青虫
青虫が、木の上を一人はいのぼっていました。
好奇心の旺盛なこの青虫は、自分の生まれたキャベツ畑から飛び出して、好き勝手の放浪を続けていました。
そんな途上で、青虫はこの木の上にいました。
向こう見ずなこの青虫は、自分のえさをどう確保するかを考えずに突き進んでいました。そんな彼に訪れるのは、当然のことながらひもじい空腹です。青虫の進む速度は、時間とともにだんだん遅くなっていきました。
「ああ、腹が減った」
青虫は進む時間よりも休みをはさむ時間のほうが長くなっていました。
「なんで俺は飛び出てしまったんだろう」
ふだん昔のことなど思い出さないこの青虫も、空腹が反省を生み出していました。
しかし、どうしようもなかったのです。この青虫は自分でもよく分からない衝動につきうごかされて、気付けばここへたどり着いたのでした。
しかしその衝動は、食事の面倒まで見てくれるわけではないのでした。
「ああ、腹が減った」
青虫の頭の中にはそのことばかりが浮かんできました。
茶色い木の皮は、自分の皮膚の色を鮮やかに目立たせていました。それはキャベツ畑にいるときにはけっして気がつくことのなかった、自分の外との分かれ目でした。
青虫はそれを見た時、今まで感じなかったような安らぎを覚えたものでした。
しかし胃袋は待ってくれません。空腹は絶えず青虫をさいなみました。
「もう少し、行ってみよう」
動かない時間を多くして体を回復させながら、青虫は少しずつ枝の先端ににじり寄っていきます。それが、この青虫の本能なのでした。
すると、向こうからそよ風がふいてきました。風は青虫の体をやさしく撫でてゆきます。
青虫は自分の置かれている状況も忘れ、つかの間のそよ風を楽しみました。
するとその風には、いままでかいだことのないような、すばらしい香りがついていました。
青虫の心は高鳴ります。きっとこの風が吹く方には、いいことがあるに違いない。
それは確信にも似た思いでした。同時に、青虫は夢見心地でした。
「もう少し、もう少し」
そうやって自分を鼓舞しながら、青虫は進んでいきました。
希望をもって進む青虫の歩みは、以前よりも速くなっていました。
枝はだんだん細くなってきます。先端が近付いてきたのでしょう。青虫はそこで、いままで見たこともないような、赤い木の実を見つけました。
それは大きくて、青虫の体に比べたら何倍もあります。キャベツよりは小さいですが、その時の青虫にとってはずいぶんと大きく見えました。そうして、その木の実はなんともいえず、いい香りなのです。
青虫にも、そよ風が運んできたあのかぐわしい香りがここから来たのだと、合点がゆきました。
一歩、また一歩と、青虫は木の実に近づいてゆきます。
さえぎるものは何もありません。とうとう青虫は、木の実のところまでたどり着きました。
まずは改めて、思う存分木の実の香りを吸い込みます。喜びが、青虫を充たしました。
木の実を、ひとかじりします。甘酸っぱいおいしさが、口の中に広がりました。
青虫は一心に木の実を食べてゆきます。空腹だった青虫にとって、それはまさにごちそうでした。
ようやく食べるのをやめた時、青虫のおなかは一杯になっていました。
ごろりと横になりながらも、まだ木の実が食べきれないほどに大きいのを見て、満足した気持ちに包まれて、青虫は眠りに落ちていきました。
ふと目を覚ますと、あたりはすっかり暗くなっていました。
ただ、月の光が青虫の周りを青白く照らしています。
青虫の頭は、やけに冴えていました。周囲は、眠り込んだように静かです。
青虫は、澄んだ心で遠くを眺めていました。向こうの方では、星明りがまたたいています。
そして何の気なしに、青虫は眠る前に自分が食べていた木の実の部分に目を移しました。今は食べる気がありませんでしたが、まだこんなにある、ということを確認しようとしたのです。
するとどうでしょう。月明かりに照らされた木の実は、食べたところが眠る前よりもずいぶんと黒ずんでいるように感じられました。それを見ると、青虫はなんだかいやな気持になりました。そうしてその気持ちは、この澄んだ心さえも濁ったものにしてしまう気さえしてきました。
青虫の目は、ふたたび目の前に広がる夜の景色に注がれました。そこには昼間見えていた地平線さえもおぼろげになり、まさしく無限の暗闇が、うっすらとした月の明かりとともに広がっているのでした。
「行こう」
青虫は一人つぶやきました。
「行かなくちゃ」
そう言って、青虫は木を降りるために出発しました。
誰も、青虫をせかすものなどありません。しかし、青虫の内側の心は彼をせきたてていくのでした。




