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落ちこぼれ二世の逆襲  作者: 竜胆千歳
第一章 働く事は難しい
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癒えなくて言えなくて

「お前どうしたんだそのケガ!?」

ホテルに戻ったら、篠宮さんにケンカの時の傷を心配されてしまった。姉弟とはいえ、審判と選手のケンカなどご法度だから、どう言い訳しようかな……。

「酔っぱらいに絡まれて……心配かけてすいません」

僕にしては稚拙な嘘だけど、篠宮さんは「商売道具なんだから気をつけろ」と言って何とか追及は免れた。

ただ、もうひとつ、飲み会を早々に抜け出した事についても問い詰められた。

「それと、球審祝いにどうしてすぐに帰って行ったんだ?」

「彼女から電話があって、会いたいって来たので」

「お前なぁ……」

篠宮さんに呆れられてしまったが、別に良いんだ。病院での事も、千榎との溝も、全部自分の事だから。

「とりあえず、さっさと休め。今日は疲れただろうから」

「そうします、最高でもあり、最悪でもあった1日でしたから、疲れました」

思わず口に出た言葉をツッコまれない様に、僕は急いで部屋へと入って行った。

「先輩、どうしたんですか?」

「……今日ほど一生忘れられない日もなかなかないだろうね」

「そりゃあやっぱり、球審デビューは審判の第一目標ですからね」

うん、違いない。それだけだったらどれだけ嬉しかっただろう、あの後にあんな事にならなかったらどれだけ苦手なお酒が楽しく飲めただろう。でも、もうあの時には戻れはしない。今はとにかく寝ていたいな……。

そう思って手短かに寝る準備をすませ、いつもより早く意識をなくしていった。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



翌朝、目を覚ますと永井が真っ青になって起こしてきた。

「先輩! 先輩のお母さんが──!」

「うん、知ってる。昨日病院に行ってきたから。──ありがとね、わざわざ教えにきてくれて」

「先輩……」

どう声をかけて良いのか迷っている様子の永井に、僕は努めて明るく声をかける。

「そんな顔をしないで、永井は今日試合あったよね、僕の事を気にする余裕があるなら、しっかり試合を捌いてきなよ」

「でも、先輩はお母さんが死んで悲しくないんですか!」

「……悲しむ権利なんて、僕にはないからね。葬式に行けない親不孝者に、そんな甘ったれた事は出来ないんだ」

その言葉に永井は口を噤んだ、審判は親の死に目に会えない。冠婚葬祭に行こうとするなら即座に2軍行き、どんな状況でも仕事を優先する職業なのだから。

「……ゴメンね試合前に雰囲気を悪くしちゃって、君は優しいよ」

「いや、先輩こそ辛いのに当たっちゃって……」

「良いんだ、気にしないで」

雰囲気を変えようとテレビをつけると、ちょうど早織母さんのニュースがやっていた。

「中上さん一言お願いします」

「……今は何も考えたくないです、すいません……」

魂が抜けた眼をした孝志さんが、報道陣に囲まれて質問に対して出した言葉は、心の底からの悲鳴に思えた。2回も大切な人を亡くしている悲しみは、子供でもある僕でも分からない。ただ、普段は気さくで、試合になると狡猾で、味方には尽くし、敵には無慈悲な孝志さんはどこにもいなかった。

孝志さんの悲痛な姿に眼をそらしたくなった時、携帯の着信音がなった。

「もしもし、海?」

「千榎、どうしたの」

「話したい事があるの、時間ある?」

「うん、少しなら」

「じゃあ『月見草』で待ってて、すぐに行くから」

電話を切って、永井に少し出かける事を伝えると、少し嫌な顔をされた。

「デートですか先輩?」

「デートに誘うなら、もうちょっと知り合いがいない場所にするけどね、お互いに」

虎太郎おじさんの行きつけの喫茶店な上に、竜姫おばさんの親友が店で働いてるから、イチャイチャするのはとても恥ずかしい。逆に言えば密談するのには絶好の場所でもあるから、重要な話をするのだろう。

ホテルから少し歩き、レトロ調の外装の喫茶店の前にたどり着く。オシャレな店とは言い難いが、シックで落ち着く居心地や、出されるメニューはここでしか味わえない知る人ぞ知る名店、それが『月見草』だ。

「うみおにいちゃん!」

「穂鷹? どうしたの」

「ちかおねえちゃんといっしょにきたんだ、いましらんのおむつかえてる」

孝志さんの状態から考えると、一旦石井家にいた方が良いと思ったのかな。前の時も──メグ母さんが他界した時には荒れていた、精神的に危ない状態で幼児の穂鷹と芝蘭の面倒を見る事は出来ないだろうからね。

「海、ゴメンね待たせて」

よちよち歩く芝蘭と一緒に千榎がトイレから出て来た、落ち着くまで会わないと言ったけど、大丈夫なのだろうか?

