第21話:フィンの魔法検証
「今日は、フィン君の魔法検証をしたいと思います」
「はい、待ってました!」
フィンの手には、使い込まれた革表紙の手帳が握られている。表紙を開き、羽ペンにインクを馴染ませる所作に躊躇いはない。ペン先が紙の表面を擦る音が、裏庭の静寂を細かく切り刻む。
「火球術を題材にしましょう。まず、付与した状態で詠唱してもらえますか」
「分かりました」
フィンが手帳を小脇に抱え、右腕を前方の的へと伸ばす。的は丸太を輪切りにしたもので、人間の頭部ほどの体積があった。
俺はまぶたを閉じ、自身の内側へと意識を向ける。へその下あたりで渦を巻く熱を探り当て、それを一本の糸のように引き伸ばした。見えない管を宙に渡し、フィンの背中へと繋ぎ止める。
俺の呼吸と彼の呼吸が重なる。俺の指先の感覚が、彼の指先へと流れ込んでいく。自分の意識の膜を、他者の身体に被せるような、感覚。
俺は意識してフィンに感覚を付与しながら、様子を見守った。
「――我が意志、灯火となりて――」
声帯から紡ぎ出された音の連なりは、一切の滞りがない。舌の回り、息継ぎのタイミング、発声の強弱。普段の彼が発する声とは別の法則に従い、一言一句、その全てが最適解をなぞっている。
前方へ伸ばされた指先の角度も、宙で固定されたかのように微動だにしない。まるで計算し尽くされたように無駄がない。魔力を練り上げるための道筋が、外側から型に嵌められたかのように構築されていく。
フィンの手元で空気が陽炎のように揺らいだ。瞬きの間に産み出された炎の塊が、周囲の空気を焼きながら膨張する。顔の皮膚がひりつくほどの熱が、数歩離れた俺の場所まで波及してきた。
放たれた火球は、重力を無視するかのように直進した。風に煽られることもなく、的の中心を寸分違わず射抜く。
鼓膜を打つ炸裂音。丸太の表面が弾け飛び、炭化した木材から黒い煙が空へと立ち昇った。焦げた匂いが裏庭に充満する。
「……すごい」
フィン自身も、炎を生み出した自分の手を見つめながら驚いていた。指先が微かに震え、限界まで目を見開いている。自身の成した結果に、彼自身が一番圧倒されているようだった。
「今度は、付与を解除します」
俺は静かに念じ、繋いでいた意識の管を根元から引き抜いた。フィンを覆っていた膜が消え、視界のピントが元に戻る。俺と彼の間に、元通りの距離感が生まれた。
「では、もう一度」
促されるまま、フィンは再び的へ腕を伸ばした。
「――我が、意志……、灯火、となりて……」
唇から漏れる声は、先ほどとは別物だった。単語と単語の間に空白が生まれ、音程も上下にブレる。先ほどとは打って変わって、詠唱がぎこちなく途切れる。前方に伸ばされた腕は重力に負けて下がり気味になり、指の動きもどこか迷いがちだった。
周囲の魔力が、行き場を失ったようにフィンの手元を漂う。ようやく形を成した炎は、輪郭が一定せず、芯の熱が足りていない。
放たれた火球は、明らかに先ほどより勢いを失い、的へ届く前に速度を落とした。空中で形を維持できなくなり、的の手前で力なく煙を上げて霧散する。地面に落ちた火の粉が、土を黒く焦がして跡形もなく消え去った。
「うわ……全然、違う」
フィンが腕を下ろし、呆然と呟いた。視線は、火球が消えた空間と自身の手を忙しなく往復している。
「これ、面白いですね」
フィンの手元で、ペンが紙を叩く。彼は早速、手帳に何やら書き込み始めた。
「付与状態だと、詠唱の一言一句だけじゃなくて、指の角度まで最適化されてる。でも素の状態だと、まるで別人みたいにぎこちない」
「そうですね……」
ペンの走る音が裏庭に響き続ける。インクが紙に染み込み、文字の列が瞬く間にページを埋め尽くしていく。
「ノアさん、これって理論的には、どういう仕組みなんですか?」
手帳から顔を上げたフィンの瞳孔が開いている。瞬きすら忘れたかのように、期待に満ちた視線が俺の顔に突き刺さった。
「ええと……」
正直、自分でも分からなかった。言葉を探し、宙に視線を彷徨わせる。
頭の中に浮かぶのは、言語化を拒む事象ばかりだ。魔力の波長がどう変化したか、術式の構築工程がどう短縮されたか。そんな学術的な裏付けは、俺の中には存在しない。王都の図書館でも見たことがない。考えたりもしたが答えも出ず、ただ「そう感じる」だけで、なぜそうなるのか、明確な理屈があるわけではない。ただ、そうしやすいようにすればいいと感覚的にわかる。それを相手の体に伝達しているだけだ。
「……さあ。やりやすいから、としか、言えないんですよね」
喉から絞り出した声は、芯のない響きだった。
「やりやすいから、ですか……」
フィンが、拍子抜けしたように眉を寄せた。手帳を構えたままの姿勢で、首を傾げる。
「もう少し、具体的に説明できないんですか? たとえば、術式のどの部分に作用してるとか」
「うーん……」
俺は自分の手を見下ろし、指を曲げ伸ばししてみた。関節が動く感覚を確かめる。
「感覚的には、指先の動きとか、頭の中の『こうすればいい』っていう直感みたいなものを、そのまま相手の体に伝えてる感じで。歩く時に右足を出して左足を出す、みたいな、理屈を通さない動きをそのまま渡しているというか」
「直感……」
フィンは手帳を閉じ、腕を組んで考え込んだ。地面の小石を靴のつま先で転がしながら、思考の奥底へと潜っていく。
「感覚の伝播。いや、それだけでは魔力の精製速度の説明が……いやできますか。速く走れる足と、コツがあれば。でも感覚的すぎて、理論として組み立てにくいです。これじゃ、再現性のある魔法理論として説明できない」
口の中で単語を噛み砕くように呟くフィンを見つめながら、俺は肩をすくめた。
「俺自身も、まだよく分かってないですから」
風が吹き抜け、壁際の蔦が擦れ合う音が響く。二人して、しばらく首をひねりながら黙り込んだ。既存の枠組みに当てはまらない現象を前に、フィンは腕を組んだまま足元の土を見つめている。
「――でも」
やがて、フィンがぽつりと口を開いた。顔を上げ、俺を真っ直ぐに見据える。
「理屈が分からないからこそ、面白いのかもしれません。誰も解き明かしたことのない現象を、俺たちが最初に解明できるかもしれないってことですから」
彼の手の中で、幾重にも紙が束ねられた手帳が強く握りしめられている。未知を前にして足踏みするのではなく、それを解体し、構造を暴き出そうとする意思。その言葉に、フィンの目には、隠しきれない探究心が輝いていた。
「そうですね。俺も、いつか分かる日が来たらいいなと思います」
そう答えながら、俺の意識はふと、思った。
なぜ、自分にはこんな力が備わっているのか。
答えの出ない問いを胸に抱えたまま、俺はもう一度、フィンと共に検証を続けることにした。
「よし、次は水球術で試してみましょう。今度は魔力の流れを――」
俺が言葉を継ごうとした、その時だった。
裏庭の入り口から、聞き覚えのある声が響いた。
「――ノアさん! 大変です、緊急の依頼が!」
土を蹴立てて駆け込んできたのは、ケインだった。




