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L.E.O.N.-鋼のマリオネット-  作者: 逆凪
【第1章:檻の世界と無垢のぬくもり】

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5/5

檻の中のともしびと「新たなる獣」の悪夢

本作は毎週【月・金】の20時に更新予定です。

あの日、首の角度すら固定されて泥濘の山道を強制疾走させられていた最中、それは突如として、道端の泥だまりにぽつんと「配置」されていた。


鋭い牙も、醜悪な爪もない。ただ、生まれたての仔犬のように、濡れた細い四肢を震わせる小さな獣。

本来であれば、天の意思は宿敵を屠る時のように、冷酷に大剣を振り下ろしてその命を終わらせていたはずだった。だが、その時の『雲の上の主』は、奇妙な気まぐれを起こしたらしい。


レオンの肉体は、いつもの殺戮の最適解をなぞるのではなく、不自然に歩幅を緩め、泥まみれの小さな獣を両手で抱き上げたのだ。


それ以来、その小さな生き物は、レオンの「夜の檻」に共に閉じ込められることとなった。


「クゥ……」


主権を取り戻した宿屋の薄暗い一角で、小さな獣はレオンの膝の上に這い上がり、その温かい鼻先をレオンの掌にこすりつけてきた。

レオンは震える両腕で、その小さな身体をそっと抱きしめた。


熱い。

アリアの手のひらと同じ、生々しい「命」の熱が、そこには確かにあった。


「君も、僕とお揃いだね」


レオンはやさしく撫でながら、そっと語りかけた。

レオンが首元に巻いている、アリアが織ってくれた青い布のスカーフ。その余り布で作った、さらに小さなスカーフを、この子の細い首にも巻いてやっていた。薄暗い部屋の中で、二つの青いスカーフが、まるでこの檻の中で唯一通い合う絆のように静かに揺れている。


夜の帳が下りると、宿の主人も、他の旅人たちも、呼吸すら止めて石像のように直立する。そんな死人のような静寂の中で、この小さな仔犬だけは、レオンの腕の中でドクドクと健気に心臓を脈打たせ、かすかな寝息を立てていた。

その産毛の柔らかさ。抱き上げると、腕の中にすっぽりと収まる、あまりにも脆くて愛おしい質量。


(君は……生きているんだね。僕の腕の中で、ちゃんと息をしてくれている)


レオンは、仔犬の額に自らの額を重ね、生まれて初めて、この地獄のような箱庭で、心からの安らぎを感じていた。

自分がマリオネットではなく、血の通った人間であることを証明してくれる、もう一つの小さなともしび。

この、檻の中のささやかな温もりがあるからこそ、レオンは毎夜、明けることのない絶望に耐えることができていたのだ。


だが。

天の意思にとって、その愛おしい命など、道端の小石ほどの価値もなかった。


――ピキィィィィィン――


いつもよりも早く、あの脳髄を直接沸騰させる高周波の電子音が頭蓋の内側で炸裂した。


(う、あ……っ!? まだ、時間じゃない……何故だ……!)


レオンの魂は、強引に肉体の最奥へと引きずり下ろされる。

跳ね起きたレオンの肉体は、自らの意志を無視して、宿屋の床の真ん中でピタリと立ち尽くした。


突如として、何もない空間がドロドロと融解するように歪み始めた。

陽炎のような歪みの中心から、世界の物理法則を完全に無視して、一匹の「怪物」が唐突にその場に配置された。

それは、白々しいほどに純白の鱗に覆われた、巨大な、そして悍ましい、多頭の蛇の姿をしていた。

その怪物が放つ息吹は、それだけで宿屋の空気を腐食させるほど禍々しい。だが、その頭上には、これまでの魔物にはなかった、金色にギラギラと輝く、見たこともないほど不吉な「三つの紋章」が揺らめいていた。

それは、世界の管理者が、極めて「稀少」で「強力」な存在であることを示す、絶対的な力の証明。


レオンの魂は恐怖に身を震わせた。だが、レオンの肉体は恐怖を感じない。

それどころか、天の意思は、信じがたい「命令」をレオンの肉体に直接下し始めた。


(……やめろ。何をするつもりだ……?)


レオンの右手が、ゆっくりと、足元で怯えていた仔犬へと向けられた。

仔犬は、突然現れた巨大な蛇の威圧感に震えながら、レオンの足元に縋り付こうと、必死にその小さな前足を動かしていた。


肉体は、仔犬の前でゆっくりと膝を突いた。

そして、いつもの「天が用意した愛撫の型」をトレースし、仔犬の頭を、きわめて優しく、穏やかに撫で始めた。

仔犬は、レオンのその「手つき」に安心したのか、嬉しそうに目を細め、レオンの手のひらに喉を擦りつけた。


その瞬間、レオンの右手の動きが、不自然にピタリと固定された。


(……え……?)


