五つの花 『三.決意』
慶応四年(1868年) 皐月(5月)
五月三日(6月22日)
東北諸藩は薩摩藩・長州藩の陰謀によって樹立した『新政府』の横暴に対抗して、奥羽・出羽二十五藩による『奥羽列藩同盟』を成立させた。
はじめ、『奥羽列藩同盟』は会津藩と庄内藩の『朝敵赦免嘆願』を目的としたものだったが、その嘆願は『新政府』によって一蹴された。
その後『奥羽列藩同盟』は、『北部政権樹立』を目的とした同盟へと変化していった。
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その日の夜は、大風雨だった。
闇は深く、真っ暗だった。
激しい雨の音だけが、鳴り響いていた。
摂田屋『本陣』に、『伝令』が突然叫びながら入って来た。
「前島村南方の十日町、片田周辺に、『新政府軍』が侵入して来ました!!」
それを聞き、『本陣』にいた『刀隊・大川市左衛門隊』と『斎田轍隊』が先発し、その後『槍隊・安田多膳隊』が迎撃に向かった。
この三隊で、『新政府軍』を挟み撃ちにする計画であった。
指揮は、『軍事掛』花輪求馬様が取る事になった。
暗闇の中、高山村近くへ各隊が到着すると、遠くに提灯の灯りが見えた。
花輪様は、その灯りが『新政府軍』のものだと思った。
花輪様は、各隊に命令した。
「戦闘準備をしろ!!」
『刀隊』は刀を、『槍隊』は槍を持ち、敵が近づいて来るのを静かに待った。
『ざ』
『ざ』
『ざ』
敵が、次第に近づいて来た。
「来たぞ!!」
『ざ』
『槍隊』は、槍を持って敵に飛び掛かった。
「やーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
鉄砲を嫌い、槍で戦う事に誇りを持つ部隊だけあって、『槍隊』は勇猛果敢に飛び出して行った。
深い闇の中、しばらく戦闘が続いた。
銃の音と叫び声が、暗闇の中から聞こえて来た。
『ドキューーーーン!!』
「ぐわ!!」
「うわーーーーー!!!」
「何だ!?」
『キーーーーン!!』
「ぎゃあ!!!」
『ザク!!』
「ぐあ!!」
「敵か!?」
「やーーーーーーーーー!!!」
「迎え撃てーーーー!!」
しばらく戦闘が続き、途中から『槍隊』は違和感を感じ始めた。
話す内容や話し方から、皆、不審に思うようになった。
『もしや彼らは『新政府軍』ではなく、味方なのではないか?』
皆、誰彼なく叫んだ。
「何処の藩の者だ!?
我らは、長岡藩兵である!!!」
暗闇の敵から、叫び声が聞こえて来た。
「何!?
長岡藩だと!?
私は、長岡藩『波多謹之丞隊』の者だ!!」
それを聞いた槍隊士達は、驚愕した。
「では、これは同士討ちか!?
何と言う事だ!!
皆!!
聞けーーーーーーーーー!!
『新政府軍』ではない!!
長岡藩兵だ!!
味方だーーーーーーーーーーーーーー!!
お互い、刀を収めよーーーーーーーーーーーーーー!!!」
「何!?
味方だと!!?
ああ!!
見ろ!!
正しくあれは、『五間梯子』の旗だ!!
やめろ!!
やめろ!!
やめろーーーーーーーーーーーーーーー!!!
『同士討ち』だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
しかし、気付いた時にはもう遅かった。
既に、多くの死傷者が出ていた。
『波多謹之丞隊』は前島村周辺の巡邏をしており、それを長岡藩兵達が『新政府軍の来襲』と勘違いした。
この戦いは『情報の錯綜』と『誤報』、そして血の気の多い隊士達によって起こった『あってはならない出来事』だった。
戦は混乱を呼び、人々の心は不安定であった。
その後『波多謹之丞隊』は前島村へ、『槍隊』は高山村へと引き揚げて行った。
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五月四日(6月23日)
『小千谷談判』が決裂した長岡藩は、『奥羽列藩同盟』に参加する事を明らかにした。
本格的な戦が、始まろうとしていた。
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昨日の雨が嘘のように、空は晴れ渡っていた。
前日同様、藩内では多くの『誤報』が飛び交っていた。
そう言った情報が入る度に、継兄さんは兵を偵察に行かせたり、付近を警備させたりしていた。
また、その土地の地理に明るい農民達で編成された『農兵隊』に見張り役を任せたりもした。
人々は常に神経を尖らせ、何かに怯えているようだった。
それにより、人々は精神も体力も磨耗させていった。
多くの『情報の錯綜』や『誤報』は、もしかしたら人々の不安や疲労からもたらされたものだったのかもしれない。
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私は廊下から、空を仰ぎ見た。
晴れているとはいえ、朝からじめじめとしていて『気持ちの悪い日』だった。
暗くて重い雲が、少しずつ空を覆って行く。
しばらくしたら雨が降りそうな、どんよりとした空だった。
とても、『嫌な空気』だった。
でも、この『嫌な空気』は梅雨のせいだけじゃない・・・。
砲や銃の音、人々の叫び声が、長岡の町に益々近づいて来ていた。
近くまで、『新政府軍』が迫って来ているのだろうか・・・?
まさか・・・お城までは・・・来ない・・・よね・・・?
継兄さん達が、長岡を守ってくれるはずだ・・・。
継兄さんは、
『戦はしない』
と言っていた。
司郎兄上も、
『戦は、すべきではない』
と言っていた。
しかし、とうとう長岡藩は戦をすると『決意』した。
もう、どうしようもない。
分かっている。
分かってはいる。
でも、戦は・・・嫌だ。
人が殺し合うところなんて・・・見たくない。
自分の『大切な人が死ぬ』なんて・・・嫌だ。
私は長岡藩が戦をすると言う事を、未だに受け入れられないでいた。
『戦は、もう避けられない』
と、頭では分かっていた。
でも、
『そうなって欲しくない』
と言う『心』が、
『戦をする』
と言う『事実』を受け止める邪魔をしていた。
城下に残った長岡藩士の多くは、幕府への『忠義』を尽くす為に戦をすべきだと言ってる。
その気持ちも、何となく分かる・・・。
『新政府軍』の横暴は、沢山聞いている・・・。
女性を犯し、高齢の人間や子供までも惨殺し、死体までも辱めたりすると聞いた・・・。
そんな輩が戦に勝ち、政権を握れば、この国は、日本は一体どうなってしまうのだろうか?
