太陽の神殿 暁の選択
少女はふと顔を上げた。不思議な色合いの碧眼が、現れた青年を見据える。
「また来たんですか」
驚いているような、呆れているような声。青年は柔らかく笑んだ。心地よい風が彼のワインレッドの髪を揺らし、次いで少女の金髪を弄ぶ。真昼の草原に降り注ぐ、陽光を溶かしたような淡い色彩の美しさに、青年はつい見惚れた。
「うん。キミに逢いたくて」
「まぁ」
少女は無邪気に首を傾げたが、特に動揺はしなかった。青年の思わせぶりな言動は、今に始まったことではないのだ。
「あなたはいつもそう言いますけど、私に関わらない方がいいのでは?」
「それは遠回しに、出て行けと言ってるのかな」
「いいえ! そんなことは」
少女は抑揚のないこの【世界】で永く孤独に過ごしてきた。髪も爪も伸びず、食欲も睡魔もない永い時間を。
そんな【世界】にある日、突然この青年はやってきた。
【外】から来たのだと語る赤毛の青年は、少女に沢山の情報を与えた。たとえば、故郷アイモダが今は焼け野原となったことなど。他にもトロナイル王女の誘拐や、武装組織【ラジェーテ】の壊滅。
大概がかつての日常では関係のなかった事柄だったが、それでも【外】の出来事を知ることができて嬉しかった。この【世界】に来てから、【外】はまた随分と変わっているらしい。
「嬉しいですよ。あなたが来てくださって」
帰るべき故郷は焼け野原。それでも悲嘆に暮れることがなかったのは、この青年が傍についていてくれたからだ。
そんな貴重な存在である青年が、ふと改まったように口を開いた。
「リーシャ」
「はい?」
正式な名は「リシエル」だったが、唯一の友人である彼には随分前に愛称を許していた。
「キミの命を、オレに預けてくれないか?」
「ランティスさん?」
戸惑う金髪の少女に、赤毛の青年は笑って見せる。
「そうしたら、オレがキミを自由の身にする」
無理です。そう言いたかった。けれど抑えがたい【外】への渇望が、リーシャの口を滑らせる。
「本当に……?」
ランティスはまた笑った。力強く肯定する。
「ああ、絶対。約束する」
少女は僅かな躊躇いの後、小さく頷いた。
冬の良く晴れた空はどこまでも澄んでいる。リアは心地よい冷気を吸い込み、しかし不機嫌な顔をした。
「あたしはここで何してんのかしらね」
「観光だろ?」
「馬鹿言わないで頂戴。立派な誘拐でしょ」
「いーじゃん。結婚したら箱庭の小鳥なんだし。特に王太子妃なんかさ」
「“皇太子妃”よ。ていうか、大きな声で言わないの!!」
「別に誰も聞き耳なんか立ててないって」
「あのねぇっ」
リアとジャスは今現在、何故か帝都を出て国境付近の神殿にいた。
あの後――――見事に拉致された。「息抜きに行こう」などと一方的に連れ出され、二日後の現在。
空を飛ぶのは久々だったが、男に姫抱きされては初めてだった。
(心臓に悪いってのよ!)
