじゃねえだろう」


 「いや。僕は君と話がしたかった。それだけだよ」


 「……話? 戦闘の意志はないと?」


 「そうだ」


 嘘をついてるようには見えないが、だからと言って信じられるわけがない。こいつこそ明確な敵に違いないのだ。


 「ゴットリート。どう思う?」


 無言のまま石像と化していたゴットリートに、僕は尋ねた。


 「真実であろう」


 ……え?


 意外なことに、ゴットリートは即答した。


 「攻撃の意図がある行動は見られん。霧島にも、後ろの奴にもな」


 後ろ?


 ゴットリートの言葉を聞いて初めて、僕は背後を確認した。


 思わず声を上げそうになるほどの衝撃があったはずなのに、声帯がえぐり取られてしまったかのように声が出なかった。


 僕の背後。つまり、さっきまで僕らが進んでいた道。そこを遮るように、何かが立っている。


 人間……だよな?


 漆黒の外套を頭から被り、全身を覆い隠している何者かがいる。もちろん人間ではあるのだろうが、そいつは性別の判断すらつかないほどに、自身の全てを包み隠していた。


 気味が悪い。


 顔を俯かせているように見えて、確実にこちらの様子を窺っている。


 「おい……。こいつにも戦意はないって言うのか?」


 僕は外套に身を包んだそいつを睨みながら、再度、ゴットリートに尋ねた。


 「心配するな。少しでも不穏な動きをすれば、一瞬で亡き者にしてやる」


 こいつがそう言うなら、信じるしかないが。


 僕は背後に不安を残しながら、霧島に視線を戻した。


 「……霧島。話を聞く」


 僕がそう言うと、霧島は口元のみを動かし、薄い笑みを作る。


 「そうかい。いや、実に簡単な話だよ。僕は君と協力関係を築きたい」


 「協力関係?」


 「ああ。言わば、同盟だね」


 何故だ?


 未来の五角戦争の構図が当てにならないにしても、やはり、霧島は僕への警戒だけは解かないはずだ。ゴットリートによれば、ルー・シュバルツェネガーは神楽と早速交戦したらしいし、そうなれば今の状況、霧島の不安要素は僕だけだろう。その僕に、同盟の話を持ち掛ける意図は……?


 ゴットリートは何も言おうとしない。


 未だ目を瞑ったまま、腕組みの姿勢で立っている。


 まさかゴットリートの奴、ここは僕に任せるつもりなのか?


 「まずは思惑を晒せよ。信用ならない」


 僕は正直に言った。


 この取引の裏がわからない以上、下手に気取って相手の策にはまるのだけは避けなくてはならない。


 「だから、簡単な話だよ。僕は戦いたくない。平穏な日常を誰にも邪魔されたくない。それだけなんだ」


 嘘か真実か。


 仮面のような表情からはわからない。そもそも、この事態の中で信用できる奴なんてがいるわけがないんだ。


 僕の頼みの綱は、ゴットリートただ一人。


 今、敵の言葉に耳を傾けているこの時点ですでに、危険なんじゃないのか?


 疑心暗鬼のままに、言葉を重ねる。


 「信用に足る事実を突きつけろ。僕とあんたが手を組んだところで、この戦いは終わらない。あんたや僕が狙われ続ける状況にも何ら変わりはないだろう。それでも同盟を組もうという意図をはっきりと明かせ」


 「……ふふっ」


 霧島は笑った。


 「同盟は牽制だよ」


 と、ほとんど間を置くことなく僕の問いに答えを出す。


 「僕と君が手を組んでいるという事実そのものが、周囲への牽制になる。どうだい? 考えてみてくれよ。そうは思わないかい? 今の段階で僕が知っているのは、神楽盃、ルー・シュバルツェネガーの両陣営が交戦姿勢を整えつつあるということ」


 「……ああ、それなら僕だって知ってるよ。今のところ、その二つは他に手を出さないだろう」


 「そうだね」


 ゆっくりと頷く霧島。


 「うん、全くもってその通りだよ。やっぱり君は頭がきれる。とりあえず、不流飛鳥の陣営がどう動くかは不明だけれど、近々、神楽盃、ルー・シュバルツェネガーのどちらかが姿を消すだろう。そこでだ、秋山獅道」


 「何だよ……」


 「神楽盃、ルー・シュバルツェネガーのどちらが生き残るかは差し置いて、生き残ったどちらかの、その後の動きがどうなるかは想像がつくかい?」


 霧島の質問に、僕は一瞬の思考を挟んだ。


 しかし――


 「正直、まったく読めないな」


 選択肢なんていくらでもあるのだ。


 他の陣営を叩くか。他が潰し合うのを待つか。はたまた、ひたすらに逃げ回るか。


 「そう。どう動くかはわからないんだ。だから、未だにどの陣営とも交戦状態に入っていない君と僕とで、万全の状態を整えておきたい」


 「待てよ。どうして僕なんだ? 不流飛鳥の陣営でもよかったじゃねえか」


 「僕の護衛が言うにはね、不流飛鳥はどうも、未来の五角の中でも最弱だったらしいんだ。その情報が他の陣営にも入ってしまっているのなら、不流飛鳥との同盟は無力だろう。牽制にはならない」


 ……へえ。不流飛鳥は最弱、か。けど、未来では戦争を阻止しようと動いていた奴なんだよな?


