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むつの花  作者: 野口 ゆき
60/77

五つの花 『十一.今町』

五月三十日(7月19日)


『旧幕府軍』撤退後、『新政府軍』は北の今町(いままち)から南東の森立峠(もったてとうげ)を守っていた。

この陣は、北東へ撤退した『旧幕府軍』に対応する為であった。

両軍は長岡城落城後も、(いくさ)を続けていた。

そして『新政府軍』は、どの戦でも善戦していた。

全ての戦において『新政府軍・参謀(さんぼう)山県狂介(やまがたきょうすけ)は、『新政府軍』が『旧幕府軍』と互角以上に戦えるようにしていた。

広大な越後戦線を補える程の膨大な兵力と武器が、それを可能にしていた。

しかしそれは、広く薄い防衛線であった。

背後の予備兵力や補給路が脆弱であった為、前線が突破されると直ぐに瓦解する危険性もあった。

継兄さんはその弱点を突き、『旧幕府軍』が勝利する作戦を考えた。


=====================================


一.兵を一か所に集中して攻撃を仕掛け、中央突破を図る事によって、

  『新政府軍』中央から各陣営に混乱を与える


一.攻撃目標は未だに戦闘が無く、交通の要衝でもある最北の今町


一.今町は『新政府軍』の前衛であった為、『新政府軍』の主力部隊が

  布陣している


一.『旧幕府軍』が今町を奪取する事が出来れば、見附(みつけ)にいる

  『新政府軍』は孤立する事を恐れ、退却するであろう


一.見附が『旧幕府軍』のものになれば、栃尾(とちお)にいる『新政府軍』も

  壊滅する事が出来る


一.今町、見附、栃尾を奪取後、長岡藩兵が中心となって『新政府軍』

  を総攻撃する


一.そのままの勢いで、長岡城を奪還する


一.長岡城を奪還した後、持久戦へと持ち込む


一.戦の長期化を図る為に、遊撃隊の基地としての栃尾を何としてでも

  死守する


一.冬まで持ち堪え、雪国に不慣れな『新政府軍』を一掃する


一.戦の長期化と他藩の裏切りを恐れる『新政府』は、休戦

  若しくは和議を申し込んで来るであろう


一.『旧幕府軍』が、日本の主導権を握る


=====================================


継兄さんは国力を弱める内乱を、早く終結したかった。

『新政府』主導の政権を、阻止したかった。

だからこそ、越後にいる『新政府軍』を早急に駆逐しなければならなかった。

その為には先ず、今町攻略が必須となった。


継兄さんが立てた≪今町攻略作戦≫は、以下の通りである。


=====================================


≪今町攻略作戦≫


一.加茂(かも)『旧幕府軍本営』に集結した長岡藩軍、会津(あいづ)藩軍、米沢(よねざわ)藩軍、

  『衝鋒隊(しょうほうたい)』等の『旧幕府軍』総員約三千人を大きく三つの隊に分ける

  三隊が、時間差攻撃を仕掛ける

  三隊はそれぞれ出雲崎(いずもざき)与板(よいた)方面、栃尾方面、今町方面

  を攻撃

  その内ニ隊は陽動の為、攻撃を続け、その隙に『本隊』が今町方面を攻撃


一.『陽動部隊一』 出雲崎・与板方面を攻撃

  五月二十四日、会津藩主力部隊と庄内藩兵、諸藩兵の一部が

  出雲崎・与板方面に既に攻撃を仕掛けていた

  『新政府軍本営』にいた山県狂介は、これこそが『主力攻撃』だと

  判断

  そして柏崎(かしわざき)関原(せきはら)にいた『新政府軍』の主力部隊を

  出雲崎・与板方面に投入し、山県自身も出馬していた

  その戦いに『陽動部隊一』が参戦し、『新政府軍』主力を釘付けにする


一.『陽動部隊二』 栃尾方面を攻撃

  五月二十四日、長岡軍主力が栃尾方面に既に攻撃を仕掛けていた

  この攻撃により、栃尾にいた『新政府軍』を釘付けにしていた

  その戦いに『陽動部隊二』が参戦し、引き続き『新政府軍』の足を止める


一.『陽動部隊一・二』が戦っている中、『本隊』は密かに三条(さんじょう)に帰陣


一.三条に集結した『本隊』を更に三隊に分けて、今町を攻撃

  『牽制部隊(けんせいぶたい)』が、今町中央で『新政府軍』を牽制

  『別働隊(べつどうたい)』が、左翼から今町を攻める

  隙を見て『主力部隊』が、右翼から今町『新政府軍本営』を撃破

  『新政府軍』に混乱を与える

  長岡藩兵が、この戦いの中核となって戦う


一.長岡藩中心の『牽制部隊』は、中央から今町を攻撃

  三条から本道を進み、囮となって今町方面にいる『新政府軍』

  を釘付けにする

  この『牽制部隊』を率いるのは、『大隊長(だいたいちょう)山本帯刀(やまもとたてわき)


一.米沢藩中心の『別働隊』も左翼から攻め、囮となって今町方面にいる

  『新政府軍』を釘付けにする


一.『主力部隊』は、右翼から今町を攻撃

  三条から今町と中之島の間に流れる刈谷田川(かりやたがわ)西岸に沿って、

  『新政府軍』に気付かれない様に刈谷田川の土手下を進み、

  『新政府軍』の後方から中之島村(なかのしまむら)を占領

  そして、そのまま今町にいる『新政府軍』を背面から攻撃

  この『主力部隊』を率いるのは、『軍事総督(ぐんじそうとく)河井継之助(かわいつぎのすけ)


この作戦は、≪三方面二重時間差陽動作戦≫であった。



=====================================


この日、継兄さんは今町攻略の為、『旧幕府軍』を率いて加茂『旧幕府軍本営』を発った。

『今町攻略隊』は、三条へ向かった。

三条へ向かった隊は、以下の通りである。


=====================================


『大隊長』山本帯刀

軍事掛(ぐんじがかり)萩原要人(はぎわらかなんど)

銃士隊(じゅうしたい)九里磯太夫(くのりいそだゆう)隊』

(『隊長』久里磯太夫様は負傷の為、山本帯刀様が率いた)

銃士隊『小島久馬右衛門(こじまくめえもん)隊』

銃士隊『斎田轍(さいたわだち)隊』

銃士隊『本富寛之丞(ほんぷひろのじょう)隊』

銃士隊『大川市左衛門(おおかわいちざえもん)隊』

銃士隊『池田彦四郎(いけだひこしろう)隊』

銃卒隊『田中稔(たなかみのる)隊』

砲兵隊『由良安兵衛(ゆらやすべえ)隊』と砲二門

会津藩兵、桑名(くわな)藩兵、『衝鋒隊(しょうほうたい)』と砲二門


_____________________________________



六月一日(7月20日)



午前二時


継兄さんと『軍事掛』萩原要人様率いる『斎田轍隊』『本富寛之丞隊』『池田彦四郎隊』『田中稔隊』(これを、『河井継之助隊(主力部隊)』とする)は三条を進発し、刈谷田川の土手下に進んだ。

しかし付近は大洪水の為に、歩行が困難となった。

その為、鬼木村(おにぎむら)に到着したのは、夜五(こう)(午前3時頃)になってしまった。

その後、命令伝達がうまくいかなかった為に遅れて到着した佐川官兵衛(さがわかんべえ)様率いる会津藩『朱雀士中(すざくしちゅう)四番隊』も鬼木村に到着した。


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午前四時


山本帯刀様率いる『久里磯太夫隊』『小島久馬右衛門隊』『大川市左衛門隊』『由良安兵衛隊』と砲二門、そして会津藩兵、桑名藩兵、『衝鋒隊』と砲二門(これを、『山本帯刀隊(牽制部隊)』とする)も、三条を出発した。