だから私達は、絶対に『新政府軍』に負ける訳にはいかない。
でも・・・。
戦をして苦しむのは、平和に暮らしていた民達だ・・・。
力の弱い人達だ・・・。
『私達に、彼らを傷つける権利があるのだろうか?』
『私達は、彼らを守る事が出来るのだろうか?』
『私達は、これからどうすべきなのだろうか?』
『私達は、これからどうしたら良いのだろうか?』
『私達は、これからどうなるのだろうか?』
すると、空を見つめ続ける私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「ゆき」
声のする方を向くと、其処には青白い顔をした母上が立っていた。
涙を堪えようと・・・不安そうな・・・でも、気丈に振る舞おうとする・・・そんな顔だった・・・。
私は心配して母上に近づき、聞いた。
「どうしたのですか・・・?
母上・・・?
何か・・・あったのですか・・・?」
母上は真っ直ぐ私の顔を見据え、答えた。
「直ぐに、父上のお部屋に来なさい」
その声は低く、震えていた。
私は、不安そうに聞いた。
「え・・・?
父上は、お城にいらしたのではないのですか・・・?
父上は、お戻りになられたのですか?」
「ええ・・・」
そして、母上は一瞬何かを言おうと口を開いた。
しかし口を閉じ、小さな声で『早く来なさい』とだけ言って、父上の部屋へ向かって行った。
私の胸の鼓動が、少しずつ激しくなっていった。
もしかして、とうとう長岡の町で戦が始まるのだろうか?
父上も團一郎も、戦場へ行くのだろうか?
母上と兄上と私は、一体どうすれば良いのだろうか?
親戚の方々は、どうするのだろうか?
町の人達は、どうなるのだろうか?
さよちゃんや作助さん、六助やきよは、どうなるのだろうか?
私は不安になりながらも、小走りで父上の部屋へ向かった。
部屋に入ると、父上、母上、團一郎、六助、きよが既に集まっていた。
兄上は、きっと自分の部屋にいるのだろう・・・。
城下の警備をしていた團一郎は、父上の隣に座っていた。
母上は、父上の向かい側に座っていた。
私は、母上の横に座った。
父上は周りを見回した後、静かに口を開いた。
「長岡で、本格的な戦が始まる。
私と團一郎は、これから再び城へ行く」
私は、息を呑んだ。
やはり、長岡で戦が・・・。
『予感』は・・・していた。
『覚悟』も・・・何となくしていた。
けれど、何処かで
『起こらないで欲しい』
と願っていた・・・。
戦が、始まる・・・。
城も・・・町も・・・燃える・・・。
人が・・・死ぬ・・・。
それが、『現実』になる・・・。
私は、頭が真っ白になった。
『戦が始まる』
『言葉』にして欲しくなかった・・・。
受け入れたくなかった・・・。
私は、震えながら父上に聞いた。
「父上達も・・・これから・・・戦へ行く・・・のですか・・・?」
父上は、はっきりとした口調で答えた。
「勿論だ。
もう再び、其方達と会う事は無いだろう」
「!!!」
私は小刻みに震える自分の手を、きつく握り締めた。
『父上も團一郎も・・・戦に行く・・・。
長岡を、城を、町を、人を、国を守る為に、命懸けで戦いに行く・・・。
父上も、團一郎も、死ぬかもしれない・・・。
もう再び、会えないかもしれない・・・。
それは、武士だから覚悟の上の事なのかもしれない・・・。
でも・・・。
でも・・・・・・!!!
父上は、淡々と続けた。
「其方達は皆、何かあれば直ぐに逃げる事が出来るよう準備をしておくように」
私は、目を見開いた。
逃げる・・・?
逃げて・・・『良い』のだろうか・・・?
私は、『逃げて良い』のだろうか・・・?
私は、多くの人々の『顔』を思い出した。
多くの『思い出』を、思い出した。
『楽しかった事』
『辛かった事』
『嬉しかった事』
『悲しかった事』
『怒った事』
長岡での、沢山の事を思い出した。
戦は、怖い。
戦は、嫌い。
戦なんて、したくない。
でも私も他の長岡藩士達と同様、城も町も人も守りたい。
『見捨てる』なんて、したくない。
『見捨てる』なんて、出来ない。
『見捨てる』なんて、嫌だ。
私達を育ててくれた町を、人を、私も守りたい。
私も、一緒に戦いたい!!
私は震える手を爪が食い込むほど強く握り、父上に向かって叫んだ。
「私も、戦います!!
私も、『此処』に残ります!!」
私の言葉を聞き、父上は怒鳴った。
「駄目だ!!
お前では、足手纏いだ!!」
「そんな事はありません!!
父上もご存じでしょう?
私は、剣術が出来ます!!
絶対に、役に立ってみせます!!」
「戦では、道場剣術は通用しない!!
お前は、母と司郎と共に逃げろ!!
逃げて二人を守り、生き延びよ!!」
「嫌です!!
私も行きます!!」
「断じてならぬ!!
生き延びねばならぬ!!
其方達には生きて、生きて、生き抜いて、長岡の事を伝える『役割』がある!!」
「長岡の事を伝える・・・『役割』・・・?」
「そうだ!!
我らは自分達の命を懸けて、長岡藩士の『生き様』を遺して死ぬ!!
だから生き抜く其方達は、我らのその『生き様』を後世に伝えよ!!」
「・・・『生き様』を伝える・・・?」
「そうだ!!
この戦で、恐らく長岡藩は負けるだろう!!」
「!?」
その言葉を聞いて私は目を大きく見開き、震える声で聞き返した。
「長岡藩が・・・『負ける』・・・?」
「そうだ!!」
「でも・・・。
でも、『旧幕府軍』や・・・奥羽諸藩がいるではありませんか・・・?
お味方が沢山いるのに、長岡藩が負けるなんて・・・」
「裏切る藩が、必ず出て来る!!」
「裏切る藩・・・?
まさか・・・?」
「奥羽諸藩全てが、積極的に同盟を結んだ訳ではない!!
『旧幕府軍』が劣勢になれば、その機を捉えて裏切る藩が必ず出て来る!!
自藩が『生き残る道』を、考え始める!!
『旧幕府』を、裏切る事を・・・!!」
「そんな・・・」
「裏切った藩はいずれ『新政府軍』の手足となり、『旧幕府軍』を攻めて来る!!
