疑惑の園に花は咲く
ノアリスの宮殿を後にしたリアは、その足で中央宮に向かった。このドレス姿では、人気のない場所にいては目立つだろうが、着飾った貴婦人の群れならば自分のような地味な娘はすぐ埋没してしまえる悲しい事実を、彼女は既に理解している。
(いざという時の逃走経路の確認くらいはしておかないとね)
もし父やマリアンヌ皇女に出くわしたら大変だ。騒ぎになる前に退却できるよう、リアは広間から続く回廊や螺旋階段などを観察も兼ねて歩いた。周囲には貴族の紳士淑女が溢れていたが、誰もリアに気を留めた様子はない。会話を盗み聞くと、彼らはトロナイルの貴族らしい。
各国の使節団は、それぞれに宛がわれた宮殿から出ていないようだった。そう考えて、確かにここは彼らにとって異国の地なのだから当然だと思い直す。我が物顔で闊歩しようものならば、礼儀知らずだと恥をかくのは自国なのだから。
公的な宴が催されるのは、ジャスの立太式が無事に終了してからだ。名実ともに正式な次期国王の誕生を世界が祝福する。この喧騒はその前座に過ぎず、精々各サロンで交流会が催されている程度なのだろう。それでもトロナイルという大国だけあって、随分と華やかな賑わいだが。
(結界で魔法の使用にも制限がかかってるし、いざという時の準備は必要よね)
マリアンヌ皇女なら言いくるめることも可能だろうが、もし父に見つかったら問答無用で強制帰国となるだろう。他の誰を騙せても、父は恐らくリアが自分の意志で国を出たことを察している。たとえ不仲でも親子なのだから。
(まだ、だめ。こんな形では)
父に会うなら、自分の意志で会いにいきたい。帝国の自宅まで足を運ぶのだ。
きっと心配している。怒ってもいるだろう。そして悲しんでいる。
殴られる覚悟はある。だから、いつか必ず家出を詫びに戻るのだ。
(今はまだ、その時じゃないから)
そう決意を固め、リアは螺旋階段を下り、庭園を眺めながら歩いた。
(この先は確か薔薇園よね。無駄に広いわ)
やれやれ、と頭の中の地図を整理する。普通の令嬢なら夢の花園に胸をときめかせる場面なのだろうが、生憎リアにとって価値はない。花は好きだが、今の目的は逃走経路の確保なのだ。薔薇園など一時的な隠れ場所にしかならなさそうだし、こんな式典を控えた時期ともなれば、どうせ常駐の管理人が大勢いるのだろう。逃げ込んでも目撃証言がたっぷり残る場所に用はない。
(・・・あれ?)
ふと引っ掛かる。おかしい。
(だったら、あたしがジャスと出会ったのは)
世界でも郡を抜く大国の要である城の空中庭園。
あそこにいたのはリア、ジャスと彼の護衛のクリフ。
そして、待ち構えていたのは無数の一一。
(あ、あれ?)
冷や汗が流れた。
そう、あそこには無数の下手人がいた。リアと皇太子と婚姻に反感のある者が雇ったのだろう。それは容易に察しがつく。
「・・・うそだ」
こぼれ出た声は震えていた。
そんな筈はない。だって、彼女はリアを慕ってくれていた。だから、気遣って、空中庭園なら落ち着けると教えてくれた。
しかし、そうだ、おかしいのだ。
皇太子の婚約披露の宴。今この城に人が溢れているように、きっとあの夜も多くの人間がいたはずだ。なのに、空中庭園には管理人どころか、付近に衛兵さえ居なかった。
ジャスとの出会いが衝撃的すぎて、今の今まで気づかなかった自分を呪う。
耳の奥で、優しい声が甦った。
『今宵の空中庭園は、月がよく見えましてよ』
そんな筈はない。そう思いたい。
だが、こんな偶然があるのだろうか?