ときめきはないが、サズに申し訳ない。ドキドキしたら完全に浮気になってしまうと、髪留めに触れ己を戒める。
赤い二つの髪飾りは、十歳の誕生日にサズから贈られた祝いの品だ。子供っぽい意匠だが、彼の遺してくれた数少ない物なので今も変わらず使っている。
「で、なんなの? いい加減ちゃんと話して」
「うーん、怒らない?」
「もう手遅れだわよ馬鹿」
二日も拘束されて不満がなければ明らかに異常だろう。
「えぇーとね、俺の兄貴みたいな奴がさー」
「お兄さん?」
子どもの言い訳を思わせる口調だったが、リアは聞き咎めた。
「本当の兄弟じゃないけど、でも世話になってる」
「へぇ……」
彼の素性を知らないので、つい身構えてしまう。名前から「まさか」という思いもあるので尚更だ。
「そのお兄さんがどうしたの?」
「女の子誘拐したいから手伝ってほしいって」
リアは即、身を翻した。
「今すぐ帰る。たとえ徒歩でもあたしは今すぐ帝都に戻る!」
ジャスは逃亡する少女を目敏く捉え、その襟首をまるで猫にするように掴んだ。
「冷たいこと言うなって。頭数足りないんだよ。クリフは基本“護衛”だから俺が自発的にトラブルに頭突っ込んだら命に関わらない限り協力しないし」
「当然でしょ? 誘拐犯やろーとか声掛けられて乗る奴は早々いないわよ。ましてや出逢って一週間の変質者に犯罪の片棒担げって言われたらあたしだって逃げるわよ」
いつの間にか猫かぶりの「私」から昔の「あたし」に戻っているが、本人に自覚はなくジャスも違和感程度しか感じていない。
「えー、ケチケチすんなよ」
「するわよ馬鹿! ていうかケチとかの問題じゃないでしょ」
「これだから金持ちは」
瞬間、リアは息を呑んだ。
今、彼と同じ事を言った。それだけで記憶が蘇る。
(サズ)
呆然と自分を見上げるリアに声をかけようとしたジャスは、気配を感じて背後に目をやった。
見間違いようもない見事な赤毛。ワインレッドの髪を持つ自分の兄役がそこにいた。
「ランティス」
ランティスと呼ばれた青年を、リアは無礼にならない程度で観察した。血の繋がりがないだけに、目の前の捻くれた少年と違い、落ち着いた空気を纏っている黒衣の青年を。
齢は二十歳前後で、背はジャスより少し高い。ワインレッドの髪が鮮烈な印象を与えるが、優しげに整った甘い顔立ちが、それを見事な華やかさにしてしまっている。初夏の新緑を思わせるライトグリーンの瞳も爽やかな、正統派美男子だった。
そしてランティスの方も、リアをどこか驚いたような顔で見た。翡翠のような瞳が動揺と困惑で、微かに揺れている。
妙な反応だ、と思った。面識はない筈だが……ふと傍らの少年を見上げると、彼も不思議そうに兄を眺めていた。ジャスにとってもランティスの態度は奇妙に映るのだろう。眉間に皺が寄っている。
「ランティス?」
「え……あ、ああ」
やっぱり変だ。明らかにリアを見て戸惑っている。ジャスもそれを感じてか、いきなり核心を突いた。
「こいつのこと知ってんの?」
指をさされ思わずへし折ってやりたい衝動に駆られたが、とりあえず控えておいた。なんとなく。
「ああ……確か、公爵家のご令嬢だろう?」
「あ、そっちか」
ジャスは納得したらしいが、リアは益々不思議に思った。おかしい。昨今では暗殺等を恐れて身分の高い者は姿を無闇に大衆へ晒したりはしないものだ。このランティスが貴族だったとしても、リアは基本的に社交界へは顔を出していない。どこかの宴で姿を見たというのも可能性としてはかなり低くなってくる。
「お名前はリア……あ、失礼。確か、レリアル・ウルフラーナ・ストレイさんですね」
「……はい」
警戒するような声で答えるリアにジャスは怪訝な顔をしたが、彼はそれを世慣れない少女の人見知りと解釈したらしく、勝手に仲介役を無言で買って出た。
「でも、リアでいいって」
「なんであんたが言うのよ。あたしの名前よ」
「嫌だったか?」
「……そうじゃないけど」
いかにリアとて本人、しかも初対面の相手の前で「是」と言えるほど肝は太くない。
「それではお言葉に甘えて。オレの事はランティスとお呼びください」
慎ましく礼儀正しい言葉に少し驚く。血の繋がりがないにしても、本当にジャスの義兄弟かどうか疑いたくなる好青年だ。
笑った時の雰囲気は、どことなくサズに似ている気がする。なんとなく複雑な気持ちで、俯きたくなるのを抑えながら言う。
「呼び捨てで結構です。敬語も必要ありません」
「そーそ、公爵令嬢っても実体はとんでもなく元気な普通の女だから」
「だから、なんであんたが言うの!?」
「んだよー。人が折角さー」
「押し付けがましいご厚意、どうもアリガトウ」
「うっわ、あんた本当に可愛げねぇな」
「誰のせいよ」
「生まれつきじゃねーの」
「黙らっしゃい、この鳥頭」
「えー、どうせなら鳥より、兎とか猫とか犬とか、モフモフしてるやつが好みなんだけど」
「前から思ってたけど、あんた、あたしの事かなり馬鹿にしてるでしょ」
またしても言い争いを始める弟分と少女を見ながら、ランティスはふと思う。
元気そうで良かった、と。
胸が痛んだ。もう二度と会えない無二の親友。
(これは、お前の差し金か……?)
