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時の扉  作者: 黒糖パン
3/30

過去のこと

過去編です。

「何読んでるの?」

 舞香の耳に、聞き慣れた声が流れる。目を向けると、舞香の母親――菜穂が、舞香が読んでいる雑誌を覗き込んでいた。

「んー。なんでもないよ」

 舞香は雑誌を閉じる。別にやましいものを見ていたわけではないのだが、自分の読んでいるものを覗き見されるというのは、なんだか嫌な気分になるのだ。

「ピアス?」

 しかし、菜穂はしっかりと舞香が何を見ていたのか見ていたようだ。

「うん。……まあね」

 舞香は観念して答える。別に、隠すつもりもなかったのだが。

「ふーん。……そっか」

「でも、ちょっと高いかなあ」

「安いやつもあるんじゃないの?」

「あるけど、でもせっかくだから……さ」

 舞香は立ち上がり、雑誌をリビングの本棚に入れる。そして、ダイニングキッチンへ。

「じゃあ、創時くんに買ってもらえば?」

 菜穂もキッチンに来て、ご飯をお茶碗に入れたり、お箸を用意したり――とし始める。

「どうしてそこで創時が出てくるの」

 舞香にはまったく理解ができなかった。確かに舞香と創時は幼馴染ではあるが、舞香は創時に物を買わせたことなど一度もない。

「うふふ。……なんでもないわよ」

 本当に、何を言いたかったのか理解できなかった。

 ――でも

 舞香の気持ちは少し明るくなっていた。父親の浮気で離婚してから菜穂が生き生きとしているからだ。そして、舞香は両親が離婚してよかったと思っていた。それが、菜穂のためになったと思ったからだ。

 舞香は今日のおかずを全てテーブルに並べると、椅子に座る。続けて、菜穂も舞香の向かいに座る。

「ねえ。お母さんは、離婚してよかったと思う?」

「急にどうしたの」

 平静を装っているつもりだろうが、舞香には菜穂が少し動揺したのがわかった。やっぱり、過去を蒸し返すようなことはしないほうがよかったかもしれない。

 舞香は反省して、今の言葉をなかったことにする。

「いや……なんでもないよ」

「そっか……」

 重い空気が二人にのしかかる。舞香はこの話題を出してしまったことを後悔していた。もうきっと――ずっとこの先、このことを口にする日は来ないだろう。

 舞香は沈黙を破るために口を開く。

「さっ、食べよ――」

「私は――」

 でも、菜穂がそれを遮る。

「私はね、もう男の人には清々してるの。また裏切られたら嫌だしね。……それに、私には舞香がいるからいいの。……それが私の答え。これでいい?」

 菜穂は満面の笑みを見せる。

 きっと、今の言葉に嘘はないのだろう。

 舞香はそう信じて、うん。と頷いた。


 ――でも、信じていたのに、舞香は裏切られた。


 菜穂が男性と歩いているのを舞香が見たのは、数日後の十二月八日だった。

 その日、舞香は友達とショッピングセンターで買い物をしていた。

 そうして、買い物がひと段落しようとしていた頃――

「ちょっと私、トイレ行ってくるね」

 よほど我慢していたのか、舞香の友達は駆け足でトイレに入っていく。

 舞香は壁に身体をもたれさせ、少し休憩する。一日中歩いた身体は、休息を欲していた。

「ふう」

 特に何もすることもなく、舞香は何気なく通路のほうに目を向ける。吹き抜けを挟んだ向こう側の店頭には、子供が好きそうなぬいぐるみがたくさん並んでいた。今も、仲のよさそうな家族が三人一緒になってぬいぐるみを見ている。

 そして、女性が横の小さな男の子に笑いかけた時、舞香の全身に衝撃が走っていた。舞香の身体が痙攣し始める。

 一瞬、見間違いかと思った。でも、何度見てもやっぱりその女性は菜穂だった。

「嘘……でしょ……」

 自然、舞香の口からそんな言葉が漏れていた。

『私はね、もう男の人には清々してるの』

 ほんの数日前の菜穂の言葉が舞香の頭に流れる。

 ――あれは嘘だったのか? 信じたほうが馬鹿だったのか?

 しかも、相手の男は、舞香より少し上くらいの若い男性だ。それがまたショックだった。

 ――いいや、本当に大事なのはそこじゃない。

 大事なのは、その二人の間に、子供がいるということだ。しかも、そこまで小さくない。おおよそ、五歳といったところだ。まさか、五年も隠していたとは……。

 舞香の肺が上手く機能せず、呼吸困難に陥る。必死に空気を求めてもがくが、目に映るのは幸せそうな菜穂の笑顔だった。

(ああ……ああ……。

 ――私を裏切ったんだ……)


 その日から、舞香は菜穂と口を利かなくなった。あの日のことは、聞くまでもなかった。結局、菜穂が浮気していたから舞香の父親も浮気して、離婚したということなのだろう。

 舞香は、今まで菜穂を信じていた自分が馬鹿らしく思えた。


 そうして、何も話さないまま一週間が経った。


菜穂が病院に運ばれたことを知らせる電話が来たのは、その日の三時三十分だった。

 その日、家にいるのが嫌で、舞香は創時を誘って駅前をぶらぶらしていた。

 創時には菜穂のことを話していた。言うのは辛かったけど、それでも誰かに聞いてほしかったのだ。舞香の話を聞いた創時は、「話してくれてありがと」と言って、それ以上は何も言わなかった。でも、それが舞香にとって一番だった。

