11-02.
「堀田、やれそうか?」
久我さんにそう聞かれてゴクリと唾を飲み込むと、私は真っ直ぐ久我さんを見た。
「はい」
「よし、それなら『アレキサンダー』を2種類とも作ってみろ。ジンベースは兄さんに出してくれ」
「はい」
私は深く息を吐き出すと、カクテルを作り始めた。
シェイカーにブランデー・生クリーム・カカオリキュールを注ぐと、ブランデーとカカオの香りが私の嗅覚を刺激する。
込み上げる恐怖を喉の奥に押し込み、私はシェイカーを握った。
目の前にいるのは、世界一のシェイク技術を持つと言われる久我さんだ。
トラウマとなっているカクテルを、最もシェイク技術に厳しい目を向ける人に見られているという、圧倒的な緊張感。
(これを乗り越えられれば何でも来いってなれそう……)
耳が遠く感じられて、硬質なはずのシェイクの音がいつもより籠もって聞こえる。
シェイカーを握る手の感覚が鈍くて、温度を感じにくい。
不安でチラリと弘臣さんに目を向けると、弘臣さんは優しく微笑んでいた。
それはまるで「君なら大丈夫だ」と言ってくれているかのよう。
そうだ、私は今、一人で闘っているわけではない。
そう思うとじんわりと胸が温かくなっていく。
私はシェイクしながら頬を緩めた。
甲高い音が、次第に柔らかさを含んでいく。
いつもの音が聞こえる。
冷え具合も、氷が当たる振動も、手にはっきりと伝わってくる。
タイミングが計れる。
よし、今だ。
最適なタイミングでシェイクを終えてカクテルグラスに注ぎ入れると、すりおろしたナツメグをかける。
ああ、いい香り。
そう思える自分にまたほっとする。
私は大きく息を吐き出し、グラスを久我さんの前にサーブ。
手は相変わらず震えた。
「お、お待たせ致しました。『ブランデー・アレキサンダー』です」
「ありがとう」
続けて、ブランデーをジンに変えてもう1種類のカクテルを作った。
「お待たせ致しました。『ジン・アレキサンダー』です」
弘臣さんにサーブすると、弘臣さんは私を穏やかに見つめていた。
「やはりバーテンダーの文乃は格好いいな」
「えっ……サーブする時に手が震えるのに?」
弘臣さんにサーブする時は手が震えなかったけれど、決して治ったわけではないことはわかっている。
「ああ。そんなことを凌ぐほど、カクテルを作る所作が美しくて見事だった。やはり文乃は優秀なバーテンダーだ」
本当にこの人は、今一番欲しい言葉をくれる人だ。
じわりと視界が滲むけれど、ここはバーカウンター。
涙腺をギュッと引き締めて目の奥に涙を引っ込める。
「あ、ありがとう」
「まあ、俺がどうのこうの言うより、源臣の言葉だよな」
「そんなこと……」
「いい。専門的なことは俺より源臣が話した方がいいのはわかっている。そのために連れてきたんだ」
弘臣さんの目が久我さんに向くと、久我さんは小さく頷いて私に鋭い視線を向ける。
「堀田」
久我さんの声に、私の肩が小さく跳ねた。
「はい」
「手際も所作もいい。計量も正確。シェイクは……俺ならもう数秒続ける感覚の音だったけど、まあ合格点かな」
うわ、まさか久我さんからシェイクに合格点をもらえるなんて……。
「ありがとうございます」
「あとは、表情が硬いのとサーブの時に手が震えるのは、怖かったんだから暫くは仕方がないとでも思っておけばいい。そのうち治る」
「えっ……」
「別に盛大に溢さなければOKだ。何ならいつも兄さんの顔をゲストみんなに貼り付けておけばいいんじゃないか?」
カウンターに座るゲストみんなが弘臣さんの顔。
私は思わずクスッと笑う。
それはさぞかし存在感と迫力のある光景なのだろう。
そう思うと肩の力が一気に抜ける。
弘臣さんは不満げな顔をしているけど、そんなイメージをするのもいいかもしれない。
「わかりました」
「なあ堀田、お前には理想のチーフ像みたいなものはあるか?」
「理想のバーテンダー像でしたらあります。久我さんです」
「そうか。それは光栄だな。そして丁度いい」
「……丁度……いい?」
「ああ。俺が日本のホテルでチーフをやっていた時、俺には理想のチーフ像があった。それが皆川さんだ」
「えっ? でも確か、立場では久我さんの方が上だったと……」
「ああ、俺がチーフで、皆川さんがその下に付いていた」
つまり、チーフがシニアを理想としていた、ということになる。
私は困惑の表情を久我さんに向ける。
「立場が逆では?」
「そうだな。でも俺がチーフになったのは、経歴が派手だったからというだけだ。チーフとしての適性は皆川さんの方があったと思う。皆川さんには壁がないんだよ。いい意味で『人たらし』で、気がついたらみんな皆川さんのことを慕っている。そんな人なんだ」
それについては私も頷けるところがあった。
今回の佐々木さんのことに関して、皆川さんはスタッフみんなから話を聞き出していたようだった。
それはつまりみんなが素直に佐々木さんのことを話したということになる。
それに、以前私が皆川さんから接客についての指導を受けた時、落ち込むどころか直して頑張ろうと素直に思えた。
皆川さんには不思議な力があるのは確かだ。
「はい……」
「バーテンダーとしての今の俺には、少なからず『皆川さんイズム』みたいなものが入っている。だから、もしも本当に堀田が俺を理想だと思ってくれているなら、皆川さんにしっかりついていけ。皆川さんに頼れ。そして学べ。堀田にとっても、きっと理想のチーフ像になるはずだ」
最初にチーフの座を奪われたと思った時は、皆川さんのことを恨みがましく思っていた。
でも、その考えはすぐに変わっていった。
だから今は久我さんの言葉がスッと頭に入ってくる。
「はい」
「堀田のミスは、アレキサンダーというカクテルに対して確認を怠ったことだけだ。確かに日本でも、このバーでもブランデーベースが基本だからミスとは言えないのかもしれない。だが、俺からしてみれば充分にミスだ。もっと広い世界を常に見ろ。基本だけをやるなら誰にでもできる。堀田はその先に行きたいんだろう?」
「はい」
「だったら今回のことを活かせ。誰よりもカクテルに繊細な意識を持て。バーカウンターでは気を抜く時間なんてない。そこに立った時、全ての知識を常に頭の前面に出して、ゲストにとって最高の空間を演出して最良のカクテルを作り出す。それが本物のバーテンダーだ」
気安く返事をすることすら躊躇われるほど、久我さんの言葉は重い。
でも、私はそれを知った上で前へ進みたい。
だから久我さんを真っ直ぐ見て返事をした。
「はい」
すると久我さんはアレキサンダーの注がれたカクテルグラスを手にして、じっくりと観察を始める。
グラスを掲げて色を見て、近づけて香りを確かめる。
私はゴクリと唾を飲み込んでその様子を見つめた。
そして久我さんは『ブランデー・アレキサンダー』を口に含む。
味わうようにして飲み込むと、頷いて微笑んだ。
「なれるぞ、堀田」
「え?」
「本物のバーテンダー。堀田ならなれる。諦めるな」
私が一番尊敬するバーテンダーである久我さんの言葉。
それは前に進む大きな原動力となる。
「はい!」
ヤバっ! サブキャラなのに、源臣さんのハイスペ感が出過ぎな気がする……(;゜∀゜)
そして次回最終回です。
最後までどうぞご覧ください(*´∇`*)