共に過ごした時間はほんの微々たる短いものだったが、彼の底なしの、馬鹿みたいな明るさに救われた。あの笑顔はもう見れないけれど、大切な思い出だった。
「さて本題。この神殿の巫女姫を強奪するので協力を」
「わかった」
「ちょっと待って!」
いつの間にか本当に頭数とされていることにリアは仰天した。ちょっと待て。あたしに拒否権はないのか。「協力する」等とはひとことも言った覚えがない上に、それは立派な誘拐であり犯罪だ。大体そんなら地域の害虫駆除や清掃活動への参加者募集、みたいなノリで言われたら、困惑が勝ってまともに判断がつかないではないか。
そんなリアの抗弁を、ジャスは一蹴した。
「いーじゃん。若気の至りっヤツで。何事も経験だろ」
「そんなんで済むならこの世に刑罰なんてものは存在しないわよ」
怒鳴って、リアは果てしない疲労感に襲われた。こいつと喧嘩しているとつい調子が乱れる。復讐を秘めた鬼女ではなく、十七歳の少女の自分が出てきてしまうのだ。
「あんた怒り過ぎだって。カルシウム不足だろ。あ、それで背も小さいのか」
「なんですって?」
確かにリアは帝国人の割に小柄で、以前はサズに「小人」などとからかわれたくらいだ。
「まあまあ。小柄でも人形みたいで可愛らしいじゃないか」
「ランティス、今すぐ眼科に行くことを勧める」
「あんたは今すぐ冥土へ行きなさいジャス」
ランティスの仲裁もあえなく、二人の間に再びの火花が散った。赤毛の青年は思わず顔を覆った。
けれど、ここで諦めたら【彼女】との約束を守れない。
「リア、ジャス」
二人はランティスに顔を向け、その真剣な眼差しに息を呑んだ。
「もう一度言う。オレは彼女を助けたい。力を貸してくれ」
強い視線に、リアはつい口を開く。
「じゃあ、せめて説明して。あたし、ジャスにここまで連れてこられたけど、状況がまるでみえないわ」
ランティスが眉をひそめた。
「ジャス、無理矢理こんなところまで連れてきたのか? これは完全にお前の落ち度だろう」
「だって俺の事すごい疑惑の眼差しで見てくるから。直接ランティスに聞いたほうが納得するかと思って」
それも自業自得だろうとランティスとリアは思った。
「じゃあ、簡単に説明します」
ランティスが手短に今回の経緯について話してくれた。聞き終えたリアは仰天する。
「幽閉ですって?」
リシエル・エタージャ。聖地アイモダの巫女姫であったが、その魔力に目をつけられ神殿により拉致。以降以上、彼女はこの偏狭の地で幽閉されているのだという。
「十年以上も……」
リアはぞっとした。十年。自分がサズと出逢う前後から今日まで、故郷から突然に連れ去られて―――。
「ランティス」
ジャスが口を開いた。見ると、意外にも深慮が窺える顔つきになっている。どことなく軽薄そうな印象を抱いていたリアは少しどきりとした。
「アイモダって言ったか」
「ああ」
物言いたげな赤眼に、リアはふと気づく。
「アイモダは確か……今は焼け野原」
ジャスは頷き、兄役を見つめた。
「助けた後は連れて帰るつもりなのか?」
「そのつもり。女王の許可は下りている。アイモダ出身者はウチにもいるし、寄る辺のない者をオレたちの“理想郷”は決して拒まない」
「……まーな」
ふん、とジャスはそっぽを向いた。リアがその行動の意味を知るのは、もう少し後のことになる。
「そんな訳で、協力してほしい。もちろん無理強いはしない。特にリアはオレの頼みを聞く義理もないんだしな」
強引なジャスに振り回されまくったリアは、不覚にも感動した。その紳士的な優しさを、ぜひ弟分に叩き込んで欲しい。いっそ爪の垢でも煎じてやればいいのだ。それぐらいならいくらでも手伝う。
「やるわ」
少し躊躇ったが、リアは諾と言った。
国境の僻地で、そんなことが平然と行われている。
身分や血筋云々の前に、間違っていると思った。罪のない無辜の娘が、そんな理不尽に振り回されるのはおかしい。事態に気づかぬ上層部も阿呆だと思う。もちろん、黙認している可能性もあるけれど。
ジャスが目を剥き、ランティスは小さく笑った。
「さすが、だな」
【彼】が惚れ込む筈だ。垣間見えた意志の強さに納得する。
ジャスだけが一人、首を傾げていた。
時刻は夜明け前というところ。冬の終わりとはいえ夜はまだ冷える。少女の呟きが白い息となって寒空に吸い込まれた。
