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薄明に繋ぐ弧弦, エルの物語  作者: 智枝 理子
Ⅱ-ⅵ.人魚の涙
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82/82

085 愛の夢

 職人通りのウエスト側。カフワ通りを少し歩いて裏に回ると、会員制のバー・ベルベットがある。

 狭い裏口から入ると、開店準備をしていた店長が顔を上げた。

「店長、久しぶり」

「エルロックか。久しぶりだな」

 驚くかと思ったけど、全然驚かれなかった。

「なんだ。仕事しに来たのか?」

「仕事には困ってないよ」

 店に入って、暗い店内に照明を灯していく。

『ここって、エルの知り合いのお店なの?』

「昔、働いてたんだ」

『そうだったの』

 店長の笑い声が聞こえてきた。

 ……リリー、何したんだ?

『学生の労働は禁じられている』

 明かりのない奥の倉庫へ入る。

『ダメなの?』

 確か、この辺に……。

「学生を雇ったら雇用主が罰せられるんだよ」

『だからぁ、内緒でぇ、働いてたのぉ』

 俺が働いていることがばれたら店が潰れるって、しょっちゅう言われてたな。

 ……あった。

 バイオリンのケース。

 埃を吹き払って店に戻ると、ピアノの音が一つ響いた。

 リリーがピアノの前に居る。

「一緒に演奏しよう」

「え?」

 リリーが振り返る。

「約束しただろ?」

―ラングリオンに行ったら、一緒に弾こう。

 ここなら、好きなだけピアノを使える。

 バイオリンを出して、音を鳴らす。

 ……酷いな。

「音が狂い過ぎてる」

「バイオリンを弾くのなんて、お前ぐらいだぞ」

 店に入って来た店長を見る。

「店長だって、弾けるんだろ?」

「俺は十年も昔にやめちまったよ」

 そんなはずはない。バイオリンの状態を見ればわかる。

「リリー。ラの音をくれ」

「はい」

 ピアノの前に座ったリリーが、音を鳴らす。

『手伝ってやる』

 バニラ?

『もう少し上げろ』

 バニラの指示に従いながら音の調律をする。

 大地の精霊は音色にも詳しいのか。

 ……できた。このバイオリンを使うのは久しぶりだ。

「リリー。何を弾きたい?」

「何でも良いの?」

「知らない曲だったら、楽譜を探してくるよ」

 名曲として知られているものなら、だいたい知ってる。

「春。……スプリングソナタ」

「良いよ」

 リリーらしい曲だ。

「ちょっと待ってね」

 リリーが冒頭部分を奏でる。

 優しい音だ。

「これぐらいの速さで良い?」

「あぁ。良いよ」

 合わせられる。

 バイオリンを構えてリリーを見ると、椅子に座り直したリリーが、もう一度、ピアノに指を乗せた。

 呼吸と視線を合わせて。

 音を鳴らす。

 

 柔らかく甘い香りのする風を感じる。

 心地好くそよぐ風と共に舞うのは……。

 桜の花びら。

 リリーと視線を合わせると、リリーが微笑む。

 どんな音も包み込むように優しくしてしまう不思議な音だ。こんなに惹かれるのは、単純に奏者として相性が良いのか、愛してる人が奏でる音だから愛おしいのか……。

 音色に酔いそう。

 こんな音と一緒に演奏できるなんて……。

 

