過去からの刺客
サーシェスが庭に出ると、ソルドが花壇に水を与えているところだった。意外な眺めに面食らっていると、怪訝な一瞥を向けられる。
「何?」
「あ・・・いえ」
慌てて首を振るサーシェスに、ソルドは不機嫌な顔で鼻を鳴らした。
「似合わないことして悪かったな」
「いえ、決してそのようなことは」
「いいよ。自分でも違和感あるから」
「・・・すみません」
「そこで認めるのか」
どうせなら最後まで否定すればいいのに。中途半端な世辞を言われた気分で、ソルドは複雑な顔になる。
「元は別の奴が世話してたんだけど、しばらく帰って来ないから・・・・仕方なく俺が水やりしてるんだ」
言い訳がましい口調だったが、事実なので仕方ない。そう自信に言い聞かせるソルドをサーシェスはじっと見つめた。ジツハ彼には尋ねておきたいことがあったのだ。
「あの・・・」
「妹は元気か?」
先に発せられた言葉に、一瞬、世界が止まった気がした。
「え・・・」
「いただろ、妹。名前は“サーシャ”だったか」
「―――――っ!」
青年としては、単純な世間話のつもりだった。けれど、サーシェスの様子がおかしい。
(でも、あの夜・・・)
遠目だったが、確かに見た。いま目の前にいる女とよく似た少女が、無事に外へ逃げ出していたことを。流石にその後のことは分からないが、マリーナをそれこそ血眼のように捜し続けていたのならば、肉親である妹も必死に探したことだろう。
(死んだのか)
だとしたら、悪いことを聞いてしまった。無神経だったと反省する。
しかし、謝罪すべきと口を開きかけた彼は、奇妙な言葉を聞いた。
「・・・違います」
「?」
「私に妹なんていない。“サーシャ”は私です」
流石に軽い混乱を覚え、ソルドはつい問うてしまう。
「お前は“サーシェス”だろ?」
「・・・・っ、全部“私”よ! 誰にもあげない!」
「は?」
乱心したか――――妹の死を掘り返され、パニックを起こしているのかもしれない。ソルドはそう解釈し、彼女を宥めて部屋へと送り返した。
その様子を見ていたランティスは、やっぱりか、と呟いた。
サーシェス・ユリットには妹がいた。
愛称を「サーシャ」。
黒髪黒目の、姉と瓜二つの娘だった。直接的な面識はないにせよ、ランティスはその存在を認識していた。
そして、彼女ら姉妹は幸運だったとも思っている。
当時、子どもの殺し屋を育成することに精を出していた【ラジェーテ】は、強靭な心を身につけるため、肉親がいれば必ずと言っていいほどの確率で、彼らを殺し合わせていた。そして、生き残った方を養育する。
それを思えば、双方が稀少魔法【メロディア】の継承者であるという理由から、引き離されただけで済んだあの姉妹は恵まれていたといえるだろう。事実、当時はリオンが従兄を殺している。躊躇えば監督役に二人もろとも首を刎ねられるのが分かっている以上、リオンにも従兄にも選択肢はなかった。結果としてリオンは殺しを躊躇う気持ちが薄れ、【ラジェーテ】としては成功だっただろう。しかし、少年としての心は徐々に壊れていった。
そんなときにリオンが出会ったのが、黒髪黒目の娘、サーシェスの妹「サーシャ」だった。
リオンは彼女をいたく気に入り、恋慕のような感情を抱いていた。それでも当時まだ幼く、半人前だった彼は組織の所有物として扱われ、やがてマリーナの指導下に置かれる。
そして半年後、リオンは「再会」したと喜んだ。
黒髪黒目の娘――――「サーシャ」の実の姉であるサーシェスを見て。
瓜二つの姉妹。それだけなら、まだ誤解の一言で済んだかもしれない。
しかし悪いことに、リオンが妹サーシャといることを知っていたサーシェスが、リオンに恋慕を抱いていたのだ。
