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RUN WITH WOLVES  作者: HINO
2/19

――神楽盃の開戦――

 「ん……」


 どうやら病院から帰って横になっている間に、眠ってしまっていたらしい。


 部屋の明かりは点いたままになっていた。起きたばかりの眼球には少々刺激が強い。


 今は何時だろう。


 俺はまだ開ききらない目を、壁に掛かったデジタル時計に向けた。時刻はちょうど午後九時を回ったところ。


 普段なら夕食まで済ませている時間である。さすがに空腹を感じ、俺はベッドから起き上がるとすぐにキッチンへと向かった。しかし、起きたばかりの体で自炊する気にはなれない。


 今日はコンビニ弁当にするか。


 我ながら怠惰であるとは思うけれど、睡魔の抜け切っていない体はいやに重たく、この気だるさはなかなか払いきれそうになかった。


 俺は自分の部屋へと引き返し、財布と携帯だけをズボンのポケットにねじ込んだ。


 部屋の照明を消して、廊下に出る。そして、真っ暗な廊下を抜けて、玄関へと向かう。


 「………………」


 ぼんやりとする頭に、ふと、今日の雫の姿が浮かんできた。


 いつもとは、何かが違った。


 違和感。


 ただの気のせいだろうか。


 靴を履き、玄関扉を開く。冬が寒さを置き忘れていったかのように、夜はまだ肌寒かった。冷たい外気が、一気に全身を撫でまわす。この調子だと、薄手のシャツ一枚で過ごせるようになるのはもう少し先になりそうだ。気の早い桜は、もう満開だというのに。


 玄関扉の鍵を閉め、マンションのエレベーターに向かって歩き出す。誰もいないエレベーターへと乗り込み、続けて、エントランスから外に出る。


 俺の家は大通りに面して建っている高層マンションの一室で、目の前の大通りはひっきりなしに行き交う車や人の姿でいつもごった返している。俺もその都会の雑踏に紛れ、コンビニの方へと足を進めた。


 どこを歩いても人とすれ違う。深夜になろうとも、この街は眠らない。人の群れは絶えずこの街を徘徊し続ける。


 そんな街中で、唯一静かそうな場所を見つけた。


 そこは公園だった。俺と雫が通っていた小学校へと続く、細い道。その脇にある、小さな公園。敷地の真ん中に大きな桜が立っていて、毎年花見客で賑わいを見せる場所である。


 しかし、今年の桜はまだ咲いていない。その公園の桜だけは、他の桜たちよりも出遅れてしまっているようだ。まあ、小学校の入学式に合わせて咲いてくれれば、それが一番良いのだろう。


 昔は雫ともよく見に行った。


 小学校の時は、俺にべったりだった。


 「………………」


 何だろう。頭の中で何かが引っ掛かる。


 小学校。


 雫。


 ――俺はある事を思い出した。


 今から十年前。俺が小学校を卒業する時、雫は俺と同じ学校に通えなくなるのが嫌だと言って、大泣きをしたことがあった。


 というのも、昔から体が弱かった雫はよく学校を休んでいて、友達が少なかったからだ。そのせいでいじめられたりしたこともあったのだけれど、俺が雫の近くにいれば、酷い事にはならずに済んだ。


 しかし、代わりに雫は、俺のそばから離れられなくなってしまったのである。


 今の雫からは想像できない過去だ。


 思えば、そんな過去もあったんだ。


 雫はいじめっ子たちから隠れるように、いつも俺の後ろをついて歩いていた。そんな雫だったから、俺が小学校を卒業する時は大変だった。


 卒業式の前日は、笑えるくらいに荒れていたっけ。


 しかし、当然、当時は笑える余裕なんてなかったから、俺は必死に雫をなだめる方法を考えた。そして、悩んで悩んで、やっと思い付いたのが――タイムカプセルだった。


 あれは卒業式の日の早朝。


 俺は雫と一緒に小学校に行って、誰にも見つからないように、裏庭にタイムカプセルを埋めた。


 その時、確か俺は、雫にこんなことを言ったと思う。


 「俺はこの学校にいられなくなるから、お前がタイムカプセルを見張っていろ。そして、十年後に一緒に掘り返すんだ。だから、誰にもいたずらされないように、毎日学校に来て見張るんだぞ」


