01 失せ物探し
「う…………」
街を覆い尽くす霧と巨大な花という非現実的な物を目にして、呆然としていたのも束の間
またしても頭痛が襲い掛かった。
今までで最も強い痛みを感じ、思わず足元がふらつく。
とっさに背後にある窓枠にもたれかかるようにして体を支えた。
その際に中途半端に開かれていたカーテンにも体重が掛かってしまったようで
レールからカーテンが半分程外れてしまった。
「わっ……!」
幸い倒れ込んでしまうほどではなかったが、勢い余って膝をついてしまう。
……と、その時、急に強い既視感を感じた。
頭にはある光景が浮かぶ。
「え?……これって……」
ほんの一瞬ではあったが、頭に浮かんだ光景。
それはこの部屋で自分と思われる人物がこの部屋のカーテンを閉める場面だった。
ほんの一瞬、しかし、非常にはっきりとした映像だ。
「あれは……私……?」
カーテンを閉めている人物の視点からの映像だったが、ガラスにうっすら映った姿は
今の自分の姿と同じように見えた。
しかし、現在の様子とは違っている部分もあった。
街が霧に覆われていなかったのだ。
「つまり、街がこうなる前から、私はこの部屋にいる……って事ね……」
頭痛に苛まれつつも必死に状況を整理する。
映像から判断するならこの後自分に何かが起き、意識を失ってしまった事になる。
「私は、この部屋にいて、その後ケガをして……私は…………あれ?」
突然、ある可能性に思い至り背筋が一気に冷える。
当たり前すぎて考えもしなかったのか、それとも別の理由かは分からないが
「思い出せて当然の事」が思い出せない事にようやく気が付いた。
「私……私の…………名前……は?」
自分の名前。
あって当然の、自身を識別する言葉。
その「当然」がどうしても思い出せない。
冷えた背筋に一気に嫌な汗が伝うのを感じる。
「嘘……でしょ?、何で……?」
自分を構成する最も重要な要素の一つ、とも言える物が失われてしまうという
更なる異常事態に、再び混乱に陥ってしまう。
「どうして……!? なんで思い出せないの……!?」
そうしている内に名前だけでなく、今まで自分が過ごして来たであろう人生も
思い出す事が出来ない事に気付く。
「まさか、これって、記憶喪失ってやつなの?」
映画などのフィクションでは使い古された設定とも言える記憶喪失状態。
まさか、その状態に自分がなる等とは誰しも思いはしないだろう。
しかし現実として、今の自分は記憶喪失としか言えない状態に陥っていた。
「やっぱり、どこかケガを……、いや、もしかして、何か薬物を使われたとか……?」
困惑しつつも原因を必死に考える。
しかし、思い出せる事は何一つ無かった。
「……そうだ! ここに泊まっていたんだとしたら、記録があるはず……」
だが、今現在自分がいる場所が宿泊施設である事をどうにか思い出し、
ならば宿泊記録があるはず、と思い至った。
……町の外の様子を見るに、まともに営業しているとは思えなかったが。
「ロビーに行けばわかる筈……、急いで確認しなくちゃ……!」
ふらつく体に活を入れ、どうにか立ち上がると部屋の出口へ向かう。
ドアノブに手を掛け、念の為ゆっくりと押し開ける。
そっと覗いてみると、ごく普通のホテルの廊下が見えた。
廊下には誰もいない。 部屋の反対側は窓になっていて外の光が差し込んでいる。
相変わらず窓の外は霧に覆われていて周りの様子は殆ど視認できない。
廊下の明かりは消えている訳ではないようだったが、若干薄暗いように感じた。
「……長い事点けっぱなし……とかじゃないよね?」
何となく嫌な予感がしたが、突然失われてしまった自身の記憶を取り戻したいと
逸る気持ちに背中を押され、廊下の様子を確認しつつ、するりと部屋の外に身を滑らせる。
廊下の先に動く物等がないか、注意しつつ後ろ手にドアを閉めた。
……と。
カチリ
小さな機械音がした事に気が付いた。
「……え?」
音がしたのは自分の後方……ドアの方からだった。
「…………」
何となく、ではなく、今度は確信めいた予感に襲われ、ドアノブを捻って引く。
……ドアはガチリ、と引っかかり開かない。
「ちょ……嘘、ここ、オートロック……?」
そういえば、ドアの横に何やら注意書きのような物があったような気がする。
頭痛で思考が鈍っていた事、カーテンを開けたとはいえ、明かりの点いていない
薄暗い室内だった事もあり、完全に見逃してしまった。
「……ま、まぁいいか……。
さっき見た限りじゃ、大事な物とかは無かった……と、思うし……」
若干言い訳気味にそう呟くと、廊下の先へと歩を進める。
出来るだけ足音を立てないように歩く。
何故かと言えば、人の気配が全くしないからだ。
(物音一つしない……それに何だか嫌な感じ……)
外から僅かに聞こえる風の音以外は殆ど音がしない。
にもかかわらず、本能的にというべきか、「音を立ててはいけない」と感じていた。
