「捨てられた場所で」
初めまして。今作が初投稿となります。
現代日本を舞台にした、不良少年の復讐を描く長編ドラマです。
物語が進むにつれて、暴力描写や重めの展開 を含みます。苦手な方はご注意ください。
更新ペースは手探りですが、最後まで書き切るつもりです。
よろしければお付き合いください。
殴られた頬より先に、鼻の奥に錆びた血の匂いが広がった。
「――終わりだよ、それで」
俺、神田咲亞は倒れた相手の胸ぐらから手を離すと、乱れた制服の襟を軽く直した。囲んでいた野次馬たちが、潮が引くようにじりじりと後ずさる。誰も俺と目を合わせようとしない。いつものことだ。
高架下の空き地に、生温い風が吹き抜けていく。時刻はとっくに下校時間を過ぎていた。
「またかよ、咲亞」
呆れた声で言ったのは、遠巻きに壁にもたれていた同級生だった。俺は答える気にもならず、地面に落ちていた鞄を拾い上げる。中身は半分こぼれていたが、拾い直す気力もなかった。
「――神田くん!」
聞き慣れた、やたら通る声が飛んできたのは、ちょうど鞄を肩にかけた時だった。
振り返らなくても分かる。斎藤ゆずだ。
「また喧嘩したの? 顔、腫れてるよ」
小走りに駆け寄ってきた彼女は、俺の頬を覗き込むなり眉を寄せた。クラスでも指折りの真面目な優等生が、こんな時間にこんな場所まで追いかけてくる。物好きにも程がある。
「関係ねえだろ」
「関係あるよ。同じクラスなんだから」
「そういう問題じゃねえよ」
ゆずは俺の投げやりな態度にもめげず、鞄からハンカチを取り出すと、有無を言わせず俺の口元に押し当ててきた。控えめな石鹸の匂いがした。
「血、出てる。ちゃんと冷やさないと痕になるよ」
「……お前、俺のこと何だと思ってんの」
「クラスメイト。それと――放っておけない人」
真っ直ぐな目でそう言われると、毒気が抜かれる。俺はハンカチを引ったくるように受け取ると、目を逸らして舌打ちした。
「余計なお世話だ」
「うん、知ってる。それでも言うの」
ゆずは困ったように、でもどこか嬉しそうに笑った。俺のような人間には、彼女の考えていることが未だに理解できない。親も知らず、スナックの軒先に捨てられていた俺を、まともな道に引き戻そうとする物好きが、この世にいるとは思わなかった。
「じゃあな」
それだけ言って、俺はゆずに背を向けて歩き出した。呼び止められる前に、足を速める。
「ただいま」
裏口から入ると、開店前のスナック「ひかり」は、まだ蛍光灯の白い光に照らされていた。カウンターの奥で、丸椅子に座ったママがテレビを見つめている。
「あら、また顔腫らして……ったく、しょうがない子だね」
ママは振り返りもせず、ため息だけをよこした。この人が俺を拾って育ててくれたことは知っている。だが、なぜそんな酔狂を起こしたのか、俺は一度も聞いたことがなかった。聞くのが、少し怖かったのかもしれない。
俺は氷を取りにカウンターの中へ入ろうとして、ふとテレビの画面に目が留まった。
『――愛知県内の山中で発見された遺体は、十六年前に失踪した女性であることが分かりました。周辺の状況から、事件性が疑われており――』
画面には、ぼやけた白黒の女性の写真が映し出されている。年齢は分からない。だが、何かが引っかかった。
「ママ」
「……何だい」
「その女、誰?」
ママの手が、止まった。
テレビを見つめたまま、ママはしばらく黙り込んでいた。店内に流れるニュースキャスターの声だけが、やけに大きく響く。
「……その人がね」
ようやく口を開いたママの声は、いつもの威勢のいい響きとは違って、ひどく掠れていた。
「あんたを、この店の前に置いていった人だよ」
氷を掴んだ手から、力が抜けた。カラン、と音を立てて氷が床に転がる。
十六年間、顔も名前も知らなかった女が、今――死体となって、初めて俺の前に姿を現した。
殺された。誰かに。
呆然と立ち尽くす俺の耳に、場違いなほど場を持たない声が届いた。
「――なあ、俺の名前。誰が付けたんだよ」
自分でもなぜ今それを聞いたのか分からない。ただ、何かを確かめずにはいられなかった。
ママは驚いたように顔を上げ、それから、困ったように笑った。
「あんたを拾った日、この店の前には花なんて一輪も咲いてなかったよ。ただの、殺風景な路地でさ」
「……それが、何の関係があんだよ」
「だからだよ。何にもない場所に捨てられてたから、せめて名前くらいは、綺麗に咲いてほしいと思って。それだけ」
そんな理由で名付けられたことを、俺はこの時初めて知った。花の一輪も無い場所で拾われた俺に、花のように咲けという名前。皮肉なものだ、と思った。
テレビの中の遺体写真を見つめながら、俺の中で何かが、ゆっくりと、しかし確実に軋み始めていた。
第1話、最後まで読んでいただきありがとうございました。
主人公・咲亞の日常と、物語が動き出すきっかけまでを描きました。
次話では、咲亞に構い続けるヒロイン・ゆずとのやり取りをもう少し掘り下げていく予定です。
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第2話もお付き合いいただけたら嬉しいです。