 この代理戦争でも似たような真似をするかと思っていたが、それも怪しくなってきたか、これは。


 「同盟の目的はわかった。だが、牽制が通じるとは限らない。僕とあんたの両陣営を、同時に潰そうとする奴もいるかもしれないだろう」


 そう言うと、霧島は氷剣のような視線を僕に突き刺した。


 「その時は、全力で潰すまでだ」


 刹那、僕は凄まじい殺気を体感する。今にも霧島に掴みかかられるんじゃないかという気がしてならない。


 ……危険だな、こいつ。


 ゴットリートも何かを感じたのか、ここでようやく目を見開く。


 何だっていうんだ。霧島が望んでいる、平穏な日常というものに何がある?


 二十年後の未来、家族を人質に取られたこの男は、殺戮の使徒計画に加担してでも家族を守ろうとした。


 この時間座標ですでに、大切な人がいるのか……?


 しかし、だとしても。


 この男は家族と世界を天秤に掛け、家族に自分の正義を傾けた。そして、その優しさは未来の僕を怒らせ、結果、五角戦争という悲劇を生み出した。この男が何を背負っているにしろ、大切なもののためになら全てを省みないという人格は、あまりに危険過ぎるんじゃないだろうか。


 この男を、僕は放っておくのか?


 僕は生唾と共に動揺を飲み込み、そして、霧島にこう言い放った。


 「霧島、あんたの考えはわかった。その同盟……乗った」


 「なっ……おいおい、いいのか? 獅道よ」


 当然、ゴットリートは驚いた様子で口を開く。


 「いいんだ」


 僕は僕の戦いをする。終戦のための戦いを始める。


 「……そうかい。感謝するよ、秋山獅道」


 霧島は口の端をわずかに釣り上げ、乾いた笑みを見せた。何か含みのある、嫌な微笑。


 「なら、そうだね。今日の午後九時、君の通っていた大学の噴水広場で待っている。そこで詳細を話し合おう」


 「あんた……僕の大学まで調べたのか」


 「僕は君の大学のOBだよ。それくらい、すぐに調べられるさ」


 「同じ大学だったのかよ……」


 複雑な気分だ。違う形で出会っていたならの、違う未来を語らうことができたのかもしれない。


 「じゃあ、話も済んだし。僕達は失礼するよ」


 言って、霧島は踵を返し、歩き出す。僕とゴットリートの背後に立っていた護衛も、僕とゴットリートの間をすり抜け、その後に続いた。


 霧島もそうだが、あの黒ずくめも相当にやばい気がする。


 音もなく去っていくそいつの後ろ姿に、僕は寒気を感じていた。


 「おい。霧島の護衛よ」


 去っていく黒ずくめに、ゴットリートが言う。


 「次に我らの周りをうろついてみろ。その時は容赦なく消す。覚えておけ」


 自身の腕に覚えがあるのか、ゴットリートの声には絶対の自信が溢れていた。僕でさえも圧倒するほどの気が感じ取れる。


 対して、無言の返答をする黒ずくめ。


 奴は一瞬だけ立ち止まり、しかし、またすぐに歩き出す。


 ……本当、何なんだよあいつは。


 霧島はその様子を無言で眺めていたが、黒ずくめに合わせて歩みを再開させた。


 この時、僕はふと確信する。この代理戦争からは、絶対に逃げられないのだと。


 二十年後の未来で争ったという、僕と霧島一矢という男。この時間座標でもやはり争うことになるなんて、これはもう、運命としか言いようがないじゃないか。


 僕とゴットリートは霧島たちが路地裏の角を曲がるまで、その場に立ち留まった。


 そして、二人の姿が見えなくなってから、


 「ゴットリート。霧島の護衛にはいつから気づいてたんだ?」


 護衛対象に敵の対処を任せやがった誰かさんに、僕は文句半分の問いを投げ掛けた。


 「ん? そんなもの、最初からだ。あ奴、マンションを出たあたりから付いてきていたな」


 「ならそう言えよ。あんなの心臓に悪過ぎるだろ」


 「戦意はなさそうだったのでな。何が目的か探ろうと思ったのだ」


 「……大胆なこと考えるなあ、あんた」


 僕は皮肉を込めた口調で言った。すると、ゴットリートは急に不機嫌そうな顔をする。


 「それを言うならお前の方だろう、獅道よ。霧島との同盟とはどういうつもりだ」


 ああ、そのことか。


 「まあ、ね。ゴットリート。帰ったらすぐに、兵器情報のインストールをしてくれ」


 「……ん? 急にどうした?」


 「お前の目的のために、力を貸してやるって言ってんだ」


 「はて。ということは、霧島との同盟は……?」


 「戦略だよ。今日の午後九時、僕は霧島を討つ。あの男を野放しにはしておけない」


 「はっは……。戦う覚悟ができたか」


 快活に笑うゴットリートには構わず、僕は言葉を続けた。


 「霧島を見て思ったんだよ。この戦いを放っておけば、お前が見た未来の再現になってしまうってな」


 「そうか。しかし、簡単な事ではないぞ?」


 「わかってる。けど、僕はやるよ。争いの火種を持つ人間を、一人残らず殺してやる」


 「うむ。ならば全力で戦い抜こうぞ、獅道」


 「当然。勝つのは僕たちだ。僕たちの手で、この戦争に幕を引く」


  霧島一矢、まずはあんただ。

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