――秋山獅道の開戦――
煙草を吸っている間の空白。
自分の吐き出す煙を目で追いながら、日々の思考課題を放棄する。何も考えずに、ただ頭の中を空にする。これぞ至福の時である。
僕は家のベランダで一人、満天の空を仰ぎ見ていた。
時刻は午後九時過ぎ。
外はまだ肌寒いが、それもまた、頭を冷やすいい材料になる。普段から考え過ぎてしまう性格のせいで、僕はいつも煮詰まった状態だ。それが良くないことだとわかっていても、自分ではどうにもすることができない。これはもう、一種のコンプレックスのようなものだ。こんなだから、きっと僕は駄目なんだろう。
星空を見ていると、この世界には僕一人だけなんじゃないかと思えてくる。
煙草の白煙と共に、嘆息が漏れる。
本当に、僕一人の世界があればいいのに。
この春からプログラマーとして働く僕だけど、この進路で良かったのかなあなんて、未だにそんなことを考えてしまうことがある。大学だってそうだ。大学に入ればもう少しまともな日常が待っていると思っていたのに、とんだ猶予期間だったな、大学なんて。教授が何週間にもかけて高説を垂れるが、あんなのは自分で調べれば数時間で終わる。内容だって基礎の基礎ばかりで、一つも面白いことはなかった。僕に見合った大学だと言われて入学したのに、周りも馬鹿ばっかりだったし。
本当、最悪だ。
刺激が無さ過ぎる。
まともなのは、あの神楽盃って奴くらいだったか。論文でえらく評価されていたが、まあ、奴は本物の天才なんだろう。正当な評価を受け、正当な優秀さを以てその評価を固定させていた。
そう言えば、あいつはどこに就職したんだろう。
進学か?
まあ、どうでもいいか。あいつは僕とは正反対の人間だ。奴は本物で、僕は偽物。僕と比べられることすら間違っている。
僕は天才だと言われながらも、いつもあと少しで届かなかった。そして、過大評価だったと見下され、誰にも相手にされなくなる。失敗をしたところで、僕が周囲の連中に劣るわけではないのに。
勝手に期待して、応えられなかったら今度は馬鹿にする。
ふざけるなよと思う。どんなに落ちぶれようが、僕がお前らに馬鹿にされる筋合いはないはずだ。
ああ。
またいろいろと考えてしまっている。せっかくの煙草がまずくなる。
エアコンの室外機の上に置いていた灰皿に、僕は煙草を押し付けた。そして、もう一度空を見て、深呼吸をする。
そろそろ部屋に戻ろう。
そう思い、足を動かそうとした時だった。
「秋山獅道」
背後からの声。
「えっ?」
振り向くと、そこには喪服姿の大男が立っていた。
一瞬で思考回路が分断される。
身長は一九〇センチくらいあるんじゃないだろうか。色素は薄く、白に近い色をした髪をオールバックで整えている。威圧的な目元には、異国の血を思わせる青い瞳を潜ませていた。
どうして僕の家にこんな奴がいるんだ?
「うむ。でかい声は出すなよ? 私はお前に用があってな、騒がれては困るのだ」
いや、待て。でかい声なんて出ねえよ、この状況。
「何なんだよ、あんた」
「話がしたい」
「……話?」
「うむ。まずは煙草を一本もらえるか?」
「………………」
とりあえず言うことは聞いておこう。僕は一人暮らしだ。警察に通報してくれる人間なんていない。ここはひとまず、慎重に対応するべきだ。
僕は訝しみながらも、ポケットから煙草の箱を取り出した。箱から煙草を一本だけを取りやすくしてやってから、男の方へと差し出す。
「ほれよ」
「うむ。感謝する」
男はそう言って、煙草を抜き取り口にくわえた。
本当、こいつは一体何なんだ?
