望まれぬ客人
「客人がやってくるらしい」
耳にした噂にはどこか冷たさがあった。「客人」という言葉には似つかわしくない雰囲気が妙に気になった。
(珍しいな)
商人ではなく客人ときた。しかも、どうやら訳ありらしい。母さんならもしかして知っているかなとも考えたが、小さな村だ。私が何かしなくてもすぐに情報は出回り始めるだろう。
「シルフィ、こっちも頼んだよ!」
「はーい」
母の声に返事をした。指先には服が無造作に積み上げられた籠が置かれている。持ち上げるとずっしりとした重さが腕にかかった。
(嫌がらせだな……)
残念なことに、身に覚えがある。
以前まで私は王宮でメイドとして働いていたのだが、先日辞めて帰郷してきたのだ。それだけならまあ、ありえない話ではないのだが、私は母への連絡を忘れていたのだ。
突然帰郷し、しかもせっかく苦労して就いた王宮メイドを辞めてきた娘に、母がどれほど頭を抱えたのかは想像に難くない。そして、そんな娘を村の人間が放っておくわけがなく、噂は瞬く間に広がった。
母はしばらくご近所からの質問攻めに合い、ようやく最近落ち着いてきたところだ。
実は、落ち着きを取り戻した理由に、例の噂も一役買っている。変な話、私は少しだけ客人に感謝をしている。
そして母はその間にできなかった嫌がらせをしているのだ。決して、母の器量が狭いわけではない。
そんなこともあって、私は母の無言の抗議を快く引き受けることにしている。私の様子を見て母は満足げに頷いた。
村の奥には森が広がっていて、森を進んでいくと、大きな川がある。村の中の井戸でも洗濯はできるのだが、今日はいっぱいで、こっちまで来ることになった。
籠の中身を洗い上げると、小山のように積み上がった洗濯物が目の前に現れた。小さな山を前にして私は「ふう……」と息を吐いてすくむ足を無理矢理動かせた。
洗い終えた洗濯物は水をたっぷりと含んでいた。持ち上げると籠の隙間から水がにじみ出て、抱えた腹や腕に薄っすらと膜を張って濡らしていく。全身が水で覆われるような感覚は苦手だが歩くと、落ち葉がサクサクと小気味良い音を立てて潰れる感触が私は好きだ。
(……気持ちいい日だな)
やっぱり森の中は居心地がいい。 森は決して安全とは言えない。ただの動物ならいいが魔物はとても厄介だ。特に最近はちょっと様子がおかしい。けれど草の青い香りや木漏れ日が肌を掠める度にぽかぽかと体が温まる。
しばらく歩くと、村が薄っすらと見えてきた。
ここまで来れば大丈、
「……!」
茂みの先でごそごそとうごめく音がした。私は息を殺して茂みの奥を睨みつけた。
動物か。魔物か。どちらにしても厄介だ。
音を殺してかき分けるようにして近づいた。茂みを抜けて、丸い小さな影を見つけて私は肩を落とした。子供だ。しかも、知り合い。
見慣れたお団子頭が右へ左へと忙しない。返せ、私の警戒心。
「ミーナ、森に入っちゃだめだろ!」
「うわあ!」
丸まっていた小さな背中が鞭を打たれたようにピンと張った。子供、ミーナは大きく体をねじるように振り返った。
私だと気づくと途端にがくりと肩を落とした。
「なんだ、シルフィ姉か……びっくりしたじゃん」
「『なんだ』、じゃないだろ。ミーナ、またカルローおばさんの言いつけを破ったな」
失礼なやつだ。
ミーナは口を尖らせて不満たっぷり、という視線を浴びせてきた。ばかめ、私に通じる訳がないだろ。
村の子供であるミーナは私が王宮に働きに出ていく前からの知り合いで、昔はよく遊び相手になっていた。
(てか、何してるんだよ……出禁だろ……)
ミーナは村唯一、森出禁になった住人である。
ミーナは以前、森で魔法の練習中に木を燃やして大火災になりかけた前科がある。それ以来、母親のカルローか他の誰かと一緒でなければ森への立ち入りを禁止されている。
視線から次に何を言われるのか察して、ミーナはそっぽを向いた。
コイツ……。私はさらに胸の奥からふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。
「そういう態度をとるなら……えいっ」
「わあ!何!」
魔法でミーナの体を持ち上げると、突然の浮遊感にミーナはじたばたと動き回ったが、しばらくすると項垂れるように手足を脱力させた。
ミーナはぶつぶつと文句を垂れ始め、私はくすくすと笑い返った。ふてぶてしいヤツだ。昔に戻ったかのような懐かしさに心が弾んだ。
移動している間も会話には尽きない。王宮での仕事、流行、一番多かったのはご飯のことだったが。
村に戻ってきて、先にミーナの家に向かうと、丁度扉が開いた。
(おばさん、だけじゃない?)