 最後まで演奏し終えると、拍手が鳴った。

 客が入ってる。

 いつの間に開店してたんだ。

『素敵だったわ』

『良い演奏だったね』

「素晴らしい演奏だったわ」

「キアラ」

 イブニングドレスを着たキアラが歩いてくる。

「久しぶりね」

 キアラは、この店で働いている歌姫だ。

 ピアノの演奏も出来る。

「こんばんは。素敵なお嬢さん」

「こんばんは」

 リリーの傍に行ったキアラが、リリーの頬に触れる。

「可愛い子」

 気に入ったらしい。

「手を出すな」

「良いじゃない。あなた、ラプンツェルは弾ける?」

「えっと……。楽譜があったら」

「店長、用意してくれる?」

「俺が?……おい、エルロック。こっちを頼む」

「なんで」

「暇だろ」

 店長が倉庫に行ってしまった。

 遊びに来ただけだって言ったのに。

 バイオリンをケースに戻してカウンターに入ると、常連客が二人並んだ。

「注文は?」

 腕まくりをして、手を洗う。

「久しぶりじゃないか」

「腕が鈍ってるんじゃないのか?」

「うるさいな」

 客として来ても、結局、いつも店を手伝うことになる。

 グラスを二つ用意して、角砂糖を入れてビターズを染み込ませる。

「勝手に演奏を聞いた料金を上乗せするぞ」

「お。リクエストを受けるって?」

 果物をカットして、グラスに氷を突っ込む。

「受けないよ。リリーと演奏しに来ただけだ」

 ウイスキーを注いで、スライスしたオレンジとシロップ漬けのチェリーを飾る。

「可愛い彼女じゃないか。甘いカクテルをプレゼントしてくれ」

「俺も。あぁいう子は、見た目が華やかで可愛いのが好きそうだ」

 軽く混ぜてから、マドラーを添えて二人の前に出す。

「手を出すな」

 二人が笑う。

「なら、ツィガーヌを頼むよ」

「リリーが出来る奴しか弾かないぞ」

「弾けるだろ?」

「頼んだぜ」

 二人がカウンターに銀貨を並べて行った。

「なんだ。演奏でも頼まれたのか?」

 店長が戻って来た。

「受けるなんて言ってないのに」

「たまに顔を見せたんだから、弾いてやれば良いじゃないか」

 リリー次第だ。

「皆、お店に来てくれてありがとう」

 キアラが、ステージに立つ。

「今日は、久しぶりに顔を見せた幽霊店員が、素敵なゲストを連れて来てくれたわ」

 店員じゃないのに。

「可愛い子だけど、手を出しちゃダメよ。どうしても気になる人はエルに喧嘩売って頂戴ね」

 売られた喧嘩は買う。

「準備は良い?」

「はい」

 ピアノの伴奏が始まる。

 

 ラプンツェル。

 塔に閉じ込められたお姫様の話。

 髪の長いお姫様の話だから、この曲を選んだのかな。

―エルの瞳の方が綺麗だよ。

 あんなこと言うなんて。

―火輪石……。かな。

―太陽の石。

―カーネリアンの異称だよ。

 今でも、あの夜のことを覚えてる。

―エルって、暁みたいだから。

―夜明けは……。

―昇りたての太陽に照らされた世界は、いつもエルみたいに黄金色に輝いてる。

 嬉しかったから。

 

 演奏が終わって、拍手を送る。

「ありがとう」

 キアラが客に向かって手を振る。

 良い演奏だった。ピアノ、好きなんだな。

「マティーニをくれ」

 客だ。

「俺に言ってるのか?」

「あぁ。きついのを頼むぜ」

 マティーニは、作り手によってこだわりが変わることで有名なカクテルだ。

 俺の場合、かなり辛口にする。

「お前のは、これが要るだろ?」

 店長が、小粒玉葱のピクルスにピンを刺す。

「あるのか、それ」

「何言ってるんだ。元々、うちで出してたつまみをお前が突っ込んだんだろ」

 そういえば、風邪を引いた奴にピクルスを突っ込んだマティーニを出したのが最初だったっけ。

 ステアした辛口のマティーニをグラスに注いで、小粒玉葱を飾って出す。

「あぁ。これだよこれ」

 飲みたいって言えば、店長だって作ってくれるのに。

 キアラが、リリーの手を引いてこっちに来た。

「私たちにも何か作ってくれる?」

「キアラは、いつものだろ」

 今日はオレンジを飾るかな。

 オレンジをカットして、グラスを準備する。

「リリーは、どんなのが飲みたい?」

「え?」

「何でも作るよ」

 出来た。

 ミントとオレンジを飾ったブラッディーマリーをキアラに出す。

「ありがとう」

 キアラが微笑む。

 リリーは、どんなのにするかな。

「甘いのと爽やかなのなら、どっちが良い?」

「甘いの」

「ん。わかった」

 あれをノンアルコールで作ろう。

 炭酸水とチェリーシロップ、それから、ジュースやシロップを準備する。

「店長、苺は?」

「あるぜ。こいつも使って良いぞ」

 桜の花びらだ。

 可愛く仕上げよう。

 ハートの形になるように苺をカットして、切れ目を入れておく。

 チェリーシロップで香り漬けした炭酸水を逆三角形のショートグラスに注ぎ、オランジュエード、レモンジュース、グレナデンシロップをシェイクしたものを静かに注ぎ入れて二層に仕上げ、桜の花びらを浮かべて、グラスの端に苺を飾る。

