一話ゲーマー自衛官
海上自衛隊が保有する、とある空母の一角。
そこは張り詰めた緊張感とは無縁の、妙に弛緩した空気が漂っていた。
「しゃ!おらあ!やっぱり裏技攻略はやめられないね!」
私物のゲーム機を艦内に持ち込み、規律違反を百も承知で画面に没頭しているのは、准尉の竹下レイだ。コントローラーを叩く指に迷いはない。
ドン!
突如、隔壁を激しく叩く音が室内に響き渡る。
「おいレイ准尉!貴様は一体何をやっている!規律違反だぞ!」
血相を変えて怒鳴り込んできたのは、彼女の上司だった。
しかし、レイは視線すら動かさず、気の抜けた返答を返す。
「あっすいませーん、ゲームしてましたー」
「『ゲームしてましたー』ではないわ!とにかく甲板に行き、仕事をせんか!」
「はーい」
悪びれる様子もなくゲームを切り上げると、レイは気
怠げに甲板へと向かった。
「ほら新人、そこはこうだよ」
先ほどまでの不真面目な態度が嘘のように、レイは真剣な眼差しで新人に手取り足取り作業を教えていた。
灰色の雲が、空母の上空をゆっくりと覆い始めていく。
海はまだ静かだった。だが、長年海で生きる者ほど、その不気味な静けさの恐ろしさを知っている。
「准尉、天気が悪くなってきましたね」
新人隊員が不安げに空を見上げる。レイは手慣れた手つきでレンチを工具箱へ放り込みながら、軽く肩をすくめた。
「うーん、そうね。まぁ台風でも来るんじゃない? ほら、そっち固定が甘いよ。波が来たら吹っ飛んじゃう」
「はい!」
新人は慌てて器具を締め直す。
その様子を見て、レイはふっと不敵に笑った。
さっきまでゲーム片手に怒鳴られていた人物と同一の存在とは思えないほど、仕事中の彼女は優秀だった。判断は的確で、教え方も上手い。だからこそ、上官も彼女の奔放さを完全には見放せないのだ。
その時だった。緊迫した艦内放送が鳴り響く。
『総員注意。急速な低気圧が接近中。甲板作業員は速やかに――』
不意に、放送が激しいノイズ混じりに途切れた。
次の瞬間。
ゴォォォオオオオッ!!!
凄まじい暴風が甲板を真横から薙ぎ払った。
「うわっ!?」
身体を浮かせ、吹き飛ばされそうになる新人の腕を、レイは瞬時に掴んで強引に引き戻す。
「しゃがめ!!」
海は一瞬にして狂気に満ちた姿へと変貌していた。波頭が異常なほどに高く跳ね上がる。空母ほどの巨体すら、嫌な軋み声を上げて大きく揺れ始めた。
「なんだこれ……」
誰かの戦慄した呟きは、激しい雷鳴と豪雨にかき消される。
視界は遮られ、数メートル先すら見えない。
異常事態を告げる警報音が、激しく艦内に鳴り響いた。
『総員、緊急配置! 繰り返す、緊急配置!』
「准尉! あれを!!」
新人が引き攣った声で海を指差す。
レイは激しい雨に目を細め、その先を見た。
「……は?」
言葉を失った。
水平線の向こうから、漆黒の壁のようなものが迫ってきていた。
違う。それは壁ではない。
常識を遥かに超えた、あり得ない高さの巨大な津波だった。
「全員退避!! 掴まれぇぇぇッ!!」
激震。
艦体が大きく傾き、次の瞬間、津波が空母へと直撃した。
轟音が鼓膜を破らんばかりに響き、鋼鉄の巨体が悲鳴を上げる。固定が外れた戦闘機が宙を舞い、容赦なく人間を飲み込んでいく。
レイは必死に手すりにしがみついた。
「っ……!!」
暴風で息ができない。叩きつける雨が顔を切り裂くようだ。
艦橋から激しい爆発音が上がり、火花と黒煙が視界を覆う。
そして――空母そのものが、巨大な質量を持って大きく横転した。
「うそでしょ!?」
重力が狂い、身体が容赦なく宙へと放り出される。
冷たい海。猛烈な水流。
上下の感覚すら失われ、肺から酸素が奪われていく。
苦しい。暗い。深く沈んでいく。
誰かの叫び声が聞こえた気がした。
そこで、彼女の意識は完全に途切れた。
……ザザー
……ザザー
耳に届くのは、穏やかな波の音。
頬に触れる、温かい砂の感触。
「……ん……」
レイはゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、どこまでも澄み渡る青空だった。あの地獄のような嵐は、まるで幻だったかのように消え去っている。
しかし、現実に引き戻されるように激痛が走った。
空母から投げ出された拍子に、彼女の腹部には鋭利な金属片が深く突き刺さっていたのだ。そこから、大量の鮮血が砂を赤く染めていく。
「だ…れかいな…いの?」
微かな声を絞り出し、レイは再び深い闇の中へと意識を失った。
一方その頃。とある大学の研究室。
「そういえば、もうすぐあの時期か」
研究室の主であり、科学者としては異様なほどの筋肉を誇るマッチョな男、将門五郎は、書類から目を離して憂鬱気味に呟いた。
その言葉に、助手を務める風上成子は敏感に反応し、少し興奮気味に身を乗り出す。
「あの時期っていうのは、もしかして教授が突然失踪していた時の話ですか?」
「あぁ、そうだ」
五郎は眼鏡の奥の目を細め、どこか遠くを見るように、かつて自身が経験した奇妙な記憶を呼び起こす。
「その時に僕が経験したことは……まさに、ゲームのようだったよ」
静まり返った研究室で、五郎は静かに、しかし熱を帯びた声で、その未知なる島での経験を助手へと語り始めるのだった。
書いてて思ったんだけどレイの上司がミシガンすぎる