えらく筋肉質なのが、スーツの上からでも見て取れる。表情は読み取りにくいものの、どこか冷酷さが感じられる顔つきから、まるで映画に出てくるような殺し屋だな、と僕は思っていた。
「火ももらえるか?」
「ん、ああ……」
ジッポも取り出して、男のくわえる煙草に火を着けてやる。男は静かに煙草を吸い込むと、その風味を味わうように、ゆっくりと細い煙を吐き出した。
「ほう。うまいな」
「気に入っている銘柄だ。これを吸うのは初めてか?」
警戒はしつつ、僕は男と会話を続けた。
「ああ。煙草というもの自体、初めてだな」
「……まじかよ」
これは驚いた。こんなに旨そうに煙草を吸う奴がねえ。
「私は本来、葉巻を愛好しているのだ。こんな小枝のようなものでは吸った気にならないと思っていたからな。まあしかし、お前からもらったものを吸ってみて、考えを改めるとしよう。この小枝も、味があってなかなかに良い」
「そうかよ。でも、葉巻なんて簡単に手に入らねえだろ」
「そうだな。だから渋々、お前にねだったところだ」
「まあ確かに、葉巻に比べりゃ物足りないだろうがな」
「いやいや。これで十分」
「そうか……」
意外と話せるもんだな。しかし葉巻、か。外国では普通に売ってるもんなのか?
一回は吸ってみたいな。
「うむ。一人で吸うのもつまらん。お前も吸わないか」
「ん? ああ」
僕の煙草なんだけどな。それにしても日本語うまいよな、こいつ。三十五歳から四十歳。それくらいに見えるけど、長いこと日本にいるんだろうか。
僕は口にくわえた煙草に火を着けてから、男に尋ねてみた。
「そろそろ聞きたいんだけどさ、あんた……何なの?」
僕の問いに、男はにやりと口角を上げる。
「うむ。紹介が遅れた。私の名はゴットリート・バウムガルテン。未来から来た、お前のボディガードだ」
何言ってんだ、こいつ。
「お前にはこれから、ある殺し合いに参加してもらう」
やばいな。まじで何を言ってんだ、こいつは。
「まあ戸惑うのも無理はない。……なに、これからゆっくりと説明してやるさ。しかと聞け」
「いやいや待てよ。何言ってんだあんたは」
「だから、これから説明をしてやると言っているのだ。まずは落ち着け、獅道」
「………………」
そう言えばこいつ、何で僕の名前を?
「あんた、ゴットリートとか言ったか?」
「ああ、それがどうした?」
何だろう。見た目は厳かだが、佇まいにはどこか紳士らしさも感じられる。最も大切な正体こそ不明だが、いつの間にかこうして話ができているのも不思議だ。でも、やっぱり、その話している内容が無茶苦茶なんだよな。意味がわからない。
「未来から来たってのはどんな冗談だ? 僕の名前まで調べて、そうまでしておちょくろうってのか」
僕の言葉に、ゴットリートは鼻で笑って返す。
「まあ、当然の反応だな。しかし、事実である」
「だから、信じられねえっての……」
「うむ。ならばこれを見せよう」
ゴットリートはそう言って、僕に見えるように右手を開いた。何をする気だろうかと眺めていると、その右手が一瞬で鮮やかな蛍光色に包まれる。さらに、コンピューターグラフィックが描き出したかのような球体が手の平の上に浮かび上がってきている。
「な、何だよこれ」
「はっは……。まだ終わりではない」
ゴットリートはにやりと笑い、よく見ておけ、と驚愕を露わにしているだろう僕を無視して、奇妙な現象の展開を続けた。ゴットリートの手の平の上では黄緑色の球体がみるみる形を変えていき、ほんの数秒で拳銃のような型になる。
「これで完成だ」
ゴットリートがそう呟くと、黄緑色の線で描かれていただけの拳銃が、本当にその場に現れた。ゴットリートの手の平の上には、見ただけで重量感が伝わってくる物体が確かに存在している。
何だ?
どう理解すればいいんだ?
僕は今まで、自分の目で見たものしか信じてこなかった。けど、さすがにこれは無理だ。信じられるわけがない。
瞬きすら忘れてしまっていた僕を見て、ゴットリートが口を開く。
「この時間座標から二十年後。二十年後の未来から私は来たのだ。……ああ、時間座標というのは、簡単に言えば日時のことだ。つまり、今――お前が生きる現代から数えて二十年後の日時が、私のいた未来ということになる」
「僕が何を言う前に、未来人として話を進める気なんだな、あんたは」
「はっは……。今見せたのは、私のいた未来にしか存在しない技術だ。この時間座標では目にすることなどできん。私が未来から来たという証明には十分だろう。それともまだ何か疑念があるか」
確かに、何もないところから拳銃を生み出すなんて聞いたことがない。けど、それだけで今の話を信じられるか?