「どうぞ」

 上層はチェリーが仄かに香る透明な炭酸水。下層は甘酸っぱい味でルビー色に仕上げた。

 桜をイメージした甘いカクテル。

「わぁ……。可愛い」

 桜桃を飾っても良かったけど、リリーは苺が好きだから。

「これって、お酒?」

「アルコールは入ってないよ」

 カクテルを口に運んだリリーが、甘いため息を吐く。

「美味しい……」

 可愛い。気に入ってくれたみたいだ。

「エルは飲まないの?」

「そうだな……」

 棚からカルヴァドスを選ぶ。

「ジャック・ローズね」

「正解」

 俺のレシピにはシロップは使わない。カルヴァドスにライムとグレナデンを混ぜてシェイクして仕上げる。

「どんなお酒なの?」

 グラスをリリーに向ける。

「良い匂い……。林檎のお酒?」

「そうだよ」

 カルヴァドスは林檎の里の名産品だ。

 これは、成人したら飲みたいと思っていたカクテルの一つ。

「これって、食べても良いの?」

 苺のことか?

 グラスに付いていた苺を取って、リリーの口に突っ込むと、リリーの顔が赤くなった。

 そういえば、前にもこんなことが……。

 あぁ、思い出した。

「リリーシア」

 リリーの頬に指で触れる。

―リリーでいいから。

「リリーでいいんだっけ?」

「覚えてたの?」

 会った時のこと。

「まだ、一月ぐらいしか経って……」

 あれ?

 俺とリリーが会ったのは、確か、ポアソンの十九日だ。

 そして、今日はベリエの十九日。

「丁度、一月か」

「うん」

 気付いてたのか。

 不思議だな。もっと長く一緒に居るような気もするし、ほんのわずかな時間しか過ごしてないような気もする。

「リリー。ツィガーヌは知ってるか?」

「うん。知ってるよ」

 知ってるのか。

『リリーは、アリシアとポリーのバイオリンの伴奏を良くやってたから、色々知ってるんだよ』

 全員がピアノを習ってたわけではないらしい。

「楽譜は要るか?」

「大丈夫」

 自信がありそうだ。

「じゃあ、飲み終わったら一緒に……」

 リリーが、目の前でドリンクを一気に飲み干す。

「飲み終わったよ。一緒に演奏しよう」

 スツールから飛び降りたリリーが軽い足取りでピアノへ向かう。

 のんびりブラッディーマリーを飲んでいたキアラが笑う。

「忙しいわね」

 本当に。

 ピアノの方に行って、バイオリンを出す。

「最初は独奏だから……」

「大丈夫。タイミングはわかってるよ」

「じゃあ、好きな時に入ってきて」

「わかった」

 バイオリンの音を響かせると、元々、静かだった店内が更に静かになった。

 

 ツィガーヌ。

 俺にとって思い入れの深い曲だ。

 楽器の選択授業でバイオリンを選んだのは、アレクがバイオリンを選んでいたのと、フラーダリーが持っていたからだった。

 楽器は高価なものだから、新しいバイオリンをわざわざ用意させたくなくて。最初はフラーダリーのバイオリンを借りて授業を受けていた。

 でも、運指の指導が気に食わなくて教師と言い合いになった末にバイオリンを落として、壊してしまった。……フラーダリーのものだったのに。

 謝罪の手紙を送って、バイオリンを売っている店を探して回ったけど、同じものは見つからなかった。何より、バイオリンは子供に買えるようなものじゃない。その時、偶然、プロのバイオリニストが俺の話を聞いてくれて……。