「大丈夫かしら」
リアとジャスの役目は陽動。とにかく派手に暴れていればいいのだという。その分野は得意なのでリアは承った。ジャスも連れ出した手前リアを危険に曝すわけにはいかないと二人(実際にはジャスの護衛であるクリフを含めた三人)で行動することになった。
『結界内に侵入するのは余裕なんだけど、彼女自体がその“核”になってるから、解除にかなり時間がかかるんだ』
結界解除は、専門の技術を持ってしても小一時間はかかるのが普通だ。
しかし、
『とか言って、どうせすぐ戻って来んだろ』
ジャスが不敵に笑い、ランティスの唇が応じるように弧を描いた。
『任せとけ』
そうして別行動を開始したのが、およそ10分前。
「大丈夫だって」
傍らのジャスが肩を竦めて笑った。
その頃ランティスは再びリーシャの元を訪れていた。各地から破壊音が響いてくる。陽動として暴れてほしいとはいったが、貴重な神具には手を出さないでほしいなと苦笑いした。
「ランティスさん? あの、音が聞こえるなんて……一体これは」
音も風もない世界。眠ることさえ許されなかった。感覚としては、もう百年以上ここにいたようなものだ。そのかつてない変化に、リーシャは動揺を隠せない。
「言っただろう。助けにきたよ、仲間と一緒に」
ランティスの柔らかな微笑みに、リーシャは呆然とする。
本当に、ここから出ていける日がくるなんて、思いもしなかった。
「うそじゃない……?」
「勿論。ほら、行こう」
差し出された手のひらは大きく温かい。気づけばリーシャは泣いていた。
ここから出られる。
「ありがとうございます、ランティスさん」
目の前で、宝石を散りばめた錫杖が粉砕される。
「あー、もう! ウジャウジャと虫みたいな連中ね」
今、二人は神殿兵を昏倒させたところだった。特にリアは日頃の憂さ晴らしのように暴れまくっていた。
(将軍つーか鬼神の間違いじゃね?)
もちろん口には出さない。蒼炎の力で浄化されたら困る。まだ死ぬわけにはいかない。自分が死ねば、それはクリフと【星空の宴】の落ち度となり、特に前者は処罰を受けるだろう。
(その前に自分から責任とって自害するかもな)
というか絶対するだろう。クリフの忠義は信頼できるが、真面目すぎて笑えないのだ。
「ねぇ」
「んー?」
見れば、リアがこちらをチラチラと窺っていた。その様子が、不意に遠い日の記憶を呼び戻す。今はもう亡き自分と同じ赤い目の少女も、訊きたいことがある時はあんな風にジャスを視線で追ってきた。
不思議なものだと思う。【あいつ】は同じ赤眼だったが、目の前にいるこの少女は茶髪茶眼の普通の色彩だ。
殺戮を繰り返す破壊の使徒である証と語られる呪われた血色の瞳を、どこにでもある鳶色の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。それが妙におかしく滑稽に思えた。
「単刀直入に訊くわね」
「ああ」
何を聞かれるかは予想がついた。彼女ほど身分が高く、教養のある貴族の娘ならば。気づくか否かは半々だと思っていたが――。
ジャスは笑った。先んじて名乗る。
「ご明察。俺の正式な名前は、ジャスティス・ラゾーディア・ヴァロリコルゲントだ」
先進国トロナイル王室の姓を、堂々と。
十数年前、トロナイル第一王女ノアリス・パルーシャ姫が武装組織【ラジェーテ】に誘拐された。その安否は未だ不明のまま、国王は世継ぎの王子を守る為、とある手段をとった。腹心の部下クリフ・ラドールを随時護衛につけ、影武者を用意し王子本人を国外に避難させたのだ。
「その避難先が?」
「正解。“星空の宴”だ」
ジャスは頷きながら、実際はどうだろうなと冷えた心で考えた。母が赤眼を持って生まれた息子を恐れていたのは確かだ。父は面倒を抱えた長男を厄介払いをしたかっただけではないのだろうか。他に弟が生まれたとは聞いていないが、ジャスを遠くへ追いやり新しい後継者作りに励んでいても不思議はない。トロナイル王が赤眼など論外だ。
魔法で隠しても、それだって完璧ではない。何より姉弟がそれぞれ生まれながらに呪いの色を持っていると一部の者には知られているのだ。即位を阻もうとする輩は大勢いるだろう。ジャスの治世は歴史上で最も謀反の多いものとなるかもしれなかった。
(ま、継ぐ気はあんまないけど)