「一旦整理させろ」
「はっは……。いくらでも待とう。時間とは何時の時も、悠久なものでなければならん」
ゴットリートは目を閉じて、愉快そうに口端を釣り上げる。それと同時、ゴットリートの手に握られていた拳銃が消える。まるで白色の粒子が空気中に霧散していくかのような光景。それは、幻想的とも言えるものだった。
「ほんと、頭が追いつかねえ……」
「当然。だから最初に説明してやると言ったのだ」
「……頼む」
「はっは……。よし、まずは二十年後の時間座標で起きていたことから説明する」
ん? 起きていた?
「未来のことなのに、過去形で話すんだな」
「うむ。私がこの時間座標に干渉した時点で、私の知る未来は失われたことになるからな」
「どういうことだ?」
「タイムパラドックスという言葉を聞いたことは?」
「まあ、あるけど」
「うむ。言うまでもなく、私はある目的があってこの時間座標にやって来た。その目的とは、私がいた未来を変えるためのものである。さて、ここでだ。私がこの時間座標でその目的を果たせば、どうなると思う?」
ゴットリートは説明口調を交えながら、淡々と語る。
「そりゃあ未来を変えるための目的なんだから、未来が変わる……あ、そうか」
「はっは……。気付いたか」
「ああ。未来を変えるわけだから、お前が元々いた未来もなくなるってわけか」
「その通りだ。この時間座標で私が目的を果たした場合、未来から私がやってくる必要性そのものが失われることになる。つまり、私は実際にこの時間座標にいるというのに、未来からやって来た理由がすでに存在しないのだ。矛盾しているだろう? これがタイムパラドックスというものだ」
「何となくだが、言いたいことはわかる。けど、それならあんたがいた未来はどうなったんだよ」
「それならすでに言っただろう。文字通り、失われてしまったのだ。あるいは、別の世界に分岐した」
待てよ。それってつまり、世界を書き換えたってことにならないか?
「あんたがいた未来の人間はどうなった?」
「これは私の読みだが、おそらく消えたであろうな。未来は今、空白だ」
「消えたって……。ならあんたがやったことは、かなりの犠牲が伴ったんじゃねえのかよ!?」
「犠牲も何も、未来はこれから訪れる。私のいた未来の人間は、これから違う形で未来を迎えるのだ。別に死んだわけではないのだから、案ずることもない。むしろ、これから生まれてくる者も多いだろう」
「そういうもんなのか? でも、多くの人間の運命を勝手に変えたということに変わりはないんだろう?」
「私のいた未来を知れば、あの運命で良かったと思うはずはない」
ゴットリートの表情が、急に陰鬱なものになる。
「どれだけ語ったところで、私のいた未来での惨事を伝えることはできないだろう。ただ、わかりやすく状況を伝えるならば、そうだな……」
ゴットリートは、一拍の間を置いて言った。
「人類が絶滅しかけている、と言えばよいか」
……は?
「おいおい、まじで言ってんのか、それ」
「無論だ」
「二十年後だろ? きっと僕だってまだ生きてる。そんな近い未来に、人類が絶滅? 冗談にもなんねえぞ」
「うむ。本当に、笑えない現実だった」
途方もない話なのに、冗談を言っている風には見えない。何だかこのやりとり自体が、途方もない冗談なんだろうって気分になってくる。
ゴットリートは深く息を吸い込み、ゆっくりとした口調で僕に言い聞かせ続ける。終わった未来、そんな未来もあるのだという、可能性の話を。
「全ての発端は、情報科学の急速な発展にある。私がいた未来では、情報化と呼ばれる技術が普及していてなあ。先ほど見せたものがその一つだ。情報化を使えば、物質をある種の情報として扱うことができるのだよ」
「物質を情報として扱う……? 具体的には?」
「うむ。例えば、そうだな……目の前に一つの林檎があるとしよう。その林檎という物体を一つの情報として扱うことで、まるでメールを送るように、離れた場所にいる人間へ林檎そのものを届けることができる。まあ、その場合、目の前の林檎は消えるがな」
物質を情報としてやり取りする。それが――情報化。
「本当にそんなことができるのか?」
「ああ。今度は一冊の本で例えようか。こちらの方がわかりやすいかもしれん。いいか、イメージしろ。お前のもとに一通のメールが届き、そのメールには、ある本の内容が事細かに記されていたとする。ページ数、本の厚さ、表紙の色など諸々、情報さえ揃っていれば、お前はその本を復元させることができはしないか?」
「そりゃあ、できないことはないだろうが……」
「そう、不可能ではないのだ。物体を情報に変換し、再び物体として出力できる媒介さえあれば、人間でさえも情報化が行える。実際、私は一つの情報としてこの時間座標に送られてきたのだ。この日時、この場所に、この人間が存在するという情報操作が行われた結果、私はこうして、ここにいる」
そんな未来が、あと二十年で訪れると?