 懐かしいな。今でも師として尊敬しているバイオリンの先生。

 その後、フラーダリーから新しいバイオリンが届いた。

 俺の為のバイオリン。

 何か結果を残せるものが欲しかった。先生の指導を受けて、必死に練習して弾けるようになったのが、ツィガーヌだ。

 そして、バイオリンの弁償をしたくて働かせてもらってたのが、ここ。

 ベルベット。

 店長のバイオリンを借りて、ここでも良く練習してたっけ。

 でも、結局、バイオリンを買うことは出来なかった。

 

 リリーの演奏が入って来る。

 ……完璧だ。呼吸が合ってる。

 こんなに耳障りの良いピアノの音色もなかなかない。

 

 演奏が終わって、拍手が起こる。

 バイオリンをケースに戻して、まだピアノの前に座っているリリーの元へ行く。

 リリーの手を取ると、ようやくリリーが顔を上げた。

 手の甲にキスをする。

「楽しかったよ。リリー」

「私も。すごく楽しかった」

 良かった。連れてきて。

 リリーをエスコートして、キアラの横に座らせる。

「次は、何を飲みたい?また、甘いのにする?」

 リリーが頷く。

 なら、ココアを使ったノンアルコールカクテルにしようかな。

 カウンターに入って、クーベルチュールを溶かしながら、ミルクを温める。

「素敵な演奏だったわ。私も可愛いお客様の為に演奏しようかしら」

 珍しい。リクエストを受けてないのにピアノを弾くなんて。

「でも、その前に挨拶ね」

 グラスを戻したキアラが席を立って客の方へ行った。

「店長、ショコラは?」

「どんなのが欲しいんだ?」

「可愛いやつ」

「持ってくるから待ってな」

 ソーサー型のショートグラスにしよう。

 逆さにしたカクテルグラスを溶けたクーベルチュールに軽く浸し、ショコラを纏った縁に砕いたナッツをまぶす。

 雪の魔法も使えそうだな。

 魔法でグラスを冷やしてショコラとナッツを固め、余計なナッツを軽く振って落とす。

 ココアと砂糖、塩を温めた少量のミルクで練り、シナモンとナツメグを加えて、ミルクで軽く伸ばす。更に冷たいミルクを加えて出来た濃い目のアイスココアをステアし、茶漉しで丁寧に濾してカクテルグラスに注ぐ。仕上げに、クーベルチュールをスプーンで削ってできたコポーをカクテルの中央に散らす。

「持ってきたぞ。どれにするんだ?」

 店長が開いた箱の中を見る。

 色々あるな。

 ……これにしよう。

 薄いハートのショコラの裏に溶けたクーベルチュールを塗って、コポーの上に乗せてグラスに立てかけ、魔法で冷やして縁に接着させる。これで、完成。

「リリー。出来たよ」

 リリーの前に甘いノンアルコールカクテルを置く。

「可愛い……!」

 リリーが頬に手を当てて喜ぶ。

「パティシエが丁寧に作ったショコラケーキみたい」

 ……可愛い。

 こんなに喜んだ顔が見られるなんて。

 これは、ショコラ好きな皇太子に捧げられたカクテルのアレンジだ。

「これ、どこから飲んだら良いの?」

「好きなところから飲んで良いよ」

 ショコラが溶けたら、また味の雰囲気も変わるだろう。ナッツの香りと混ぜて飲んだら、甘くて美味しいに違いない。

 余っていたジャック・ローズを飲んでいると、ピアノの演奏が始まった。

 曲は、愛の夢。

「愛することができる限り、ずっと愛す」

 え?

「そういう名前の曲だよね?」

 グラシアルとは、タイトルが違うのか。

 確か、月の光も違ったっけ。

「愛することができる限り、ずっと愛すよ」

「あなたを愛することだけを考えて私は生きる」

 この曲の詩だ。

 そうやって生きられたら、どんなに幸せだろう。

「私ね、エルの運命を変えたいの」

 変える?