大軍で攻撃されれば、たとえ長岡藩が最新式の武器を持っていようとも抗いきれない!!
多くの人が、死ぬ!!」
「・・・」
「死ねば、『真実』を遺せない!!
生き残る者がいなければ、生き残り、伝える者がいなければ、我らの死は全て無駄になる!!
我らは、勝者によって『賊軍』と言う汚名を着せられるのだ!!
たとえ『正義』の為に戦っても、勝者によって歴史は改竄されるのだ!!
『嘘』は、所詮『嘘』である!!
しかし『正しい事』を言い続けなければ、主張しなければ、『嘘』がいずれ『真実』にされてしまうのだ!!
『三人市虎を成す』と言う故事の通り、多くの人が同じ事を言えば、それを聞いた人はそれが有り得ない事だと思っていても本当の事だと思ってしまうものなのだ!!
だからこそ、遺してもらいたいのだ!!
正しい『真実』を・・・!!
その『真実』を遺さなければ、いずれ廃れてしまう!!
伝えなければ、消えてしまう!!
私達死にゆく者達は、ゆき達生き残る者達に、これから生まれて来る者達に託したいのだ!!
我らの『遺志』を継ぎ、我らの『生き様』を遺して貰いたいのだ・・・!!」
父上は、そう一気に叫んだ。
そして、一呼吸おいてから父上は恥ずかしそうに言った。
「・・・これは・・・『独り言』だが・・・」
「・・・?」
「・・・私は、とめやうめ、司郎にゆき、六助やきよ、家族全員、親戚も全て、生き延びて欲しいのだ・・・。
勿論、團一郎にもだ・・・」
「・・・」
「だが、それは無理だろう・・・。
團一郎は特に、戦えない司郎の代わりに野口家の男子として、私と共に主君への『忠義』を尽くし、戦わなければならない。
それが、武士としての『宿命』だ・・・。
それは、團一郎も覚悟している・・・」
すると父上は團一郎の方を向き、團一郎もそれに応えるように深く頷いた。
父上は、続けた。
「武士として生まれたのだから、主君の為に死ぬ事は当然の事。
だが、夫として、親として、主人として、やはり愛する者には・・・生きて欲しいのだ・・・。
これは、自分勝手な言い分なのかもしれない・・・。
それでも・・・我らの代わりに、皆には生きて欲しい・・・」
「父上・・・」
父上は、くしゃくしゃした顔で微笑みながら続けた。
「ゆきも・・・知っているだろう?
私は・・・弱くて、甘くて、勝手な人間だ・・・」
「・・・」
「だから、皆に生き抜いてもらいたい・・・。
生き抜いて欲しい・・・。
私達の代わりに、生き抜いて欲しい・・・。
生き抜いてくれ・・・」
母上は、そう言う父上の方を向いて微笑んでいた。
團一郎は下を向き、必死に泣くのを堪えていた。
私は、はるちゃんの『言葉』を思い出した。
『ゆきさまにも、ゆきさまにしかできない『役割』があると思います。
それは私や他の人には務まらない、ゆきさまだけの『役割』です』
ああ・・・。
そうか・・・。
私は、やっと自分の『役割』が分かった気がした。
私は、『生き抜かなければならない』のだ。
生き抜いて、長岡藩士の『生き様』を伝えなければならないのだ。
私に与えられた『役割』は、『生きて、伝える』と言う事なのだ。
私は父上の方を向き、力強く答えた。
「・・・分かりました。
私は母上と兄上と共に生き抜いて、父上達の『生き様』を伝える『役割』を果たします」
父上は私の言葉を聞いて、嬉しそうに微笑んだ。
私は、続けた。
「でも、一つだけ・・・。
一つだけ・・・約束して下さい」
「約束・・・?」
「父上も・・・團一郎も・・・絶対に、死なないで下さい。
私は、父上の娘です。
私も父上同様、弱くて、甘くて、勝手な人間です。
私は二人にも、生きてもらいたいです。
だから二人とも、生き延びて下さい。
『生きる努力』を、して下さい」
父上はそれに対して返事をしなかったけれど、私の目をじっと見つめ、優しく微笑んだ。
そして、悲しそうに言った。
「たとえ生き残れたとしても、死ぬ事よりも辛い事があるのかもしれない・・・。
そう言う意味では、私はゆき達に非道な事を頼んでいるのかもしれないな・・・」
私は父上を安心させようと、元気に答えた。
「私は・・・心も身体も丈夫ですから、大丈夫です!
母上も、父上よりお強いから大丈夫です!
私達二人が、司郎兄上を命に代えてもお守りします!
心配しないで下さい!!」
すると父上は、にっこりと微笑みながら頷いた。
「ああ・・・」
その時、私は障子越しに人影を見た気がした。
でも一瞬だったから見間違いかと思い、気にしなかった。
次に父上は、隅の方に座っていた六助ときよの方を向いて言った。
「六助・・・。
きよ・・・。
其方達には、暇を出す。
此処にいては、危険だ。
今直ぐ、故郷へ帰りなさい」
それを聞いて、六助ときよは叫んだ。
「私達は、最後までお供いたします!!」
それに対して、父上は叱咤した。
「駄目だ!!
其方達は、我が家に良く尽くしてくれた!!
我らはその『恩』を、『徒』で返したくはないのだ!!
どうか、生き残ってくれ!!」
そう言って、父上は六助達に頭を下げた。
六助ときよは、驚いて言った。
「おやめ下さい!!
顔を、お上げ下さい!!」
それでも、父上は顔を上げなかった。
六助達はとうとう観念し、六助は父上に言った。
「・・・かしこまりました。
しかし、せめて・・・。
せめて、奥様とゆき様、司郎様のお世話だけはさせて下さい。
私の故郷に、皆様をお連れしたいと思います」
そして六助はきよの方を向き、言った。
「きよも、来るだろう・・・?」
すると、きよは満面の笑みで答えた。
「もちろんです。
私も旦那さまの代わりに、奥さま達をお守りいたします」
そう言う二人に向かって、父上は目に涙を溜めながら言った。
「有難う・・・。
頼む・・・」
母上も團一郎も私も、同じように六助達にお礼を言った。
『有難うございます』
と・・・。
父上は今度は私と母上の方を向き、言った。
「では、もう行く。
其方達は、直ぐに準備をするように・・・。
ああ・・・。
そうだ。
ゆき。
司郎の様子を見に行ってくれるか?