「ねえ、隣の通りに行ってみない?」

 舞香は創時にそう提案する。

「いいけど、何かあるの?」

「うん。クレープ屋さんが」

「また食べるの?」

 創時は呆れ顔を見せる。確かに、さっきたこ焼きを食べたばかりだが、そんなことは関係なかった。舞香は子供のように元気に頷く。

「はいはい。わかったよ…………って、どうしたんだろ……」

 突然、創時の口調が不安そうなものになる。

 創時の目線を追ってみると、そこは今から行こうとしている筋へ続く路地だった。

 確かに妙だった。なぜか、大勢の人が路地から走って出てくるのだ。その人たちはみな、怯え、一心不乱に何かから逃げていた。この事態には、創時と舞香だけでなく、周りの人たちも戸惑っている。

「ちょっと行ってくる! 舞香はそこの喫茶店にでも入っていて! 絶対追いかけてきちゃだめだからね」

 捲し立てるように創時はそう言って、逃げる人とは逆方向に路地を走っていく。

「あっ……ちょっと」

 舞香がそう言っても、もうそこに創時の姿はなかった。すぐに心細くなる。

 母親に裏切られ、幼馴染にも置いて行かれ――まるで、周りに誰もいなくなってしまったかのような気分だった。

 逃げてきた人の肩と舞香の肩がぶつかる。舞香は、痛みも感じなかった。

(創時……早く帰ってきて)

 舞香の寂しさを象徴するように、木々の間を風が通り抜け、もがり笛が鳴っていた。

 いつの間にか、舞香は創時に言われた通り喫茶店に入店していた。気付けば、飲めもしないコーヒーを頼んでいた。現実逃避したかったのかもしれない。

 コーヒーの水面に創時の顔が映ったような気がした。

 もう、創時のことしか考えられなくなっていた。一人にならなければ、こんな感情に気付かなかった。きっとこの感情は――。

 時刻を確認すると、三時三十五分だった。さっきの出来事からまだ三十分くらいしか経っていない。

 電話が鳴る。

(創時ッ)

 そう思って着信先を確認せずに電話に出る。

『菜穂様の娘の舞香さんですか?』

 しかし、相手は聞いたことのない男性の声だった。

『はい……』

 舞香は不安に駆られながらも正直に答える。

 刹那、舞香の背筋に悪寒が走る。

『――菜穂様が病院に運ばれました。医師がすぐに来いと言っていますので、大至急来てください』

 端的にまとめられた言葉だった。でも、だからこそ舞香はすぐに理解した。

 そして、タクシーに飛び乗って病院に着いた頃、もう菜穂は帰らぬ人となっていた。

 菜穂の遺体を前にして、なぜか舞香は泣くことができなかった。それどころか、笑いがこみ上げてきた。

――ははは。……ざまあみろ。

心のどこかがそう告げる。しかし、周りに警官のような人がいたため、表に笑いを表現することはできなかった。

その後、菜穂が通り魔に殺されたことを聞いた。犯人の目撃証言は多いものの、まだ捕まえることはできていないそうだ。

次の日、菜穂の葬式が行われた。舞香には多くの同情がかけられたが、あまりよくわからなかった。

そして、それから数日後、犯人が海外に逃げたというニュースが流れた。警察は、あと一歩で間に合わなかったそうだ。

――でも、そんなことどうでもよかった。

大事なのは、これからの生活がどうなるか、だ。

菜穂と住んでいた家のローンを舞香一人で払うのは不可能だし……。そもそも、舞香には身寄りがいなかったのだ。どこかに行った父親が見つかればいいのだろうが、舞香は父親を頼る気になれなかった。なので、舞香は中学に行かずにメイド喫茶でバイトを始め、未成年でも貸してくれる不動産を探し、ついにアパートを新居とした。高校は行く気がなかったのだが、創時に説得され、通うこととなった。

――そうして、舞香は『一人』でいることに慣れていった。


 舞香の記憶は、現代へと戻ってくる。

(なんか、いろいろ思い出しちゃったな……)

 でも、思い出したからこそわかった。やはり、舞香にこんな手紙なんていらないのだ。

 舞香は手紙をゴミ箱に捨て、時刻を確認する。午後の十一時だった。一応、家の近くの銭湯はまだ開いているだろうが、なんだか行く気になれなかった。となると、他にすることはないので、できることとなれば一つだけだ。

 舞香はさっとパジャマに着替え、布団に潜り込む。

 ふと、一年前の創時が頭に浮かぶ。あの時から、創時は舞香の心配をしてくれていていた。だから、今回のこともきっと、舞香のことを真剣に考えた結果だったのだろう。なら――

「明日、創時にしっかり謝る」

 まるで呪文のようにそう唱えながら舞香は眠りについた。


次は、金髪幼女が出てきます。

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