 どういう意味だ?リリーは俺の運命なんて知らないはず……。

「私、壊したんだって」

「何を?」

「エルの運命を」

「……は?」

 意味が解らない。

 カウンターを回って、リリーの隣に行く。

「ちゃんと教えて」

 リリーが首を傾げる。

「何を?」

「壊したって、どういうことだ」

 リリーが少し考えるような素振りを見せた後、一人で笑う。

「ねぇ、エル。エルの運命がどんなものでも、壊れたら、また新しくやり直せる?」

 今まで何度もやり直して、その度に失ってきた。

「もう、やり直すのは無理」

「大丈夫だよ」

 ハートのショコラを口に咥えたリリーに顔を引き寄せられたかと思うと、ショコラの半分を口に突っ込まれた。

 甘い。

 ……何が、大丈夫なんだ。

 リリーが微笑んで、俺の手を取る。

「もう、何も失うことはないよ。私は、エルの為に死なない」

 死なないって……。

 俺の運命を壊したって。

―あなたは、大切なものを失う運命。

 まさか?

「だから、何度でも私と一緒にやり直してくれる?」

 輝く瞳の中に、新しい輝きが見える。

「リリー。リリーは、俺の希望だよ」

 リリーが首を振る。

「違うよ。エルが私の希望なの。ここまで自分の足で歩いて来れたのも、未来を選べるって思えたのも、全部、エルのおかげ」

「リリーのおかげだよ」

 リリーを抱きしめる。

「リリーが一緒なら……。傍に居てくれるなら。何度でもやり直せる」

 リリーの存在によって救われてるのは、俺だ。リリーがどこまでも強く輝いているから、俺は……。

 リリーが俺の胸に頭をこすりつける。

「だめ……。寝ちゃう……」

『えっ』

 ここで、そんなことを言うなんて。

 さっきから様子がおかしかったのは半分寝てたからか?疲れてるのに、夜更かしし過ぎたか。

「帰ろう」

「待って」

 リリーが残りのカクテルを一気に飲む。

 気に入ってくれたらしい。

「ごちそうさまでした」

 甘い唇にキスをする。

「帰ろう」

「うん」

 

 ※

 

 夜風が気持ち良い。

 リリーが踊るように腕を広げて、くるくると回る。

「見て、エル。すごく気持ち良いよ」

 それ、雪山でも見たな。

「星がいっぱい輝いてる」

 そんなに回ってたら……。

「あ……」

 案の定、倒れかけたリリーを抱き留める。

 リリーの輝く瞳を見つめると、リリーが俺の目元に触れた。

「綺麗な瞳」

 目が合うと、吸い込まれそうになる。

「リリーの方が綺麗だよ」

 輝く瞳の横にキスをする。

 歩かせるのは無理だな。

 リリーを抱えると、俺の首に腕を回したリリーが俺にキスをする。

 積極的なのは嬉しいけど、これじゃ、前が見えない。

「離れたくない」

「俺も」

「行かないで」

 これが、リリーの本音?

「もっと、言って」

「もっと?」

「リリーが思ってること」

 リリーが首を傾げる。

「聞かせて」

「ただの、我儘なのに……」

 どこが?

「我儘言って」

「え?」

「リリーの我儘を聞きたい」

 本音を。

 リリーが俺を抱きしめる。

「行かないで。一人にしないで……。怖いよ。寂しい。苦しい。一緒に居たい……」

 これが、リリーの本音。

 そこまで苦しんだ上で出した答えが、俺と行かないことだったんだ。

「ごめん」

 そこまでさせて。

「ありがとう。リリー」

「え?」

 リリーを抱え直して、涙に塗れた頬にキスをする。

「リリーは、俺の為に残ることを選んでくれたんだろ?」

 お互いに譲れなかった理由が、ようやくわかった。

「愛してるよ。俺は俺の目的を達成させる。リリーは、リリーの目的を達成させることだけを考えて」

「……はい」

 ありがとう、リリー。

 同じ道を選べなくても、目指す方向は同じ。

 大丈夫。前を見て、進む。

 

 


読んで頂きありがとうございます。

第二章「王都編 Embrasser」完結しました。

フランス語でembrasser。英語でembrace。日本語で抱擁。

次は第三章「冒険編・前編」です。

 ラングリオンの南に位置するラ・セルメア共和国(通称、セルメア)を舞台としたお話です。と、言いつつ、王都のあるアルマス地方から、王都南西にあるオートクレール地方に入り、そこからセルメアに入るので、序盤はまだラングリオン国内。