今ジャスが生きているのは【星空の宴】の為。王子である自分が彼らの管理下で死ねば、それは仲間達に少なからず迷惑をかけてしまうことになる。だから今だけは生きてやる。けれど。
【トロナイル国の王子】が公に姿を現すのは、二十歳を過ぎてからと期間が設けられている。ジャスは今十八。あと二年足らずで歴史の表舞台に出て行かねばならないのだ。
そこまでして生きたいかと問われれば、答えは否。
『あなたを待っています』
叶うなら、今すぐ【あいつ】の所へ逝ってやりたかった。独りが嫌なくせに強がってばかりな寂しがり屋。
そこまで考え、ジャスはふと気づいた。そうだ。
リアに訊きたいことがあったのだ。今がその良い機会かもしれない。
「ジャス?」
不審げに見上げてくる少女の境遇を、ジャスは少しばかり知っている。正確には調べたのだが、それはジャスさえ同情を禁じえないほど陰惨で残酷な過去だった。
「何でもない。……リア」
「ん?」
「変なこと、訊いてもいいか」
【変なこと】だと自覚しながら、ジャスは訊かずにはいられなかった。自分と同じ痛みを知る少女。無力に泣いて、それでも生きる孤高の魂。
「あんたはなんで死にたくないんだ?」
リアの目が見開かれる。虚を突かれた表情だ。
ヒトは無意識に生きようとする生物らしいが、ジャスはそこまで思えない。
生きて、何になるという? 失われた者が還るわけでも、犯した過去をやり直せるわけでもない。自由な未来があるわけでもなく、今ここに自分の居場所、存在意義があるわけでもない、この世界で。
もう嫌だ、死にたいと。なぜ皆は考えない? なぜ生きようと思える? どうせ辿り着くのは【死】という変わりなき終焉。結果が同じなら、ただの過程に過ぎない【生】に何故そこまで執着するのだ。
これを言えば、大概の相手がジャスを異常者として見るが、ジャスからすれば世界の大半が狂っている。
生きることが間違いであるかのようにさえ、思えてくるのだ。
何の為に、何の為に、何の為に。
己に問いながら、彷徨い続けた日々。これからもきっと変わらないだろう。
大切な存在を死なせた罪を償いたい。だから死なせてほしい。そう思うのは贅沢なのだろうか。どうしようもない子供の愚かな傲慢さの顕れなのだろうか。
答えが欲しかった。だから尋ねた。似た境遇と同じ傷を抱え、正気と狂気の狭間で惑う、どこか頼りない蝶のような少女に。
一方の、問われたリアは目を伏せた。……サズを失ってから心の奥底で渦を巻いていた矛盾を、指摘されたような気がした。
死にたい。なるだけ早く。彼と【同じ側】の存在になりたい。天国地獄以前に、サズが去った世界で息をするのが苦痛だった。だのに。
『俺が殺してやるよ』
……嘘つき。約束を破り、先に逝ってしまった馬鹿男。
そんな彼の「希望を諦めず捜し、そして生きる」という信念と生き様が、リアの折れそうな心を辛うじて保った。だから自殺はしないで、復讐の時を静かに待っていた。
でも本当は気づいている。彼はそんなこと望まない。そういう人だから、好きになった。この今でさえ強く焦がれる。
最初から、分かっていた。結局自分は諦めが悪いだけだと。サズの死を認め他の誰かに心を許せば、彼が遠い思い出の一部になってしまう。それだけがどうしても嫌で、受け入れたくなくて。
なんだかんだと、生きる道を心の端で望んでいた。それを見破られたように感じた。
彼も、過去に大切な誰かを失ったのかもしれない。そしてそれを、自分の罪と考えているのかもしれない。
そして、疲れて果てているのかも、しれない。
生きること自体、間違いだと思っているのかも、しれない。
この世に生れ落ちた事を、後悔しているのかも知れない。
自分と、同じように。
リアは咄嗟に、答えることが出来なかった。【死にたい】理由はあったけれど、【生きたくない】とは言えなかった。
サズの命を言い訳に駄々をこね続けていた自分に、気づいてしまった。
(最低だ)
死にたい。でも死んではいけない。彼が怒る。それこそ地獄の門番のような憤怒の形相で。
生きたい。母が命がけでくれた唯一の命。サズが救い上げてくれた、自分と彼を繋ぐ最後の絆。
「あたし、は」
何もない。大切なものなど何も。利用されるだけの【最後の将軍】に出来ることなど何もないのだ。
生きたくないけれど、死にたくもない。何故?
