第1話 転生した
見慣れない天井だ…と言いたいところだが、梁と藁の屋根しか見えない。
天井さえない貧しい農家に、オレは転生した。
言うまでもないと思うが、現在、乳幼児だ。名前はまだない。
べつに、明治の名作を模しているわけではない。いつ死ぬともしれない乳幼児に名を授けないのは、民俗学的にもよくある話だ。
__ごめん。ちょっと見栄張った。
もしかすると、父さんも母さんも日々の暮らしに精一杯で、オレに名前をつけるのを忘れてるのかもしれない。
貧しさがもたらす最大の不幸は、人間性が失われてゆくことだ。矜持を、そして、他者を思いやる心の余裕を失ってしまうことだ。
__ふっ…。またやってしまったな。
物事を、悪い方へ暗い方へと考えてしまうのは、オレの悪い癖だ。
おっぱいさえ貰えれば、オレに不満などないはずなのに…。
いやいや。『おしめ』だってないと困るだろう…と、思うかもしれない。もちろん、おしめの重要性を忘れたわけではない。
おしめを替えてもらえない乳幼児人生ほど、つらく惨めなものはないのだから。
しかし、おっぱいと違って、おしめは何とでもなるのだ。
__なぜなら、オレは、すでに、魔法を使えるからだ。
*
よくある話だが、オレは、前世で『勇者』だった。
とある王国に『勇者召喚』されたのだ。そして、『【邪竜】を倒せば、元の世界に帰れる』と言われた。
事前に、女神とも交渉済みだったから騙されたわけではない。
『じゃあ、なんで、異世界の貧しい農家に転生したんだ?』
そう、思うかもしれない。じっさい、オレも、そう思った。
だが、思い当たる節がないわけでもない。
オレは、【邪竜】と七日七晩戦った。
しかし、最後の最後で(めんどうくさくなって)谷底に叩き落とした。【奈落】と呼ばれる『底なしの谷』だった。
『物理的に底が存在しないのか?』と問われると、正直、自信はない。
でも、みんな、そう言ってたし、いちおう異世界なんだから、きっとそうこともあるんだろうと思ってた。
ちなみに、『みんな』とはオレを召喚した王国の、騎士や魔道士たちだ。
【奈落】に叩き落とした【邪竜】は、谷底から戻ってこなかった。
もちろん、さんざん痛めつけてから落としたから、カンタンに戻ってこれるなどとは思っていない。
しかし、とつぜん『真の力』に目覚めたりするとか、よくある話だ。
だから、オレは、油断せずに【邪竜】を待った。
だが、翌日も【邪竜】は谷底から上がっては来なかった。
その翌日も、そのまた翌日も、じっと【奈落】を見下ろしていたが、【邪竜】は戻ってこなかった。
さらに、その翌日。
【奈落】を覗いていたオレの腹から、血濡れの剣先が30センチほど飛び出してきた。二本も三本も。
四本目の剣が、胸から突き出した時、オレは突き落とされた。覗き込んでいた【奈落】の底に…。いや、底はなかったっけ?
少なくともオレは、【邪竜】に対して油断してなどいなかった。だが、王国の連中にはすっかり油断していたのだ。仲間だと信じていたから。
【奈落】に『底』あったのかどうか。オレには、わからない。
いや。もしかすると、奈落の底を見たような気もする。だが、どうしても思い出すことができない。
思い出せるのは、闇だけだ。
己の存在すら感じ取れない真っ暗な世界。落ちていることすら忘れてしまいそうな無限の静寂。
止まった『時』のはざまで、オレは、何を願い何を託したのだろう?
そのうち意識は途絶え、次に目を覚ました時には、この天井のない農家に転生していた。




