第四章:白紙委任
唸る息吹は静まって、代わりというようにフクロウが心地よく鼓膜を揺らす。
頭は重く、視界が揺らぐが、それでも木板は整列したまま動かない。
上体をもたげると、首元に鋭い痛みが走り、思わず手で抑える。ボコボコとした噛み跡が指先から伝わってくる。
それに続くように、全身が次々に痛みだし、涙が溢れた。手で覆ってそれを受け止めるが、取り留めもなく流れ続けてしまう。長く目は閉じていたはずなのに。
久しぶりに目を開くと視線にすら敏感になるようで、背後に気配がある。
振り向くと男性が立っていた。
若干伸びた髭、毛先のはねた長髪。総じてだらしない印象だ。
年齢は30くらいだろうか?年甲斐もなく目を見開いてこちらを凝視している。
「ここは、どこだ...?」
尋ねると、男はその顔のまま口だけ動かした。
「教会の警備小屋だ。少年、名前は?」
「俺はマレ...」
いや待て。
今世での俺の名前は何だ?軽々しく前世の名を口にしてよいものか。
フクロウの声がどんどんと伸びてゆく。
男は視線で全身を舐め回している。
「……わからない」
男は息を吐き出して、
「そうか、墓石も壊れて読めねぇし、とりあえずは」
と、興味が尽きたように棚を開け始めた。
驚いた様子も、追及する様子もない。
淡々と、棚を漁っている。
「服着ろ。それじゃ寒いだろ」
服を渡した後、外套を着て彼は部屋を出ようとした。
「少し待て」
「なんだ?」
彼の首にかかっているペンダントは先程殺った詐欺師と同じものだった。
「お前、あの男の仲間か?」
それなら危険だ。今すぐこの場から...
「何の話だ?」
「そのペンダント、俺の殺った詐欺師と同じものだ」
「あぁ、そういや」
男はおもむろにペンダントをこちらに見せながら口を開いた。
「これは教会に従事する者全員が身につけているペンダント。お前の傍でくたばってた奴はあぁやって金を儲けてることで有名な神父だ。俺らは違うから誤解しないでくれ」
どうやら言葉に嘘はなさそうだ。
「質問はそれだけか」
「あぁ」
「じゃあ、服着ろ。外で待ってるぜ」
そうして、静かになった室内で、服と肌のこすれる音だけが響く。
服を持ち上げるたびに腕が小刻みに震え、収まらない。
日常動作で息切れするなど、前世では考えられなかった。
そうこうしている内に服を着終わった。
少し大きいようだが、動きに支障はないだろう。
立て付けの悪い扉を両手で開けると、空には夜をなんとか昼に戻そうとするように星々が必死に輝き、中心にはまるで星を率いる将のように先程の男がランプを持って佇んでいた。
「寒くはないか?」
「あぁ。大丈夫だ」
「そうか」
念の為というように、男は俺の顔を覗き込むと、ゆっくりと歩き始めた。
砂を噛む音が夜風の音にリズムを生む。
「あなた、名は?」
尋ねると、星空を見上げながら男は答えた。
「ゼノン・ウラベノだ」
眉がひくつき、急速に熱が冷めてゆく感覚がした。
きっと勘違いだと、思いたかった。
「やっぱ寒かったか?」
「いや、その逆だな」
「そりゃねぇな」
そう言うと彼は再び歩き始めた。
足から小石の感覚がやけにはっきりと伝わってくる。
ゼノン・ウラベノ。
神は思った以上に罪に冷徹で、容赦が無いらしい。
息子の名に、奴の姓をあてがうとは。
「着いたぞ」
ゼノンが息を吹きかけてランプを消すと、目の前の建物が闇夜を更に深くする。
外壁の石はヒビ割れ苔に食われていて、悠久の時をこの地と共に過ごしていることがわかった。
古めかしい扉は重厚な音を響かせ、内側を覗かせる。
ろうそくの火が身廊を思わせる部屋の外形をわずかに知らせる程度で、闇は深く感じられた。
扉をくぐると、足が止められた。
空気が重くなって、吸えない。
見えない何かが、ここに巣食っている。
「どうした?奥いかないと扉閉められないぞ」
「すまん」
奥に進むと、老婆がなにやらそそくさと聖堂の外からものを運んでいる。
大量の紙、見慣れない装置。
「まぁ、もういらっしゃったの?」
シワの多い顔が柔らかく緩んだ。