僕の情報処理が追いつかない。
「はっは……まあ、この際理屈などはどうでもよいのだ。重要なのは、私が今、ここにいる理由だ」
そう言って、ゴットリートは煙草の煙を吸い込む。そして、目を閉じ、溜息混じりの白煙を豪快に吐き出す。
「……そうか。あんたはある目的があってこの時間座標に来たんだよな」
「ああ。私の目的はただ一つ。最初に言った通り、お前をある殺し合いに参加させることだ」
殺し合い。確かに言っていたな、そんなことを。
だが、誰と殺し合いをしろって言うんだ?
「長い話になるが、まあ聞け。私のいた未来ではな、世界規模の戦争が繰り広げられていたのだ」
「……戦争? また世界大戦でも起きたのか?」
ゴットリートは目を閉じたまま、感情のこもっていない声で話を続ける。
「いいや、国家間の戦争などではない。二つに分けられた人種が争ったのだ」
二つの人種……。民族紛争か何かか?
ゴットリートは言う。
「ウイルスに感染した者たちと、そうでない者たち。その二種類が殺し合った」
ウイルス?
感染?
段々、頭の中の疑問符が処理しきれなくなってきた。
「ウイルスってのは、一体……?」
「ここで言うウイルスは、コンピュータウイルスのようなものを思い浮かべて欲しい」
ああ、なるほど。何となくではあるが、話が見えてきた。
――と、そこで。
「なあ、獅道よ」
「何だよ」
「ありとあらゆる物質、そして人間までをも情報として扱っていた世界に、ウイルスが蔓延したらどうなると思う?」
「それは……」
僕は一瞬で、ゴットリートが言わんとしていたことを悟った。情報化された物質、情報化された人間で満たされた世界に、ウイルスが蔓延したら――
想像なんてできない。いや、想像なんてしたくない。
僕はただ一言、考えられ得る最悪の事態を思い浮かべ、ゴットリートに尋ねた。
「……人間が、消えるのか?」
その問いに対するゴットリートの言葉は、予想通りのものだった。
「その通りだ。情報として扱われていた人間が、まるでデータが削除されるように、次々と消えていったのだ。跡形もなく、な」
まるで氷の幕に覆われたかのように、ゴットリートの表情から温度が失われた。僕はその表情だけで全てを理解する。この男は、僕には想像もできない地獄を見てきたのだと。
「ウイルスのせいで、情報として扱われていたものの存在は揺らぎ始めた。ウイルスに感染した情報は、ある日突然ひとりでに消えたり、自身もウイルスと化して他を感染させたり――最悪、他の存在情報を無作為に消してしまったりするわけだ。それに、人間だけではない。建築物なども情報化技術で造り上げる時代であったからなあ、街そのものが消えてしまう現象まで起きた」
たった二十年で、世界はそこまで変わるのか。
たったの二十年。たったの、二十年で……?
「人は、消えたらどうなるんだ」
「知らん。ただ、消えるのだ」
冷たいとも思えないほどに、冷え切った言葉だった。
あんまりだ、と思う。高度な情報科学がもたらしたものは、あまりに大き過ぎる災厄だったと、そんな馬鹿な話があるかよ。そんなのってないだろう。
科学は人を助けるために発展していくものなのに、どうしてそうなった?
