創時
次の日の土曜日、何度も創時に連絡を入れたが、結局繋がらなかった。まだ、風邪が治らないのだろうか?
いっそ、創時の家にお見舞いに行こうかとも考えたが、向こう側が迷惑かもしれないので、行くこともできなかった。
そんなことをずっと考えながら、ずっとベッドにうずくまっていたので、時刻はすでに午後四時を過ぎてしまっている。冬の日没は早い。もうすでに、窓の外の世界は朱色に染まっている。遠くで飛んでいるカラスの群れの部分だけが、黒く彩られていた。
夕日を見ていると、なんだか不思議な気分になる。気持ちが穏やかになり、なんだか、いつもはどうでもいいものでも愛おしく思えてしまう。まるで、夕日が記憶の全てを思い出させてくれたみたいだった。
「今日で五年ですか……」
ふと、女性の声が聞こえる。気を散らすために点けていたテレビだ。夕方のニュースが始まったのだ。
「そうですか。……もう五年ですか……」
女性アナウンサーの隣の男性が鎮痛そうな面持ちで答える。
五年……。五年前、何かあっただろうか?
舞香は記憶にさぐりを入れてみるが、答えは見つからない。
と、そこで映像が切り替わる。
映し出されるのは、どこかの遊園地の映像だ。たくさん人が集まるであろう観覧車前の広間の様々なところに血痕が付着しており、ところどころで鑑識が血痕を調べているのが見える。
そこで、舞香は思い出す。確か、遊園地で男がナイフで次々に人を切り付けていった事件だ。犯人はその場で逮捕されたが、確か心神喪失で無罪になったはずだ。そして、事件の責任と言う形で、遊園地の運営会社は倒産となり、遊園地も廃園となってしまった。
「そっか。……もう五年も経つんだ……」
また、映像が切り替わる。
一人の女性が映っていた。いや、女性といっても、顔は映されていない。画面横のテロップには、『さとし君の母親』と書かれている。さとし君は、犠牲になった当時五歳の少年だそうだ。
「どうして犯人は罪に問われないんですか? おかしいじゃないですか。人を――さとしを殺したんですよ? 人を殺したら罪に問われるべきじゃないんですか? ねえ? そうですよね? 私、間違ってませんよね?」
今すぐにでも、慟哭しそうな声だった。まるで、何かにしがみつくかのように、母親は手で顔を覆っている。もちろん、顔は映っていないのだが、それでも女性が泣いていることはわかった。
「できることなら、過去に戻って息子を助けたいです。……ほら、噂であるじゃないですか。……はははっ」
もはや、女性が狂い始めていることは明らかだった。普通に考えればこんな映像を報道番組で流すのはどうかと思うが、それでも流したのは、この事件の凄惨さを知ってもらうためだろう。
画面が切り替わり、アナウンサーの女性が映る。そして、そのアナウンサーが告げた言葉は、衝撃的なものだった。
「先日、この女性は傷害を犯し、逮捕されました。……もしかしたら、背景にはこの事件のことがあったのかもしれません」
――「鍵」の噂を信じた者たちは、警察に捕えられ、投獄されるらしい。
ふと、島に流れている噂が舞香の脳裏を過ぎった。
(……まさか……ね)
しかし、そう思っていても、舞香の心臓はばくばくと早く鼓動していた。
――でも、もし本当にこの女性が噂通りに捕まったのなら、久藤も逮捕されてしまうのかもしれない。
――いや、どうでもいい。久藤がどうなろうが、舞香には関係ないのだ。……全然、関係ない……。
それなのに、舞香の身体は震えていた。布団にもぐって抑えつけても、治まりそうにない。
自分がよければそれでいいはずなのに、なぜか舞香は久藤を心配していた。
おかしい。こんなはずじゃない。
それでも、震えは止まらない。
――そうして、舞香の心の奥に隠していた本当の舞香が表に出始めていた。今までの自分は偽りだった。そう舞香に教えるように……。
十二月四日――日曜日。
舞香は久藤に指定された場所に来ていた。バイトは急遽休みにしてもらったのだ。店長にかなり説得されたが、舞香の真剣さが伝わったのか、シフトチェンジということで許してもらえた。代わりに入ってくれた子には、感謝しなければならない。
今日舞香がここに来たのは、久藤を止めるためだ。噂が本当ならば、久藤も捕まってしまうかもしれない。例え一度しか会っていない人であっても、舞香の心がそれを許さなかった。そして、それが舞香の本心だった。
