第1話:勘違い
「おい、ノア。積み荷、もう限界だろ」
レオンの声に、俺は背負った荷をゆすり上げながら答えた。
「これくらいなら、なんとかなりますよ」
嘘ではない。背中に食い込む革の帯も、両肩の奥でうずく感触も、すっかり体になじんでいる。
背中を地面へ引きずり込もうとする力を足の裏で受け止め、一歩ずつ前へ進む。
荷物持ちとして「金色の刃」という名のパーティに拾われてから、もう七年の月日が流れていた。
土にまみれる農奴の家に生まれ、物心ついた頃から畑の土を掘り返してきた。
太陽がのぼる前から働き、刃のこぼれた斧で薪を割り、体の半分ほどもある桶で水を運び続け、星がまたたく頃に泥のように眠る毎日。
荷物持ちとは、その経験でついた、筋力と体力しかない、俺が唯一出来るパーティ内での仕事だった。
歩幅を一定に保ち、息を吸い、そして吐く。
それを繰り返せば、いつのまにか目的地についている。
問題は、いつも別の所にあった。
日が傾きはじめ、木々の影が長くのびる頃、足を止めた時のことだ。
「――で、テントはどっちに張るんだっけ」
「昨日と同じでいいだろ、逆側」
「あ……すみません、逆でしたか」
野営の準備。荷をとく順番。誰がどこに座るか。火をおこすための薪をどこに積むか。ほんの少しの手順のひとつひとつで、俺はいつまでたっても初心者だ。いや器用な人ならもっと簡単にできるだろう。
布を広げ、骨組みを組み立てようとしても、紐の結び目で指がまごつく。
あっちを立てればこっちが崩れ、水筒を置く場所を間違え、鍋の準備で手間取る。
火打ち石を叩いて火種をつくろうとしても、手元が狂って火花が散らない。
「相変わらず要領悪いなあ、お前」
先を歩く斥候のキリクが、口の端をあげながら言った。悪意はない。いつもの軽口だ。
「すみません」
謝ることにも、すっかり慣れてしまった。口から出る言葉は、いつも同じだ。
日がすっかり落ちて、たき火の煙が夜の空へのぼっていく。
火の向こう側で、剣士のレオンが素振りを始める。足を踏み込み、腰をひねり、腕を振るう。一振りごとに、空気がひゅんと鳴る。刃が風を裂く音が、耳の奥まで響いてくる。無駄のない動きから生まれる力は、見る者の目をくぎ付けにする。
「相変わらずキレてんなあ、レオンの太刀筋」
キリクがまた口を開く。
「まあな」
レオンは息ひとつ乱さず、すました顔でこたえるが、その口元はわずかに上がっている。自信が全身からあふれ出ている。
隣では魔法使いのソレイユが、指の先に炎を浮かべながら、呪文の詠唱を繰り返していた。言葉の粒が、始めから完成された音楽のように、とどこおりなく紡がれていく。指先で踊る炎は、彼女の意思にひかれて形を変え、宙を舞う。
「ソレイユの魔法、いつ見てもため息が出るわね」
ミリアがほほえみながらつぶやいた。この中で唯一、俺にも気安く声をかけてくれる僧侶だ。彼女のまわりだけ、空気が澄んでいるように感じる。
「ノアも見てて飽きないでしょ、皆の動き」
「そうですね。……ほんとうに、目を奪われます」
心の底からそう思う。俺には到底まねできない、天から与えられた才というものを、目の前で毎日見せつけられているのだから。
どうして自分は、こんなにも手が遅いのか。剣を振る時の間合いも、魔法を編み出す仕組みも、人との対話の呼吸すらも、なぜ人並みにこなせないのか。
――わからない。
わからないが、仕方のない事だと、いつの間にか受け入れていた。水は下へと流れ、石は地に落ちる。木々は光を求めて枝をのばす。それと同じように、俺には才能がない。ただそれだけのことだ。
荷物の点検を終えた頃には、空から光がすっかり消え去っていた。星の瞬きだけが、頭の上に広がっている。
「よし、今日はここまでにしとくか」
レオンの声で、皆がそれぞれの寝床に散っていく。戦う力のない俺ではあるが、夜の見張りを任されることもある。今日はその日だった。テントのそばの木にもたれかかる。石ころの転がる土の上も、気にならない。布を一枚かぶれば、そこが自分の城になる。
ただ、こうして静かな時間を過ごしている時、いつも決まって、同じ思考が頭の中をめぐる。
――俺は、いったい何のためにここにいるんだろう。
役に立っている実感は、ほとんどない。荷物を背負うだけなら、誰でもいい。馬やロバがいれば、そちらのほうがはるかに手がかからない。
「むいてないんだろうな、俺は」
つぶやいた声は、誰の耳にも届かず、たき火の薪が爆ぜる音にかき消された。
自分にそう言い聞かせるのは、もう何百回目か変わらない。それでも不思議と、心が腐ることも、この場所から離れようと思うこともなかった。
ここに置いてもらえるだけで十分だ。息をする場所を与えられている。そんな諦めにも似た感謝の念が、いつも胸の奥にわだかまっている。
そして無音の時間を過ごしている内に、そろそろレオンに見張りを交代してもらわなければと思った、その時だった。
――ガサ、と森の葉がすれた。
一度だけなら、風のいたずらか何かが原因だと思っただろう。
だが、続いてもう一度。
今度は明らかに、何かが意思を持って動く音だった。葉と葉がこすれ、地面の枯れ枝が踏み折られる音が続く。虫の音が止み、風の気配が消えた。肌から少しずつ熱が奪われていく。
光の届かない場所へ目を凝らす。
たき火の明かりから遠く離れた木々の向こうに、血の色に染まる二つの瞳が浮かんでいる。
「……レオンさん」
音を立てずにテントの中に急いで入り声をかけたが、返事はない。皆、いまだに眠りの底に沈んでいる。寝息だけが途切れることなく聞こえてくる。
森の奥を見つめ続ける。
瞳は、一つではなかった。
息をのむ間に、闇の奥からもう一対、また一対と、血の色に染まる眼が増えていく。
地を這うような唸りが、夜の空気を震わせながら近づいてきた。