「ううん、気にしないで。それよりどうしたの」

「……あの後沢山悲しんだ、穂鷹君も早織さんが亡くなったのが分かったみたいで、一緒に泣いたんだ」

そうか……穂鷹は気付いちゃったのか、大切な家族がいなくなっちゃう悲しみに。芝蘭は気付いてないみたいだけど、それが良い事なのかは分からない。

「……それで、孝志おじさんの様子を父さんから聞いて、育てられる様子じゃないのが分かったの。──玄姉さんにそんな余裕なんてないし、父さんや母さんに預けるのは怖い。だから、ウチが面倒を見たい。そして、一緒に面倒を見て欲しいの」

「千榎……!?」

「沢山悲しんだ、今だって後悔してる。──だけど、これ以上後悔しても何も変わらないなら、2人のために、孝志おじさんのためにやるよ、それがウチの贖罪でケジメだから」

千榎の眼にはもう迷いは見えなかった、誰かを幸せにしたい想いがあるから芸能界に入ってその夢を与えている人だ、今出来ると思ったのは、穂鷹と芝蘭をしっかり面倒を見て、僕や玄、孝志さんがバラバラになっても穂鷹と芝蘭に悪い影響がなるべく出ない様にする事だったのだろう。……ありがとう、千榎。

「分かった、僕もどこまで出来るか分からないけど、やるだけやってみるよ。……それに今年でクビになるだろうから」

「あっ……」

そう……姉とはいえ、選手と審判が殴り合いのケンカをしたのだ、相当な処分が下されるだろう。良くて謹慎、普通に考えて解雇、最悪永久追放もあり得るのだ。その位の問題行動を思わずしてしまったのだ、だったら……。

「……いや、昨日の試合で引退しよう。その位最高の試合に立ち会えたから」

「海……それで本当に良いの?」

本当に良いのか? それはイエスでもあり、ノーでもある。まだ審判をやりたい気持ちもある、もっと凄い試合に立ち会いたい気持ちも沢山ある。……でも、千榎の事を近くで応援したい気持ち、穂鷹や芝蘭の面倒を見てあげたい気持ちもそれと同じ位あるんだ。おそらくどちらを選んでも後悔はする、だったら僕は自分の為で家族の為にこれから過ごしていたいんだ。

「うん、今まで千榎には苦労をかけて来た、これからは千榎を、弟たちを幸せにする事が僕の夢」

「……そっか、じゃあさ、ウチの夢に少し付き合って」

「何なりと、マイディア」

うやうやしくお辞儀をし、少しおどけてみせた。そうすると、穂鷹が子供らしい質問をぶつけた。

「まいでぃあってなに?」

「大好きな人って意味だよ」

「ちょ、海!」

千榎の照れている様子が可愛くて、僕も思わずほころんでしまう。するとさらに穂鷹が嬉しい言葉をかけてくれた。

「じゃあ、ちかおねえちゃんとうみおにいちゃんはぼくにとってのマイディアだね!」

「穂鷹君……!」

「げんおねえちゃんも、おとうさんも! それからそれから……」

こうやって少しずつ、大変な事があっても、それ以上に嬉しい事はやってくる。穂鷹が無理してるのは全く無いとも言えないだろう、それでも、こうやって乗り越えて行けたら良いんだ。それに、忘れられないものを無理して忘れようとしなくて良い、2人の母さんが早くに先立っても、その悲しみは喜びと一緒にあるのだから。

「海、時間は大丈夫?」

時計を見るとかなり時間が押していた、そろそろ行かないとマズい!

「じゃあ行ってくるね、穂鷹、芝蘭、千榎の言う事をしっかり聞いてね」

「はーい」

僕はお代を払い、球場へと急ぎ足で駆けていった。特に大きな仕事もない控えだけれども、ね。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



グラウンドでストレッチを終えて、控え室に行こうとする僕の方に、記者の方がやって来たが、面倒な事に、いつぞやに僕に嫌な質問をして来た人だ、確か名前は渡辺、下の名前まで呼ぶには失礼な事を沢山受けたので、省略しておこう。

「親が死んだのに球場に来られるんですか?」

「審判はそういうのでも、休めない仕事なので」

「今日は上がりの日でも?」

「控えとして、出場している審判に何があっても、万全に準備していますので」

この手の人は怒ったら、その失言を面白おかしく報道するので、無になって対処していく。前に会った時にここまで嫌な質問をしてくるのは、所属先の傾向か、それとも個人的な理由かどうか知りたかったので、表ルートで調べてもらっていたのだけど、孝志さんに負けてプロに行けなかったという理由があったので、ある程度は冷静になれた。