これからの事を、司郎に伝えなければならないからな・・・」
「はい。
分かりました」
私はそう言って、小走りで兄上の部屋へ向かった。
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私は兄上の部屋の前で、障子越しに兄上を呼んだ。
「兄上・・・。
父上が、お話があるそうなのですが・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・?
入っても・・・宜しいでしょうか・・・?
兄上・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
返事が・・・なかった。
部屋に・・・いるはずだけれど・・・。
「兄上・・・?」
私は、再び兄上を呼んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
返事は、返って来なかった。
おかしい・・・。
兄上はたとえ眠っていても、名前を呼ばれたら必ず目を覚まして応えてくれる・・・。
私は外から、部屋の中の様子を窺った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何の物音も、しない・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ふと障子を見ると、障子には紅い染みのようなものが『ぽつん ぽつん』と付いていた。
私はそれを見て、『嫌な予感』がした。
まさか・・・!!
「兄上!!」
私は、思いきり障子を開けた。
私は目の前に広がる光景に、目を疑った。
声が、出なかった。
真っ赤な血が、部屋中に飛び散っていた。
血の海が、あった。
その中に・・・浅葱色の死装束を着た兄上が、正座したまま前のめりに倒れていた。
項から、剣が二寸程突き出ていた。
剣先からは、まだ血がぽたぽたと垂れていた。
『自害』・・・・。
嘘・・・だ・・・。
「兄上!!」
私はまだ生暖かい血に足を取られながら、急いで兄上の許へ走って行った。
「兄上!!!
しっかりして下さい!!
どうして!!
どうして!?
兄上!!!」
私は、前に倒れた兄上の身体を起こした。
兄上の身体は、まだ温かかった。
助かるかもしれない!!!
私は、必死に兄上に呼び掛けた。
「兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄上!兄・・・!!」
ああ・・・。
駄目だ・・・。
駄目だ!
駄目だ!!
駄目だ!!!
動かない・・・。
動かない!!
兄上は、動かない!!
兄上は、動かない!!
兄上は、死んでしまった・・・。
兄上は、死んでしまった!!
死ん・・・で・・・。
死・・・。
どうして・・・?
どうして、兄上は死んでしまったの・・・?
どんな事があっても、私は兄上を守るつもりだったのに・・・。
どうして・・・?
どうして・・・?
どうして・・・!?
ふと見ると、血の海の中には真っ赤に染まったあの『匂い袋』と、私が兄上に渡した『桜の花びら』が浮いていた。
ああ・・・。
私の『桜』は、兄上を守ってくれなかった・・・。
私は、兄上の身体を強く抱き締めた。
「ゆき!!」
私の叫び声を聞いて駆けつけて来た父上達が、血の海の中で血にまみれている私を見て声を失った。
そして、私の腕の中にいる兄上を見て母上が叫んだ。
「司郎!!!!!」
母上が、走って私達に近寄った。
父上も團一郎も、六助もきよも、真っ青な顔のまま私達に駆け寄った。
母上は司郎兄上を揺さぶりながら、叫び続けた。
「司郎!
司郎!!
目を開けなさい!!
司郎!!!
司郎!!!!
司郎!!!!!」
どんなに身体を揺すっても、どんなに顔を叩いても、司郎兄上は目を覚まさなかった。
母上は、次第に冷たくなる司郎兄上の身体に臥い伏し、声を殺して泣いた。
團一郎は司郎兄上にゆっくりと近づき、涙を堪えながら、兄上の喉に突き刺さった刀をゆっくりと引き抜いた。
刀を引き抜くと同時に、真っ赤な血が吹き出した。
その血は、私達を深紅に染めた。
父上は兄上の顔を優しく撫で、そして母上の肩を抱いて母上の身体を起こした。
父上は、兄上の手を握りながら言った。
「司郎も、戦になる事に薄々気付いていたのだろう・・・。
もしかしたら、先程の私達の話も・・・聞いていたのかもしれない・・・。
自分が足手纏いにならないように・・・司郎は、死を選んだのかもしれない・・・」
「・・・」
「私達を生かす為に、司郎は死んだのだろう・・・」
「・・・」
「ああ・・・。
司郎らしいな・・・」
父上は、司郎兄上の血まみれの喉元を優しく擦りながら続けた。
「この子は、幼い頃から優しい子だった・・・。
自分の事よりも、先ず人の事を考える子だった・・・」
父上は、團一郎が引き抜いた刀と血まみれの畳を見ながら言った。
「切腹する力も・・・無かったのだろう・・・。
畳に刀の柄を置き、刃を喉に突き立てたのだな・・・。
何度も何度も・・・差し貫いたのだろう・・・。
喉が・・・傷だらけだ・・・。
刀も・・・少し・・・曲がっている・・・。
・・・苦しかっただろうに・・・。
辛かっただろうに・・・。
独りで死ぬのは、寂しかっただろうに・・・。
済まない事をしたな・・・。
司郎・・・。
許してくれ・・・」
私も、兄上の喉元に触れた。
兄上の喉は、本当に・・・傷だらけだった。
どんなに・・・痛かっただろう・・・。
どんなに・・・苦しかっただろう・・・。
どんなに・・・辛かっただろう・・・。
そして、ふと見ると、兄上の着物の襟に紙らしきものがある事に気付いた。
それは血で少し濡れていたけれど、着物のおかげで全ては血にまみれてはいなかった。
私は兄上の襟から紙を取り出し、ゆっくりと開いてみた。
所々読めないところがあったけれど、私はそれが兄上の『遺書』だと思った。
私は、その『遺書』を読んだ。
『父上、母上、うめ姉上、ゆき、團一郎、六助、きよ。
私は、先にあの世へ行っております。
どうか、私が死んでも悲しまないで下さい。
と言っても、きっと無理でしょうね。
私の死は、貴方達を悲しませるのでしょうね。
今まで育てて頂いたのに、死を選んだ事をお許し下さい。
ただ、誤解しないで下さい。
私は、お静の許へ行く為に死ぬ訳ではありません。
確かにお静の許へ行きたい、お静に会いたいと思い、生きる事を諦めようとしていた時がありました。
しかし私は家族の優しさに触れ、生きている喜びを教えられ、もう少し生きようと思うようになりました。
でも、それも無理なようです。
これから多くの長岡藩士達は長岡を守る為に、日本を守る為に、人々を守る為に、戦い、死ぬのでしょう。
それなのに、このような長岡藩の危機であるにも拘らず、私は戦う事が出来ない。
この町も家族も守りたいのに、守る事が出来ない。
私の存在は、寧ろ皆の邪魔になる。
私には、それが耐えられないのです。
私がいれば、父上達は戦えない。
私がいては、父上達は町の人を助けられない。
私がいては、母上達は逃げられない。
私がいては、母上達は苦しい思いをする。
私は、それが辛いのです。
私は、守りたいのです。
町も、人も、家族も。
だから、私は死にます。
長岡を、人々を守る為に、私は死にます。
私は、長岡藩士として死ねる事を幸せだと思います。
私は、長岡藩士として死ねる事を誇りに思っています。
私は、長岡藩士として生を受けた事に感謝しています。
私は、この家に生まれる事が出来て、この国で育つ事が出来て幸せです。
皆は、どうか私の代わりに生き抜いて下さい。
私が死んでも、家族には生きていて欲しいです。
私も父上同様、弱くて、甘くて、勝手な人間です。
だから、願わずにはいられないのです。
生きて欲しいと。
どうか、皆様生きて下さい。
生き抜いて下さい。
司郎』
私は『遺書』を読み終わり、兄上の顔を見つめた。
兄上の顔は、どことなく満足しているように見えた。
微笑んでいるようにも・・・見えた。
苦しかった・・・はずなのに・・・。
どうして・・・そんな幸せそうな顔をしているのだろう・・・?
