姫将軍と魔女の児
当然の事と言うべきか、リアはその夜は寝付けなかった。気の昂ぶりに目が冴えている。興奮して、眠るどころではなかった。
「ジャスティス・ラゾーディア、ねぇ」
偽名、なのだろうか。それとも偶然?
東に位置するトロナイル王国の唯一の王子の名が、リアの頭を駆け巡る。
『ジャスティス・ラゾーディア・ヴァロリコルゲント』
思い出した瞬間、何を馬鹿なと失笑した。一国の王子が謎の集団に組し、挙句それを堂々と名乗るなど何の与太話か。
けれど、夜が更けていくにつれ、本当にそうなのではないかと思えてくる。育ちの良さを感じさせる雰囲気もあったし、トロナイル王家の者なら赤眼は絶対人目に晒せはしないだろう。しかも件の王子は十数年前の王女誘拐事件が影響して、二十歳を過ぎるまで社交界に顔を出すことさえない秘された存在となっている。
だから、あんな風に異国の王宮に賓客として入っても、誰かに見咎められることはないのだろうが……。
「阿呆くさい」
声に出し、リアは寝返りを打った。昨夜はあれこれ昔のことを想って泣きながら眠り、朝は目が腫れていた。
(どうせ、もう会うこともないんだから)
そう言い聞かせ、ギュッと目を瞑る。
反面、もっと話してみたかったと思っている自分がいる。サズ以外に初めて出会った、同じ赤眼の人間。見たこともない飛行魔法を自在に操る異国の少年。
気にするなというのが無理な話だった。
「今、どこにいるのかしら」
誰からの返答を期待したわけでもない、単なる独り言だった。
が。
《誰が?》
心臓が飛び出るかと思った。
「な、なにっ……!?」
この寝室には自分一人きりだった筈だ。にも関わらず、確かに室内から声が聞こえた。
《待て、騒ぐな。見つかんだろ》
少年特有の瑞々しい声に、青年期の心地よい低さが不思議な響きを持たせている。これは間違いなく、ほんの数時間前に邂逅を果たした黒翼の少年の声だ。恐る恐る尋ねる。
「ジャス……?」
《おう》
どこに、と視線を巡らせる。姿が見当たらないのを怪訝に思っていると、窓に何か、黒い物が張り付いているのに気づいた。近づいて見てみると、烏の羽のようだった。
(違う。これは……)
烏の羽はこんなに大きくない。そして、ここまでの艶と光沢も持っていないだろう。
「これが、あなた?」
尋ねてばかりだと我ながら呆れるが、仕様がない。
《正解。起きてて良かった。寝こけてたらどうしようかと》
「あんなことのすぐ後に眠れるほど図太くないわよ」
《へぇ? 意外とデリケート》
「次に言ったらコレ燃やすわよ」
窓を開き羽を握るように言った。
恐らくは通信魔法の一種だろうが、これも初めて見る魔法だ。この短時間で知識欲を強く刺激され、リアはウズウズした。
「これ、あなたの魔法?」
《半分は俺。他の奴に手伝ってもらって完成させたんだ》
他の奴。それは例えば、【星空の宴】の仲間だろうか。
あれこれ思考を巡らせていたリアに、ジャスの呆れ声が制止をかける。
《なあ、ちょっと。話聞いてる?》
「え?」
《うっわー、実は寝ぼけてんだろ》
「してないわよ。ごめんなさい、悪かったわ」
いくら好奇心を擽られたとは言え、相手の話を聞き流すのは失礼だ。
《あんたさ、普段どこで何してんの》
「? 最近は家に篭りっぱなしね。怪我しないようにって、剣ひとつ持たせてもらえないから」
《剣も使えるのか》
ジャスが小さく苦笑したのが、気配で分かった。普通、リアほど身分の高い貴族令嬢ならば、剣など触れることさえあってはならない筈だ。
「それが何なの?」
《ちょっとあんたに聞きたいことあってさ》
「なあに?」
《直に会って話した方が分かりやすいんだ。どこか、一人になれる時間と場所は?》
「今……とかは」
《阿呆か。警備に見つかる》
呆れたように言われムッとするが、確かにそうだ。貴族の屋敷に不法侵入した挙句、令嬢の寝室になど立ち入れば処罰は避けられない。まして今のリアは未来の皇后だ。
「話したいことって何?」
《あんたと俺のこと》
「は?」
なに?