そう己に問いかけた時、口が勝手に動いた。
「……ズ、が……」
「え?」
ジャスが少し驚いたような顔で聞き返した。
「あいつが好きだって言ってくれた“あたし”に、逢ってみたいのかもしれない。確かめたいのかもしれない。自分自身の価値と存在意義を見定めて、どうするのか決めたいのかもしれない。……あたしの命はずっと誰かのものだったから、持て余してるのかもしれない」
家族の為、国の為、サズの為。それがポロリと掌に振ってきて、途方に暮れていたのかもしれない。今まで自分が生きてきた【世界】の為に、【生】か【死】のどちらが正しいのか。
そうやって、誰かを言い訳にしてきた。独りきりになったこの【世界】で、自分の為に生きると開き直れる程リアは強くない。
「何の為なら生きれるのか、答えを探してるのかもしれない。生まれてきた意味を」
長い沈黙が訪れた。半ば呆然と語ったリアは、なんだか恥ずかしくなって顔が熱くなった。何をペラペラこんな不審者に語り込んでいるのだろう。
からかわれるかもしれない。あるいは奇異の目で見られるかもしれないなと思いながら視線を上げると、そこには相変わらず美しい顔立ちがあった。
かなり間抜けな、呆けた面をしていたけれど。
「ジャス?」
「へ……あ、ああ」
一方、予想外の返答に、ジャスは面食らっていた。「死んでしまった人の分も頑張って生きるの」とか、割と一般的で答えが返ってくると思っていた。いや、そっちの方がまだ理解できたかもしれない。
生まれてきた意味? そんなもの、誰にもないだろうに。極端な話、生まれてすぐ死ぬ子供はどうなる。
けれど、不意に蘇る、真珠の歌。
『わたしね、あなたに会うために生まれてきたんだと思うの』
そう言って屈託なく笑った、幼い日の少女。
ジャスは間の前のリアを見つめた。【あいつ】……セレナとは全く似ていない少女を。
辿り着けるのだろうか。【あいつ】と同じ場所に。
もしかしたら自分にも、あるのだろうか。信じられる日が来るのだろうか。この少女が諦めないで飛ぶ限り、希望はあるのだと。
「リア――」
口を開き、何かを言おうとした瞬間だった。
「お待たせ」
銀色の【翼】。翻る黒衣、靡く赤毛。
その腕には見知らぬ金髪の少女を抱えて。
「ランティス!」
「えっ、早すぎでしょ!?」
陽動二人は直前まで話していた内容が意識のかなり端の方に蹴飛ばされていくのを感じた。急すぎる帰還に度肝を抜けれたのも大きいが、あまり楽しい話題でもなかったからだろう。
「ただいま。それで、彼女はリシエル・エタージャ」
「えっと……初めまして。リーシャとお呼びください」
頭を下げる際、淡い金の髪がふわりと揺れた。綺麗な髪だが、なんだかざんばらな切り方だ。もったいない、とリアは思う。まるで、鏡も見ずに懐剣で切り落としたような不恰好さ。
それでも、リーシャと名乗った少女の可憐さを損ないはしなかった。むしろ、清冽さが際立っているような風にも思える。
「俺はジャス。こっちはリアだ」
「よ、よろしくお願いします」
【星空の宴】の構成員でもないのに紹介されて良いのだろうか。戸惑いながらリアは挨拶した。
リーシャは嬉しそうに笑った。……本当に出ることができた。自分以外の人間がいるこの【外】の世界に。
神殿の外を見れば、もうすぐ朝日が登ろうとしているところだった。あの【世界】は常昼で夜がなかった。暗い星空が頭上に広がる。二十年ぶりに見上げる宵の空は、満天の輝きを持って迎えてくれた。ただの自然現象に過ぎないと分かっていても、そこで瞬く光がリーシャには本当に嬉しかった。
大切に伸ばしていた髪を断ち切った価値は、この景色だけで充分すぎるほどだった。
「さて、と」
ランティスが咳払いした。皆が彼を見る。
「逃げるか」
数時間後。
一行は、白い光を帯びる東の空を目指し、飛んでいた。
空を往く、白金に煌めく美しい龍の背に乗って。
『皆さん、どちらに行かれるのですか?』
