「熱海・温泉旅館へ」
誕生日配信から一ヶ月あまりが経ち、四月も終わりに近づいた頃。燈哉は暗い部屋の中、スマホを耳に当てていた。相手は叔父——Vmove'sの社長である。
『この時期は毎年、新人同士の親睦を深めるために社員旅行をやっているんだ。去年は参加させなかったが、今年はどうだ? いい休暇になるぞ?』
「休暇? 別に要らないですよ。というか、そんなものに参加したらバレる危険しかないでしょう」
引きこもって配信を続けてきたせいで、燈哉には平日と休日の区別すらない。そもそも「休暇を取る」という発想自体が欠落しているのだ。
『まぁ、せっかくだから来いよ。二泊三日で熱海の温泉旅館。経費はほぼ会社持ち、部屋は一人一部屋だ。こんな機会はそうそうないぞ?』
「……参加メンバーは?」
『一期からはソロモン、ソラ、サツキ、コノハの四人。二期はスイ、クロコ、サエ。三期はみなみ、ケイ、ソフィー。四期はミハネ、おうちゃま、キララ。五期は志穂ちゃん一人。——計14人。もう全員に確認済みだから、あとはお前だけだ』
「14人……」
知り合いは何人かいる。だが、14人を三日間騙し続ける(遥はすでにバレているのでノーカウント)のは至難の業だ。しかも温泉旅館という、最高に気の抜ける空間で。
(申し訳ないが、丁重にお断りしよう)
「やはり、今回の参加は見送りということで」
『そうか。三日間、女のフリをし続けるのはキツいか』
「そういうことです。では、失礼——」
『遥ちゃんと美咲ちゃんの頼みだと言ったら、どうする?』
「……え?」
『本当はこの旅行、一ヶ月前に決まっていて、君を参加させる予定はなかったんだ。だが一昨日、二人が「どうしても綾芽ちゃんを」と頼み込んできてね。旅館に無理を言って、部屋を一つ増やしてもらった。……あーあ。断られたら部屋も無駄になるし、二人も悲しむだろうなぁ』
「あの二人の頼みで、しかも部屋は確保済み? ……それ、卑怯じゃないですか?」
『私としても、君にはいい交友関係を築いてほしいんだよ』
「……はぁ。バレたら困るのは、私だけじゃなくて社長もですからね?」
『君なら大丈夫だろう? 私は君を信用しているよ』
「……最善は、尽くします」
『では、来海ちゃんも参加ということで!』
電話の向こうの声が、少し嬉しそうに弾む。
『燈哉くん。気の抜けない旅行になるかもしれないが——思う存分、楽しんでおいで。きっと、いい思い出になる』
最後のそれは社長としてではなく、一人の身内としての言葉だった。
◇
『令和6年度 社員旅行について(配信者の部)
開催日時:4/28〜4/30(二泊三日)/開催場所:熱海・松璃旅館
当日午前10時、現地集合。交通費・宿泊費(食事込み)は本社が全額負担します。』
「あと一週間もないじゃないか……」
業務連絡を確認した燈哉は、ため息まじりに旅支度を始めた。
"絶対にバレてはいけない温泉旅館"が、幕を開けようとしていた。
◇
四月二十八日、午前九時。燈哉——もとい綾芽は、集合時間の一時間前に現地へ到着した。
熱海の中心地から少し離れた、和風のつくりが美しい宿。「松璃旅館」と書かれた木の看板と、数本の松が出迎える。
一時間前だというのに、すでに三番乗り。先客の二人は、何やら楽しげに話し込んでいた。
「今回の宿すごくない? 前回よりめっちゃ"和"って感じじゃん」
「そうだね。まぁ僕は、居心地が良くて、ご飯が美味しくて、温泉が気持ち良ければ何だっていいんだけど」
「あんたは内面ばっか気にするタイプだったね。……てか、配信外でも"僕"呼びのままでいいの?」
「僕は配信で素を出さないための徹底さ。君こそ、配信中に素の"うち"が出てリスナーに笑われたのを忘れたのかい?」
「うっ……だからあれ以来、日頃から一人称を"私"にする特訓中なのよ……」
(見たことのない顔だ……。関係者だとは思うが、話しかけづらい……!)
