表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家族に売られてたどり着いた先は、王女様の侍女でした。 ――掃除だけは誰にも負けません。  作者: 月城 蓮桜音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/83

第27話 家政婦として働く娘

 命令書に署名してから、私は一度も眠っていないような気分だった。眠ったはずなのに、頭の奥の歯車が止まらない。紙の上に並んだ「事実」が、目を閉じても薄れなかった。

 

 ——測らなかった。申請しなかった。教育しなかった。それは、偶然ではない。明確な意思による判断だ。


 朝の執務を終えたあと、私は侍女長の部屋へ向かった。扉を叩くと、返事はすぐに返ってきた。

 

「どうぞ」

 

 侍女長は、机の上に書類を整えていた。昨日よりも少しだけ、表情が硬い。私が席に着く前に、彼女は一枚の紙束を差し出した。

 

「外部調査の、追記です」

 

 兄が当たらせた“外”の連中——その続きを、侍女長が受け取っていたのだろう。私は黙って受け取り、頁をめくった。簡潔な文。推測はない。けれど、行間だけで充分に胸が痛む。

 

 ——男爵家、家計状況。

 ——後妻、出費の内訳。

 ——実子(義妹)の教育費、衣装代、交際費。

 ——長女リーナ、教育費の支出記録なし。

 

 私は、紙の端を指先で押さえた。めくる音すら、無駄に大きく感じる。次の頁に、さらに明確な言葉があった。

 

 「長女は家政役として扱う方針。学力は不要、との判断」

 

 ——不要。胸の奥で、何かがぴくりと動いた。怒り、ではない。もっと冷たいものだ。理解してしまった時の、嫌な納得。学力は不要。教育は不要。測定は不要。“不要”と言い切ってしまえば、何も始まらない。責任も発生しない。

 

「……これが、理由」

 

 私は呟いた。侍女長は黙っている。否定しないということは、肯定だ。私は頁を進める。出費の項目は整っている。義妹のための支出は、細かく、丁寧だ。家庭教師。楽器。礼儀作法。季節ごとの新調。——未来に向けた投資。

 

 その隣で、リーナの欄だけが、空白だ。空白は、偶然ではない。空白は、選択だ。

 

「……あの子は」

 

 声が、思っていたよりも静かだった。

 

「家で、何をしていたの」

 

 侍女長が答える前に、私はもう分かっていた。掃除。洗濯。炊事。整理。家の空気を整えること。人が息をしやすいようにすること。——仕事だ。奉公に出る前から、彼女はずっとそれをしていた。

 

 だから、王女宮でも迷わなかった。だから、「順番」を知っていた。だから、魔法を使わずに整えることが、当たり前だった。そして。だからこそ。彼女は「学ばなくていい」と決めつけられた。

 

「……余ったお金は、義妹に」

 

 私は言葉を探した。探すまでもない。これが、家の方針なのだ。私は紙束を置き、指を組む。喉の奥が熱い。怒りが顔を出しかける。けれど、今は外に出さない。怒りは、間違えれば相手を強くするだけだ。私はまだ、あの家の全体像を掴んでいない。

 

「侍女長。追加で確認したいのだけど」

 

「はい」

 

「男爵家には、家庭教師の記録がある?」

 

「義妹にはございます。リーナには……ありません」

 

 答えは分かっていた。それでも口に出して確かめると、胸が痛む。文字で見るより、声で聞くほうが重い。

 

「魔法教育の代わりになるような、教会の学びは?」

 

「それも、義妹のみです」

 

 私は、息を吐いた。ゆっくりと。怒りが、まだ制御できていることを確かめるように。

 

「つまり、あの子は最初から……“選ぶための席”に座らせてもらえなかった」

 

 侍女長は黙っている。その沈黙が、肯定だった。私は立ち上がった。紙束を持ち、窓際へ行く。外は、明るい。整えられた庭。整えられた空。王宮は、いつも通りだ。世界は変わっていないのに、私の中の何かだけが、もう元には戻れない。

 

 ——家計が苦しいなら、皆が苦しくなるはずだ。

 けれど、そうはならなかった。苦しむのは一人。救われるのは一人。そして誰も、「違反」はしていない顔をする。

 

「……お兄様の言う通りね」

 

 私は小さく言った。

 

「感情が動く前に、事実を見るべきだった」

 

 侍女長が一礼する。

 

「王女殿下は、すでに動かれております」

 

 私は頷いた。動いた。制度を動かした。けれど——まだ足りない。紙の上の事実は揃ってきた。次は、紙に書かれないものだ。彼女の身体。癖。沈黙。そして、家の中の空気。私は紙束を抱え直す。

 

「……次は、“家の中”ね」

 

 侍女長が、ほんの僅かに目を細めた。

 

「はい。外から見える事実は、揃いつつあります。残るのは——見えない部分です」

 

 見えない部分。それは、誰が何をしたかよりも、誰が何を“しなかったか”。私は扉へ向かう。足取りは軽くない。けれど、迷いはない。あの子には、知らなかった世界を見せる。選べなかった道を、選べるようにする。そのために、私は——次に進む。

 

 怒るのは、まだ先だ。怒る前に、事実を揃える。そして、その事実を、あの子の前に置く準備をする。

 

 私は廊下へ出た。静かな空気の中で、ひとつだけ確かなことがあった。

 

 ——「学ばなくていい」と決めた者は、学ばせる責任を放棄したのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