「マリアンヌ様・・・っ」
自分を姉と呼んでくれた皇女。
あの日、彼女が勧めなければリアは空中庭園には行かなかった。以前はそのお陰でジャスと出会えたのだと、呑気に感謝していたのに。
「どうして」
震えが止まらない。嫌な思いを振り切るように、リアは薔薇園へと足を運ぶ。
意味のない行為だ。あの夜からもう一年近く経過している。そもそもここは異国の城なのだから。
(なにがしたいの、あたしは)
ふらふらと薔薇園を訪れたリアに、管理人たちは少し驚いたように振り返ったが、ドレス姿で貴族の令嬢だと思い込んでくれたらしく、恭しい態度でお辞儀をしてみせた。
「いいかしら?」
すみません、お邪魔します。そう言いたいのを我慢して、なるべく貴族の令嬢らしく、尊大な態度をとる。
仕事を中断させてしまって申し訳無いと思う半面、こうして中に入ってしまった以上、ある程度は薔薇に興味を示しておかねば却って不審で印象に残ってしまうかしれないのだ。
「もちろんでございます。ようこそいらっしゃいました、お嬢様」
式典に際し自国の貴族はもちろん、他国の王候貴族もこの城に大勢訪れている。既に彼らは急な来客にも動じないようだった。いや、それくらいでなければ王宮に勤めるなどできないだろうが。
(マリアンヌ様の事は後回しにしよう)
しかし、もしもそうなら、父に家出を詫びるための帰国は、却って自分の命を危険に晒しかねない。後で誰かに相談させてもらおうと決めて、リアは管理人に向き直る。
「ここは薔薇園なのでしょう? 今一番綺麗な薔薇が見たいわ」
案内して、とまでは言わない。こちらが指示せずとも、そうするのが当たり前だ、という態度をとる。内心、お仕事の邪魔してすみません、とペコペコ頭を下げながら。
「こちらです。足元にお気をつけください」
生意気な小娘相手に、しかし管理人の一人である男は笑顔で応じた。見ると、他の管理人たちもにこにこしている。なんというか、妙に脱力する空気が漂っていた。
(本当に植物が好きなのね、この人たち)
薔薇の説明をしたくてうずうずしているのだろう。自分を案内してくれる男はどこか嬉しげで、リアも少し気分が落ち着いた。
薔薇に対する熱意のこもった説明をたっぷり受けたリアは薔薇園を後にし、再び調査に戻った。すると、貴族の正装に身を包んだイリヤに出くわした。背後には同じく正装のアランと、小姓に扮したセブンがいる。
わざわざ使用人に変装する年下の仲間に、出発前イリヤたちは顔をしかめたが、セブン本人は淡々として、貴族の振るまいなどわからない、演じてもすぐボロが出ると主張した。それは確かにその通りで、今頃ランティスたちも護衛官のお仕着せに袖を通している頃だろう。
「え? リアさん」
出ていった時は女官服だったのに、数時間後にはドレス姿になっているのだから、セブンが目を丸くするのも頷ける。説明するのは面倒だが、しかし省いていい内容でもないため、場所を庭園の東屋に移すことにした。
「それにしても、化けるもんだな」
「え?」
席につくなりイリヤが口を開く。何のことか分からずリアは首を傾げるが、アランがイリヤに同調するように頷いた。
「驚いたよ。本当に貴族のお姫さまだったんだね。ドレスが様になってる」
「えっ・・・」
誉められた事に対して、女としての純粋な喜びもある半面、彼らが自分をどれだけ女として低く見積もってかを遠回しに白状されたような気がする。本当に、とは何事だ。まさか同性感覚で接していたのか。
「どうも」
ぷう、と頬を膨らませると、控えるように立っていたセブンが小さく噴き出した。彼は小姓という立場に扮している以上、この城では同じ卓につくことが許されない。
「なによ、セブン」
「ドレス着てもリアさんだなって」
「悪かったわね、がさつで!」
ぷりぷり憤慨してみせれば、今度はセブンだけでなくイリヤとアランまでが笑い始める。失礼だと、お決まりに拗ねてみせるリアだったが、内心で感謝した。皇女への疑惑に凍りついていた心が、彼らのお陰ですっかり解れていたのだ。
「リアは何してたんだ?」
まだ笑っているイリヤの横で、アランがにこやかに尋ねてきた。今度ミナに言いつけてやる、とイリヤに冷たい視線を向けながら、リアは素直に答える。
「知り合いに会った時の逃走経路の確認よ。大体の位置は把握できたから、これなら夜会で人が多くても迷うことはないわ」
「ふうん。それで、そのドレスは?」
「・・・ジャスのお姉様の、ノアリス殿下にお会いしたの。あたしのことを面白がって、協力して下さるそうよ」
「どういう流れでそうなるんだ?」
アランだけでなくイリヤもセブンを不思議そうな顔をする。リアも同感だったが、あの王女の妙な迫力に負けて追及できなかったのだ。
「分からない。だけど、ジャスそっくりの笑顔で言われると」
「確かに警戒しづらいなぁ」
想像してみたらしいイリヤが苦笑いで同意を示してくれた。そのことに安堵したリアは、この数時間のことを彼らに伝えた。
そして。
すぐ近くで自分をじっと静かに見つめている者がいることに、彼女は最後まで気がつかなかった。