結局話しかけるのを諦め、綾芽はスマホを取り出す。——余談だが、この旅行のために燈哉はスマホケースを新調している。男女どちらが持っていても不自然でない、グレー×透明のやつだ。準備だけは、いつだって周到なのである。
その時。背後から、まっすぐこちらへ駆けてくる足音がした。
振り向くと——
「あ、莉音先輩、お久し——」
「あ、ちょっと待っ——!」
莉音が、飛びついてくる途中だった。おんぶを狙った腕が綾芽の肩にかかり、倒れまいと綾芽が踏ん張り、勢いを殺しきれなかった二人の顔が、正面から——
……重なった。
唇と、唇が。
「は、離れてくださいっ!」
「ご、ごめん綾芽ちゃん!!」
弾かれたように距離を取る二人。突然の事故に、当事者二人はもちろん、談笑していた先客二人の目もまん丸である。
「莉音!? アンタ何やってるの!?」
「まさか莉音って、そういう……?」
(なんで開幕零秒でこんなことになるんだよ!!)
綾芽は真っ赤になった顔を両手で覆った。
◇
「まぁ、ただの事故だ。莉音も反省している。綾芽君も、気を取り直そう」
「ご迷惑をおかけしました。私はもう大丈夫です」
「ったく、莉音はすーぐやらかすんだから〜」
「うっ……誠に、すみません……」
紺のシャツにベージュのズボン、黒のマッシュに赤いメッシュを何本か入れた、ホストにいそうなカッコよさの美少女が優しく場を収める。——北東南西ソラの中の人、海道柚木である。
その隣で莉音に呆れているのは、サラサラの長い茶髪に夏物の薄手の服を纏った、お姉さん味あふれる美人。——九頭如ソロモンの中の人、中洲朱里。二人は最古参として、この旅行の引率を任されているのだ。
「まぁ、うちなら——じゃない、私なら、面識も薄い三十半ばのおばさんとキスなんて絶対嫌だけどね〜」
「た、確かに……。ごめんね綾芽ちゃん、穢すような真似しちゃって……」
しゅんとする莉音に、綾芽ははっきりと言った。
「け、穢す? 私はただ——綺麗な先輩にキスされて、照れてただけですよ。だから、もう謝らないでください」
「…………え。それってつまり、私とキスした事実が嫌ってわけじゃ、ない?」
「だから、照れてるだけですって。……恥ずかしいので、言わせないでください」
「私とのキスに、照れてるってこと!?」
「そうだって言ってるじゃないですか! 言わせないでくださいよ!」
(——何この子、可愛すぎか??)
一瞬で調子を取り戻した莉音が、にんまりと身を乗り出す。
「綾芽ちゃん可愛すぎ。ね、もう一回キスしよっか?」
「や、やめてください! 先輩は恥ずかしくないんですか!?」
「可愛い綾芽ちゃんとなら、何回だってできちゃうよ〜?」
(え、莉音って本気でそっちの人だった……?)
目の前の急展開に、朱里と柚木は顔を見合わせるしかなかった。
——まだ始まってすらいない、二泊三日。果たして燈哉は、この調子で乗り切れるのだろうか。
社員旅行参加メンバーリスト
一期
九頭如ソロモン
北東南西ソラ
神楽阪サツキ
古屋コノハ
二期
浜辺スイ
犬神クロコ
千羽サエ
三期
早坂みなみ
吉寧ケイ
ソフィア・ピュアライト
四期
明野来海
法々ミハネ
蒼山キララ
魂盛おうちゃま
五期
極同志穂




