9、魔女の死
蜘蛛の悪魔さんが案内してくれたのは、街の外れ。ゴミとか、汚れたものとか、畑にまくための、用を足したものとかが集められてる場所だった。
「おかあさん」
黒い髪に褐色の肌の、綺麗だった母は見る影もなかった。
ぐちゃぐちゃになった顔、酷い臭いがして、じゅくじゅくと体中のあちこちに虫がついていた。
「……」
目は潰れていて、私が近づくとびくり、と震えた。
誰かが来たことはわかって、それが自分に何かするんじゃないかって、怖がっている人の反応だった。
「おかあさん」
「……?」
『カナン?』
腫れてめくれ上がった唇は動かなかったけど、私にはお母さんの声が聞こえた。
私は身を硬くする。
また罵られると思った。
お前を生んだから。
お前を育てないといけないから、あたしはこんな目に遭うんだ。
あたしの不幸の何もかも、お前の所為だ。
お前はあたしを不幸にしかしないのに、なんであたしはお前を育てないといけないんだ。
そう、怒鳴られてきた。
そう、怒られてきた。
ぶって、蹴られて、放り出されていつも、ただ「ごめんなさい」と言い続けた。
きっと、この夢の中のお母さんもそう言うだろう。
私が想像して、私が知っている知識で作られた夢の中で、思えば、私が「優しいお母さん」を想像したって、本当のお母さんは私のことが嫌いで、嫌で、しょうがないんだから、それを私は知っているから、夢の中でだって、どうしたって、そうなるに決まってる。
私は自分で自分の頭をぶった。
「覚めろ、覚めろ、覚めろ……!」
こんな夢、もういらない。
夢の中の筈なのに。
楽しいことだけあっていいはずの世界なのに。
なんでいつも、私は、いつも、いつも、いらないって、私の所為で不幸だって、言われないといけないんだろう。
夢の中の優しいお母さんに罵られる前に、夢から覚めて、現実に戻った方がマシ。
「覚めろ、覚めろ、覚めてよ……!!」
でも、自分の頭をぶっても、髪を引っ張っても、痛いだけ。
目の前にはぐちゃぐちゃになったお母さんがいるだけ。
「……うっ……ぅ……」
怒らないで。
嫌わないで。
優しかった声を、低くしないで。
唸らないで。
耳を塞いて、体を硬くしたけど、頭の中に響いてくる声はそんなことじゃ止められない。
『カナン……あぁ、カナン………………よかった』
え?
『よかった。部屋から、出られたのね。見えないけど、あの子の声だわ。あぁ、よかった。どこか怪我をしているのかしら、痛いの?泣いてるわ。あぁ、どうしましょう。体が動かないの。カナンが泣いてるのに、お母さん、なにもしてあげられない』
頭の響く声は、どこまでも、私のことを心配していた。
「お、おかあ……さん……!」
『あぁ、手を握ってくれてるのがわかる。暖かい手だわ。痩せてない。ちゃんと、何か食べることができたのね。あぁ、よかった。本当に、よかった』
ぎゅっと、私はぶよぶよと膨らんで破裂しそうなほど肌が張ったお母さんの手を握る。
「わたしは大丈夫。あのね、親切なひとが、助けてくれたの。……大きな家に、連れて行ってくれて、あのね。そこで一緒に暮らさないかって。ねぇ、そうだ。お母さんも、うん、そうだよ、一緒に暮らそう。親切なひとがいるんだよ。沢山、食べ物と、暖かい服と、ベッドと……広いおうちに、ね、お母さん、一緒に行こう」
私は乙女ゲーム“カナン”のことを考えた。
彼女は公爵令嬢になって、何不自由ない生活を送れる。それを想像して、母に、自分がそうなっているかのように伝えた。
『……そう、そう』
ゆっくりと、お母さんが頷く。
子どもの嘘など、容易くばれてしまうだろう粗末なものだけれど、私が必死に言う言葉を心の中でも、お母さんは否定しなかった。
『よかったわね。それは、よかったわね』
「うん。もうね、心配ないよ。お母さんは私を育てるために苦労なんてしなくていいの。お母さんはもう私のために我慢なんてしなくていいの。お母さんはこれから、綺麗なドレスを着て、たくさん宝石を身に付けて、毎日、楽しく過ごして良いんだよ」
私のことを、もう気にしなくていいから。
母を安心させたくて、喜ばせたくてそう言うと、母は、喋れないのに唸るような声を上げた。
「ぁぅ、ああ、ぁああ!」
びくり、と私は体を震わせる。
『あなたを邪魔に思ったことなんか!』
母の心が、私に響く。
『あなたを守ることは、私の願い。私がしたくてしたことよ。カナン、あぁ、カナン。伝えられない。優しいこの子に、伝えることができない。私はあなたがどんなに大切か、あぁ、神様……!』
バタバタ、とお母さんの身体が痙攣した。
口から泡を吐いて、そして、顔が青白くなって、体中から、いろんな液体が流れ出た。
心の声は、私や神様を必死に呼んでいた。
私はただぎゅっと、お母さんの手を握り、ずっと、ずっと、母が動かなくなるまでずっと、そうしていた。