《こっちも色々あったんだよ》
「?」
首を傾げるリアだったが、次の瞬間、衝撃を受けた。
《“最後の将軍”って本当?》
「……それ、どこで」
《披露宴で太いオッサン共が話してた》
国家機密をあっさり漏洩した顔も知らない貴族たちに心の中で蹴りを入れ、リアは低く尋ねた。
「知ってどうするつもり」
《それを話そうって言ってんだよ》
羽が、ふわりと浮いた。これで終わりだと言うように。
《この羽は手元に置いとけ。ただし人の目には入れるな。以上》
「以上って……あ、こら!!」
ぱたりと力なく落ちた黒い羽を指で乱暴に振った。返事はない。
「何なのよ」
結局今夜も安眠は出来まい。そうしてリアはベッドに倒れこんだ。
そして、5日が経過した。音沙汰はなく、ジャスが残した黒の羽はウンともスンとも言わない。
(暖炉に放り込んでやろうかしらね)
思わず乱暴な衝動に駆られつつ、リアは溜息で自らを戒めた。落ち着け。そう言い聞かせる。
先日の披露宴。抜け出た夜の空中庭園で出逢った黒翼の少年。真紅の瞳を持ち、隣国の王子と同じ名を告げた。
「莫迦みたい」
残り半年の人生かと何の感慨もなく思っていた。あの皇太子と父を道連れに、サズのところへ。彼はきっと待ってくれている筈だ。
天国か地獄か。どちらにせよ、死ねば今よりは近い存在となれる気がする。生者と死者の境界線を越えてしまえば。
けれど、それはサズの志に反することであると、リアはとうに気づいていた。彼は常に「生きろ」と諭してきた。生きても死んでも、結局は彼を裏切ることになる。
(どうすればいいの?)
そうやって悩んでいた矢先、あの少年と出逢ってしまった。サズと正反対の容貌を持ちながら、本来のレリアルという人間が望んでいたであろう「生」の象徴とも思えるジャスティスに。
サズと共に生きる。そう決めた。どんな侮蔑や畏怖、嫌悪や忌避に晒されても、その先にまた別の希望を見つけられるかもしれないから、と。
その「希望」は、信頼できる人間というもの。かつての父がそうだった。
(“ジャスティス”……どこの言葉だったかな)
確かどこか、大昔に滅んだ国の古語だった気がする。意味は「正義」や、「真っ直ぐな心」などの筈。
しばらく唸っていたが、さっぱり思い出せなかった。頭はそこまで悪くはない、と自己に言い訳をしてまた唸る。そしてどうでも良いことに気づいた。
「名前、似てるわね」
【サズ】と【ジャス】。どことなく響きが似ている。比べても詮無いが、暇なので些細なことに意識が飛ぶのだ。
爽やかで少年らしい風貌のサズと、男ながら艶やかな美貌のジャス。金髪紫眼と黒髪赤眼。正反対の二人に僅かでも似ているものがあるのは不思議だった。
《ぅるさい……》
突然、黒羽が揺れた。
「え?」
目を瞬くリアの耳に届く、少年の声。
《だから、わかってるって言ってるだろ。しつこい》
《お赦し下さい、ジャスティス様》
どうやらクリフも一緒らしい。
《赦しを乞うならせめてもう少し謙虚にできないのか》
《お許し下さい》
《もういい》
げんなりとして言うジャスに、電話越し(?)の声をかける。
「ジャス?」
《! リア……? あっもう繋がってる!?》
「う、うん」
気の抜けるような会話の流れにリアは脱力した。5日間放置されていた苛立ちもすっかり萎えてしまう。
《クリフ、下がれ》
《なりません》
《阿呆。人の会話を聞くのは悪趣味だ》
《僭越ながら今更かと。聞かれて困ることでもおありでしょうか》
《いつか皮ひん剥いて干し肉にして吊るしてやる》
《光栄です》
……クリフは意外といい根性をしているようだ。ジャスの苦悩が偲ばれる。
「えーと、ジャス?」
「あー……いたいた。ごめん、今ひとりだよな?」
「一人で寝室にいるわ」
そこまで答え、リアは「ん?」と首を傾げた。何故だろう。今なにか、少年の声が―――。
何気なしに窓を見やったリアは絶句した。ちょっと待て。
「あ……あんた」
「よお。今日は警備が緩いからお邪魔してまーす」
相変わらずの黒髪に真紅の瞳、そして黒翼。
目の前にいるのは間違いなく、あの夜の――――
「ジャス!! あんた、ここをどこだと……っ」
「あんたの部屋だろ?」
「馬鹿! 寝室よ寝室!!」
婚前の生娘の寝室に忍び込むなんて。リアは危うく叫びそうになった。ジャスが慌てて押さえる。
「おい。あんた俺を晒し首にする気か」
いっそなってしまえこの無神経男。リアは震えた。周囲に気を配らずにすむ状況なら、二、三ほど蹴ってやりたい。
「あんたね、あたしは一応、年頃の娘なのよ? 男にこんなズカズカ踏み込んで来られて嬉しいと思う?」
いくら枯れているとはいえ、恥じらいまでは捨てていない。大体、もしここで不貞の輩と密通などと噂されたら、復讐どころではなくなってしまう。
しかし、叱られた本人は少女を見てやや目を瞠った。
「……なーんか、前より元気になってね?」
「え」
リアはドキリとした。確かに、感情を表に出すなど久しく記憶にない。
「あー、あれか? 実は結構、俺って気に入られてる?」
「は…はぁっ!? 馬鹿、何言ってんの!!」
真っ赤になって喚くリアを見て、ジャスが笑みを深める。
「冗談だよ。あんた面白いなー」
「お黙んなさい、この不法侵入者!」
《お二方》
羽から声がした。律儀に屋外で待機しているらしいクリフだ。
《あまり大声を出されませんよう》
呆れたように嗜める声。二人は渋々押し黙った。




