【第二十二話】最強の鬼と、ホワイト企業の誘惑
山頂付近。 そこには、京の都の御所にも負けないほど壮大な「鬼の御殿」がそびえ立っていた。 篝火が焚かれ、肉の焼ける匂いと、酒の匂いが漂ってくる。 中からは、大勢の鬼たちの笑い声。 どうやら宴会の真っ最中らしい。
「好都合だ。酒が入れば警戒も緩む」
頼光が、背負った毒酒の入った葛籠を撫でる。 僕たちは山伏の演技を再開し、堂々と正面から広間へと乗り込んだ。
「失礼いたします! 道に迷った山伏一行、一夜の宿をお願いしたく!」
広間の扉を開けると、そこは異様な光景だった。 百を超える鬼たちが車座になり、酒を酌み交わしている。 そして、その最奥。 一段高い玉座に、その男はいた。
燃えるような赤い髪。 はだけた着物から覗く、鋼のような肉体。 額には二本の角が生えているが、その顔立ちは恐ろしいほどに整っている。 カリスマ。 一目見ただけで分かる、圧倒的な「王」の風格。
酒呑童子。
「ほう。人間か」
酒呑童子が盃を置き、僕たちを見下ろした。 その声だけで、肌が粟立つようなプレッシャーを感じる。 だが、彼の纏う空気は、僕が知る「ブラック企業の社長」のような陰湿なものではなかった。 むしろ、大らかで、自信に満ち溢れている。
「腹が減っているなら食っていけ。酒もあるぞ」
酒呑童子は、鷹揚に手招きした。 予想外の歓迎。 僕たちが戸惑っていると、近くにいた鬼が親しげに話しかけてきた。
「よかったな人間! ウチの大将は太っ腹なんだよ!」 「昨日の略奪の成果でボーナスも出たしな!」 「有給休暇も消化しろって言われてるんだぜ!」
「……え?」
僕は耳を疑った。 ボーナス? 有給? 周囲を見渡すと、鬼たちは皆、楽しそうだ。 死んだ目をしている者はいない。 ブラックコンビニの店長のような怨嗟の声もない。
「おい、人間」
酒呑童子が、僕に視線を向けた。 赤い瞳が、僕の全てを見透かすように光る。
「お前、いい目をしているな。……だが、疲れている。こき使われている顔だ」
ドキリとした。 図星だ。僕は現代でも社畜、ここに来てからも美少女たちの世話係。 休みなんてない。
「どうだ。俺の部下にならんか?」
酒呑童子がニヤリと笑う。
「ウチはいいぞ。実力主義だが、福利厚生は完備だ。美味い酒、美味い肉、そして自由がある。そこの女たちも、俺の側室として厚遇してやろう」
「なっ……!」 頼光が色めき立つ。 だが、酒呑童子の提案は、社畜の僕にとってあまりにも甘美な「ヘッドハンティング」だった。 鬼の会社は、ホワイト企業なのか? 人間の都の方が、よほどブラックなのでは?
心が揺らぐ。 その時、金時が大きな声でお腹を鳴らした。 「ぐぅぅ~! 兄ちゃん! 話はあとだ! あの肉、食っていいか!?」
場の空気が緩む。 僕の迷いも、金時の食欲で吹き飛んだ。 そうだ。僕にはもう、手のかかる部下たちがいるんだった。
「……お誘いは魅力的ですが」
僕は頼光から葛籠を受け取り、前に出た。
「その前に、お近づきの印に、我々が持参した『極上の酒』を献上いたします」
僕は「頼光特製・特級呪物・愛妻毒酒」を取り出した。 瓢箪の栓を開けると、フルーティな香りと共に、微かに空間が歪むような瘴気が漏れ出す。
「ほう。良い香りだ」
酒呑童子が身を乗り出す。 彼は無類の酒好きだ。この罠には抗えないはずだ。
「さあ、どうぞ」
僕は震える手で、盃に毒酒を注いだ。 紫色の液体が、妖しく揺れる。 酒呑童子がそれを手に取り、口元へと運ぶ。
飲め。 飲めば終わる。 僕たちの勝利だ。
ゴクリ。
酒呑童子の喉仏が動いた。 彼は一気に飲み干し、そして――
「――カハッ!」
盃を落とし、胸を押さえて苦悶の表情を浮かべる。 効いた! 即効性だ! 頼光がニヤリと笑い、刀に手をかける。 勝った。
「……く、くくく」
酒呑童子の肩が震える。 苦しんでいるのではない。笑っている?
「ギャハハハハ! 効くぅぅぅ!」
酒呑童子は、顔を真っ赤にして爆笑した。
「すげぇ度数だ! 痺れる! 喉が焼けるようだ! こんな強烈な酒は初めてだ!」
「は?」
僕たちは呆然とした。 彼はピンピンしている。 むしろ、アルコールと毒素の刺激でテンションが上がっている。
「気に入った! おかわりだ! これを持ってきた人間を褒美に取らせろ!」
「嘘だろ……?」
頼光の殺人料理(毒)を耐え切るどころか、楽しむ味覚を持った化け物。 計算外だ。 毒が効かないなら、僕たちにはもう「正面突破」という選択肢しか残されていない。
「カケル殿、どうしますか!?」 綱が青ざめる。
「やるしかない! 総員、戦闘配置!」
僕は叫んだ。 山伏の衣を脱ぎ捨て、頼光が、綱が、金時が、それぞれの武器を構える。 宴の席が一瞬で戦場へと変わる。
「ほう。余興か。悪くない」
酒呑童子がゆっくりと立ち上がった。 その威圧感は、山そのものが動き出したかのような絶望感だった。
ホワイト企業のカリスマ社長 VS ブラック社畜と問題児軍団。 仁義なき労使交渉の幕が開く。