そのホテルの一室にいたのは、顔全体に包帯を巻いた男だった。
「こんにちは。よく来てくれましたね」
穏やかな口調で包帯男――久藤は舞香をソファーに座るように勧める。舞香は促された通り久藤の向かい側のソファーに座り、姿勢を正す。あまり面識のない人と二人っきりで対面するというのは、なんだか緊張した。
しかし、舞香にはさっきから気になっていることがあった。もちろん、包帯のことだ。
「あの……」
正直に訊いていいものかどうか逡巡していると、舞香が言わんとしていることを悟ったのか、久藤から包帯のことを話してくれる。
「これはね、半年前に火事で火傷をしてしまってね、あまりにみじめな顔になってしまったので包帯しているんですよ」
「そうですか……」
なんと言っていいものかわからず、舞香は曖昧に返事をする。こういう時、何か気の利く言葉を言えたのなら、大人と言えるのだろうか? そんなどうでもいいことを考えて、舞香は気を紛らわす。
気まずい沈黙が訪れる。
舞香の目の前のテーブルには、冬だというのに氷の入ったお茶が置かれていた。見ると、久藤のところにも同じものが置かれていた。確かに、室内は暖房が効いていて温かいが、外は雪が降っている。さすがに、冷たいものはいかがなものかと思った。
だが、今の舞香にそんなことはどうでもよかった。舞香は沈黙を誤魔化すように冷たいお茶を飲む。かき氷を食べた時のような現象にはならなかったが、口の中が冷えて、身体全体が冷えたように感じられた。
しかし、そこで舞香はある考えに思い至る。
もしかしたら、久藤は火事により、熱いものが怖くなってしまったのかもしれない。火が苦手イコール熱いものが苦手というのはいささか極端かとも思ったが、それは大火傷をした人にしかわからないことなのかもしれない。
久藤はお茶を一口飲み、口を開く。
「早速本題に入ってもいいですか」
「はい」
――まだ言うタイミングではない。それに、噂が本当だと証明してくれるなら、好都合だ。
でも、もしその証明があまりにも胡散草かった場合は、舞香の心配は空回りだったということになる。……まあ、その時はその時だ。なんとかなるだろう。
「ただし、この話を聞いたらもう後戻りはできません。……それでもいいですか?」
フィクションでしか聞いたことのない言葉が舞香にぶつけられる。
だけど、もう後戻りする気なんてなかった。
「はい」
それを聞いた久藤は、納得したように首を縦に振り、話し始める。
「手紙で少し触れましたが、舞香さんはこの島に流れている――いや、流れていた噂を知っていますか?」
舞香は黙って頷く。
過去を変えることができる『鍵』という存在の噂と、『鍵』を信じたものは投獄されるという噂だ。
「結論から言うと、その噂は全て本当です。……証拠はあります。それが、これです」
そう言って、久藤は傍らから何かを取り出す。鍵だ。よく映画などで見かけるような、レトロな鍵がそこにあった。
「これが……?」
内心、信じられないでいた。だって、何の変哲もなさそうな鍵なのだ。それに、『鍵』がそのままの意味の鍵だとは思ってもみなかった。
「信じられないですか?」
久藤の問いに舞香は頷く。
「だけど、舞香さんがここに来てくれたということは、噂を信じてくれたということでしょう? それだけで充分です。それだけあれば、この鍵は反応を示してくれます。つまり――」
久藤は一度言葉を途切れさせる。
氷が解け、ガラスに当たって、からんという音だけが響く。
「――過去を変えたいと本気で思う者にのみ、この鍵は反応します」
過去を変えたいと思う者……。きっと、久藤のように過去に理不尽なことが起こった人を指すのだろう。それに、久藤は今、舞香もその中に入っていると思っているだろう。だが、残念ながら違う。
――そう。言うなら今だ。
「久藤さん。……久藤さんの真剣な口調からわかりました。確かに過去を変えることはできるんですね。……でも、だからこそ、私は久藤さんに言わなければならないことがあります」
久藤は、鍵をぎゅっと握り締めながら、「なんですか?」と答える。
舞香は一旦心の中で深呼吸し、そして口を開く。
「過去に戻るのをやめませんか?」
空気がぴんと張りつめる。