ただ言えるのは、兄上が微笑んでいるのは、苦しみから『解放』されたからではない。
生きる事にも、死ぬ事にも、『満足した顔』だった。
『良く生きた顔』だった。
『本望だ』
兄上は、そう言っている気がした。
兄上が亡くなって、私達は辛くて辛くて辛くて辛くて・・・。
でも、兄上の幸せそうな顔を見て、少しだけ安心した。
兄上は苦しかったけれど、最期は笑顔で逝く事が出来る程、兄上は幸せ・・・だったのですよね・・・?
兄上・・・。
私は、天井を見つめた。
すると、様々な『声』が聞こえて来た。
お祖父様の『言葉』が、聞こえて来た。
『天子様の代わりに国を治めていらしたのは、公方様だ。
公方様が良く国を治めていらしたから、何百年も平和な時代が続いた。
この国に住む人々は皆、公方様から『恩』を受けているのだ。
だから、我々はまず公方様に『恩』をお返ししなければならない。
そして、その『恩』はいずれ天子様の許へも届く』
私は、思った。
『私達は、恩を返さなければならない・・・』
お祖母様の『言葉』が、聞こえて来た。
『八代様の『言葉』が、私に言わせてくれたのですよ。
『市之丞の死を、無駄にするな』
『市之丞の為に、生きろ』
『市之丞の為にも、幸せにならなければならない』』
私は、思った。
『私達は、死を無駄にしてはならない・・・』
父上の『言葉』が、聞こえて来た。
『たとえ民の恨みや憎しみを買ってでも・・・私は・・・『信念』を貫きたい・・・!!
貫かなければ、ならないのだ・・・!!
長岡藩は、幕府へ『忠義』を尽くさなければならないのだ!!
私利私欲や保身の為に幕府を見限り、裏切り、犠牲にし、『信念を曲げる事が、生き抜く道である』と言う『間違った生き方』を、後世まで残してはならない!!
たとえ自分達の身を犠牲にしてでも、『義を貫く事が、正しい事』だと残さなければならない!!」』
私は、思った。
『私達は、正しい事を残さなければならない・・・』
母上の『言葉』が、聞こえて来た。
『『過欲』は、人を亡ぼします。
それを、忠辰様はお教えになりたかったのです。
今のお殿様、忠恭様も素晴らしい方ですけれど、やはりそのご先祖様も賢君であらせられたと知った時、私は自分がお殿様に代々お仕えしている長岡藩士の娘である事に『誇り』を持つ事が出来ました。
貴方達も、自分に『誇り』を持つのですよ』
私は、思った。
『私達は、誇りを持たなければならない・・・』
姉上の『言葉』が、聞こえて来た。
『私は、どんな事があっても変わらない』
私は、思った。
『私達は、変わってはならない・・・』
團一郎の『言葉』が、聞こえて来た。
『人は苦しい時こそ色々と考え、『悟る』ものですよ』
私は、思った。
『私達は苦しみから、悟らなければならない・・・』
六助の『言葉』が、聞こえて来た。
『『自然』から与えられたものを、『恩』を、私たちは返さなければなりません』
私は、思った。
『私達は、与えられたものを返さなければならない・・・』
きよの『言葉』が、聞こえて来た。
『私は、『幸せ』だと思いました。
『この世界』に、いることができて・・・。
苦しいことに耐えてきて、良かったと思いました』
私は、思った。
『私達は、苦しみに耐えなければならない・・・』
継兄さんの『言葉』が、聞こえて来た。
『今、天下は混乱している!!
徳川家への措置も朝廷の挙動も、感服する事は出来ない!!
我が藩はこの事に対して朝廷へ上奏したが全く聞き入れられず、今日に至る!!
我が藩は『勤皇佐幕』であるが、それはもう関係ない!!
今日においては、『勤皇』も『佐幕』もない!!
我々は日本と言う国を平定し、日本の民を治め、朝廷にも徳川家にも『忠誠』を尽くし、『責め』を負うべきだ!!』
私は、思った。
『私達は日本を、民を、守らなければならない・・・』
川島様の『言葉』が、聞こえて来た。
『これからは想像も出来ない程の苦しみや悲しみが、私達を待っているのだ・・・。
どんな事があっても、耐えなければならない。
生きていく為にも・・・。
生かされた命の為にも・・・。
生き残る人々を、生かす為にも・・・』
私は、思った。
『私達は、生かす為にも耐えなければならない・・・』
山本様の『言葉』が、聞こえて来た。
『長岡藩は『義藩』の先駆けとして、後世に残らなければなりません。
『忠孝』が『美徳』だから、と言うだけではありません。
我々も、後に生きる者達にも、『人』として『武士』としての『志』を、我々の『生き様』で示し、残さなければならないのです。
『武力』でこの国を支配しようとする輩に、最後まで『抵抗』しなければなりません
この先我々が、これから生きる人々が『誇り』をもって生きる為にも、それはどうしても『譲れないもの』なのです。
その為には、戦をする事になるかもしれません。
ただ・・・それには、多くの犠牲を伴う事を覚悟しなければなりません。
未だかつてない程の苦しみも悲しみも憎しみも、我々は全て背負う事になるでしょう・・・』
私は、思った。
『私達は、生き様を残さなければならない・・・』
鬼頭様の『言葉』が、聞こえて来た。
『俺は出来ればこの美しい八丁沖を戦に利用されたくないし、汚されたくない。
だが藩や家族を守る為に俺の『経験』や『知識』が必要な時が来れば、俺は必ずそれを活かす。
その為に俺の足はこんな形になってしまったが、俺はそれを自分が『変えた運命』だと思っている。
俺の足は俺が『変えた運命』の『証拠』であり、『誇り』でもある。
だから、俺は決して『気の毒』ではないのだよ・・・。
ゆきさん』
私は、思った。
『私達は、気の毒などではない・・・』
伊東様の『言葉』が、聞こえて来た。
『外国の驚異もさる事ながら、今は日本人同士で争い合っておる時代だ!