道のりが継兄さん達の隊よりも短いと言う事で、『山本帯刀隊』は三条を遅れて出発した。


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六月二日(7月21日)


『山本帯刀隊(牽制部隊)』は、米沢藩兵(これを、『米沢藩(別働隊)』とする)と共に指出村(さしでむら)付近にいた『新政府軍』を撃破した。

そして、そのまま坂井へ向かった。


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正午


『米沢藩(別働隊)』は『山本帯刀隊(牽制部隊)』と分かれ、左翼へ。

『山本帯刀隊(牽制部隊)』は坂井村『神明社(しんめいしゃ)』付近に砲兵陣地を置き、『新政府軍』を砲撃。

『新政府軍』はこの『山本帯刀隊(牽制部隊)』を『本隊』と考え、今町から大兵を送って来た。


一方、継兄さん指揮の『河井継之助隊(主力部隊)』は今町西にある中之島へ向かった。

この日、継兄さんは紺絣(こんがすり)(紺地に白い絣模様の織物)の単衣(ひとえ)平袴(ひらばかま)(裾が広がった袴)、大座の下駄(げた)陣笠(じんがさ)、そして手には『日の丸の大扇』と言う出で立ちだった。

継兄さんは激戦でも軍装はせず、陣羽織(じんばおり)さえも身に付けなかった。

常に普段と変わらない格好で、戦に望んでいた。

それは、継兄さんが師と仰ぐ山田方谷(やまだほうこく)様の教えだったと言われている。

継兄さんは


平常是道(びょうじょうぜどう)(普段の心こそが、道である)』


を、実践していたのだろう。


継兄さんは、白馬に跨りながら叫んだ。


「進め進め進めーーーー!!!!」


しかし『河井継之助隊(主力部隊)』は中之島に突入する途中、刈谷田川堤防で『新政府軍』からの攻撃を受けた。

刈谷田川堤防を守っていたのは、尾張(おわり)藩であった。

尾張藩は内乱拡大を回避する為、『新政府軍』側に付いていた。

ただ理由はどうあれ、『御三家(ごさんけ)』筆頭でありながら幕府を裏切った尾張藩を、『旧幕府軍』は絶対に許す事が出来なかった。


「裏切り者を殺せーーーーーーーーーーー!!!」


『河井継之助隊(主力部隊)』は、憎しみを込めて叫んだ。


『池田彦四郎隊・隊長』池田彦四郎様は銃を背負い、長槍を振り回しながら、次々と『新政府軍』を倒していった。


『斎田轍隊・隊長』斎田轍様も、兵を鼓舞しながら進んだ。


「突き進めーーーーーー!!!」


その時、銃声が鳴り響いた。


             『ドキューーーーーーン!!!』


その銃弾は、斎田様の胸を貫いた。

斎田様は、もんどりを打って倒れた。


「斎田様ーーーーーー!!!」


長岡藩兵・木村文吾(きむらぶんご)様は、血飛沫を撒き散らしながら倒れた斎田様に走って近づいた。

斎田様は、即死だった。

斎田様の死を確認すると、木村様は泣きながらその首を斬り落とした。


『ザクッ!!!』


斎田様の首は、ごろごろと転がって行った。

転がった斎田様の首を木村様は持ち上げ、しっかりと抱き締めた。


それを見た継兄さんは、大声で叫んだ。


「斎田は死んだ!!!

諸君なんぞ死せざる!!!」


その言葉を聞いた『旧幕府軍』の兵は更に力を得、銃を乱射しながら進んだ。


「斎田様に続けーーーーー!!!

撃て撃て撃て撃て撃てーーーーーー!!!」


その勢いに怯んだ尾張藩兵は、敗走し始めた。

敗走する尾張藩を眺めながら継兄さんは『斎田轍隊』の指揮旗を拾い、『田中稔隊・隊長』田中稔様に向かって言った。


「田中!!!

これからは、おみしゃんが『斎田轍隊・隊長』だ!!!」


そう言うと、継兄さんは指揮旗を田中様に投げ渡した。

斎田様の『意志』と隊を受け取った田中様はその指揮旗を固く握り締め、叫んだ。


「『斎田轍隊』『田中稔隊』は、俺に続けーーーーー!!!」


『斎田轍隊』『田中稔隊』は田中様に続いて、逃走する尾張藩兵を追い掛けた。


その後『河井継之助隊(主力部隊)』は見事、刈谷田川堤防を潜り抜ける事が出来た。

そして、そのままの勢いで『河井継之助隊(主力部隊)』は中之島を攻撃した。


『河井継之助隊(主力部隊)』を率いる継兄さんは、力の限り叫んだ。


「進めーーーーー!!

火を放つのだーーーーー!!!」


継兄さんの声が、辺りに鳴り響いた。

その号令と共に、『旧幕府軍』は『新政府軍』に向かって突進して火を付け回った。


「『旧幕府軍』だ!!

逃げろーーーーーーーーーーーーーーー!!」


自分達の勝利に気が緩んでいた中之島にいた『新政府軍』は『旧幕府軍』の急襲に驚き、刈谷田川に飛び込んで逃げようとした。

しかし、連日の雨により刈谷田川は増水していた。

その為、多くの『新政府軍』の兵が溺死した。

また川へ逃げる『新政府軍』を、多くの『旧幕府軍』が追い掛けて川の中に飛び込んだ。

そして、お互いが川の中で殺し合った。


「殺せー!!!」

「殺せー!!!」

「殺せー!!!」


『旧幕府軍』の勢いは止まず、『新政府軍』に多くの損害を与えた。

そして、とうとう『旧幕府軍』は中之島を占領した。


その後、『河井継之助隊(主力部隊)』『山本帯刀隊(牽制部隊)』『米沢藩(別働隊)』の三隊は今町へ向かい、三方から今町に火を放った。

火の手は村落にまで燃え移り、家から焼き出された人々は戦の中を惑いながら逃げた。

今町の人々は戦の前に避難を試みようとしたが、『新政府軍』にそれを阻止された。

『新政府軍』は今町の人々を人間の盾とする為に、留まらせたのだった。

その為、多くの死傷者が出た。

中には、流れ弾に当たって死傷する者もいた。

蒼い空は、一瞬にして真っ赤に染まった。

地上は、炎に包まれていた。

阿鼻叫喚(あびきょうかん)の声が、町を埋め尽くしていた。

まるで、『地獄絵図』のようであった。

その地獄の中を、『新政府軍』は退却して行った。

今町にいた『新政府軍』は、全て撤退した。

多くの死体を残して・・・。


この戦いで、『新政府軍・軍監(ぐんかん)三好軍太郎(みよしぐんたろう)は刈谷田川堤防・安田口にて重傷を負った。

指出にいた長州(ちょうしゅう)藩兵を率いていた『新政府軍・次将』堀潜太郎(ほりせんたろう)も重傷を負った(その後、柏崎で治療を受けたが、六月三日に死亡)。

同じく指出にいた長府(ちょうふ)藩『報国隊(ほうこくたい)・軍監』熊野直助(くまのなおすけ)も、討ち死にした。


『新政府軍』に大損害を与え、『旧幕府軍』は今町を奪取した。


『旧幕府軍』の勝利であった。


しかし、『銃士隊長』斎田轍様など多くの戦死者を出しての勝利であった。


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午後八時


『旧幕府軍』全軍は中之島の大竹(おおたけ)家門前に集まり、祝杯を挙げた。

多くの犠牲を払いながら勝利に終わった『今町の戦い』に歓喜した『旧幕府軍』の一部は、このまま進んで長岡城を取り戻そうと息巻く者もいた。

しかし、継兄さんはそれを許さなかった。


「既に、今町は占領した!!

