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その後、うちも父親が一念発起して、建て売りだけど一軒家を購入した。そしてこのマンションを出た。そのせいで小学校を変わることになり、私は転校生の苦労を少し味わった。けど、中学校の学区は前の小学校も同じだったので、中学で再会して前より仲良くなった子も出来た。
そのひと月後に翔真が転校生として現れて、うちの中学校は騒然となった。相変わらずのキラキラの金髪で、ハーフなのに日本人要素は何処にいったんだという容姿の翔真は、注目の的だった。私のことなんて忘れているのだろうと思ったのに、普通に話しかけてくれたときは嬉しかった。
でも、同時に女子達の視線に気がついてしまった。その中には、同じ小学校で小一、小二と翔真と同じクラスだった女子がいた。彼女は早速翔真に話しかけていたけど、彼は「ごめん、覚えてないんだ」と言っていた。
そんな彼に私が覚えられていたことが気に食わないようなのが見て取れた。幸いにも、私が転校した先の友人が「知り合い?」と聞いてくれたので、「前のマンションで部屋が隣同士だった」と答えることが出来た。
なんとなく察したのか、翔真もその後は「柿崎さん」と苗字呼びになり、私も「小木君」呼びで、三年間通したのだった。
去年の秋、翔真の両親は急な転勤ということで、この地を去った。翔真と妹の樹里亜ちゃんは小木の祖父母のもとに残ったけど……。
小木の祖父母は偶然にも私の家に近いところに住んでいた。こちらに残った理由は樹里亜ちゃんがこっちの小学校を卒業したいと言ったから。それにもうすぐ修学旅行で、それを楽しみにしていたことも大きかった。小学生の樹里亜ちゃんだけを祖父母のところに残すのもと、翔真もこちらに残ることになったのでした。
◇
「佳乃はうちの事情を聞いているんだろう。だからさ、余計に中途半端なことはできないって思ったんだ」
翔真が言いたいことは分かる。翔真は周りには急な親の転勤だったと言っているけど、本当は違う。翔真の両親はもうこの国にはいない。お母さんである、アリーナさんの実家へと行ったのだ。アリーナさんの実家で不幸があって、跡継ぎがいなくなってしまい、アリーナさんが戻ることになったそうだ。
私が聞いているのは、これだけだ。身分がとか爵位がとか、そんな話は知らない。聞く気もなかった。それを察した母は詳しいことを話そうとはしなかった。
「僕は向こうに行ったら、大学を卒業するまではこちらに来ないと思う。……ううん、卒業した後でも、日本に来れるとは思えないんだ。だから佳乃に、何も約束はできない」
私は納得して頷きそうになる、自分がいることに気がついた。
「人の気持ちってさ、変わりたくなくても変わるだろ。それに距離って大きいと思うんだ。不確かな未来に変に希望の言葉は残したくない」
……そっか。翔真はいろいろ考えてくれていたんだ。
そう思ったら、ここまで堪えていた涙が溢れて、頬を流れ落ちていった。
「私も……私も翔真が、初恋だったの。……大好きだ……よ」
この言葉を言うのがやっとだった。あとは、嗚咽を堪えるのに精一杯だった。まだ握られた右手が、翔真との繋がりを示している。その温もりが余計に涙を溢れさせた。
ひとしきり泣いて気持ちが落ち着いてきた。左手だけでバッグの中を探り、ティッシュを取り出した。
翔真は私が泣き止んだのを見て、お菓子を片付けて立ち上がった。そして手を繋いだまま、家へと向かって歩きだした。
あと少しでうちにつくというところで、翔真が口を開いた。
「佳乃、もう一つごめん。俺さ、みんなに黙っていたことがあるんだ」
「みんなにって……何を黙っていたのよ」
嫌な予感が胸を占める。続きを聞きたくない。でも、そんな私の耳は翔真の次の言葉を拾っていた。
「俺は離任式には出ないんだ。その前に日本を発つ」
ああ、やはり……。
「……それって、いつ決めたの?」
「卒業式の前日。父から電話がきて、母が倒れたって。……命に別状はないけど、いろいろ心労が重なったみたいだ。俺と樹里亜のことも原因の一つなんだってさ。だから一つでも心労を取り除きたいというわけなんだ」
理由を聞いたら、離任式までこっちにいてなんて、言えなくなってしまった。それに翔真の両親が卒業式に来ていなかった理由もわかった。そういうことは先に言っておいてほしかった。……と、言うよりも。
「ねえ、それならなんで今日みんなに言わなかったのよ。みんなは離任式後に集まって、卒業&お別れ会と称してカラオケをするのを楽しみにしているんだよ。主役の一人がいないって、言っときなさいよ」
「だからだろ」
「ちょっと待って。ねえ、それって、説明を私に押し付けるつもりなの?」
「そんなつもりはないよ。園先生は事情を知っているから、先生から話してくれるだろ」
その言葉に私は翔真を睨むように見つめた。
「あんた、バカ? 園先生にそんな余裕があると思うの。私達からの色紙を受け取って大泣きするんだよ。そんなぐずぐずの園先生が、翔真の事情を説明できるわけがないでしょう」
「あー、そうだよな。……じゃあ、悪いけど、佳乃、頼む」
「嫌よ。……と言ったっていないのよね」
「ああ、悪い」
「本当に悪いと思っているのかしら。……まあ、いいわ。それよりも、翔真はいつ日本を発つのよ」
そう言ったら、翔真は視線を逸らした。
「しょ~・う~・ま~」
私の言葉に観念したように翔真は口を開いた。
「明日だ」
「明日~? 何よ、それはー!」
「仕方がないだろう。親父に早く来いって言われたんだから」
「それじゃあ、何時にこっちを出るの。いや、その前にどうやって空港に向かうわけ」
ムスッとした声で返事をしてきた翔真に、さっきまでの気分を壊された私は口調をきつめにして、問いただした。
「一応祖父母が空港まで送って送くれるというから、こっちを十時ごろの電車に乗って、空港まで行く予定だ」
「本当に電車なの」
「ああ。これは間違いない」
「十時ごろなのね。電車の時間は決めてないの」
「まあな」
「飛行機の時間は」
「あー……」
と、口ごもる翔真。「ん?」と催促したら、しぶしぶという感じに口を開いた。
「飛行機は明後日の便なんだ。祖父母に負担をかけるわけにいかないだろ」
「それじゃあ、明日は空港のそばに泊まるのね」
そこまで話した時に、私の家の前についた。翔真が別れの挨拶をしようとするのを、「ちょっと待ってて」と待たせて、昨夜作ったものを取りに行った。そのまま持って出ようとして、先ほどの桜を思いだした。それを取り出して、空いているところにぺたりと貼りつけたのでした。