久藤は絶句しているのか、言葉を発さなかった。
「私が今日ここに来たのは、久藤さんを止めるためだったんです。……久藤さん、噂が本当ならば、もう一つの噂も本当ということになります。なら、こんなことをすればどうなるか、わかるはずです」
数分間、沈黙が流れた。
舞香は久藤を見つめる。久藤は包帯から覗く目をきょろきょろと動かしていた。とても動揺しているようだ。
「どういうことだ……?」
久藤が呟いた。
「そのままの意味です」
舞香ははっきりと答える。しかし、そう答えたものの、久藤の呟きは舞香の言葉に向けて言っているモノではないように感じた。今のはまるで、自分の考えていたことと食い違っていたかのような呟きだ。
「……いや……しかし……」
吐息のように細い声だった。今にも、冷気となって外に流れて行ってしまいそうだ。
久藤がどんな計画を立てていたのかは知らないが、それでも舞香のやることは変わらなかった。
「私は、久藤さんを牢屋に入れるようなことをしたくありません。だから、こうして提案しているんです」
久藤の様子が変だったが、舞香は追い打ちをかける。
――だが、舞香の言葉も久藤には届かなかった。
「もういい! 私一人で行く!」
突如、久藤はテーブルを叩きつけて勢いよく立ち上がり、入口に向かって歩いていく。テーブルに載っていたグラスが地面に転がり、カーペットに染みを広げていく。
「駄目です! 行かせません!」
舞香は部屋の入口のほうに先回りし、手を横に広げて行かせまいとする。きっと、あの鍵を使って扉を開けば、過去に戻れるという仕組みなのだろう。なら、扉のところに行かせなければいい。
しかし、その考えが甘かった。
久藤はくるっと方向転換し、クローゼットの前に立つと、鍵を使うことなく戸を開く。すると、瞬く間にクローゼットの中から白い光が漏れだし、そして、久藤はその中に入っていった。その時の久藤が舞香を笑っているように見えたのは、恐らく気のせいだろう。だって、顔は隠れているのだから。
「えっ……」
素っ頓狂な声が漏れる。
(鍵使わなくていいの……?)
なんだか、扉への道を塞いでいた自分が馬鹿らしく思えてきた。
しかし、今そんなことはどうでもよかった。とにかく、追いかけなければいけない。
舞香は躊躇することなくクローゼットの光の中へと飛び込む。
そして、次に目を開けた時、舞香の目の前に広がっていたのは、住宅の屋根だった。過去に戻ってきたのかどうかは定かではないが、ワープしたことは確かだった。
舞香は周りを見回す。
色とりどりの家の屋根が続いていた。少し先の屋根で猫が日なたぼっこしているのが見えた。しかし、どこにも久藤の姿は見えない。まさか、別の場所にワープしたのだろうか? そう思って少し歩くが、ここは家の屋根の上だ。隣の家までは数メートルも離れているし、地面まではそれよりも長い距離だった。幸い、この島の屋根のほとんどはフラットだ。他の国には三角の屋根もあるというから、もしそんなところに着地したのなら、バランスを崩してしまっていただろう。
舞香はもう一度周りを見回す。
一体、これからどうしたらいいのだろうか? 舞香が動ける範囲はこの家の屋根の部分しかない。もしかしたら、このままずっと誰にも発見されずに餓死してしまうかもしれない。
もう、溜め息しか出てこなかった。勢いよく追いかけてきたのに、八方ふさがりになってしまうとは、滑稽でもあった。
舞香の感情が恥ずかしさと絶望感のあまり、その場にへたれこんでしまう。
しかし、その直後――
「侵入者発見――って……えっ? 舞香!?」
という、とても聞き慣れたことのある声が舞香の耳に流れた。
舞香は驚いて顔を上げる。そして、そこにいたのは……
「……創時……?」
確かに、舞香の幼馴染の創時だった。どうしてこんなところにいるのだろうか?
創時も舞香と同じぐらい驚いていた。
「なんで舞香、こんなところに……」
二人の間に妙な沈黙が生まれる。
「風邪は……?」
何か言わなければと思い、出てきた言葉がそれだった。
「あっ。ごめん。それ嘘なんだ。……なんか色々立て込んでて……って、そんなことはどうでもいいの。どうして舞香、ここにいるんだよ」
戸惑う二人の間に、冬の冷たい風が吹き抜けた。
次、変態が出ます。