見附方面の『新政府軍』も、もう直ぐ撤退するだろう!!

このまま血気に逸って進み、背後から『新政府軍』に攻撃を受けては元も子もない!!

冷静になれ!!」


『見附と長岡の町から、挟撃される恐れがある』


その事を、継兄さんは危惧していた。

『旧幕府軍』は継兄さんの命令通り、今町付近で状勢(じょうせい)を見る事にした。


中之島、今町での戦闘は継兄さんが指揮し、攻撃の中核も長岡藩兵であった。

自分達の城を自分達が取り戻す為のこの≪今町攻略作戦≫は成功し、『旧幕府軍』は大勝利した。

実績が認められ、継兄さんは『旧幕府軍』の戦闘主導権、発言権をほぼ掌握し、『旧幕府軍』の中核となっていく事になった。


中之島、今町での戦闘以来、継兄さんはまるで人が変わったように『長岡城奪還』を目指した。


『どんなに犠牲者が出ようとも、必ず城を奪還してみせる』


『勝つ為には、長岡が焦土と化しても構わない』


継兄さんは、次第にそんな目をするようになっていった。


継兄さんは農民を駆り出して戦闘に参加させたり、『新政府軍』に協力した者を五十嵐川(いがらしがわ)(三条)の河原に集めて惨殺したり、まるで『鬼』のような所行が目に付くようになっていった。


継兄さんは、松江久兵衛(まつえきゅうべえ)様が言ったように『鬼』と化していった。


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越後戦線に参戦する為に、米沢藩兵が大軍を率いて越後にやって来た。

会津藩と米沢藩の諸将、そして継兄さん達長岡藩各隊長は見附『旧幕府軍本営』で、長岡城を奪還する為の会議を開いた。


「善くぞ、越後に参られた!!」


継兄さんは気色満面の笑みで、米沢藩兵の到着を喜んで迎えた。

米沢藩『総督』千坂高雅(ちさかたかまさ)様は、それに対して自信を持って答えた。


「我が藩が我が領内を出て戦うのは、長岡城を救う為である!!」


継兄さんはその言葉に、尚一層感激して叫んだ。


「我ら『奥羽越(おううえつ)列藩同盟(れっぱんどうめい)藩』は、専ら天下の為に『義』を唱え、君側(くんそく)(かん)を払う為に戦っている!!

共に世を乱す薩長(さっちょう)を倒し、一日でも早く国を平定しよう!!」

その時、米沢藩のある『隊頭』が口を挟んだ。

「我が軍の守る保塁に、一つの小道があります。

この小道は、『新政府軍』陣地に通ずると思われます。

其処へ守兵を派遣しようと考えているのですが・・・如何でしょうか?」

すると継兄さんは突然不機嫌になり、怒り出した。

「諸君らは、既にこの地を守っている!!

守兵を置く置かざるかを、私に問うものではない!!」

継兄さんの剣幕に驚き、米沢藩兵は狼狽しながら答えた。

「わ・・・我々にとって、長岡は客地(かくち)(他国)である!!

この地の事を、我々は良く知らない!!」

それを聞き、継兄さんは更に怒った。

「兵がその地を守って、その地理を知らなければ、どうやってその職を全う出来るのか!?」


忽ち、激論となった。


そして継兄さんは席を立ち、叫んだ。


「米沢藩は我長岡藩を助けに来たと言うが、越後の『旧領地の回復』が本心である!!

この戦は、元々『奥羽越列藩』が同盟して天下の悪を洗わんと欲するものであったはず!!

米沢藩は、天下の憂いを知らない輩だ!!」


会津藩・佐川官兵衛様は、この継兄さんの言葉に驚いた。


『このままでは、『同盟軍』が分裂してしまう』


佐川様は、必死になって継兄さんと米沢藩兵を落ち着かせた。

しかし、結局お互いに『しこり』が残ったまま散会する事になった。

そして、この『しこり』が、その後に影響を及ぼす結果となる。


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六月三日(7月22日)


継兄さんは、白馬で今町を巡回した。

そして、刈谷田川に架かる橋で馬を止めた。


「あれは・・・!?」


橋の周辺には、焼け出された人々が集まっていた。

継兄さんは馬から下り、ゆっくりと人々に近づいた。

そして皆の前で、血を吐くように叫んだ。


「済まなかった・・・!!

済まなかった・・・!!

済まなかった・・・!!」


目の前で涙を流す侍を、焼け出された人々は生気の無い目で見つめた。

継兄さんは溢れ出る涙を拭わず、ただただ頭を下げながら叫んだ。


「町に火を掛けた事は、誤りであった!!

おみしゃん達が怒るのは、当然だ!!

おみしゃん達は、ただ平和に生きていただけなのに・・・!!

俺は・・・!!!」


人々は、何も応えなかった。

何の感情も、無いようだった。

継兄さんは、構わず続けた。


「我らは必ず『新政府軍』を倒し、長岡城と領地を取り戻す!!

その時は藩を回復し、戦火で灰となった民家も財政も立て直す!!

約束する!!

おみしゃん達に、償いをする!!

それで、許されるとは思ってはいない!!

失ったものは取り戻せないし、悲しみも苦しみも消える事は無い!!

だが・・・!!

だが、今は、耐えてくれ!!

苦しくとも、今は我慢してくれ!!

本当に済まなかった!!

済まなかった!!

済まなかった・・・!!!」


継兄さんのこの声が、人々に聞こえていたのかどうかは分からない。

皆の反応は、全く無かった。

ただ、虚ろに継兄さんを見つめるだけだった。

継兄さんはしばらく頭を垂れ、その後馬の手綱を持って歩いて『本陣』へ戻って行った。

人々は、その後ろ姿を見つめるだけだった。


『本陣』に戻った継兄さんは、その後、会津藩・佐川官兵衛様と共に三条へ引き揚げて行った。


継兄さんは

『自分が行った事』

『自分がこれから行おうとしている事』

が、

『正しい事』

なのか、

『間違った事』

なのか、

自問自答していたに違いない・・・。

迷っていたに違いない・・・。


本当に、()()()良いのだろうか・・・?


本当に、()()()良いのだろうか・・・?


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『旧幕府軍』が今町を占領した事を知った見附『新政府軍陣営』は、押切村(おしきりむら)(中之島)まで退却して行った。

今町での『新政府軍大敗』は、『新政府軍』に激震を与えた。


『新政府軍・参謀』山県狂介は、京都『新政府軍本営』に援軍を要請した。

それを受け、『新政府軍・総督』高倉永祜(たかくら ながさち)が、大軍を率いて越後入りした。

しかし高倉総督は柏崎に到着すると、病に伏せってしまった(七月二十九日、高田(たかだ)の陣中で病没)。

その後『鎮撫使(ちんぶし)』として越後に来た西園寺公望(さいおんじきんもち)が、『新政府軍・参謀』となった。


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六月四日(7月23日)


エドワード・スネルが、新式の大砲を見附町に持参して来た。

そして、『旧幕府軍』に新砲術訓練を行った。


その事を聞いた私は、あれ程嫌だった武器を少し頼もしく思えた。

武器の性能の違いが戦を左右する事を、身を以て知ったからだろう・・・。


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六月七日(7月26日)


【中之島村・大口村(おおぐちむら)の戦い】


『旧幕府軍』が、中之島村、大口村を急襲。


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六月十四日(8月2日)


川辺(かわべ)大黒(だいこく)の戦い】


『旧幕府軍』が、川辺、十二潟(じゅうにがた)筒場(つつば)、大黒にいる『新政府軍』を急襲。

しかし、長岡に近づく事は出来なかった。

『旧幕府軍』側は会津藩『朱雀士中四番隊長』佐川官兵衛様が福井村(ふくいむら)で負傷し、見附へ戻った。


この戦では、『新政府軍』側でも多くの死傷者を出した。

その為、薩摩藩兵は『新政府軍・参謀』山県狂介に向かって不平不満を噴出した。


「大黒東側を守備していた高田藩兵が早々に退却したが為に、『新政府軍』は総崩れとなってしまった!!!