次の瞬間、レオンの意志は完全に裏切られた。

優しく撫でていたはずの右手が、突如として、鉄の万力のような力で仔犬の小さな胴体を掴み上げたのだ。


「キャウン……!?」


息の詰まった悲鳴をあげる仔犬。

レオンの右腕は、怯えるその身体を高く持ち上げ――そのまま、目の前に佇む白い多頭蛇の、大きく開かれた暗黒のあぎとに向かって、容赦なく放り投げた。


(やめろぉぉぉぉぉぉっ!!)


宙を舞う、お揃いの青いスカーフ。

多頭の蛇が一斉に首を伸ばし、その牙で、小さな仔犬を空中で無慈悲に捕らえた。


ぐしゃり。


血は流れなかった。

しかし、鋭い牙に噛み砕かれ、生物としての形を失っていくその瞬間、仔犬の肉は、骨は、まるで冷たい「光の塵」となって、バラバラと白い怪物の喉奥へと吸い込まれていった。

あの濡れたつぶらな瞳は、最後までレオンを信じ切ったまま、不思議そうに彼を見つめ――そして、多頭蛇の胎内へと消滅した。


(ああ、ああ、ああああああああっ!!)


レオンの魂は、暗闇の底で、引き裂かれんばかりに絶叫した。

自らの肉体が、あの温もりを、生き餌として化け物に喰らわせたのだ。


生贄の血肉を喰らい、多頭蛇の身体が、一回り大きく、より禍々しく膨張する。

それと同時に、レオンの脳の最奥に、暴力的な「何かを完了した」という悍ましい概念が直接ねじ込まれた。

それは、言葉ではない。だが、生物の命を効率的にすり潰し、別の強者を「肥育」することに成功したという、冷徹な確信だった。


直後、レオンの首元が、焼け付くような熱さと激痛に見舞われた。

アリアが織ってくれた、あの青い布のスカーフが、目の前でボロボロと灰になって崩れ落ちていく。

その代わりに。

レオンの肉体の首元に、ドロリとした影のような、不快にのたうつ『黒い獣の首輪』が、まるで皮膚に直接癒着するようにして実体化した。

それは、失われた小さな命が、目の前の化け物の肥やしとなり、レオンの能力の一部として「固定」されたことを無言で主張していた。


――プツン――


すべてが完了すると、天の意思は、飽きた玩具を放り出すように、レオンの肉体から引き抜かれた。


「あ……が、はっ、げほっ……!」


主権を取り戻したレオンは、お揃いのスカーフが消え去った床に両手を突き、激しく嘔吐した。

口から出るのは、胃液と、自らの魂を引きちぎられたかのような絶望の残響だけだった。


「僕が……僕の、この手が、あの子を……」


血の温もりすら残っていない、清浄な床。

そこに佇む、巨大な、白い蛇の怪物。


レオンは狂ったように首に手をかけ、皮膚に食い込んでいる不快な『黒い首飾り』を引き剥がそうとした。爪を立て、皮を引き裂いて血を流したが、まるで最初から骨格の一部であるかのように、その呪われた輪は絶対に外れてはくれなかった。


さらに、彼を完全に発狂させたのは、その直後だった。


彼が、足元に佇む白い多頭蛇を、生理的な嫌悪と共に睨みつけた、その瞬間。


頭蓋骨の内側で、「ジジッ……ジジジッ……」という、耳障りなノイズが爆発した。

その不快な音響の隙間から――。


「……きゅ、う、ん……」


聞こえるはずのない、あの仔犬の、弱々しく愛らしい鳴き声が。

不自然に歪み、引き伸ばされた不協和音となって、レオンの脳内で強制再生されたのだ。


生贄となって消えたはずのあの子の「声」が、殺した化け物の肉体の奥から、世界の不自然な歪みを告げるかのように、執拗に響き続ける。


「ああああああっ!!」


レオンは頭を抱え、耳を引きちぎらんばかりに塞いだ。

だが、歪んだ「きゅぅん……きゅぅん……」という鳴き声は、彼の脳髄に直接、冷酷に響き渡る。


天の上の神々にとって、あの子の命も、温もりも、ただの「数値」を増やすための素材に過ぎなかったのだ。

効率。ただそれだけのために、彼らはレオンの救いを、彼自身の右腕を使って、化け物の餌へと無邪気に、そして残酷に投げ与えた。


涙はとうに枯れ果てていた。

耳を塞いだまま、床にうずくまるレオンの、どす黒く冷え切った瞳の奥で、明確な何かが目覚め始めていた。

[魔素となり砕けた愛獣の遺骨]:[ITEM_COMPOSITION: SUCCESS]: [陰りのある新魔獣の首輪]


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