『とりあえず東に』
ここでまず、帝都は西だと主張すべきだったのかもしれないが、リアは自分の本当の願いに気づいてしまっていた。戻ったところで復讐を遂行できるか怪しいものだ。それなら、もう少し彼らと共に過ごすのも悪くはないはずだと思えた。実際、齢の近い相手とこんなに遠慮なく接することができるのはサズ以来で心地良い。
『わかりました。お任せください』
何を、と。妙に意気込むリーシャに全員が首を傾げた瞬間、彼女の体が白い光を放った。
目のくらむ閃光に誰もが視界を閉ざした。そしてようやく瞼を開けると、そこには優美な龍が悠然と佇んでいたのだ。
龍神族の末裔。聖地アイモダの絶対的な守護者。
話には聞いていたが、実物を目の当たりにすると絶句してしまった。
助けてもらったお礼に、最速で目的地までお連れします。リーシャの言葉通り、一般的な飛行魔法【翼】では不可能なほど速い。リアの特殊飛行魔法【天空の覇者】でも追いつけはしないだろう。もともと制御も出来てはいなかったけれど。
「すげぇな。俺こんなのに乗ったの初めてだよ。あんたは?」
「寧ろ龍が実在してたことに驚きよ」
魔法がまかり通るこの世界でも、龍や天馬などの伝説の聖獣は遥か太古に滅んだとされており、今や空想上の存在となっていた。
「……で、リア」
「え?」
「あんた、どうする?」
戸惑うリアだが、ふと見れば少し前の方に座っているランティスも、こちらを窺っているのに気づいた。気配を読むことはできないが、もしかしたらリーシャも。
「どうするって、言われても」
成り行きで付いて来てしまったが、自分は彼らの仲間ではないし、公爵令嬢で帝国の皇太子妃になると定められた娘だ。帝都を出て既に二日。騒ぎが大きくなるまでに帰還すべきだろうが――。
「あの国で、あんたの探し物が見つかる可能性は?」
「……それは」
ない、とは言い切れないかもしれないが、宛ては全くない。どころか一つ間違えば、また孤独に怯えて狂気の手前で彷徨うことになりかねない。
あの鳥籠の【世界】で、もう一度?
「なぁ」
「え?」
押し黙るリアに、ジャスが躊躇いがちに切り出した。
「あんた、さ」
小さく狭い箱庭で育ち、それ以外を知らぬ少女に、どこまでも飛べる黒翼を持ちながらも、逃れられぬ運命の呪縛に苦しむ少年が、手を差し出した。
「俺たちと一緒に行かないか?」
リアはきっと、この瞬間を永劫忘れはしないだろう。そして、おそらくはジャスも。
「……え?」
「オレは賛成」
戸惑うリアに、ランティスが振り向いて声をかける。
「新入り1人じゃリーシャも心細いだろうし、リアも一緒にチュニアールへ行こう」
知らない単語が出てきて、リアは首を傾げた。
「チュニアールって?」
「“星空の宴”の本拠地。古代エメリヤ語で“理想郷”って意味」
鳶色の瞳が大きく見開かれる。
「それ……あなたたちの仲間になるってこと?」
「いや、庇護下に入るってだけ。もちろん加入してくれるなら心強いし大歓迎だけど、チュニアールには迫害で故郷を追われたり、ジャスみたいな訳ありとか……他にも色々な事情の奴が大勢いる」
「じじばば世代からチュニアールで、生まれも育ちもあそこって奴も多いよなー」
ジャスが苦笑しながら言って、ランティスは同じく苦笑した。
「あの家は別格だろう」
「つーかバアさんが元気すぎて怖ぇーよ」
「はは」
何やら分からないやり取りだが、それも共に行けば分かるだろう。
でも。
「あたし……あの皇太子に、ひとつ赤っ恥かかせてやらないと」
復讐云々なしに、やはり気に食わない。確かに証拠もなく感情のまま刃を向けたのはリアだが、サズを悼む言葉は見事に口先だけだった。
言うと、義兄弟二人はきょとんとした。
「それならもう充分じゃね?」
「え?」
訊きかえす少女に、男達はしみじみと語った。
「あんな盛大に婚約披露宴までした相手に婚前逃亡されたとか、大帝国の皇太子にとっては最低の屈辱じゃないのか」