「悲劇はそれだけではない。むしろ、ここからが本当の地獄であったと言える」
ゴットリートはすっと瞼を開き、どこか遠い目をしながらも続けた。
「ウイルスに対抗しようと、世界各国は協力し合い、手を取り合って様々な手段を講じた。しかし、どれも事態を収束するには及ばず、とうとう、世界各国は最悪の決断を下したのだ」
「最悪の……決断?」
ゴットリートはゆっくりと頷く。
「殺戮の使徒計画と呼ばれる、ウイルス感染者の殲滅作戦だ」
聞くに堪えない。そんな未来が、あと二十年後に待っているだなんて。
「まず初めに、世界各国は適正のある人間を選び出し、その人体に殺人兵器の情報のインストールを始めた。そして、大量の人間兵器なるものを生み出したのだ。まあ、ふざけた話だな……。感染の拡大を防ぐため、世界の平和を守るためという名目だけは立派なものを掲げ、その人間兵器たちに、感染者の殺戮を命じたわけだ」
殺戮の使徒計画。……そんなの、世界規模の虐殺じゃねえか。
二十年後の世界は、そんなものを許したのか?
「人体に組み込まれる兵器情報も、次第にエスカレートしていった……。最初は拳銃一つをその場に展開させるようなものばかりであったが、中には光学兵器の情報をインストールした者まで現れおった。物理法則をねじ曲げるような奴もいたな」
まるで超能力。いや、もとになっている力が殺人兵器である以上、超能力よりもたちが悪い。それこそ、ただの兵器だ。
「本当に、この時間座標からは想像できん未来であろう」
大型低気圧にでも埋もれてしまったかのように、ゴットリートの顔はみるみる曇っていった。手元の煙草は大分短くなっており、吸えるところはほとんど残っていない。さっきまであんなに旨そうに吸っていたのに。
ゴットリートは灰皿に煙草を投げ込み、また口を開く。
「当然、感染者たちも無抵抗ではなかった。人間、殺されるのを黙って受け入れるわけはないのよなあ……」
だろうな。そんな世界、誰も受け入れられるわけがない。
「つまり、そこから感染者たちと、そうでない奴らの戦争が始まったっていうわけか」
「うむ。感染者たちは情報として扱われているものを消せる。つまり、襲ってくる人間兵器共を、いとも簡単に消すことができるのだ。武器としては最上であるな。それに気付いていながら、戦わない理由はない。双方は争いに争いを繰り返し、結果、数にして世界人口の半分が犠牲になった」
本当に人類が絶滅しかけてる。いや、全てを信じるかどうかは、まだ決められない。しかし、僕は見てしまっている。悲惨な未来を生み出した原因、情報化技術というものを。
ゴットリートが見せてくれたような力が、本当に未来の世界に溢れていたのなら――
「この争いを、我々は五角戦争と呼んでいてな」
ここで、ゴットリートは薄らと目を細める。そして、眼球だけを動かして僕を見た。
「この戦争の中核に、二十年後のお前が関わっているのだ」
「……え?」
僕、が?
「どういうことだ」
うむ、とゴットリートは再び目を閉じ、平坦な声で言う。
「情報化技術の開発、発展に大きく貢献した人物が五人いる。その五人はやがて、世界中に名を知らしめる科学者となったのだが、その内の一人が――」
まさか。
「僕だって……言うのか?」
「そうだ。お前の功績は、五人の中でも一、二を争うほどに大きなものだった」
待ってくれよ。
なら、その戦争を引き起こした原因は、僕にあるってことだろう。
「そんな……そんなの、信じられねえよ……」
「気持ちはわかる。だが事実だ。お前を含めた五人は、まるで五角形を作り出すかのように、各陣営に分かれて争った。故に、この争いは五角戦争と呼ばれるようになったのだ」
苦しい。
頭が何かに締め付けられているような気がする。
目眩を堪えながら、僕は灰皿に煙草を投げつけ、自分の額にそっと手を当てた。
「話にわからないところがある。感染者たちの争いと、僕がどう関係あるんだよ?」
「うむ。まず五角の内の一人、霧島一矢の話からしよう」
霧島一矢。
そいつも情報化技術に関わった人間なのだろうか。
どうにか落ち着こうと、僕は震える手でもう一度煙草を取り出し、火を着けた。ゴットリートはそんな僕に構わず、さらに話を続ける。
「時間は五画戦争の勃発前、情報化技術の発展途中の時期に遡る。世界で段々と情報化技術が普及していく中、世界各国の軍部は、技術を何とかして軍事転用できないものかと躍起になっていた」