 雫が一人で学校に行けるように。


 そう願って、俺は言ったんだ。


 ああ、全部思い出した。俺と雫はそれぞれ、十年後の自分たちに宛てた手紙を書いたのだ。そしてそれを、タイムカプセルの中に入れた。


 そうだ。この春であれから十年だ。


 それなら今日、病院で雫が言おうとしていたことは――


 「……馬鹿だ、俺」


 そう呟いた直後、俺の体はもう走り出していた。小学校へと続く道の上を、全速力で駆け抜ける。


 雫は約束を覚えていたんだ。三月になってから、俺は新生活の準備だ何だのと、そんなことで頭がいっぱいだった。けれど、雫は覚えていたんだ。


 きっと俺が会いに行けなかった日も、この約束のことを伝えたかったに違いない。せっかく今日は久しぶりにゆっくり話せる時間があったのに、俺はどうして何も聞こうとせずに帰ってしまったのだろう。


 素直じゃない雫のことだ。俺から言ってやらないと、言うわけなんてないのに。


 自分に腹が立つ。


 俺は歯を食いしばり、小学校へと続く道を走り続けた。どうしようもない苛立ちが俺を加速させる。


 走って、苛立って、走って――そして気が付けば、俺の体は小学校の裏庭へと潜り込み、十年前にタイムカプセルを埋めた場所に辿り着いていた。


 肩を上下に揺らしながら、ふと、我に返る。


 勢いでフェンスを乗り越えて来たけれど、警備会社の警報などは発動していないだろうか。夜の小学校に潜り込んでいる時点で、不審者確定である。誰かに通報されてしまえば、言い逃れはできないだろう。


 しかし、ここまで来たら引き返せない。


 俺は近くにあった倉庫からシャベルを取り出し、なるべく音を立てないようにと気を払いながら、その場で掘削作業を始めた。


 それからしばらくの間掘り続けると、シャベルの先端から、何か固い物に当たった感触が伝わってきた。


 穴に直接手を入れて、その固い物を取り出してみる。


 それは、表面が錆びまみれの古びた缶。


 間違いない。俺と雫が埋めたタイムカプセルだ。


 よく十年間無事だったものだと、思わず頬が緩んでしまう。校舎は改築されたりしているようだが、裏庭までは手が回っていなかったらしい。おかげでタイムカプセルは無傷である。


 俺は缶の蓋に指を掛け、開けてみようと試みた。しかし、錆びているせいでなかなか開いてはくれない。何度も何度も試みて、どれくらいの時間を掛けているのかもわからなくなった頃になってようやく錆びだらけの蓋は開いてくれた。


 疲れと共に息を吐き出し、一呼吸置く。


 さて。


 緊張が込み上げてくるのを感じながら、俺は缶の中を覗き込んだ。


 「……ん?」


 缶の中には、見覚えのない物が入っていた。二人の手紙を入れた便箋はいい。しかし、それとは別に薄い電子パネルのような物がある。そのパネルの両端は黒い筒状になっており、そこにはいくつかのボタンが並んでいる。適当にその中のボタンの一つを触ってみると――


 「――五分後に敵襲。その場から速やかに待避しろ」


 青く光ったパネルの中央から、男のものらしき声がした。 


 突然の声に、肩がびくっと揺れてしまう。


 これは一体、何なのだろう。タブレット端末の類だとは思うけれど、こんな型は見たことがない。


 それに、敵襲?


 何のことだ。


 タイムカプセルに荒らされた様子はない。それなのに、全く見覚えのない物が入っている。


 手の込んだいたずらだろうか。にしては、この電子パネルは高価な物のように思える。


 「………………」


 どうすればいいのかわからずその場で立ち尽くしていると、校庭の方からとてつもない音量の轟音が響き渡ってきた。まるで巨大なハンマーを直接地面に振り下ろしたかのような、心臓まで震わせる衝突音。


 今度は何だ?