今回の戦でこれ程の犠牲が出たのは、高田藩兵のせいだ!!!」


高田藩兵も他の藩同様、『錦旗(きんき)』の神意性、薩長の強大な力に抗う事が出来ず、仕方なく『新政府軍』側に付いていた。

その為士気は低く、『同盟軍』に同情的でもあり、出来るだけ戦闘を避けるようにしていた。

それが、『新政府軍』には惰弱と見えたのだった。


『高田藩は臆病風に吹かれ、早々に撤退した。

追って沙汰する』


山県はこの布告文(ふこくぶん)を高田藩だけでなく、他藩にまで発布した。

これは高田藩に対する処罰であり、他藩への見せしめの為でもあった。

侮辱され、面目を潰された高田藩はその後、

『身命を賭して『新政府軍』の為に戦う』

と誓わざるを得なかった。

山県が高田藩に対する処分を他藩に知らしめたのは、『新政府軍』の戦意を高め、継ぎ接ぎだらけの同盟の糸を恐怖によりきつく引き締めると言う意図もあった。


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六月十八日(8月6日)


『新政府軍・大参謀』西郷吉之助(さいごうきちのすけ)(後の隆盛(たかもり))は、汽船に乗って柏崎に到着した。

越後戦線が容易ならざるものだと、『新政府軍』はひしひしと感じていた。

会津を落とす為にも、越後を、何としても早急に陥落させる必要があった。


この頃、会津にも戦火が広がろうとしていた。

それを避ける為、『奥羽越列藩同盟』の盟主となられた輪王寺宮(りんのうじのみや)公現法親王(こうげんほうしんのう)様が会津を発たれた。

『旧幕府軍・閣僚(かくりょう)小笠原長行(おがさわらながみち)様、板倉勝静(いたくらかつきよ)様、そして五月二十四日(7月13日)に会津に到着された『長岡藩第十二代藩主』牧野忠訓(まきのただくに)様も随行された。


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六月十九日(8月7日)


『新政府軍・大参謀』西郷吉之助は、長岡に入った。

そして『新政府軍・参謀』山県狂介と協議し、『大敗の善後策』と『今後の作戦』を立てた。

その後、西郷は与板を視察し、帰京した。

一方、山県は兵の移動を決行した。

信濃川(しなのがわ)右岸の今町、中之島は既に『旧幕府軍』のもので、『新政府軍』は守備する事が出来なかった。

その為、『新政府軍』は川辺、下条(げじょう)、筒場、十二潟、大黒、福井、百束(ひゃくそく)浦瀬(うらせ)、森立、栃尾、半蔵金(はんぞうがね)に兵を分散して守る事にした。


これより先、両軍は昼夜問わず激戦を続ける事になる。


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六月二十二日(8月10日)


【半蔵金・大黒の戦い】


『旧幕府軍』は八丁沖(はっちょうおき)の片隅を渡って、福島村(ふくしまむら)にいる『新政府軍』を急襲。

しかし、この時も『旧幕府軍』は長岡に近づく事は出来なかった。

その後、戦は膠着状態となった。


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七月二日(8月19日)


【大黒村の戦い】


『旧幕府軍』が、大黒村にいる『新政府軍』を急襲。

米沢藩は多数の死者を出して、撤退した。


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七月四日(8月21日)


与板と出雲崎の間では、『衝鋒隊』三個中隊(約四百余名)が守っていた。

信濃川左右岸の戦闘は停滞気味になり、大した戦闘は行われていなかった。

しかし七月四日に秋田にまで『新政府軍』が入り、状況が変わった。

『奥羽越列藩同盟軍』である仙台(せんだい)藩の使者が、『新政府軍』によって斬られて晒されると言う事件があったからだった。

越後で共に戦っていた山形(やまがた)藩兵・上山(かみのやま)藩兵は自藩に戻り、これに対応しなければならなくなった。

今まで比較的有利に戦っていた『旧幕府軍』に、次第に暗雲が立ち込めて来た。


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七月十一日(8月28日)


『新政府軍・参謀』山県狂介は『征討軍』の改編に伴う組織替えと戦闘の進捗を図る為、長岡城下に『会議所』を設けた。

『会議所』は、『会津征討(あいづせいとう)越後(えちごぐち)口・大参謀』西園寺公望が宿舎にしていた長岡城下・神田二之町の商家『絹屋(きぬや)五兵衛(ごへえ)の家と決まった。

『新政府軍』各藩に『会議所』の所在を通知し、軍議を開く事にした。

山県の提案で、山県、薩摩(さつま)藩・黒田清隆(くろだきよたか)、薩摩藩・吉井幸輔(よしいこうすけ)、そして、長州藩・前原彦太郎(まえばらひこたろう)(後、一誠(いっせい))ら『参謀』と各藩『隊長』が『会議所』に集まった。

吉井と前原は応援の『参謀』であり、『総督』『副総督』『参謀』は公卿であったので、実質的な指揮権は山県の手の中にあった。


山県が、常に戦の主導権を握っていた。


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七月十四日(8月31日)


一進一退の戦が、未だに続いていた。

連日の戦で、皆が疲れ切っていた。


長岡藩の婦女子は、『旧幕府軍』陣地の近くに潜居していた。

其処にいれば戦闘を垣間見る事も出来、戦況を知る事も出来たからだ。

出陣している父や夫、兄弟や息子の消息を、ほんの少しでも知りたかった。

しかし消息を聞いた後は、婦女子の悲痛の声しか聞こえて来なかった。


私と團一郎(だんいちろう)は、ある長岡藩兵二人が話しているのを聞いた。


薬師嶺(やくしみね)に籠もる『米沢藩陣地』に、二人の人影が近づいて来たそうだ。

二人に驚いた米沢藩兵は、威嚇射撃した。

しかし、二人は構わず陣地に近づいて来た。

鉄砲を構え、筒先を二人に向けたところ、米沢藩兵はそれが二人の女だと言う事に気付き、驚いたそうだ」

「女・・・?

女が・・・戦場に来たのか・・・?」

「ああ・・・。

戸惑った米沢藩兵は、尋ねたそうだ。

『誰だ!?』

と。

それに対し、年配の女が落ち着いた声で答えたそうだ。

『私は、長岡藩士・岡村友次右衛門の妻と娘です』

米沢藩兵は驚き、こう聞いたそうだ。

『長岡藩士のご妻女・・・!?