兄の言葉に、弟が肯いて口を開く。
「つーか、俺だったら本気で泣きたくなるわ」
同等の身分にあるジャスは実際、自分に置き換えて考えたのだろう。綺麗な赤眼が、帝都のある西の方角を見た。そこには半ば本気の同情がある。
「そ、そんなもんなの?」
「少なくとも腫れ物扱いされて、相当に居心地が悪いだろうな」
気の毒そうなジャスの言葉に、リアは心が軽くなるのを感じた。
もう少しだけ、彼らと共に過ごしてみたい。そう思える自分を信じてみたい。
「じゃあ、えっと」
リアは居住まいを可能な限りで正し、口を開いた。
鳥籠を出て、広い外の世界へ。
「あたしを、連れて行って下さい」
トロナイル王国
・首都ヴェーズリーズは魔導都市と名高く、魔法により発展した強国。
・帝国の東側、大陸の中央に位置する。
・王室の姓は「リコルゲント」。国名を王族直系に与えていない唯一の変わった国でもある。
・かつて国を狂わせた【黒髪紅眼の魔女】を恐れ憎む風潮があり、その特徴を持った者は【魔女の児】として排斥される運命にある。
・【聖王と魔女】の神話として広く伝わり、諸国にも知れた物語。しかし隣国のファディロディアでは紅の瞳は神の御遣いとして崇められていたりと、影響力はさしてない様子。
・大昔に起きた未曾有の天変地異を脚色、王家を美化したものであるという説もある。
ジャスティス・ラゾーディア・ヴァロリコルゲント
(18歳/男/黒髪紅眼/12月3日生)
誕生花はラベンダー 花言葉は【あなたを待っています】
通称ジャス。
・トロナイル王家の嫡男にして世継ぎの王子。
・どういう訳か【魔女の児】の特徴を全て持って生まれ、現在は政敵による暗殺を避ける為、チュニアールで保護を受けている。
・夜露に濡れた薔薇を思わせる妖艶な美青年だが、精神年齢は推定一桁と極めて低い。
・育て親が驚異的な料理下手でものぐさだった為か、今ではすっかり味音痴になっている。
・魔法と武術を修めており、魔導騎士として非常に有能。
・専属の護衛武官として、不本意ながら王宮騎士クリフ・ラドールを従えている。
クリフ・ラドール
1月12日生まれ
誕生花スイートピー 花言葉【ほのかな喜び】
・ジャスの身辺警護と世話役を兼ねる王宮の近衛武官。
・過保護な面が目立ち、主には煙たがれるがめげない騎士。
・ジャスの母に忠誠心以上の感情を抱いており、決して告げることはできない想いに殉じ、その息子の為ならば命を惜しまない覚悟を持つ。
・リアとの関係を支持する言動が多く、その点をジャスに警戒されている。
アルポロメ公国
・天に嘉される神仙の土地。精霊の恩寵もあり、実り豊かで長閑な気風。
・聖地アイモダには龍神が住まい、その眷属らが共に暮らしていたが、大火災で焼失。
・以降アルポロメは衰退しつつある。
リシエル・エタージャ
(19歳?/女/金髪碧眼/3月3日生)
誕生花は桃 花言葉は【愛の幸福】
通称【リーシャ】。
・聖地アイモダの巫女姫。
・大火災にて彼女の宮が崩れ落ちた事から、多くの民が聖地は終焉を迎えたのだと絶望した。
・龍神の児であり、白金の龍に変化することができる力も持ち、人間の姿でも華奢な外見に似合わず非常に怪力。
・死亡したと思われていたが、実際は神殿に幽閉され魔力源として利用され続けていた。
ランティス・ラゴート
(21歳/男/赤髪緑眼/7月4日生)
誕生花はジニア・リネアリス 花言葉は【別れた友への思い】
・ワインレッドな髪が苛烈な印象を与えるが、初夏を連想させるライムグリーンの瞳は穏やかな光を湛えており、不思議と粗暴には映らない。
・父を喪い母を目の前で惨殺された過去を持つ。
・かつて壊滅した武装組織【ラジェーテ】の年少部隊に所属しており、任務の過程で知り合った貴族の少年と身分を超えた友人となる。
・現在は【星空の宴】の戦闘要員で、任務の為に帝国とトロナイルの国境にある神殿を訪ね、迂闊にもリーシャに一目惚れした。