出てきたのはおばさんではなく、見慣れない黒のローブを着た小柄な人だった。
(噂の客人かな)
おばさんに用があったんだ。いったい誰なのだろう、と軽い野次馬根性から2人の会話に耳を傾けた。
「……じゃあ、また明日お伺いします」
「分かってるよ」
相手の言葉に被せるようにおばさんは返事をした。
変だ。
どうも、穏やかな雰囲気ではないのは確かだ。いったい何者なんだ。
「あの人が、お客人?」
「……」
私の言葉にミーナは答えない。視線は真っすぐと客人に向けられていて、隣にいるはずなのに意識だけがこの場にいないようだった。
「……ミーナ?」
「なっ、何?」
頻りに視線を動かしながら取り繕うようなミーナに私は目を細めた。
(……本当に、何なんだ)
何か大きな渦がうごめいているような。得体の知れない気持ち悪さがした。
「そろそろ下ろしてよ」とミーナが言った。すっかり元に戻ったミーナの雰囲気に魔法を解除して下ろすとよろめきながら立ち上がった。
そうだ、おばさん。
「おばさーん」
「かあ……」
ミーナと私がほぼ同時に声をかけた、その瞬間だった。ミーナは言い切る間もなく、勢いよく吹き飛んでいった。あまりにも一瞬のことだった。
「こんっの、バカ娘が!まぁた森に行ってたな!」
吹き飛ばされたミーナは、頬を赤い牡丹のように腫らして気を失っていた。この様子だとしばらくは目を覚まさないだろう。
(なんだ、いつも通りだ)
少しだけ安心した。
倒れているミーナの傷をあまり得意ではない回復魔法で治してやると、カルローおばさんがミーナを米俵のように担ぎ上げた。
「悪いね、シルフィ」
「いいよ、これくらい」
にかっ、と効果音が付きそうなおばさんの笑顔につられて私も笑顔になる。本当に、よく似た親子だ。
(よかった、いつものおばさんだ)
安心したのも束の間、「だったらさっきのは何だったんだ」と私の好奇心が問いかけてくる。しばらく考え込んで、私は意を決した。
「……ねえ、あの人客人?」
「うん?……ああ、まあ、ちょっと、ね」
おばさんは顔を曇らせて言い淀みながら言った。目を泳がせ、何か思案している様子に私は「聞いちゃだめだったのかな」と後悔した。
「いや、どうしても気になっちゃって……言えない、なら大丈夫だけど……」
言い訳がましい私の言葉におばさんは顔を緩めた。「大丈夫」というおばさんに私はそっと胸をなでおろした。
「葬儀屋だよ」
「そうぎや?」
(そうぎや、そうぎや、葬儀屋?)
頭の中で何度も反復した。
「ああ、うちのレイナ婆さんがそろそろ死にそうでな」
え。
頭が真っ白になった。
「そう、なんですか……」
覇気のない返事におばさんが申し訳なさそうな顔をした。
私は今、どんな酷い顔をしているのだろう。
(そう、か……死んじゃうんだ)
レイナお婆さんは村一番の古株で、およそ1000歳を超えている。
魔女の寿命はとても長い。それこそ、不老不死だと思われるほどに。
1000を超えて生きるため、滅多に魔女が死ぬことはない。少なくとも今いる世代にとっては初めてなのではないだろうか。
穏やかなこの村に訪れた「死」。村人たちは何を考えたのだろう。
(受け入れてくれるのだろうか。それとも……)
おばさんからははっきりとした嫌悪を感じた。
——もし、あの冷たさが「拒絶」だったとしたら?
ぎゅっと心臓が掴まれたような気がした。
あの人はどんな気持ちで、この村に「終わり」を届けに来たのだろう。葬儀屋が去っていった方向を見て、私はそう思った。
(そろそろ帰ろう)
持っていた籠を抱えなおして私は母の待つ家に向かった。
「……今はまだ、言えないな」
寂しいな。そう、思った。
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