何故、此処に参られた!?』

すると岡村殿の奥方は、はっきりとした口調で答えたそうだ。

『夫の安否を、伺いに参りました。

薬師嶺陣地で自分の夫が傷を負ったと聞き、矢も盾もたまらず参りました』

そして、米沢藩兵は驚きながら答えた。

『二人だけで・・・此処まで来たのか・・・!?』

二人は、言った。

『そうです』

そして、続けた。

『自分の夫は、此処にいるのでしょうか?』

二人は、とても必死だったと言う・・・。

そして、米沢藩兵は困惑しながら答えたそうだ。

『岡村殿と言う方は、存ぜぬ・・・』

それを聞いた二人は目を見開き、そして項垂れながら答えた。

『そう・・・ですか・・・』

米沢藩兵は、二人をどう扱って良いのか分からなかったらしい。

『此処は危険だから、取り敢えず一度『長岡藩本陣』へ戻るよう』

進言し、

『後で長岡藩に連絡し、迎えに来てもらう』

と伝えたそうだ。

そして、二人は大人しく長岡藩の迎えを待った」

「うむ・・・」

「しばらく待つと、『使番』槇三左衛門(まきさんざえもん)殿が『米沢藩陣地』まで迎えに来た。

岡村殿の奥方とご息女は深く頭を下げ、米沢藩兵に礼を言った。

『お手数を掛け致しました・・・』

と。

それを見た米沢藩兵は、気の毒そうな顔をして答えたそうだ。

『親族が心配なのは十分承知しているが、何時攻撃を受けるか分からない。

『新政府軍』は、女子供にも容赦しないから』

と」

「それで?」

「奥方はそれに対して、こう答えたそうだ。

『もう二度と、ご迷惑はお掛け致しません・・・。

申し訳ありませんでした・・・』

と。

そして、二人は槇殿と共に『長岡藩本陣』へ向かった。

途中、岡村殿のご息女が槇殿に心配そうに尋ねたそうだ。

『父は今、何処にいるのですか?

槇様は、ご存じありませんか?』」

「・・・」

「槇殿は、一瞬息を呑んだそうだ。

そして、真っ直ぐ前を向きながら答えたそうだ。

荷頃口(にごろぐち)の砲塁にいた長岡藩砲士の竹垣鉱太郎(たけがきこうたろう)殿は、流れ弾に当たって死んだと聞くが・・・。

長岡藩兵は各所に散らばっているので、誰が何処にいたのかは詳しく存じない・・・』」

「それで、ご息女は何と・・・?」

「『そうですか・・・』

と一言だけ言って、二人は深い溜息をついたそうだ。

・・・実を言うと、岡村友次右衛門殿は七月一日の薬師嶺の戦闘で戦死していた。

槇殿は、それを知っていた。

しかし、どうしても二人に『真実』を告げる事が出来なかったそうだ。

少しでも二人を安心させられればと思い、嘘をついた。

一時の嘘は、ある意味残酷だったのかもしれない・・・。

しかし、それでもその嘘は、その時の二人には必要だった・・・と思う。

安否が確認出来なくとも、二人は

『もしかしたら、生きているかもしれない』

と言う『希望』を、一瞬でも持つ事が出来た。

二人は槇殿の言葉を聞き、安心して栃尾町の『長岡藩本陣』に入った。

そして、二人は

『有難うございました。

槇様』

と言って『本陣』に入ろうとした。

すると突然、背を見せていた槇殿が振り返り、悲痛な声で叫んだそうだ。

『済まない!!

先程言った事は、嘘だ!!!

岡村殿は、『薬師嶺の戦い』で天晴れな戦死を遂げられた!!!』

槇殿はそれだけ言うと、走って『本営』に帰って行ったそうだ・・・」

「・・・」

「・・・暗闇の中で、いつまでも嗚咽が聞こえて来たと言う・・・」

「・・・」

「槇殿は、辛かったであろうな・・・。

『始めから、本当の事を言えば良かった』

と、

『希望を持たせて、却って傷つけた』

と、後悔したのだろう・・・。

ただ・・・。

ただ、もし自分が槇殿と同じ立場であったら、何と言ったのであろうか・・・?

『真実』を告げたのだろうか、それとも一時の幸せを与える為に嘘を付いたのだろうか・・・。

どれが、正しいのだろう・・・?」

「・・・」


そして、二人は無言のまま暗闇に消えて言った。


二人が見えなくなった後、團一郎は寂しそうに呟いた。

「どちらが・・・幸せ・・・なのでしょうか・・・?」

「え・・・?」

私は、真っ直ぐ前を向く團一郎の方を向いた。

團一郎は、目を細めながら続けた。

「『死んでいる』と分かれば、遺体が見つかれば、残された人はその人の『死』を受け入れ、『区切り』をつける事が出来ます。

『現実を受け入れる事』は悲しい事かもしれませんが、でも、いつか前に進む事が出来ます」

「・・・」

「一方、『生きている』のか、『死んでいる』のか分からない、遺体が見つからなければ、残された人は

『もしかしたら、生きているのかもしれない』

と言う『希望』を持つ事が出来ます。

しかし悲しみは続き、残された人は其処から前に進む事が出来ません」

「・・・」

「一体、()()()()()()で、()()()()()()なのでしょうか・・・?」


私は、團一郎のその問いに答える事が出来なかった。


『生きていて欲しい』


と言う気持ちも、本心。

ただ、もし既に亡くなっているのなら


『もうこの世にはいないと言う証拠が欲しい』


と言う気持ちも本心。


お祖母様が以前、おっしゃっていた。


『はるさんが亡くなった事に、『区切り』をつけるのです。

はるさんの死を、受け入れるのです。

受け入れ、貴方達は前に進むのです」


完全なる死ならば、目に見える死ならば、残された人はその死を受け入れ、『区切り』をつけられるのかもしれない。


でも『生きているのか、死んでいるのか』分からなければ、残された人は受け入れる事も、『区切り』を付ける事も出来ない。

前に進めない。


『知りたい』


でも


『知りたくない』


『残された人』にとって、どちらも、とても辛い選択の様な気がする。


『希望』は、人を生かす。

そして、時には人を苦しめる。


『真実』は、人を苦しめる。

そして、時には人を生かす。


どちらが幸せで、どちらが残酷なのだろう・・・。


そして自分は、一体どちらを望むのだろう・・・。


私と團一郎は無言で佇み、『答えのない答え』を考え続けた。


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七月十五日(9月1日)


長岡城落城後、絶望と疲労の為、長岡藩兵の中にも自暴自棄になる者がいた。


蒲原(かんばら)平野『巻代官所(まきだいかんしょ)』には『代官』長岡藩士・萩原貞左衛門(はぎわらさだざえもん)様がいた。

萩原様は、戦争に乗じて一揆を起こしていた農民達の鎮圧に苦労していた。

其処へ、新潟警備の米沢藩『使番』がやって来た。

『使番』は、小馬鹿にしたような言い方で萩原様に言った。


「長岡藩の脱走兵三名を捕らえたので、貴藩に受け取りに来てほしい」

怪訝な顔で、萩原様は答えた。

「脱走兵・・・?」 

米沢藩兵は、呆れたと言う顔をしながらそれに答えた。

「長岡藩の足軽(あしがる)新潟湊(にいがたみなと)揚屋町(あげやまち)に長期滞在しており、訝しいと思ったので取り押さえて尋問した。

三人は、

『我らは牧野家譜代(まきのけふだい)の臣であるが、加茂陣屋より御用向で新潟へ出張したが遊女と離れ難くなり、帰陣する機会を失った』

と答えた」

「・・・」

「彼らは森、柳瀬(やなせ)、岡村と言う名である。

早々に、彼らをお引き取り願いたい」

萩原様は、青ざめた顔で答えた。

「分かり申した・・・。

直ぐにでも、参る・・・」


萩原様は直ぐに『農民一揆』を掃討し、『牧野八左衛門(まきのはちざえもん)隊』に脱走兵を引き取りに向かわせた。

数日後、月代(さかやき)の毛がまばらに伸びた三人の若い足軽が悄然とした面持ちで連行されて来た。

この三人は、『新足軽方(開戦直前の『兵制改革』によって、『町同心(まちどうしん)』『中間(ちゅうげん)』『郷中間』『小者(こもの)』などが『銃卒(じゅうそつ)』になった者達)』だった。

加茂『本営』から『巻代官所』に来た槇三左衛門様が、彼らの尋問にあたった。


「どういった経緯か、説明せよ!!」

槇様の怒りに恐れをなし、三人は平伏して震えながら答えた。

「な・・・長岡城落城後、我らは加茂まで落ち延びました・・・」

それに対し、槇様は厳しく続けた。

「それで!?」

三人は、更に震えて答えた。

「そ・・・その後・・・再編の各隊に編入する事なく・・・逃げました!!」

「逃げた!?