「……はっ。くだらねえ」
「うむ。霧島もそう考えていた。自分達が開発した技術が軍事転用されようとしていることに、えらく心を痛めていたと聞く」
「まともな奴、なんだな」
「そうだな。しかし、世界各国の軍部はなかなかに研究の足が速くてなあ。ろくでもないものを作り出そうとしていたのだが、それが完成してしまうというところまで来ていたのだ」
「……その、ろくでもないものってのは何なんだよ」
「情報化された物質を消す技術だ」
「情報化されたものを消す……?」
ということは。
「それがウイルスの原因か?」
「うむ。しかし、世界各国のその技術は完成間近だったというだけで、なかなか完成はしなかったのだ」
僕は深く煙草を吸って、一息落ち着ける。
「まあ確かに、簡単にできることじゃあないよな」
「ああ。だがそれでも、どこかの国が一足先にそれを完成させれば、国家間の緊張は一気に高まる。その技術を使えば、相手国の兵士など一瞬で消し去ることができるのだからな」
「なるほどな。まあ、軍事競争ってのはそういうもんなんだろう」
「だが、そこで霧島が動いたと言うわけだ」
いい予感はしないな。
「一体、霧島って奴は何をしたんだ?」
「欧州連合の軍部に協力し、その技術の開発を手伝ったのだ」
「え……? 何でだよ」
どういう話の流れだ。その霧島とやらの行動と考え方には、まるで筋が通っちゃいない。
「そう難しい顔をするな。霧島の行動にも理由がある」
「どんな? 戦争の加担にまとな理由があるとは思えねえ」
「霧島はその技術を完成させ、世界各国の軍部にそれをばらまこうとしていたのだ。一国が力を持つのは危険だが、各国が牽制し合えるだけの抑止力があれば、争いは起きないと考えてのことだ」
「今で言う、核兵器みたいなもんか?」
「そうだな。もちろん、未来のお前は霧島の行為には反対していたが、軍部に下手なものを作られても困るという霧島の言葉に、結局は黙認の姿勢を取った」
なるほど。まあ、霧島の意見には一理ある。
それに、黙認か。
きっと僕ならそうするだろうなと、変に納得できてしまった。
「……で、結局はどうなったんだ? 霧島の計画はうまくいったのか?」
やはり、と言うべきか、ゴットリートは首を横に振った。
「欧州連合軍部に、その目論見がばれてしまってな。まあ、何者かがリークしたのだろう。霧島は身柄を拘束されてしまった」
「じゃあ、ウイルスの原因となった技術は、完成しなかったのか?」
「いや。完成こそしなかったが、霧島が最も恐れていた事態が起きてしまってな……。霧島の協力を失った欧州連合軍部は研究に失敗。その結果、ウイルスを生み出してしまったというわけだ」
「……なるほどね。結局は、馬鹿な権力者たちが招いた惨事ってことだな」
「うむ。これが五角戦争のきっかけだ。霧島は欧州連合軍部に呼び戻され、今度は殺戮の使徒計画のための研究をさせられた」
「させられたって……。まさか、それで本当に協力したのか?」
「家族を人質に取られていたと聞く。それに感染の勢いを見れば、その判断を否定しきれん」
そんなにひどかったということか、ウイルス感染は。
家族を人質に取られ、世界中の多くの人間の命を奪うための研究をさせられていた霧島の心境は、きっと僕なんかには計り知れないものだろう。正義だなんてチープな考え方ではなかったんだろうが、少しでも多くの人を助けるためなら、殺戮の使徒計画にも協力するとう選択は正しかったのかもしれない。でも、だから許せるというものでもない。正直、何が正しいのかなんてわからない。
「なあ、ゴットフリート。霧島は、別に悪ってわけじゃあないんだよな」
「ああ。しかし、殺戮の使徒計画に加担した霧島を、未来のお前は許さなかった。五角のうちのもう一人、ルー・シュバルツェネガーと協力し、霧島討伐を考えたのだ。これで戦火は一気に拡大、戦争は各国の軍部を本格的に交え、次第に世界規模のものとなっていった」
「……そうか。確かに、僕が戦争の中核だな」
「うむ。そして、残された五人の内の、さらにもう一人――不流飛鳥は、その争いを止めようと、第三の陣営として参戦した」
ルー・シュバルツェネガーに、不流飛鳥。その二人も、未来の僕が巻き込んだ?