この不安定の世の中では、何時敵が長岡に攻めて来るか分からん!
毎日修行を怠らず、万が一敵が侵入して来た時は、この槍で以て敵を倒さねばならん!
殿さんも藩も町も、わしが守らなければいかぬのだ!
隠居などしていては、いざと言う時に役に立たないではないか!!
『常在戦場』と言う言葉を、わしは一日たりとて忘れた事はない!!』
私は、思った。
『私達は、常在戦場を忘れてはならない・・・』
三間様の『言葉』が、聞こえて来た。
『たとえ『謀反人』と言われても、行いは正しいです。
それに『謀反人』とは、幕府側から見てです。
民衆達から見れば、『偉人』です』
私は、思った。
『私達は、謀反人ではない・・・』
小林様の『言葉』が、聞こえて来た。
『人は勉強し、学んだ事を人の為に使う。
そして人は何の為に生まれて来たのかを、良く考えなければならない』
私は、思った。
『私達は、何の為に生まれてきたのか・・・』
小山様の『言葉』が、聞こえて来た。
『『教え』を守ると言う事も、大事だ。
それが『良い』と思われていたからこそ、伝えられているのだから。
だが、『教え』をただ信じてはいけない。
『教え』が、全て『正しい』とは限らない。
『正しくない事』もある。
それは、時代や考え方によって変わるものだ。
『教え』を知り、『教え』を学び、『教え』を考え、『教え』を伝え、『教え』を正す。
全ての『教え』が、世間で言われている事が、信じている事が、本当に『正しい』かどうか人は考えなければならない。
『正しい』のならば、それで良い。
しかし『間違い』ならば、それを正す『努力』をしなければならない。
真実や意味を、知る『努力』をしなければならない』
私は、思った。
『私達は、何が正しいかを考えなければならない・・・』
根岸様の『言葉』が、聞こえて来た。
『やはり、故郷は良い・・・。
江戸がどんなに便利でも、どんなに洗練されていても、私にとって長岡は一番だ。
長岡に帰って来ると、安心する・・・。
心が・・・落ち着く・・・』
私は、思った。
『私達は、私達の故郷を守らなければならない・・・』
萩原様の『言葉』が、聞こえて来た。
『我々は
『どんな事があろうとも、武士として見苦しい生き方をせず、潔く死ぬ』
と言う『志』は捨てない。
『死ぬ準備を、常にしておく』。
どんなに時代が変わろうとも、『常在戦場』の『志』は変わらない。
それは我々の『誇り』の為であり、子孫の為でもあるからだ』
私は、思った。
『私達は、志を捨てない・・・』
松江様の『言葉』が、聞こえて来た。
『『家族』がいるから、司郎は『生きよう』としている。
だがそれは『家族』を守る為なら、司郎は迷わず死を選ぶと言う事でもある。
司郎に生きて貰いたいのなら、ゆき殿達が『生きる事』だ』
私は、思った。
『私達は、生きなければならない・・・』
作助さんの『言葉』が、聞こえて来た。
『『勇気』を邪魔しているのは誇りや弱さ、そして恐れです』
私は、思った。
『私達は、勇気を持たなければならない・・・』
はるちゃんの『言葉』が、聞こえて来た。
『決められた『宿命』の中で、私たちは自分達の『役割』を自分で見つけて生きていくのです』
私は、思った。
『私達は、役割を果たさなければならない・・・』
さよちゃんの『言葉』が、聞こえて来た。
『戦が、始まるかも・・・て・・・。
ゆきちゃんは、河井様と仲が良いでしょう・・・?
何か・・・聞いていないかな・・・?
戦の事・・・。
長岡藩は・・・戦を・・・しない・・・よね・・・?』
私は、思った。
『私達は、さよちゃん達に謝らなければならない・・・』
松蔵さんの『言葉』が、聞こえて来た。
『私は・・・旦那様に大きな『ご恩』がございます
私は旦那様にその『ご恩』を一生をかけてお返ししようと思っております』
私は、思った。
『私達は、一生を懸けて恩を返さなければならない・・・』
定吉さんの『言葉』が、聞こえて来た。
『俺たちは、ただただ先人の『遺志』を継ぎ、そして先人がやってきたように伝えたいだけなのだ。
だが幕府が開国をしてから、最近は外国の文化が入ってきている。
銃器が、刀剣に取って代わろうとしている。
俺たちは、刀剣が無くなることを恐れているのではない。
恐れているのは、刀剣を作る技術が消えてしまうことだ』
私は、思った。
『私達は、技術を守らなければならない・・・』
徳兵衛さんの『言葉』が、聞こえて来た。
『今の生活が、満たされているわけではない。
食うに困る時だってある。
だが家があって、家族がいて、友人がいる、この平凡な日を『幸せ』だと思っている。
この『幸せ』を、壊さないでもらいたいだけだ。
静かに、『平和』に暮らしたいだけだ。
俺たちは、戦をしないでほしいだけだ』
私は、思った。
『私達は、徳兵衛さん達の幸せを取り戻さなければならない・・・』
清八郎様の『言葉』が、聞こえて来た。
『命に代えても、守りますよ・・・』
私は、思った。
『私達は・・・。
私は・・・。
私も、清八郎様を守らなければならない・・・』
そして、私は幸せそうな兄上の顔を見た。
兄上の『言葉』が、聞こえて来た。
『少し前まで私は、
『皆が悲しむから、生きなければならない』
と思っていた。
しかし今は、
『自分が生きたい』
『もう少し生きたい』
と思うようになった。
そう思うようになったのは、皆のおかげだ。
そして私は、
『私を救ってくれた人達を、私を救ってくれたように救いたい』
『恩を返したい』
『今、私が出来る事をしたい』
そう思うようになった。
そして、その為にはどうすれば良いかを考えた。
それは、
『私が、出来るだけ長く生きる事』
だと思った。
病を治す事は、不可能だ。
私は、いずれ死ぬ。
しかし私が少しでも『長く生きる事』が『皆の願い』だとしたら、私はそれに応えなければならない。
『私が生きる事を望んでいる人達』の為に、『生きたいと思うようになった自分』の為に、私は生きなければならない。
私はとても恵まれていて、幸せな人間なのだと思った・・・。
私は、
『愛されている』
と知った。
私も同じように、
『皆を、愛している』
と知った。
私はこの家に生まれて、皆と一緒にいられて幸せだと思った・・・』
すると、心の奥底から何か『どす黒いもの』が、少しずつ少しずつ沸き上がって来るのを感じた。
その『どす黒いもの』は、私にこう考えさせ始めた。
『戦がなければ、『新政府軍』が攻めて来なければ、兄上はこんな死に方をしなかったのではないか?