逃げただと!?」

「へえええええええ!!!」

「そう言えば、捕縛した時に銃を所持していなかったと聞くが、銃はどうしたのだ!?」

「じゅ・・・銃は・・・。

銃は・・・加茂の『明田川』と言う質屋(しちや)に・・・預けました」

「質屋に、入れただと!?」

「あ・・・後で・・・。

後で・・・取りに戻る予定でした!!

も・・・も・・・。

申し訳ありませんでした!!

どうか!!

どうか!!

お許し下さい!!!

もう、逃げませんから!!!」


男達は、泣きながら嘆願した。

槇様は彼らの姿を見て、不憫に思った。

元々武士では無い彼らを、処罰するのは気の毒に思った。

しかし、三人を許す訳にはいかなかった。

村は不穏な状況で、何時暴動が起こるか分からなかった。

『軍律』の厳しさを示し、安定を図る必要があった。

同情して例外を作っては、規律が失われる。

彼らを、犠牲にするしかなかった。

槇様は、三人に低い声で告げた。


「三人を、斬刑と処す!!!」


三人は震え、叫んだ。

「ひぃー!!

お許しください!!

お許しください!!

殺さないでください!!!

次こそ、必ず、命懸けで、国の為に戦いますから!!

殺さないでください!!

お願い致します!!

お願い致します!!

お願い致します!!!」

「ならぬ!!!

自己の命を優先し、主君を見捨て、また足軽にとって大切な銃までも(しち)に入れるなど、武士としてあるまじき行為!!

実に、許し難い!!

潔く刑を受け入れろ!!」

「あああ・・・!!」

三人は項垂れ、観念したように座り込んだ。


三人が質屋に銃を売った事は、事実であった。

ただ、槇様は三人の罪状に質入れについて書くべきか迷っていた。

足軽にとって、銃は刀以上に大事なもの。

それを『質に入れた』と言う汚名を着せたまま殺すのは、忍びないと考えた。

槇様は、せめて武士としての誇りを持ったまま三人を死なせるべきだと考えた。


「この書状を、加茂『陣営』まで持って行ってくれ」


槇様は、加茂『陣営』に使いをやった。

罪状に銃の質入れの件を省いて良いか、加茂『陣営』に判断を仰いだ。


数刻後、省いても良いと言う『許可状』を持って使いが戻って来た。

銃の質入れを省いた罪状を、改めて三人に申し渡した。

三人は、黙ってその罪状を聞いていた。


その日の夕方七ツ(午後4時)、三人は『長厳寺(ちょうごんじ)』裏で斬刑に処せられた。


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栃尾『米沢藩陣地』に、福井村の喜平次(きへいじ)と言う若い農民が捕らえられて来た。

米沢藩兵は、尋問した。


「お前は、何者だ!?」

「わ・・・わたしは・・・福井村の喜平次という者です・・・」

「何故、栃尾郷を彷徨いていた!?」

「し・・・『新政府軍』から金をもらい、栃尾郷内の村の放火を命じられました・・・」

「何!?

放火だと!?

何の為だ!?」

「ほ・・・放火に乗じて・・・十五、十六日に『新政府軍』が総攻撃をしかけるためです・・・」

「何だと!?」


喜平次の告白に驚いた米沢藩兵は各陣地に『使番』を走らせ、厳重に警備するよう通達した。

各陣営、陣地は『番兵』を置き、夜はいつもより多く篝火を焚いて不審な人物がいないか警戒した。

山火事でも起きたかのように、真っ赤な火が燃え広がった。


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越後戦線が厳しい事に危機感を持った『新政府軍』は、新たに仁和寺宮(にんなじのみや)嘉彰親王(よしあきらしんのう)を『総督』とした。

そして『会津征討越後口軍』を編成し、大量の『新政府軍』を越後に送り込んで来た。

仁和寺宮は『総督』に任命されはしたが、実際に赴任したのは七月十五日に柏崎に到着してからだった。

『会津征討越後口軍』は、『番神堂(ばんじんどう)』のある『明行寺(みょうぎょうじ)』を『本営』とした。

だが越後の『新政府軍本営』は開戦当初から関原に置かれており、其処が『新政府軍』の戦闘指令所のようであった。

そして『北陸道先鋒(ほくりくどうせんぽう)総督府(そうとくふ)・参謀』であり『新政府軍・参謀』山県狂介が中心となって、其処で戦闘指揮を行っていた。


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七月十六日(9月2日)



晴れ渡る空の中、『新政府軍陣営』から突然、盆踊りの(たる)たたきと歌が聞こえて来た。


『ハァーエーヤー 長岡 (かしわ)の御紋 ハァヨシタヨシタヨシタヨシタ~ 


七万余(ごく)の アリャ 城下町 ハァヨシタヨシタヨシタヨシタ~』


その歌は、『長岡甚句(ながおかじんく)』だった。


始め土ヶ谷(つちがたに)『陣地』にいた長岡藩『横田大助(よこただいすけ)隊』は、これは『敵の姦計』ではないかと危惧した。

しかし鳴り響く懐かしい歌声と賑やかな樽の音が、戦場の兵士の心を次第に和ませていった。


「『長岡甚句』か・・・。

そう言えば、今夜は『盆の十六日』・・・。

『盆踊り』の夜だ・・・」


何故、『長岡甚句』が山中に響いたのかは分からない。

長州藩か、松本(まつもと)藩か、松代(まつしろ)藩か・・・。

いや。

彼らは『長岡甚句』を、知らないはず・・・。

『長岡甚句』を知っているのは、高田藩兵か、『夫役(ぶやく)』に駆り出された農民だ。

誰が歌っているのかは、分からない。

しかし、その歌声と音色が、長岡藩兵の心を一時和らげた。

長岡藩兵は鰊味噌(にしんみそ)を肴に、冷や酒を黒の汁椀に注ぎ回して飲みながら語った。


「懐かしいな・・・」

「ああ・・・。

『長岡甚句』を聞くと、思い出すな・・・」

「盆の頃の長岡の町は、特に美しかった・・・」

「明かりに照らされて、暗闇に浮かぶ長岡城も綺麗だった・・・」

「人々は歌いながら、皆楽しそうに踊りを踊っていた・・・」

「平和な日々が、ずっと続くものかと思っていた・・・」

「失って、初めて分かる・・・。

故郷への恋しさが・・・。

平和な日々が・・・」

「もしかしたら『新政府軍』の兵士も、我らと同じ思いなのかもしれないな・・・。

彼らが『甚句』を歌うのは、彼らも自分達の故郷を思い出しているからなのかもしれない・・・」

「故郷を思う気持ちは、敵も味方もないのだろうな・・・」

「どうだ!?

我らも、樽を叩こうではないか!?」

「それは良い!!