「霧島は感染者を殲滅する側に。獅道とルー・シュバルツェネガーは感染者側に付いて争った。しかし、獅道とルー・シュバルツェネガーは、あくまで一時的な協力関係というだけであって、両者間の緊張が解けることはなかったのだ。さあ、五角の内、四つの関係は見えたか?」
「ああ……」
見えたよ。嫌なほどに。確かに僕が戦争の中核にいる。
「でも、ゴットリート。これって、一体誰が悪いんだ?」
ゴットリートは沈黙する。そして、深呼吸に続けて、小さな声で言う。
「……少なくとも、お前たち五人の中に悪は存在していない。皆、それぞれの正義を貫こうとしただけなのだと、私はそう考えている」
悪が存在していないのに、正義が争い合ったというわけか。だとしたら、なんて皮肉な物語なんだろう。
「そうか。なあ、五人の中の、最後の一人が取った行動は?」
ゴットリートは虚ろな目を開き、淡々と言い放つ。五角戦争と呼ばれる争いの中核、その最後の一人の事を。
「私がこの時間座標に来る直前。一向に終末を見せない争いに怒ったその人物は、自らの肉体に最悪の兵器情報をインストールし、各陣営の主戦力を一夜で壊滅させた」
口元にまで運んでいた煙草を、思わず落としてしまった。
「……たったの、一夜で?」
「うむ。たった一人、たった一夜でだ」
「そんな奴がいたのか?」
一体何者なんだ。ウイルスよりよっぽど脅威じゃねえか、そいつ……。
「その人物の名は、神楽盃。五角の最後の陣営として参戦し、一夜にして世界を戦慄させた男である」
ゴットリートが口にした名前を聞いた途端、全身に悪寒が走る。
神楽盃って、あの神楽か……?
「ん? どうした?」
「いや、何でもない。続けてくれ……」
怪訝な顔で僕を見るゴットリートであったが、こほんと咳払いをし、すぐに話を再開した。
「その神楽は争いを止めようと、一人でずっと世界に訴えかけていたのだ。しかし、決して武力を使わなかった神楽が、最後は強大な戦力で世界を牽制した。その事実こそが、何よりの驚きであったなあ」
神楽盃。
世界を相手に、たった一人で挑める男、か。
「本当にぶっ飛んだ天才だな、世界を驚愕させるなんて」
あんたはやっぱり、本物の天才だったわけだ。
「まあ、その驚愕はもちろん、五角のそれぞれにも重たく響いてなあ……。まず、神楽の牽制に最も早く動いたのは、霧島一矢だった。状況から、神楽に狙われるのは自分だと思い込んだのだな」
「確かに、そう考えてしまうのも無理はないな。それで? 実際、霧島はどうしたんだ?」
「うむ。やっとこの話ができるな」
ゴットリートの表情が少し緩む。ようやく本題に入れると言いたげな顔だ。
「霧島はな、過去へと使者を送ったのだ」
「……使者? あんたみたいな感じのか?」
「その通り。霧島はこう考えたのだ。過去に生きる敵を殺せば、そもそも戦争自体起こらなかったのではないか、と」
「そうか。敵は皆、情報化技術に関わった連中だもんな。そいつらが死ねば、戦争の火種はなくなる、か……」
「ああ。そして実際に、その考えを実行した」
「なるほど。じゃあ、未来からこの時間座標に来た人間は、あんただけじゃないんだな?」
「うむ。霧島の使者を追いかけ、各陣営からこの時間座標に来た者たちがいる」
「待てよ。それって相当危険じゃないか?」
「そうだな。だからお前の元には私が来た。まあ、これも最初に言ったはずだがな。私はお前のボディガードだと」
「……ちっ。話が長いんだよ」
「仕方あるまい。状況が飲み込めないままでいてもらっては困るのだ」
得意げに言うゴットリート。
何か腹立つなあ。
「まあいい。話はわかった。つまりあんたが言っていた殺し合いってのは、霧島陣営との殺し合いってことだろう?」
「いや、少し違うな」
「……ん?」
ゴットリートは短くなった煙草を灰皿に投げ捨てると、腕組みをしながら僕を見た。
「とりあえず、次の煙草をくれ」
拍子抜けするなあ……。
最初と同じようにして、僕はゴットリートに煙草を差し出した。そして、またジッポで火を着けてやる。
「……やはりうまいな」
「いいから先を話せよ」
「うむ。殺し合いの相手はなにも霧島陣営だけではない。お前には、各陣営を一つずつ叩いて欲しいのだ」
