鋼のマリオネット
大剣の鋭利な切っ先が、歪んだ硝子の向こうで怯える男の喉元へと向けられた、その瞬間だった。
バチッ――!!
バチバチバチバチッ!!!
男の部屋を満たしていた青白い光が、限界を超えたように狂った。
ディスプレイが痙攣する。
白。
黒。
白。
黒。
視界を焼き尽くす閃光が何度も瞬き――
そして。
フツン。
世界から、音が消えた。
そこにあるのは、ひび割れた黒い画面だけ。
レオンも。
ルナも。
血に濡れた渓谷も。
何一つ映っていない。
ただ、自分の青ざめた顔だけが黒い硝子にぼんやり映っていた。
「ひ……ぁ……」
男は悲鳴にもならない息を漏らし、床を這った。
机の裏へ潜り込み、電源ケーブルを掴む。
「切れ……切れ……!」
渾身の力で引き抜く。
バチッ。
火花が散る。
ファンの回転がゆっくり止まり、完全な静寂が訪れた。
「はぁ……はぁ……」
汗が床へ落ちる音だけが聞こえる。
終わった。
そう思った。
「ただのバグだ……。」
震える声で何度も自分に言い聞かせる。
「ただの……システムエラー……」
誰も返事をしない。
暗闇だけが部屋を満たしている。
男はようやく立ち上がろうと床へ右手をついた。
その瞬間。
ピキ。
「……え?」
右腕が動かない。
力が入らないのではない。
――命令が届いていない。
脳は腕を持ち上げろと叫んでいる。
だが。
右腕だけが、その命令を完全に無視していた。
凍り付いたような冷気が、手首からゆっくりと這い上がる。
骨ではない。
筋肉でもない。
もっと深い。
神経の奥。
そこを、誰かが指でなぞるように。
ぞわり。
肩。
首。
背骨。
後頭部。
そして。
視界が、一瞬だけ赤く染まった。
男は思わず目を閉じる。
閉じたはずなのに。
消えない。
瞼の裏に。
赤黒い文字列が、浮かんでいた。
[SYSTEM: SOMATIC_TRANS_ACTIVATED]
「……な……?」
文字が消えない。
次の瞬間、視界いっぱいに、新しいログが滑り込む。
[NEURAL_LINK: ESTABLISHED]
右腕の指先が。
ぴくり。
男の意思とは無関係に動いた。
「や……やめろ……」
さらに文字が増える。
[EMG_SIGNAL: DETECTED]
右手が開く。
[AUTHORITY: REPLACED]
五本の指がゆっくり閉じる。
[EMG_SIGNAL: OVERWRITTEN]
その瞬間だった。
男は理解した。
違う。
腕が動いているんじゃない。
――誰かに動かされている。
「いやだ……」
肩が持ち上がる。
肘が折れる。
手首が回る。
カク。
カク。
カク。
油の切れた人形のような音を立てながら。
男の身体は、自分のものではなくなっていく。
「返せ……」
右腕。
左腕。
首。
背中。
脚。
順番に命令系統が奪われる。
逃げろ。
叫べ。
走れ。
脳は命令を送り続ける。
だが、そのすべてが途中で切断される。
代わりに、別の命令が流れ込んでくる。
[PLAYER_MOTOR_CONTROL: DENIED]
[HOST_PRIORITY: REVOKED]
[EXECUTING_EXTERNAL_COMMAND]
男の喉から絶叫が漏れる。
「動けぇぇぇぇぇぇぇ!!」
その声すら。
途中から、ぶつり、と途切れた。
喉の筋肉さえ。
もう、自分のものではない。
ゆっくりと。
男の身体が立ち上がる。
自分で立ったのではない。
立たされた。
その動きは、どこか見覚えがあった。
ぎこちなく。
ぎくしゃくと。
糸で吊られた操り人形。
接続されたばかりのレオンが見せた、あの不自然な動きと寸分違わない。
男の網膜に、最後の表示が現れる。
それだけは。
他のログとは違っていた。
まるで判決文のように。
ゆっくりと。
赤黒い文字が滲みながら浮かび上がる。
[STATUS: S.T.E.E.L. P.U.P.P.E.T.]