『新政府軍』に、応えよう!!」


そして皆が樽を叩き、歌い始めた。


故郷を思い、家族を思い、思い出を胸に、涙を溜めながら、笑いながら歌った。


『ハァーエーヤー お前だか 左近(さこん)の土手で 背中ぼんこびして 豆の草取りゃる


 ハァーエーヤー お山の千本桜 花は千咲く 成る実は一つ

 ハァーエーヤー 流れます 細谷川(ほそたにがわ)よ 重ね箪笥(だんす)が 七(さお)八棹


 お前ーヤー川西 わしゃ川東 中を取り持つ あの長生橋(ちょうせいばし) 

 ハァーエーヤー 揃たよ 踊り子が揃た 稲の出穂より アリャよく揃た 


 ハァーエーヤー 踊りも 太鼓打つ人は 昔ならした アノ腕の冴え


 ハァーエーヤー 夜はよし しのびにゃ出たが 夕立村雨 片袖しぼる


 ハァーエーヤー 三夜の 三日月様は 宵にチラリと アリャ出たばかり


 お前ーヤー百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の アリャ生えるまで


 ハァーエーヤー お前さんの 声だと聞けば 眠い目も冴え その気も 勇む


 余りーヤー長いは 踊り子が大儀 先ずはここいらで アリャ打ち止めだ』   


長岡藩兵の歌声が『新政府軍』にも聞こえたのか、それに応えるように『新政府軍』からも樽の音が鳴り響いた。


ほんの少しの時間だったけれど、穏やかな時間が流れていた。


敵も味方も無く『お盆』にもう一度、一緒に歌い踊りたかったと、皆が思ったに違いない・・・。


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「母上は・・・ご無事であろうか・・・」


ある若い長岡藩兵が、小さな声で呟いた。

すると四十歳位の強面の兵が突然怒鳴り、若い兵の胸倉を激しく掴んだ。

「お前!!!

この様な時に、何を女々しい事を言っておる!!!

腰抜けめ!!

国の為なら、家族も省みず戦うべきであろう!!!

そのような腰抜けは、長岡の武士では無い!!!」

若い兵はそれを聞き、強面の兵を力強く見据え、反論した。

「自分の母親の事を心配して、何が悪いのです!!

貴方は、心配ではないのですか!?

自分を育て、愛してくれた家族が無事であるかどうか、気にならないのですか!?」

強面の兵は口角泡を飛ばしながら、叫んだ。

「そんな事を考えるなど、武士としてあるまじき行為!!

武士ならば、国の為、殿の為、民の為、命を投げ出して最期まで戦い、潔く死ぬものだ!!!」

「私は武士である前に、『一人の人間』です!!

此処まで自分を育ててくれた母親を大切に思う事は、当然の事です!!!」

「それが、甘いと言うのだ!!!

お前は、武士では無い!!!

尻の青い小童に過ぎない!!」

「何を!!!」

若い兵が強面の兵に掴み掛かろうとした時、一人の高齢の兵が間に入って止めた。

「長岡の武士同士が、いがみ合ってどうする・・・」

「・・・」

「今は、皆が力を合わせて国と殿、そして、民を守る事が大事だ」

そして、二人に向かって静かに話し始めた。

「『母親の無事を願う事』『家族を大切に思う事』は、人ならば当然の事だ。

武士であろうがなかろうが、関係ない。

口では強がりを言っても、家族を心配していない者などいはしない」

「・・・」

「しかし、我々は『()()』を押し殺さなくてはならない。

それは、我々が『武士』であるからだ。

『人』であると同時に、我々は『武士』でもある」

「・・・」

「国の為、殿の為、民の為、正しい事の為に、命を賭して戦う事は我々『武士の宿命』であり、『運命』であり、『役割』であり、『使命』でもある。

それを変える事も、違える事も、出来ない。

『志』を持って、我々は戦わなくてはならない。

そして我々は牧野家の家臣、『長岡藩士』だ」

「・・・」

「最期まで正々堂々、『武士』らしく戦い、死ななければならない。

我々の先祖の為にも、そして子孫の為にも、『見苦しい戦』も、『見苦しい生き様』も、『見苦しい死に様』も残してはならない。

『長岡藩士』の名に恥じぬ戦いを、我々はしなければならないのだ・・・」

「・・・」


二人は、黙って座り込んだ。

二人が納得したのか、しなかったのかは分からない。

ただただ二人は、地面を見続けていた。


それを見ていた私は、思った。


武士は、自分の中に流れている『武士の血』に、囚われている。

そしてその『武士の血』は、『家族を守りたい』と言う『人としての感情』を抑える力となっている。

武士は『武士の血』と『人としての感情』の、板挟みになっているのかもしれない。


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七月十七日(9月3日)


この日、『旧幕府軍』は全兵士に≪軍令≫を発した。

『旧幕府軍』の≪軍令≫は、以下の通りである。


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≪軍令≫


一.一勝しても(おご)らず、一敗しても諦めず、常に勝つ事を目的として戦う事


一.攻める時も退く時も、隊長に従うように

  自分の判断で退いてはならぬが、約束の時間は守るように


一.敵味方の噂に、惑わされてはならない

  もし腑に落ちない噂ならば、本陣へ申し出る事


一.敵が突然攻撃して来た場合、諸隊は持ち場を固めて命懸けで防戦せよ

  前も後ろも断たれても、動いてはならない


一.一方が危急の時は、傍観せずに直ぐに応援に向かって尽力せよ


一.戦の最中、たとえ隊頭や隊長が死んでも動揺してはならない

  二人はその介抱をし、残り全員がその復讐の為に奮戦する事


一.民家や町屋で、狼藉を働いてはならぬ


一.敵を生け捕ったとしても、みだりに殺してはならない

  隊頭に申し出て、指図を仰げ


もしこれらに違反する者あれば、罪の重さに関係無く処分する。


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この『旧幕府軍』が出した≪軍令≫の前日、『新政府軍』も≪軍令≫を出していた。


『新政府軍』の≪軍令≫は、以下の通りである。


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『春から賊徒は所々で『官軍』に抵抗し、戦は拡大し続けている。

土地の人民は戦の火によって焼け出され、労働に駆られ、食糧や弾薬運搬に駆り出され、朝夕奔走している。

戦の習いとはいえど、皆等しく朝廷の赤子である。

慈愛を持って、我らは彼らを守らねばならぬ。

非道な事は、決してしてはならぬ。

人民を、安堵させねばならぬ』


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『旧幕府軍』は必勝を期して、『新政府軍』は民政の安定を図る為に、それぞれ≪軍令≫を発布した。


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与板方面には桑名藩の三隊と村上藩の二小隊、そして『衝鋒隊』がいた。

また出雲崎へ入る手前には、庄内(しょうない)藩兵、会津藩兵、村上藩兵、五泉(ごせん)農兵と観音寺(かんのんじ)久左衛門(きゅうざえもん)様指揮の『博徒隊(ばくとたい)』約五百名がいた。

桑名藩『雷神隊(らいじんたい)立見鑑三郎(たつみかんざぶろう)や観音寺様が与板口の戦闘を指揮していたが、戦闘は好転しなかった。

『衝鋒隊・総督』古屋左久左衛門(ふるやさくざえもん)様は、約一ヶ月も膠着する戦いに苛立っていた。

苛立ちを押さえられず、『衝鋒隊』幹部を集めて叫んだ。


「かつての歩兵仲間の『伝習兵(でんしゅうたい)』や大鳥圭介(おおとりけいすけ)の部隊が脱走して来て、今、会津若松に逗留している!!