「……は? どうして?」
この時間座標に争いの火種を持ち込んだのが霧島陣営だと言うのなら、霧島陣営だけを潰せばいいはずだ。
しかし、ゴットリートは言う。
「考えてもみろ。各陣営がそれぞれ、霧島陣営のみを狙うと思うか?」
どうだろう。未来の状況から考えて、狙われるのは……。
「神楽の陣営も、標的になりやすいかもな」
「そうだろう。五角の中で最も力を持っているのは、間違いなく神楽だ。各陣営から危険視される可能性は一番高い」
そうか。事態は思ったよりも複雑かもしれない。
「未来の五角戦争の構図は、この時間座標では当てはまらないということか」
「ああ。誰が誰を狙うかわからないのだ。それに、未来から来た護衛達の素性も謎だ。下手に動けば返り討ちにあう」
「……水面下での駆け引きが鍵になると、そうことだな」
ゴットリートは煙草の煙を吸い込むと、今度は旨そうな笑みを浮かべてそれを吐き出した。きっと、先ほどまでの話が重過ぎたんだろう。
「うむ。それにな、五角の人間はそれぞれ、自らに適した兵器情報をインストールしているはずだ。護衛のみならず、五角の人間自身も十分な脅威になり得る」
「そんな奴らが、互いに命を狙っているわけか」
全く穏やかじゃねえな。ゴットリートの言うことが真実なら、うかうか夜も寝ていられない。
しかし、一つ引っ掛かる。
「なあ、ゴットリート」
僕は尋ねた。
「霧島が使者を送ったのは、どうしてこの時間座標だったんだ? 例えば僕を殺したかったんなら、僕がもっと幼い時間座標に使者を送ればよかっただろ? 幼稚園児くらいの僕なら、兵器情報なんか無くても殺せたはずだ」
「……ああ、この時間座標にはきちんと意味がある」
「どんな?」
「偶然にも、五角の人間がこの街に集まっていたのが、この時間座標だったのだ」
偶然?
そんなもので判断したのか?
「他の時間座標だと、それぞれがどこにいるかわからなかったのか?」
「いや、そんなことはないはずだ。ただ、未来の霧島は、五角が集うこの時間座標のこの街で、決着を着けようと思ったのだろう。ルー・シュバルツェネガーなんかはドイツ暮らしで、この時間座標でなければこの街にはいなかった。しかし、この時間座標であるなら、奴は父親の仕事に付いて日本に来ている。奴も標的に入れるのなら、この時間座標でなければならん」
ああ……。つまり、ルー・シュバルツェネガーはたまたまの来日で、こんな参事に巻き込まれたというわけか。
何か、気の毒だな。
「まあとりあえず、状況整理はもういいや。これ以上はパンクする。続きがあるならまた後で聞くよ」
「うむ。だが、これだけは確認しておきたい」
ゴットリートはいやに真面目な顔つきで言う。
「……何だよ」
「私の目的の話だ」
ああ、なるほどね。
「そうだな。ちゃんと聞いておこう」
「私は二十年後のような未来を繰り返したくはない。そのためには、この時間座標に生存する、獅道以外の五角の人間、そしてその護衛を滅ぼす他ないと思っている。だから獅道よ、私はお前に、共に戦って欲しい。この殺し合いの最後まで生き残り、悲惨な未来の可能性を全て潰すことこそが、私の目的であり悲願なのだ」
ゴットリートの顔に悲壮感などは滲んではいない。この時間座標に見出された僅かな希望だけが、その表情から窺うことのできる唯一の色だった。
きっとこれまで、その青い瞳に映し出されてきたのは、未来の戦争で流された赤と、絶望的な世界の黒ばかりだったに違いない。そんな男が、僕に力を貸してくれと、面と向かって言ってきている。当然、僕が力になれるのなら、という思いもあるが……。
「つまり、僕は兵器情報をインストールし、他の陣営の奴らを殺せばいいのか?」
「そういうことになる。誰か一人でも取り逃がせば、きっとろくなことにはならん」
まあ、確かにな。大きな力を持った人間が何をしでかすかなんて、歴史が証明してきていることじゃないか。
でも、すぐに決められることでもない。
「ゴットリート、結論はもう少し考えさせてくれ」
「……うむ。わかった」
ゴットリートはそう言うと、静かに煙草をくわえる。僕も煙草をくわえて、はるか遠い星空を見上げた。
――さて、僕はどう動くべきか。