妹サーシャは、物心つく前に引き離された姉のことなど覚えていない。そもそも、自分に血の繋がった家族がいることさえ知らされていないはずだ。
奇妙な関係は続いた。
サーシャとサーシェスは瓜二つで、子どもの記憶力も曖昧だったのかもしれない。リオンは恋した少女の変貌に驚きつつ、変わらず慕い続けたのだ。
『サーシャ』
目の前の女の全てを否定し、想い人の名を呼び続けた。
サーシェスは言えなかった。
黙っている限り、好きな相手は優しい目で自分を見てくれる。その甘美な誘惑に抗えなかったのだ。
それでも、いつしか自分を見てほしいという、当然といえば当然の欲が生まれた。全てを明かす勇気はない。けれど、少しでも自分に気付いてほしい。そう願うようになった。
『私の名前は“サーシェス”です』
それが、彼女の口癖になった。
「おい、ランティス」
先程の話を立ち聞きしていたランティスに気付いていたらしい。相変わらずの無愛想な顔に、どこか申し訳ないという色がある。
「・・・悪かった」
意外といえば意外だった。ランティス達の中で、彼は殆ど地獄の使者に等しかったのだ。けれど、ここにきて印象が変わり始めている。猫を被っている可能性もあるが、そんなことをする価値が自分達にあるのだろうか。
「いえ。気遣ってくれたのでしょう。ただ、彼女の妹のことは禁句ですので、できればオレ以外の耳にはいれないでください」
「わかった」
ソルドは神妙に頷いた。それだけ困惑していたのだろう。もしかしたら顔に似合わず、存外お人好しなのかもしれない。
「彼女の妹は生きていますよ」
「え?」
ソルドが驚いたように目を丸くした。サーシェスのあの反応をみたなら当然だな、とランティスは苦笑する。
姉であるサーシェスは、恋敵である妹を故意に捜そうとはしなかった。それでも肉親の情が早々に消えてなくなるわけもなく、悶々としていた時期があった。
恩師と違い、妹サーシャはすぐ見つかった。トロナイルの貴族に匿われていたのだ。
サーシェスは妹に会う気はないようだった。恋敵云々を抜きにしても、妹の方が自分に姉がいること自体知らない筈だ。貴族に拾われ、そこで新しく自分の人生を歩んでいる妹に、今更どう接すればいいかもわからないし、その必要性も感じないようだった。
「里親にも恵まれ、やりたいことをしているようです」
今サーシャが何を生業として過ごしているか。
ランティスは思わず微笑んだ。
「トロナイルの王都へ行ったら、きっと会えます。彼女は人気者のようですから」
稀代の歌姫として活躍している彼女を支持する声は、今や国境を越えつつある。そうなれば、いずれリオンも気付くかもしれない。成長して、昔ほど瓜二つではないにせよ、やはりあの姉妹はよく似ている。
けれど、歌手という選択肢には肝を抜かれた。追われている自覚があるのかと呆れたが、ここまで有名になられては【ラジェーテ】の後身である【黎明の騎士団】も手を出しにくいと感じてしまうようだった。
夕食には、やはりというか懐かしの精進料理が並んでいた。巫女として育てられたリーシャは何の違和感もないようだったが、他の面子にとってはとんでもない代物である。十年以上も食べていないのだから、免疫も何もあったものではない。
一方のソルドは腹を括ったらしく、どこか遠い目をしていた。
「・・・ソルドさん」
「ん? ・・・・ああ」
部屋に篭っていたサーシェスだったが、さすがに夕食時には顔を出していた。そろそろと近づき、ソルドに頭を下げる。
「昼間は、すみませんでした。取り乱してしまって」
「いや、こっちこそ」
ちらり、とランティスを見て、頷き返されたソルドは再びサーシェスに視線を戻した。
「踏み込んだことを言って、悪かった。・・・そういえば、あの時なにか言いかけてたな」
「ええ」