それらを引き連れて六十里(ごえ)をし、『新政府軍』の後ろに出れば勝利は間違いはない!!

俺はこれから会津へ赴き、援軍を連れて作戦を遂行する!!」


『衝鋒隊』幹部の一人が古屋様の言葉に驚き、言った。

「古屋様、ご自身でですか!?

危険過ぎます!!

私が、代わりに参ります!!」

「大丈夫だ!!

今、防衛線を崩す訳にもいかないし、この作戦を『新政府軍』に知られる訳にもいかない!!

俺一人で行く事が、最善なのだ!!!」

「しかし・・・古屋様がいらっしゃらない間、一体誰が『衝鋒隊』を指揮するのですか!?」

「『衝鋒隊』の指揮は、『副長』今井信郎(いまいのぶお)に任せる!!

皆、彼の命令を聞くように!!」


そして古屋様は単騎、会津若松へ赴いて行った。


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相次ぐ『新政府軍』の攻撃で、『旧幕府軍』の『陣替え』が執り行われ、多くの長岡藩兵が栃尾山中の陣地に配備された。

私と團一郎も、栃尾に向かった。


継兄さんは栃尾を『仮本営』とし、各陣地を巡邏して回った。


ある日、荷頃『薬師堂陣屋』に『大隊長』牧野図書(まきのずしょ)様がやって来た。


雨の中、私は牧野の伯父様を見掛けた。

そして、声を掛けようとした。

すると、牧野の伯父様はある人の方へ行った。

その人は、継兄さんだった。

牧野の伯父様は、継兄さんに微笑みながら言った。


「河井殿。

傷の具合は、如何かな?」


継兄さんも、笑顔でそれに答えた。

「ああ・・・。

牧野殿か・・・。

随分と、良くなった。

牧野殿の怪我は、良くなったのか?」

牧野の伯父様は、軽く溜息をつきながら続けた。

「治っても治っても、切りが無い・・・。

近頃は、多少の傷には痛みを感じなくなってきた・・・。

慣れとは・・・恐ろしいな・・・」

「・・・本当に、そうだな・・・」

すると、牧野の伯父様は少し悲しそうな声で呟いた。

「傷の痛みだけならば・・・良いのだが・・・」

「・・・?」

「最近は、『人を殺す事』に慣れてきている・・・」

「ああ・・・」

苦笑いしながら言う牧野の伯父様に、継兄さんは悲しそうに微笑む事しか出来なかった。


『人を殺す事に、慣れてきている』


その言葉を聞いて、私は少し胸が痛くなった。

確かに私も、『死者何十人』と聞いても何も感じなくなっていた。

あんなにも悲しかった兄上や伊東様の死さえも、遠い昔のように感じていた。

お城の中で見た遺体も、落城の時に見た遺体も、全てを、いつの間にか受け入れていた。

『人が死ぬ』と言う事に慣れ、『人の命を軽んじる自分』がいた。

『人の死』が常態化すると、『命が軽い』ものだと言う錯覚に陥る。

戦に慣れ、心が麻痺する。

『人の心』を、失っていく。

次第に、自分が『()()()()()()()()()気がしてきた。


私は、父上の言葉を思い出した。


『『此処』に残れば、敵を殺さざるを得ない時が必ず来る。

殺さなければ、殺される。

殺される前に、殺す。

いずれ、人を殺す事に何の迷いもなくなる。

それが、『当たり前の事』となる。

それが、『戦』だ。

『人を殺す事』が、いずれ『普通』となる』


慣れている・・・。


私達は、『人の死』に慣れている・・・。


慣れている・・・?


いや。


もしかしたら・・・。


もしかしたら、『()()()()()』のでは無いのかもしれない・・・。


私達は、『()()()()()()()()()』のかもしれない・・・。


余りにも『死』が身近過ぎて、『死を軽いもの』として考え、それを受け入れようと、心が壊れないようにと、心の安定を図ろうとしているのかもしれない・・・。


自分を守る為に、精神を保つ為に、意識的に『慣れよう』としているのではないだろうか・・・?


『死は、軽いもの』


そう思えば、自分の心が楽になる・・・。


私がそう思っていると、継兄さんは小さな声で呟き始めた。


「『人の死に慣れる』と言う事は、『生きたい』と言う気持ちの現れなのかもしれませんな・・・」

「『生きたい』と言う気持ちの現れ・・・?」

俯いていた牧野の伯父様は顔を上げ、継兄さんの方を向いた。

継兄さんは、続けた。

「『自分は、自分の心に殺されたくない』

『自分は、まだ生きたい』

と、心の奥底で自分が望んでいるのかもしれない・・・。

そして次第に『人の死』を受け入れ、慣れ、それが『()()()()』になってしまうのだろう・・・」

すると牧野の伯父様は、少し微笑みながら小さな声で答えた。

「ああ・・・。

そうなのかも・・・しれませんな・・・」


しばらく沈黙が続き、牧野の伯父様はいつも通りの口調で継兄さんに尋ねた。

「ところで、河井殿はどのような作戦を考えているのだ?」

継兄さんも、いつも通りに答えた。

「ああ・・・。

うん・・・。

今は、まだ詳しくは言えないのだ・・・。

普通の攻撃では、『新政府軍』に打撃を与える事が出来ないからな・・・。

兎に角、『新政府軍』が思いつかない事をするつもりだ!!」

「と、言うと・・・?」

継兄さんは空から降る雨を見上げながら、答えた。

「人が『高いところ、高いところ』と言うのならば、俺は『一番低いところ』をとる、と言う事だ」

牧野の伯父様は継兄さんの答えに少し目を見開いたが、直ぐに微笑み言った。

「全く分からぬが・・・河井殿らしい『ひねくれた作戦』だと言う事だな・・・」

継兄さんは牧野の伯父様の方を振り返り、にやりと笑いながら言った。

「『ひねくれた』は、余計だ!!」

牧野の伯父様も、にやリとしながら答えた。

「気を悪くするな。

『褒め言葉』だ」

「ははは・・・。

そうか・・・。

そうか・・・・・。

『大隊長』牧野図書様のお褒めに預かり、継之助は大変嬉しゅうございます。

では、そのご期待に添うよう、精一杯『ひねくれた作戦』を練らせて頂きます!!」

「ああ・・・!

期待しておるぞ!!」

「ははははははは」


お互い、楽しそうに笑い合った。

そして、二人は大きな雨粒が降って来る空を眺めた。

目を細めて空を見つめながら、牧野の伯父様は継兄さんに聞いた。

「河井殿・・・」

「何だ・・・?」

継兄さんは、牧野の伯父様の方を振り向いた。

牧野の伯父様は、空を見つめながら続けた。

「我らは、お前の作戦を信じている・・・。

どんな作戦でも、命懸けで遂行する・・・」

「・・・」

継兄さんは大きく目を見開き、牧野の伯父様の方を見つめた。

牧野の伯父様も継兄さんの方を向き、真っ直ぐ継兄さんを見つめながら力強く言った。


「必ず・・・。

必ず、我らの城を取り戻すぞ!!」


継兄さんを見つめる牧野の伯父様に答えるように、継兄さんも力強く答えた。


「ああ!!

必ず!!!」


その後も、二人は空から降って来る雨を見つめ続けた。


ただ牧野の伯父様は目を輝かせながら空を見つめているのに対して、継兄さんは少し苦しそうにそれを見つめていた。

雨粒は継兄さんの目に当たり、継兄さんの頬の上をゆっくりと流れていった。

継兄さんの目から流れるその雨粒が、私にはまるで継兄さんが流す涙のように見えた。

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