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灰と花、届かない場所で  作者: LEON
第一章 捨てられた場所で
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「捨てられた場所で」

初めまして。今作が初投稿となります。


現代日本を舞台にした、不良少年の復讐を描く長編ドラマです。

物語が進むにつれて、暴力描写や重めの展開 を含みます。苦手な方はご注意ください。


更新ペースは手探りですが、最後まで書き切るつもりです。

よろしければお付き合いください。

殴られた頬より先に、鼻の奥に錆びた血の匂いが広がった。


「――終わりだよ、それで」


俺、神田咲亞は倒れた相手の胸ぐらから手を離すと、乱れた制服の襟を軽く直した。囲んでいた野次馬たちが、潮が引くようにじりじりと後ずさる。誰も俺と目を合わせようとしない。いつものことだ。


高架下の空き地に、生温い風が吹き抜けていく。時刻はとっくに下校時間を過ぎていた。


「またかよ、咲亞」


呆れた声で言ったのは、遠巻きに壁にもたれていた同級生だった。俺は答える気にもならず、地面に落ちていた鞄を拾い上げる。中身は半分こぼれていたが、拾い直す気力もなかった。


「――神田くん!」


聞き慣れた、やたら通る声が飛んできたのは、ちょうど鞄を肩にかけた時だった。


振り返らなくても分かる。斎藤ゆずだ。


「また喧嘩したの? 顔、腫れてるよ」


小走りに駆け寄ってきた彼女は、俺の頬を覗き込むなり眉を寄せた。クラスでも指折りの真面目な優等生が、こんな時間にこんな場所まで追いかけてくる。物好きにも程がある。


「関係ねえだろ」


「関係あるよ。同じクラスなんだから」


「そういう問題じゃねえよ」


ゆずは俺の投げやりな態度にもめげず、鞄からハンカチを取り出すと、有無を言わせず俺の口元に押し当ててきた。控えめな石鹸の匂いがした。


「血、出てる。ちゃんと冷やさないと痕になるよ」


「……お前、俺のこと何だと思ってんの」


「クラスメイト。それと――放っておけない人」


真っ直ぐな目でそう言われると、毒気が抜かれる。俺はハンカチを引ったくるように受け取ると、目を逸らして舌打ちした。


「余計なお世話だ」


「うん、知ってる。それでも言うの」


ゆずは困ったように、でもどこか嬉しそうに笑った。俺のような人間には、彼女の考えていることが未だに理解できない。親も知らず、スナックの軒先に捨てられていた俺を、まともな道に引き戻そうとする物好きが、この世にいるとは思わなかった。


「じゃあな」


それだけ言って、俺はゆずに背を向けて歩き出した。呼び止められる前に、足を速める。



「ただいま」


裏口から入ると、開店前のスナック「ひかり」は、まだ蛍光灯の白い光に照らされていた。カウンターの奥で、丸椅子に座ったママがテレビを見つめている。


「あら、また顔腫らして……ったく、しょうがない子だね」


ママは振り返りもせず、ため息だけをよこした。この人が俺を拾って育ててくれたことは知っている。だが、なぜそんな酔狂を起こしたのか、俺は一度も聞いたことがなかった。聞くのが、少し怖かったのかもしれない。


俺は氷を取りにカウンターの中へ入ろうとして、ふとテレビの画面に目が留まった。


『――愛知県内の山中で発見された遺体は、十六年前に失踪した女性であることが分かりました。周辺の状況から、事件性が疑われており――』


画面には、ぼやけた白黒の女性の写真が映し出されている。年齢は分からない。だが、何かが引っかかった。


「ママ」


「……何だい」


「その女、誰?」


ママの手が、止まった。


テレビを見つめたまま、ママはしばらく黙り込んでいた。店内に流れるニュースキャスターの声だけが、やけに大きく響く。


「……その人がね」


ようやく口を開いたママの声は、いつもの威勢のいい響きとは違って、ひどく掠れていた。


「あんたを、この店の前に置いていった人だよ」


氷を掴んだ手から、力が抜けた。カラン、と音を立てて氷が床に転がる。


十六年間、顔も名前も知らなかった女が、今――死体となって、初めて俺の前に姿を現した。


殺された。誰かに。


呆然と立ち尽くす俺の耳に、場違いなほど場を持たない声が届いた。


「――なあ、俺の名前。誰が付けたんだよ」


自分でもなぜ今それを聞いたのか分からない。ただ、何かを確かめずにはいられなかった。


ママは驚いたように顔を上げ、それから、困ったように笑った。


「あんたを拾った日、この店の前には花なんて一輪も咲いてなかったよ。ただの、殺風景な路地でさ」


「……それが、何の関係があんだよ」


「だからだよ。何にもない場所に捨てられてたから、せめて名前くらいは、綺麗に咲いてほしいと思って。それだけ」


そんな理由で名付けられたことを、俺はこの時初めて知った。花の一輪も無い場所で拾われた俺に、花のように咲けという名前。皮肉なものだ、と思った。


テレビの中の遺体写真を見つめながら、俺の中で何かが、ゆっくりと、しかし確実に軋み始めていた。

第1話、最後まで読んでいただきありがとうございました。


主人公・咲亞の日常と、物語が動き出すきっかけまでを描きました。

次話では、咲亞に構い続けるヒロイン・ゆずとのやり取りをもう少し掘り下げていく予定です。


もしよろしければ、ブックマークや感想・評価をいただけると励みになります。

第2話もお付き合いいただけたら嬉しいです。

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