兄上はこんなにも早く、こんなにも苦しんで死ななくても良かったのではないか?
私の家族は、こんなにも苦しみや悲しみを感じる事がなかったのではないだろうか?
『私が、皆を守る』
と誓ったのに、私は兄上を守れなかった・・・』
私の心に、『どす黒い憎しみ』が沸き起こって来た。
それを、私は押さえる事が出来なかった。
悔しくて、悔しくて、我慢出来なくなった。
止まらない・・・!
止められない・・・!!
止めたくない・・・!!!
私は、呟いた。
「父上・・・。
母上・・・。
團一郎・・・。
私は先程、
『長岡を伝える為に、逃げて生き残る』
と申しました」
「・・・」
「しかし、私は『逃げる事』はやめました。
私は、『此処』に残ります!!」
それを聞き、目を赤く腫らした母上が叫んだ。
「『此処』に残る!?
何を言っているのです!?
ゆき!?
このまま『此処』にいては、いずれ『此処』も戦場となります!
そんな所に、貴方を残せる訳がないでしょう!?
貴方まで・・・!!
それに、貴方には生き残って長岡藩士達の『生き様を伝える』と言う『役割』があるのですよ!?」
私は拳を握り締め、続けた。
「そうです!!
私の『役割』は長岡藩士達の『生き様』を、『真実を伝える事』です。
だからこそ、その為にも私は『此処』に残り、この目で『真実』を実際に見なければならないのです。
実際に長岡藩士達の『生き様』を見て、聞いて、伝えなければならないのです」
「・・・」
「かつて父上がおっしゃられたように、『新政府軍』の中にも私利私欲の為ではなく、本当に国を思っている人もいるでしょう・・・。
それでも、やはり私は『新政府軍』が憎いです。
幕府を裏切った藩が、憎いです。
兄上を死に追いやった『新政府軍』が、憎いです」
「・・・」
「私達から平和を奪った『新政府軍』の非道をこの目で見る為にも、私は『此処』に残ります。
そして・・・」
『そして、もし『新政府軍』に出会ったら、私は自分のこの手で恨みを晴らしたい』
しかし、この事は、決して父上や母上には言えない。
私は、私のこの『本当の気持ち』を抑え、他の『もう一つの気持ち』を伝えた。
私は息を吐き、続けた。
「・・・私は長岡藩士の『生き様』と共に戦の残虐さを伝え、そして長岡藩の『名誉』を守りたい」
「・・・」
「私は、この目で見て遺さなければなりません。
忘れられない為にも、遺さなければなりません。
『真実』を伝える為にも、遺さなければなりません。
『伝える』為にも、遺さなければなりません。
皆が生きていた『証』を遺す為にも、私は『此処』に残らなければなりません。
人々の死を無駄にしない為にも、私は『此処』に残らなければなりません。
生きる人々に『誇り』を持ってもらう為にも、私は『此処』に残らなければなりません。
もう二度と戦をしない為にも、私は『此処』に残らなければなりません。
この先平和な世の中である為にも、私は『此処』に残らなければなりません。
私は、『此処』に残らなければならないのです!!」
すると、それまで黙っていた父上が私の目をじっと見て、静かに言った。
「・・・分かった。
残る事は、認める」
それを聞いて、母上は父上に向かって叫んだ。
「貴方!?
ゆきが死んでも、良いと言うのですか!?」
父上は、そんな母上をじっと見て言った。
「以前、ゆきが労咳に罹った司郎の世話をすると言った時にも言っただろう・・・?
『大切に育て守る事』だけが、『愛している事の証』ではないと言う事だ。
親である我々の『役割』は、子を『立派な人間』に育てる事だ。
自分の意志を持ち、自分で実行し、人を思いやり、人を裏切らず、弱き者を助け、誠実に生きる『人』を育てる事だ。
長岡藩が育ててきた『人』を、この先も育てる事だ。
それが先祖の為であり、これから生きる子孫の為でもある。
言われた事だけをする人間であってはならない、と」
「・・・」
「私は、ゆきを『誇り』に思う。
自分の意志で、一生懸命生きようとするゆきを『誇り』に思う・・・」
「・・・」
「私達は親としての『役割』を、果たす事が出来たのだ。
『立派な人』を育てると言う『役割』を、果たす事が出来たのだ・・・」
「・・・」
そして父上は私の方を向き、言った。
「だが飽く迄残り、見るだけだ。
戦っては、ならない。
其方は、戦を自分の目で見るだけにせよ。
『新政府軍』は、最新式の兵器を持っている。
お前が多少剣術が出来ても、それは全く役には立たないだろう・・・」
「・・・」
「だからお前は『真実』を見ながら、戦っている者達を助けよ。
そして、いざとなればその刀で仲間も自分も守れ」
「・・・」
「ゆき。
長岡藩士の娘として正々堂々と生き、その目で戦を見、長岡藩士の『生き様』を目に焼きつけよ。
戦の残虐さを、身を以て知れ。
そして生きて、それを伝えるようにせよ!!