 俺は電子パネルとタイムカプセルをその場に置き、校庭の方に向かった。そして校舎の陰から、そっと校庭の方を眺めてみた。


 「え……?」


 何か大きな物が、校庭の真ん中にいる。四本足の脚部に、人型の上半身。頭部は西洋の鎧のようなフルプレート。腕はそのものが機関銃のような形をしている。


 ロボット、なのか?


 煌々とした月明かりの下で、不気味なシルエットが一つ。巨大なそれは、何かを探すように頭部を動かしていた。


 何だ。何を探している?


 嫌な予感しかしない。直感で判断し、俺は急いで校舎の陰に隠れた。


 まずは落ち着け。


 状況は何一つ飲み込めていないけれど、これだけはわかる。


 あれに関わってはいけない。


 それに、タイムカプセルに入っていたあの電子パネル。あれの言っていた敵があのロボットなら、俺はすぐにこの場から立ち去るべきだ。


 もう一度校舎の陰から顔を出し、ロボットの様子を窺い見る。


 「――――――っ!」


 しまった。


 ロボットの顔が、思い切りこちらを向いていた。


 まずいと思い、急いで顔を引っ込めようとした瞬間――オレンジ色の閃光が、俺のすぐ目の前を通り過ぎていった。


 背後で、大きな爆発が起こる。


 巨大な生物が唸ったかのような爆音。続く、大気を燃やすような熱風に、体ごと吹き飛ばされそうになる。


 「………………」


 やばい。


 全身から血の気が引いていく。


 俺は立ち上がり、タイムカプセルを埋めていた裏庭の方へと走った。完全に俺の姿を捉えたからなのか、校庭の方から、あのロボットが迫ってくる音がする。


 どうしてだ。どうして俺が狙われているんだ?


 わけもわからないまま、俺はただひたすらに足を動かした。聞こえてくる機械音と比例して、自分の心音も大きくなっていく。


 本当にわけがわからない。

 

 白濁した頭の中で、ひたすらにそう呟いた。


 ――ふと、機械音が止む。


 しかし、振り返る間もまく、次の瞬間。


 俺のすぐ背後で、大きな衝突音がした。


 「………………」


 立ち止まり、ゆっくりと振り向く。


 ああ。


 振り向いた先。そこに待ち受けていたのは、絶望。巨大なロボットの構える機関銃が、俺の眼前に突きつけられていた。


 このロボット……まさか今、跳んでいたのか?


 一度音が止んだのは、一瞬地面を離れたから?


 だとしたら、何メートル跳んでいるんだよ。こんなのから、逃げられるわけがないじゃないか。


 「……くそったれ」


 銃口の奥に、赤い光が灯る。


 殺されるとわかっているのに、俺は何もできず、その場に立ち尽くすだけ。十年前の約束を果たしに来ただけだというのに、どうしてこんなことになったのだろうと、そんなことが頭の中を過ぎった。


 俺の人生、こんな終わり方なのか?


 俺が諦めかけた、その時だった。


 「お待たせしました」


 頭上から声。


 仰ぎ見ると、何と、空から人が降ってきていた。月明かりに一瞬照らし出されたその顔は――女の子?


 間違いない、女の子だ。


 その少女は、ロボットの肩に難なく着地する。そして、右手に持っていた刀の切っ先を、一瞬でロボットの首の部分へと突き刺した。そのままてこを使うように、刀を奥へ、奥へと押し込んでいく。


 動作に力みというものがない。


 動作の全てに無駄がない。


 何と言えばいいのだろう。この少女はあらゆる戦いに慣れているのだと――そう直感が告げる。


 首に突き立てられた刀が原因なのか、ロボットの動きはゼンマイ仕掛けのおもちゃのように、ひどく緩慢なものになっていた。明らかに中枢を損傷したという動きである。


 「あなたは隠れていてください」


 少女はそう言って、俺の前に降り立つ。


 金髪のショートカット。ブルーサファイアのような碧眼。


 明らかに日本人ではない。


 凛とした顔立ちに、切れ長な目を覆う長いまつ毛。雪原のような白い肌は、夜の闇の中でも眩しさを感じるほどだった。まるで人形のような造形美を持った少女ではあるが、ダークスーツに身を包んだ彼女からは、殺気にも似たオーラが感じられる。


