「溢れ出した嫉妬」
社員旅行、初日の夜。
「佐藤綾芽! 私は貴方を、絶対に認めないから!」
畳と木製の家具が和の趣を醸す、旅館の一室——301号室。ベッドの上には遥と美咲。そして部屋の中央で、綾芽と、一人の少女が対峙していた。
高い位置で結った金髪のツインテール。青い瞳に、西洋風の整った顔立ち。少しキツい目つきさえ絵になる美少女が、浴衣姿で仁王立ちしている。
ほぼ面識のない後輩が突然部屋に乗り込んできて、開口一番これである。
「き、急に何かな? 私、貴方に何か悪いことしたっけ……?」
「何もされてないわ。でも——先輩たちは皆、『綾芽ちゃん』『綾芽ちゃん』って、そればっかり! なんで皆、あんたばっかりなの!?」
「そ、そう言われても……」
たまらず、遥と美咲がベッドから腰を上げ、二人の間に割って入った。
「それって、ただの嫉妬でしょ? そんなので綾芽ちゃんに文句を言わないでよ!」
「そ、そうだよ! 皆が注目するのは、綾芽ちゃんが悪いわけじゃないじゃんか!」
「……やっぱり先輩たちも、この人の味方なんですね。こんな、一人に群がるだけの気持ち悪い集まり——来るんじゃなかった!」
「ちょ、ちょっと! 待ってよ!」
美咲の声も虚しく、少女は部屋を飛び出していった。
(はぁ……。これは、面倒なことになったな)
なぜ、こうなったのか。原因は、旅行が始まってから今までの約十時間に、静かに積もっていた。
◇
遡ること十時間前。旅館の広間で、参加者全員による自己紹介が行われていた。
「1003、中洲朱里です! 先輩として引率を任されてます。よろしく! はい次!」
「1004、海道柚木だ。朱里と共に引率を任されている。困ったことがあれば僕を頼ってくれ」
「1006、大村莉音です! 私も——」
この四桁の番号は、今回の参加者に割り振られたものだ。千の位が期生を、下三桁が社員番号の下三桁(入社順)を表す。公共の場でVTuberとしての正体を明かさずに、参加者同士でだけ素性を照合するための仕組みである。名札にも名前とともに記載されており、たとえば四期生で三十七番目入社の燈哉は「4037」だ。
「お初にお目にかかります。4037、佐藤綾芽です。今後とも親しくしていただけると嬉しいです」
もちろん偽名である。社長に頼み、旅館にも名簿にも「佐藤綾芽」で通してもらった。
「こ、こんにちは。5038、社静です。入社してまだ数ヶ月ですが、よろしくお願いします!」
綾芽に続いて自己紹介したこの金髪の少女こそ——のちに部屋へ乗り込んでくる、五期生の新人である。
「はい、じゃあ自己紹介はここまで! あとは自由にどうぞ〜」
朱里の一声と同時に、参加者の二割ほどが一斉に綾芽へ殺到した。
「綾芽ちゃん、連絡先交換しない?」
「いや、最初は私と交換すべき」
「ちょっと! 綾芽ちゃんが困るでしょ!?」
「美咲ちゃん、私は大丈夫だよ。皆ありがとう。これ、私のQRコードだから読み取ってくれる?」
その光景を横目に、静も勇気を出して動いた。
「あの、朱里先輩! 連絡先を交換してもらえませんか?」
「もちろん! まだ慣れないと思うけど、よろしくね!」
——だが交換を終えた朱里も、すぐに綾芽の輪へ吸い込まれていった。
(……なんで皆、綾芽さんのところにばかり行くの?)
最初は、ただ不思議だった。だが、それが積み重なれば——苛立ちに変わる。
昼食は、予約していた海鮮の有名店。ほとんどのメンバーが四人掛けのテーブルを囲む中、席の都合で静はカウンター席にいた。左隣には柚木。その向こうから、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「ゆ、柚木先輩! その、先輩も一人で食べてるので、何かお話でもと思って……」
「おぉ、新人の静君か。気遣いありがとう。ただ、僕は一人のほうが気楽なだけだから、気にしなくていい。——そうだ。話し相手が欲しいなら、綾芽君に話しかけるといい。入社順も近いし、同じ新人同士、仲良くなれるんじゃないか?」
「そ、そうですね……」
また、綾芽。
その後も静は、懸命にコンタクトを試みた。
「お、新人の静ちゃん! うまくやれてる? 新人といえば綾芽ちゃんもだよね。あの子、新人なのに会社トップクラスの稼ぎ頭だから、コツとか聞いてみたら?」
焦げ茶のゆる巻きロングを揺らす莉音は、優しかった。
「私はコミュ力ないから助けにはなれないけど……同じ新人の綾芽も頑張ってるし、静も頑張って」
ふんわりした黒ショートに緑の瞳の、140cmの最小柄の先輩も、優しかった。
——だが、誰と話しても、必ず「綾芽」が出てくる。
悪気がないことは、わかっている。その言葉にいちいち苛立ってしまう自分が理不尽なことも、わかっている。それでも。
(そんなに皆が言うなら……ちゃんと本人と、話してみよう)
そして夜。静は、綾芽の部屋——301号室の前に立った。
ノックしようとした、その瞬間。とん、と後ろから肩を叩かれた。
「やぁ、静ちゃん」
「あ……こんばんは」
『3027 上原智恵』の名札をつけた、黒いセーターの女性だった。お姉さんめいた柔らかい物腰で、彼女は静に寄り添うように囁く。
「綾芽ちゃんの部屋の前で、どうしたの? ……ああ、わかるよ。今回の初参加の新人は、綾芽ちゃんと貴方の二人だけ。なのに綾芽ちゃんは、たった十日で登録者百万人、スパチャも会社トップクラスの超新星。貴方は——ちゃんと頑張ってるけど、"普通の新人"。ずっと比べられて、先輩も皆取られて。悔しいよね?」
「せ、先輩……? 何が言いたいんですか?」
「悔しいなら、本人に言ってやりなよ。それとも他の先輩たちみたいに、綾芽ちゃんに擦り寄って人気のおこぼれをもらう?」
「たしかに悔しいし、言ってやりたい気持ちも、あるけど……」
俯く静に、黒いセーターの女は最後のひと押しを、そっと差し込んだ。
「静ちゃん。このままだと、ずっと奪われ続けるよ? 人気も。先輩も。——貴方の恩人である、社長からの期待も」
「……ッ、これ以上、奪われるのはヤダ!」
静は、ドアを力任せに開けた。
——こうして、冒頭の修羅場が幕を開けたのである。
◇
静を焚きつけた彼女——上原智恵もまた、明野来海の人気を快く思っていない一人だった。自らの手を汚さず、新人を使って燈哉を困らせる。それが彼女の描いた筋書きである。
人気には、必ず他人の嫉妬が付き纏う。人気者になった燈哉にとって、それは避けて通れない道だった。
——だが、この夜はまだ終わらない。