 冒険者なので、冒険者らしい旅をさせたい。というわけで、旧バージョンでは存在しなかったストーリーをどんどん入れて、かなり加筆があることが確定してます。リリー編との兼ね合いがゼロじゃないのが難しい。セリフ回しなど、投稿後に若干の修正が入るかもしれません。



~あとがき~


お酒回でした。今回、登場したりしなかったりしたカクテルを紹介。

(※は、今回登場していないカクテル)


「オールドファッションド」

→オールドファッションドグラスで作るウイスキーベースのカクテル。マドラーを添えて出す。あまり混ぜ過ぎずに提供し、好みの味の変化を楽しみながら飲むカクテル。


「マティーニ」

→ジンとベルモットで作るカクテルの王様。と、言いつつ。作中で登場したのはギブソン。辛口ジン+辛口ベルモットにパールオニオン(小さい玉葱のピクルス)を飾る。ギブソンという名がない世界なら、マティーニのバリエーションに入るかなって。


「ブラッディーマリー」

→トマトジュースを使ったウォッカベースのロングタイプのカクテル。トマトやセロリといった野菜を飾ることもある。何でも合うので、今回はおしゃれにカットしたオレンジとミントを添えました。途中でカクテルに落として飲んでも良いですよ。


※「チェリーブロッサム」

→チェリーブランデーで作る度数の高いショートカクテル。ヒーリングチェリー美味しい。作中では苺にしたけれど、シロップ漬けのチェリーを飾るのが王道。桜を浮かせるとお洒落。花びらが時間をかけてカクテルの雰囲気を変えていく。→ノンアルコールに変更。


「バージンブロッサム」

(チェリーブロッサムのノンアルコール版。創作)

→逆三角形のショートグラスに、チェリーシロップを入れて香り漬けした炭酸水を半量注ぐ。オレンジジュース(ベース)、グレナデンシロップ(甘みと色付け)、レモンジュース(爽やかさを足す)の三種類をシェイクし、グラスに静かに注いで下層に沈める。(上が透明な炭酸水、下が三種合わせたルビー色のジュースになる)。リリーが好きな苺を飾って、桜の花びら(桜の季節なので、塩漬けじゃなく生花を使用)を浮かべたら完成。


「ジャック・ローズ」

→カルヴァドスを使った林檎のカクテル。作中でエルが抜いたのはシュガーシロップ。グレナデンシロップは入れてます。ライムは生搾り。甘く爽やかに香るバランスの良いカクテル。エルは林檎が好きなので。


※「アレキサンダー」

→レシピによってベースは異なる。今回はブランデーベース。カカオリキュールと生クリームを使った度数の高いカクテル。縁をナッツやチョコでデコって可愛くしても幸せ。→ノンアルコールに変更。


「バージンアレキサンダー」

(アレキサンダーのノンアルコール版。そんなのあるのか?創作)

→アイスココアを即興のカクテルで作ろうとするとこうなった。ココア、砂糖、塩を少量のホットミルクで練り、シナモンとナツメグを加え、とろみがつくぐらいのホットミルクを加えて伸ばす。一気に冷たいミルクを注いで濃い目のアイスココアを作り、(これだけじゃ冷却足りないので)更にステアして冷やし、(口当たりを良くするために)茶漉しで濾して、アイスココアが完成。ソーサー型のグラスの縁をショコラ+ナッツコーティングして、チョコレートコポー浮かべて、ハートのショコラを飾る。可愛い。(むしろここからでもブランデーの香りを足したい)


※「トワイスアップ」

→ブランデーやウイスキーを常温の水(軟水)で割る飲み方。基本は同量の水を加えて優しくグラスを揺らす。水を一滴垂らすだけでも風味が変化するブランデーやウイスキーの世界。一気に香りが立って味もまろやかに変化する。


※「ティーロワイヤル」

→紅茶をティーカップに準備する。スプーンに角砂糖を置き、ブランデーを染み込ませる。スプーンが落ちないようにティーカップの上に乗せる。角砂糖に火をつける。コーヒーでやるとカフェロワイヤル。縁に引っ掛けるところが付いた専用スプーンもあります。火傷に気をつけて。


飲み過ぎに注意。

リリー編085話のあとがきでは、料理の話とかしてます。

では、三章で。



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