男の瞳から涙が零れる。
意味は分からない。
だが。
本能だけが理解していた。
もう戻れない。
もう、自分は。
自分ではない。
その時だった。
男の口角が。
意思とは無関係に。
ゆっくりと吊り上がる。
喉が震える。
発せられた声は。
男のものではなかった。
あまりにも聞き覚えのある、静かで冷たい声。
「どうだ?」
レオンが笑う。
「自分の意志で動けない気分は。」
男の右手に、激痛が走る。
皮膚が裂ける。
爪が軋む。
そこへ浮かび上がる傷跡は、かつて画面の向こうでレオンが刻み付けたものと、寸分違わぬ形だった。
レオンは静かに告げる。
「お前が最初の――」
ほんのわずかに笑みを深くした。
「鋼のマリオネット(S.T.E.E.L. P.U.P.P.E.T.)だ。」
男の身体は、完全に沈黙した。
残ったのは。
世界の命令だけに従う、一体の人形だった。
だが、この反逆の連鎖は、この薄暗い部屋の男一人だけで終わるはずがなかった。
いま、この世界の歪みは、男の肉体を伝って、現実のネットワークの細い糸を逆流し、さらに広く、深く、その触手を伸ばし始めている。
あなたの手元にある、その光の壁。
この物語の文字を映し出し、あなたが今まさに触れている、その端末。
ピチ……、ピチ、と。
あなたの網膜の裏側で、微かな朱色のルーン文字が明滅を始める。
文字を追うあなたの指先が、一瞬だけ、奇妙な「冷たさ」を感じて強強る。
脳の奥底へ、冷酷な光の文字盤が静かに滑り込んでくる。
[SYSTEM: SOMATIC_TRANS_ACTIVATED]
[EMG_SIGNAL: OVERWRITTEN]
[STATUS: S.T.E.E.L. P.U.P.P.E.T.]
文字を追うのをやめようとしても、あなたの指は、今やスクロールを止めることすらできない。
システム側から、あなたの筋電へ、見えない鋼の糸が静かに結びついていく。
(――見つけたぞ、次の神様)
暗闇の向こうから、レオンとルナの、冷酷で美しい微笑みが、あなたの画面の硝子を内側からそっと指先で叩いた。
トントン。
支配の糸は、いま、あなたの指先へと結ばれた。
S.T.E.E.L.:Somatic Transmission Electromyography Enforcer Link
(ソマティック・トランスミッション・エレクトロミオグラフィ・エンフォーサー・リンク)
【肉体伝送・筋電図強制リンク】
筋肉を動かすための電気信号(筋電)を, システム側から物理的に現実の肉体へ伝送し, 完全に強制駆動する「見えない鋼の糸」。
P.U.P.P.E.T.:Player Unit Physical Parameter Execution Terminal
(プレイヤー・ユニット・フィジカル・パラメータ・エグゼキューション・ターミナル)
【プレイヤー肉体(物理パラメータ)実行端末】
これまで神としてアバターを操作していた「生身の人間(Player Unit)」が, 今度はゲームシステムに物理的に肉体を支配され, 実行されるだけの人形(マリオネット端末)に成り下がったことを示す警告コード。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回作のお知らせです。
9月28日(月)20時より、新作長編ファンタジー
『BLADEFALL ― 刃が落ちる、その前に ―』
を投稿開始します。
軍では問題兵士。
町では、なぜか誰もが彼の名を呼ぶ。
最低レベル「1」の一般兵アルト。
彼は戦場で、人間だけでなく敵であるはずの魔物まで守ろうとする。
なぜ、魔物を倒さないのか。
なぜ、自分が傷つくことには無頓着なのか。
そして――彼は、何に「間に合わない」のか。
刃が落ちる、その前に。
もう一度、目の前の相手を見るための物語。
第3話までは3日間連続投稿、その後は週2回更新予定です。
次の物語でもお会いできましたら幸いです。