下手なパペットのような足取りで俺の前まで来て身をかがめると、
「わたしはシスターのヘンリー・セントよ。坊や、名前は?」
と、尋ねたが、返事は俺ではなく、椅子から身を乗り出したゼノンから上がった。
「わからないらしいぜ」
「こら、聖堂の椅子に寄りかからない」
と叱責した後、老婆は少し黙り込んだ。
「う〜む、それなら鑑定するしかないわねぇ」
見慣れない装置を寄せると、ヘンリーは俺の手を取った。
骨ばって血管が浮き出た手が俺の手を裏返す。
「ちと痛いかもしれないけど、我慢してね」
指先に鋭い痛みが走り、ぷっくりと指先に赤い雫が浮かんだ。
指を傾けて雫を板ガラスの上へと流し、更に上からガラスを重ねる。流れるように装置を引き寄せると、先程のガラス板を側面の溝に込めた。
台座の角板の中になにやら幾何学的な模様の書かれた紙を敷き、ゆっくりとその扉を閉じる。
カチッと角板が閉まると、剣がぶつかり合うような甲高い音とともに装置が動き出した。
上部の液体の入ったガラス玉を回すと、血液を挟んだガラス板に次々に反射し、時々俺の眉をひくつかせた。
しばらくすると、ガラス玉は緋色に変化し、漏れ出た光線がガラス板を透いて台座の紙を焼いてゆく。
気がついたころには紙の上にあった模様は消え、焼き跡が文字として残っていた。
ヘンリーの細い指がそろりと角板を開けて紙を取り出す。
しばらくの沈黙が破れたのは彼女の間の抜けた声だった。
「ありゃまぁ」
ゼノンの方をちらりと見た。
ゼノンは椅子の背もたれから身を起こし、ヘンリーの前へ近づいた。
「で、結果は?」
彼女がごくりと息を飲む。乾いた唇がやけに気になった。
「この子は...呪われているわ」
それは、とても驚嘆すべき事実であるはずだが、妙にすっと胃の中に落ちていった。
「「そうか」」
とゼノンと声が重なった。
「そうかって、あなた達なにも思わないの?」
「どれどれ、スキル:〇〇ノ星、どんなんかは、読めねぇな。今の状態は衰弱Ⅴ,全感覚弱化Ⅴ,魔力抵抗Ⅴ,筋肉自由化Ⅴ,気力減少Ⅴ…、黄龍の呪い...知らんがやばそうだな」
抑揚のない声で読み上げた後、ゼノンは視線を飛ばして尋ねてきた。
「でも、お前はあの悪名高きラケ・ラーレを殺ったんだろ?」
「あぁ」
「まぁ、あの男一応教会本部に繋がりがあるくらいには強かったのよ?」
「それを殺れるくらいの実力ならいいだろ」
「しかし...」
ヘンリーは顔をしかめてこちらを見たが、すぐに諦めたような表情を浮かべた。
「そう、それならいいけれど」
そう言うと紙を折りたたみ、俺に差し出した。
「でも、一応渡しておくわ、見返さないとわからないこともあるだろうから」
その紙を受け取ると、彼女は再びしかめた顔に戻った。
「さて、名前はどうしようかねぇ」
すると、身廊の先のガラスから光が透けて部屋の内側をくっきりと映し出した。
「まぁ眩しい、お月様かしら?」
ガラスを通した歪んだ光でもそれは欠けるところのない満月だとわかる。
彼女は目を細めると、ふっと顔を上げてこちらを見た。
「ルナ・ノクティスはいかが?この素晴らしい月にちなんで」
雲が去ったのか透ける光は勢いを強め、彼女を天女のように照らし出した。
「悪くないんじゃね?」
俺よりも先にゼノンが答えた。
「あなたがよくても、彼がどう思うかでしょ?」
「いや、俺も悪くないと思う」
ヘンリーは少し驚いた顔をしてから、ゆっくりと頷いた。
「そう。よかったわ」
月の光は変わらず差し込んでいた。
それから、長く光だけが移ろっていった。
光が差さなくなるとゼノンが席を立った。
「帰るぞ、ルナ」
「あなたが預かれるの?」
ゼノンは振り返らずに
「金なし教会よりはな〜」
と言って扉に手をかけて振り返った。
「ちょっと、まだ手続きが...」
”トランスフェロ・ドゥオ・イナニス・カエルレウム”
言葉を遮り、ゼノンはどこからか取り出した剣を振った。
自分の足元から光が漏れたかと思ったと同時、一気に視界を奪う。
「引き取り届は俺の席に!」
ドゴッ(土下座が地面に突き刺さる音)