 俺はあまりの出来事の連続に、すぐに言葉が出せないでいた。


 少女の言っていることはわかる。


 ただ、体が動いてくれないのだ。


 「……さすがに動けませんか」


 少女は独り言のように呟くと、黙って俺の手を取る。


 「私はこの兵器の始末をしますので、あなたは戦闘が終わるまでじっとしていてください」


 さらにそう言った後、俺を校舎の壁際へと――投げた。


 「なっ……!」


 片手一本で、俺の体は簡単に投げ飛ばされてしまった。俺の身長は一八〇センチを超えていて、体重だって決して軽くない。


 だというのに、それを片手で?


 驚愕している間に校舎の固い壁に打ちつけられ、肺から大量の息が漏れ出てしまう。


 「申し訳ありません。手荒な真似をお許しください」


 こちらを見ようともせず、無機質な声で少女は言った。俺は壁に背を預けながらもなんとか立ち上がり、彼女の方を見遣る。


 「お、おい。お前も――」


 逃げろ。


 そう言おうとしたところで、少女は俺の方に手の平を突き出し、発言を制した。


 「ご心配なく」


 何の気負いもない、平坦な声。それだけ言って、少女は再びロボットに飛びかかる。そして、刹那の間でロボットの首から刀を引き抜くと、そのままロボットの頭を蹴って華麗な宙返りをしてみせた。


 鳥肌が立った。


 本当に、人間の動きとは思えないほど滑らかだった。少女は宙返りの勢いを利用し、ロボットと十分な距離を取る。ロボットは刀を抜かれたことでその動きを取り戻したらしく、重厚な音を立てながら、ゆっくりと、少女の方に武器を構える。


 「そこにいると危険ですが……まあ、すぐに終わらせましょう」


 少女は横目で俺を見ると、呟くようにそう漏らす。


 その瞬間、ロボットが少女に向かって、急発進をした。トラックのような巨体が、華奢な少女の体に迫る。


 「――――――っ!」


 危ない。


 そう叫ぼうとしたけれど、俺は展開されていく光景に声を失った。


 少女は体勢を低くしたまま、ロボットの四脚の間を走り抜けていく。


 まるで、風が吹いたようだった。


 攻撃対象を見失ったロボットは勢いを余らせ、タイムカプセルを埋めていた辺りに豪快な音を立てて突っ込む。ロボットはそのまま沈黙し、動かない。


 声を呑み込んだ俺の目の前には、しかし、さらに驚くべき光景が存在していた。


 なんと。


 闇の中でよくよく目を凝らして見ると、ロボットの四脚の関節部分全てに白銀の刀剣が突き刺さっていた。


 まさか、一瞬であれだけのことをしたのだろうか。


 俺が少女の方に目を向けると、ロボットの背後へと抜け出た少女は、落ち着いた様子で自分の来ているスーツの胸元に腕を突っ込み、何かを取り出そうとしているところだった。


 そのまま目を見張っていた俺だったが、少女が何を胸元から何を取り出したのか、一瞬わからなかった。


 でも、間違いない。


 少女の胸元から取り出されたのは、一丁の拳銃。


 「これで終わりです」


 少女は拳銃を構え、寸分の狂いなく、ロボットの首元を撃ち抜いた。おそらく、先ほど刀を突き刺していた辺りだろう。


 彼女の発砲した弾が、そこに着弾した瞬間。大気が悲鳴を上げたかのような爆音が周囲を包み込んだ。


 夜の闇が、一瞬にして炎の海と化す。その光景を生み出した張本人である少女は、何の感慨もないと言いたげな顔をぶら下げ、俺のもとへと歩いてくる。そして、腰の抜けた俺の前で、ふう、と一息。


 「初めまして。私の名前はイヴ・キッドマン。あなたのボディガードです」


 言葉など出てこない。


 出てくるわけがない。


 沈黙することしかできない俺に、イヴと名乗る彼女は、続けてこう言い放った。


 「私は二十年後の未来から来ました。私があなたの前に現れた瞬間から、あなたの戦争は始まっています」


 「……戦争?」 


 馬鹿を言うなよ、と思う。


 すでに地獄だ。

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