待ち合わせ
ぽつんと、その男はたたずんでいた。
誰も彼を気にかける者はいない。男は雑踏の中にいた。
そのことが、むしろ男には気持ちが良かった。傍観者の気楽さで、男は飽きることなく道行く人々を見ていた。
そんな男を、遠くから不思議そうに眺めている子供がいた。
その子はこの男のどこかのんびりしている様子に気をひかれたらしい。子供特有の無邪気な素直さで、子供は男に話しかけに行った。
「こんにちは、おじさん」
男はすこし驚いた顔をした。自分が話しかけられるとは、思っていなかったらしい。
「やあ、坊や」
それでも男は気さくに応じた。しかし目は時おり遠くを見ている。この子の保護者がどこかにいないか、気にしているようだった。
「どうしたんだい」
子供はなおも男を見ている。男の身なりは普通だが、よくよく見るとどこかしら時代の止まっている装いが見てとれた。
「どうしてそんなにのんびりしているの?」
子供の何の気なしの質問は雑踏の音で消えそうになりながらも、男の耳にはよく届いた。
「坊やだって、のんびりしているじゃないか」
男は鷹揚に答えた。突然の質問も、気にならなくなってきたようだ。
「僕は子供だからいいんだ」
子供の身に着けている服装は、学校帰りと分かるそれだった。
「おじさんは大人じゃないか」
男はこんな問答を、どこか楽しんでいるようだった。
「それに、僕はこのあと用事があるんだ」
子供は自分を大きく見せようと、心持ち背筋をそらした。
「そりゃあ大変だ」
男はゆったりしている。
「早く行きなさい」
うん、と言って、子供は雑踏の中へまぎれていった。
夕方になった。
子供が再びその道を通ると、またしても男はそこにたたずんでいた。
「おじさん」
男は子供に気付くと、軽く片手を上げた。
「やあ、坊や」
昼間の時と、その姿はなんら変わることがなかった。
「用事は終わったのかい」
子供は一回見知った気安さで、また近付いてきた。
「終わったよ。おじさんはまだここにいるの?」
もう日も傾いてきている。男は楽な姿勢でそこにいた。
「まだまださ」
とはいえ、少し疲れが出ているようだった。
「人を待っているんだ」
「知り合いの人?」
「ああそうだ」
男はなおも、前を見続けている。
「まだ来ないんだ」
「ふうん」
子供はそう言いながら、地面にリュックを置いた。荷物がたくさん入っていて、重そうだ。
「お前も、お疲れさん」
そんな子供の様子を見て、男はねぎらった。
「毎日大変だよ」
子供は両手を広げて伸びをした。
「やることが多いんだ」
「そうなのか」
うん、と言って、子供はリュックの中から飲み物を取り出した。
「今日もたくさん、宿題が出た」
飲み物の容器はどんどん傾いていく。どうやら最後まで飲み尽くしたようだ。
「帰ってすぐやらなくちゃ」
「いいのかい、こんなところにいて」
「うん」
中身が軽くなった容器をしまい、チャックをしめた。
「いいんだ」
子供は男と並んで横に立った。
しばらく二人で、目の前を通る人々を眺めている。
二人とも、なんとなく沈黙している。
「……昔なあ」
駅の入り口で別れを告げる学生たちが解散するのを見ながら、男はつぶやいた。
「いつかここで会おうって話をした友達がいたんだよ」
「友達?」
「ああそうだ」
「時間の約束はしたの?」
子供が男にたずねる。
「いや、そんなものはしてない」
男は手をうしろで組んでいる。
「いつか、お互い会いたくなったときに会おうと言って、それっきりだ」
それを聞いて、子供は妙な顔をした。
「そんなの変だよ。だって、いつ会えるか分からないじゃないか」
「そうだなあ」
男は否定するでもなく、そう応える。
「俺が、会いたいと思ってるから」
そこで一旦、言葉は切れた。
「いいんだ、これで」
子供は納得していないように、口をとがらせた。
「会えないじゃん、結局」
夕方が続く。そこらの鳩は餌を求めてあたりを歩いている。
「会えるさ」
男は気にせず、そう一言答える。
「だから待ってるんだ」
「変なの」
そう言って、子供は手に巻いた時計を見た。
「僕、もう行かなきゃ。叱られちゃう」
そうしてリュックは背負いなおされた。
「じゃあね、おじさん」
「ああ、またな」
そうして、子供は男から離れていった。
あとには男ばかりが残されている。
彼はそのまま、夜更けまでその場を動かなかった。
「さてと」
あたりに人がいなくなって、ようやく男は動きだした。
「今日も来なかったなあ」
そういう男の顔は、なぜだか晴ればれとしていた。
手短に荷物を片付けて、男はどこかへと帰っていく。
あたりはすっかり、眠ったようになった。