「審判って冷たい人ですね、親が親だからですか?」

だけどね、僕のバッシングには聞き流せても、絶対に黙っちゃいけない事ってあるんだよ。

僕は記者の人に、穂鷹や芝蘭には見せられない少し威圧感のあるオーラを出しながら、睨みを効かせながら審判全員の代表として突きつけた。

「──孝志さんに鼻を叩き折られて、不満タラタラで仕事をしている貴方に、ずっと真面目に、ひたむきに、罵声にも耐え、野球を愛している人達をバカにする資格はない!」

「……っ! てめぇもう一回言ってみろ!」

「何度でも言いますよ、厳しい中でもただひたすら自分の夢を叶えようとしている人達に、挫折したからと言って、自分の仕事にやり甲斐も誇りも持たずに、他人の醜聞ばかり追っている貴方がバカにするなんて言語道断だ!」

「このクソガキっ!」

ああ……千榎に言われた野球バカって本当かも知れない、安静にと言われたのに、また今日も暴力沙汰に巻き込まれているんだから。

「いっ……!」

ここで殴り返したら、それこそマスコミの格好のエサになってしまうし、審判のみんなに余計な迷惑をかける。ここは耐えないと……。

「おい、何やってるんだ!」

「先輩!」

「チッ……!」

篠宮さんと永井が僕が暴力を受けているのを発見してこちらに向かってくると、渡辺が逃げて行き、何とか助かった。

「あのオッサンに何されたんですか!」

「……ちょっとみんなをバカにしたから、それを言うなって怒ったら、逆ギレされて少し殴られただけだよ、ゴメ……っ!」

「先輩!」

あーマズいかも、体が自分の意思で動かせない。無理をしたツケと、ケンカした時のケガに、今の暴行でトドメになったかも。

「……篠宮さん、昨日沢山考えたんです、早織母さんが亡くなったのに通夜にも行けない、千榎が大変なのに側にいれない、自分の体が悲鳴を上げてる状態で、それでも夢を追いかけるのが、大切な人の苦痛になってないかって」

「中上……」

こんな状態で言いたくなかったけど、ここまで言ってしまったら、もう言ってしまった方が良いから。

「僕、審判辞める事にします。昨日玄とケンカしちゃったし、どこかで責任を取らないといけないでしょうから……今までありがとうございまし……たっ」

「先輩!」

何とか言えたかな、このまま死ぬのは嫌だなぁ、まだ生きていたいんだけど……。

そう思いながら、僕は意識を手放した。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



気がつくと、僕はベットの上で寝転んでいた。全体的に白い部屋、腕についた久々の点滴、ここは病室か。

「千榎……?」

「海っ……!」

千榎は僕の方に向かって、ティッシュの箱を投げつけてきた。それだけじゃなく、バックにポーチに帽子にタオルと手当たり次第に僕にぶつける。

「バカバカバカ! 海のバカ!」

「ち、千榎!?」

「絶対に安静って言われてたのに、心配無いからって言ったのに! ……海までいなくなったら……」

そうだ……僕だって千榎が意識不明になった時に本当に心配した、それなのに、僕が千榎に心配させちゃいけないよね。

「ごめんね、千榎。少し軽率だったよ、みんなをバカにされたからと言っても、もっとちゃんとした言い方や方法はあった」

僕は素直に謝ったけど、なぜか近くにあった柔らかい枕で僕を叩いた。

「ぶへっ!」

「謝ったからこれ以上怒れなかったけど、ついカッとした。海が悪いから反省しない」

そんな容疑者みたいに言わなくても……確かに僕が悪いけど。

「中上、起きたか?」

部屋に入って来たのは、お見舞いの品を持ってきた篠宮さんと永井だった。

「お前、病気持ちだってのに今まで隠してやってたんだな」

「はい……」

「だけど篠宮さん、先輩は野球が大好きで仕方ないのは──」

「そんな事は分かってる、こいつより野球を愛してるヤツを選手や審判、現役の有無関係無しにいない──だが、いくらちゃんと薬を打って心配はないとは言っても、隠したのは事実で、姉弟喧嘩とは言え選手と審判が喧嘩するとは言語道断だ」

そうですね、篠宮さん。だけど、それでもやりたかった、あの舞台に立ちたかった、憧れていたユニフォームも、歓声も無いけれど。

それもあったからなのかな、同じ歳の姉に嫉妬してしまった。歓声を、名声を、興奮を一身に浴びて、大切な人がいなくなった時に素直に悲しめる、玄への見苦しい気持ちが。

「そこで、お前の責任の取り方として、任意引退として申請し、受理された。毎日薬を打って試合に支障が無いようにしていたし、姉弟喧嘩としての喧嘩という事で酌量の余地があるからこの形が妥当だろうという連盟の判断だ」

「そう……ですか」

これで僕は、審判でも何でも無い、ただの中上海になってしまった。職業欄に無職と書かないといけないし、穂鷹や芝蘭、千榎を養うのだってどうしよう。

「今まで……お世話になりました」

それだけの言葉を絞り出すので精一杯だった、覚悟はしていたのに、いざ辞めるとなると心がぐしゃぐしゃになるんだね……。

今は泣かない様に、ただ窓から見える夜空を眺めていた。

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