サーシェスは、未だに厨房で下手な鼻歌を口ずさみながら料理を用意しているマリーナを確認し、小声で尋ねた。
「調べていたことがあるんです」
「?」
突然といえば突然の展開に面食らうソルドだったが、次の言葉で合点が行った。
「ご存知ですよね? 男性の“メロディア”継承者を」
「ああ」
マリーナやサーシェス、そしてその妹であるサーシャが保有する稀少魔法【メロディア】は、今はもう存在しないアラベル王国で生まれた。精霊の加護を受け、助力を得る為に音楽を捧げるその魔法は、ほんの一握りにしか与えられなかった。
女性のみが扱える、特別な力だ。
諸説は多く、ある人間の娘と精霊の王が恋に落ち、その間に生まれ興った一族に永遠の加護が与えられたのだとか色々な話があるが、そんな神話、今は正直どうでもいい。
しかし、【メロディア】が限られた女性のみに与えられた力であるというのは、長い歴史から見ても絶対の不文律だった。
中世に活躍した【戦場の歌姫】レオナ・ヴェランチェも、同じく【メロディア】の継承者だったとされているが、その息子には何の顕現も見られなかったときいている。
だというのに。
「・・・今はやめよう。どうせなら、他の二人も交えての方がいいだろう」
再会を祝しての、ささやかな宴だ。重苦しい話題で、空気を濁らせるわけにはいかない。
サーシェスはこっくりと頷き、宛がわれた席に腰掛けた。
地下に引き篭もっていた【樹海の毒草】ペルセフォネが顔を出すと、遂に夕食が始まった。
マリーナとリーシャ、そして諦めているのかソルドとペルセフォネは何の躊躇もなく、殆ど生のそれらを咀嚼していく。
その光景を見て、ランティスとリオン、そしてサーシェスは思った。
試練だ。
「本当に偶然だった」
幸せなのに悪夢のような夕食を終え、既にマリーナやペルセフォネが就寝していると確認したうえで、彼女の【子ども達】は一つの客間へと集まっていた。
「最初は、あまり興味はなかったんだ。珍しい例があるもんだ、って」
けれど。ソルドは思い出しながら語った。
「その時の連れがな、妙に動転してた。ホラ吹きにしか思えない自称情報屋なんか相手に、やけに真剣でな。後から聞いたよ。・・・マリーナさんが昔、堕胎手術を受けてたって」
「組織により強行されたと聞きました」
何も知らなかったランティスとリオンが青褪める。リーシャはこの場にいなくて正解だったかもしれないと、女としてサーシェスは思った。
「それで・・・その時の子どもが・・・・?」
「密かに生かされていたらしい。極めて人工的な手段を使って」
そして――――。
「今は、俺達のような“ラジェーテ”の裏切り者を狩る、“黎明の騎士団”に所属している」
リオンが息を呑んだ。
「それって・・・」
「復讐ってことですか」
「いや」
真っ青になっているリオンとランティスを落ち着かせるように、ソルドが続けた。
「不本意とはいえ、自分を“棄てた”母親であるマリーナさんを恨んでの事かは、まだ分からない。どんな風に育ったのか、まるで知らないからな。ただ、あの“ラジェーテ”の連中に養育されたなら、上手いこと言い包められてる可能性はかなり高い」
ソルドの言葉が終わるのを待ち、今度はサーシェスが口を開く。
「私も、マリーナさんの情報を集めるうちに、その人の存在を知りました。そして同じように、彼を調べているらしい、ソルドさんの存在にも」
「旅先で知り合ったホラ吹きの話に、暇つぶし程度のつもりで付き合っただけだったんだけど・・・随分な事になったもんだ」
苦笑して肩を竦めるソルドは、おそらくは無理をしている。
自分達はマリーナに告げねばならない。
彼女の息子が生きていて、更に自分達の敵として命を狙ってくるであろう事実を――――。