……ふと、前を通り過ぎようとしていた、先程自分がいたのとは違う別の部屋を見やる。
特に何の変化もない部屋の扉が目に入る。
……と。
グジュリ
「……!?」
微かに、しかし確かにそのような音が耳に届いた。
水気のある……その一方で粘着質な物を啜るような音が。
体を固くして身構える。
しかしそれ以降音は聞こえず、再び廊下に静寂が戻った。
(一体何なのよ……)
背中に再び嫌な汗を感じつつ、歩を進めるのを再開する。
ともかく今は関わるべきではないと直感的に感じたのだ。
そのまま、今まで以上に慎重に歩みを進めて行くと、やがて開けた場所に出た。
どうやらエレベーターホールのようだ。
すぐさま下の階へ向かうボタンを押すが……反応がない。
「ちょっと……何で動かないの?」
思わず悪態をつくが、やはりエレベーターは反応しない、どうやら電源が入っていないようだ。
よく見れば、ボタンの下にキーを差し込む場所がある。
今は「OFF」の方に鍵が回されている。
「鍵を見つけるしか……いや、階段ぐらいあるよね」
周りを見渡すと、すぐ傍にこの階のフロアマップが掲示されていた。
それによると、現在いる階は最上階の5F、現在位置はフロア中央にあるエレベーターホールのようだ。
フロアマップの上には『ホテル・ロイヤルフォレスト』と表記されている。
このホテルの名前だろうか? すぐ上に特徴的な枝葉を広げた木のマークが描かれている。
「このホテルのシンボルマーク…………かな?」
どうやらこのホテルはアルファベットの「H」を横倒しにしたような形をしているらしく
エレベーターホールはマップの南北にある客室スペースを結ぶ役割もあるようだ。
「下の階へ降りる階段は……。 ……ここね。」
フロアマップを見ると下の階に降りる階段は2ヶ所あるようだ。
一つは先程の廊下をエレベーターの前を横切って直進した先にある非常階段。
もう一つはすぐ近く、エレベーターホール東側角の階段室。
どちらも特に距離があるというわけでもない。
「近いのは階段室だけど……非常階段なら外に出られるかな?」
先程客室前で聞こえた音の正体は不明のままだ。
それ故に、得体の知れない不気味さがホテル内に感じられて仕方がない。
可能ならさっさと外に出てしまいたかった。
念のためフロアマップの全体像を記憶し、廊下の先の非常階段へ向かう。
先程通って来た廊下を鏡写しにしたような構造の廊下を進んでいく。
途中「階段室」と書かれた扉の前を通り過ぎる。
また客室の中から奇怪な音が聞こえないか戦々恐々としつつ歩みを進めるが、
幸い、特に何事もなく非常階段に出られる扉へたどり着く事が出来た。
扉には「非常時以外は開放厳禁!」というような事が書かれている。
……ドアノブを回して押し開ける。
ガチリ
……開かない。
今度は引いてみる。
ガチリ
……やはり開かない。
「…………はぁ」
ため息が漏れる。
まさに非常時と思われる今、非常階段の鍵が掛かっていて使用できない。
本末転倒と言わざるを得ない。
「……ちゃんと管理しておいてよ……。」
思わず愚痴が零れるが、この場にホテルの管理責任者がこの場にいるわけでもない。
非常階段が使えないと分かればここにいる意味はない。
踵を返し今しがた通過して来た階段室の扉へと引き返す。
一応廊下に変化がないかどうか、慎重に確認しながら戻って行く。
しかし今回も何事もなく階段室の扉の前まで来る事が出来た。
ドアノブに手を掛ける。
「……ここも鍵が掛かってる……とかやめてよ……?」
若干恐る恐る、といった風にドアノブを捻り、押し開ける。
すると、扉は何も抵抗無く開いた。
思わずほっとしつつ、中に入る…………が。
「………………勘弁してよ」
そこは確かに「階段室」ではあった。
しかし、そこに階段は無かった。
あるのは、恐らく階段だったであろう、崩れたコンクリートの一部と……。
「また青い花……か」
落胆の色を隠せずにそう呟く。
部屋の半分以上を青い花の蔓が覆い尽くし、コンクリート製の階段を食い破っていた。
今いる位置から見える階段は完全に無くなっており、登った先の踊り場のみが残っていた。
「…………」
今自分が立っている所も崩れるのではないかという恐怖感もあったが
階段が崩れて出来た「吹き抜け」を覗き込み、下の階を確認する。
「これは……無理ね」
覗き込んだ先で見えたのは文字通り5階から1階まで吹き抜け状態になった空間だった。
どうやら、青い花の幹がすべての階段を食い破り破壊してしまったようだ。
一番下の1階部分に崩れた階段の瓦礫が積みあがっているのが見える。
1階の踊り場付近から生えた青い花の幹が目の前の5階踊り場まで伸びていたが、
足場に出来そうな凹凸がほぼ無く、花を伝って降りるのは非常に困難であり危険だ。
「どうすればいいの……もう……」
記憶を失い、見知らぬ場所に閉じ込められ脱出も出来ない。
そう考えるに至り、今まで苛まれていた物とは別種の頭痛を感じるのだった。