平和な世を作る一助となれ」
「はい!!」
そして、父上は團一郎の顔を見ながら続けた。
「團一郎。
『此処』に残れば、敵を殺さざるを得ない時が必ず来る。
殺さなければ、殺される。
殺される前に、殺す。
いずれ、人を殺す事に何の迷いもなくなる。
それが、『当たり前の事』となる。
それが、『戦』だ。
『人を殺す事』が、いずれ『普通』となる」
「・・・」
「私は、思うのだ。
『忠義』を守る為に戦う事が、必ずしも『正しい』と言う事ではないのだと。
どんな『大義名分』があろうとも、所詮『戦』とは『人の殺し合い』だ。
『人の殺し合い』など、本来『あってはならない事』だ。
『人殺し』が、『人の命を奪う事』が、『正しい』訳がない」
「・・・」
「戦わずに勝つ事が出来れば、本当は良いのだ。
だが、それはもう無理だ。
戦は、止められない」
「・・・」
「我々には、守らなければならないものがある。
その為に、我々は戦わなければならない。
人を、殺さなければならない。
だが、たとえ人を殺す事になったとしても、『憎しみ』で人を殺してはならない。
『憎しみ』は、『憎しみ』でしか戻って来ないからだ」
「・・・」
「今回の戦も、長州藩の『憎しみ』から始まった戦だ」
「・・・」
「今、ゆきも、そして團一郎も、司郎を死に追いやった『新政府軍』を憎み、殺したいと思っている」
「・・・」
「私も、とめも、そうだ。
私達は『新政府軍』に与えられた『憎しみ』を、『憎しみ』で返したいと思っている。
そしてその『憎しみ』を返せば、いずれまた『憎しみ』となってお前達に戻って来る。
『憎しみ』は、永遠に終わらない」
「・・・」
「『憎しみの連鎖』を止める事は、難しい」
「・・・」
「人を殺せば、その分『憎しみ』は自分にも返って来る事を忘れてはならない」
「・・・」
「軽はずみに、人を殺してはならない。
『人を殺す』と言う事は、『自分をも殺す事』だと言う事を忘れてはならない。
それ程『人を殺す』と言う事は、罪深く、重く、覚悟のいる事だ」
「・・・」
「出来れば、若いお前達に人を殺してもらいたくなどない。
しかし、それは言えない。
それは、『甘い考え』だ。
たとえ若くとも『此処』に残る以上、殿も、町も、人も守らなければならない。
それが『此処』に残る『意味』であり、お前達の『必要性』であり、『役割』だ。
ああ・・・。
何も言わなくて良い・・・。
分かっている・・・。
私の言っている事は、矛盾だらけだ。
だが、それを承知で聞いてもらいたい」
「・・・」
「ゆき。
團一郎。
其方達は『人を殺す』為ではなく、『人を守る』為に戦いなさい」
「・・・」
「『憎しみ』を捨てる事は、簡単ではない。
私も、『新政府軍』が憎い。
『新政府軍』の人間を、全て『殺してやりたい』と思う」
「・・・」
「だが、何処かで止めなければならない。
誰かが、我慢しなければならない。
そうしなければ、私達は長州藩と同じになってしまう。
再び、多くの『憎しみ』を生み出してしまう。
『憎しみの連鎖』を断つ努力を、我々はしなければならない。
お前達には、『憎しみ』で人を殺してもらいたくない。
『憎しみ』だけで、人を殺してはいけない・・・」
私は少し戸惑いながら、父上の言葉を聞いていた。
私の『本当の気持ち』を、父上に見透かされたのだと思った。
『『新政府軍』のやつらを、殺したい』
私の『本当の気持ち』を・・・。
私は、『はい』とは言えなかった。
私はまだ、『憎しみ』を捨てきれなかった。
私はきっと『新政府軍』に出会ったら、『憎しみ』から、そいつらを『殺したい』と思うだろう・・・。
私には、『人を守る』為だけの戦いが出来るとは思えなかった。
團一郎も、何も言わなかった。
もしかしたら、團一郎も私と『同じ気持ち』なのかもしれない・・・。
『『新政府軍』のやつらを、殺したい』
と言う『気持ち』・・・。
声を詰まらせ、父上は続けた。
「そして、生き延びてくれ・・・。
生き延びてくれ・・・。
ゆき・・・。
團一郎・・・」
私は父上のこのお考えは、父上が言ったように、確かに『甘い』と思った。
でも同時に、『父上らしい』とも思った。
私は、父上の娘として生まれて来て良かったと思った。
私と團一郎は、目を潤ませて微笑んだ。
父上も母上も團一郎も歯を食いしばり、涙が零れ落ちるのを耐えていた。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
その後、私達は兄上の遺体を庭の桜の木の下に、お静様の『匂い袋』と一緒に埋めた。
その土の上に、兄上の喉を刺し貫いた刀を置いた。
最期まで長岡藩士として生き、死んだ兄上には、墓石よりも刀の方が相応しいと思った。
父上達は戦の準備で部屋に戻り、一人になった私は、手を合わせながら土の中に眠る兄上に言った。
『あの世で、お静様とお幸せに・・・。
兄上・・・』
私の傍にずっと座って見ていたシロは、悲しそうに『くぅくぅ』鳴きながら置かれた刀をじっと見ていた。
もしかしたら、シロも兄上が亡くなった事が分かっているのかもしれない・・・。
シロも、兄上の事が大好きだったから・・・。
シロも、悲しいよね・・・。
悲しそうなシロの横顔を見て、私は思った。
戦が始まれば、町は焼かれる。
人も動物も、何もかも殺される。
きっと、シロも巻き込まれる。
シロを、早く逃がさなければならない。
シロなら足が速いから、人間よりも遠くへ逃げる事が出来るはずだ。
シロは賢くて可愛いから、きっと新しい飼い主が直ぐに見つかるはずだ。
私は、シロを抱き締めながら言った。
「シロ・・・」
シロはしっぽを振りながら、私を見つめた。
私は、シロの濡れた大きな黒目をじっと見つめながら言った。
「シロ・・・。
これから長岡では、大きな戦があるの・・・。
ずっとシロと一緒にいたかったけれど、出来そうもないの・・・。
ごめんね・・・。
私達、戦に行くの・・・。
私達、死ぬかもしれないの・・・。
でも、シロは生き延びなくては駄目なの・・・。
シロは、私達の巻き添えになってはいけないの・・・。
だから、シロは今直ぐ遠くへ行かなればならないの・・・」
私はそう言うとシロを持ち上げ、家の門へ連れて行った。
其処で私はシロを下ろし、言った。
「シロ。
お行き」
「・・・」
「早く行きなさい」
「・・・」
シロは、黙ったまま私を見つめ続けるだけだった。
「早く行きなさい!!
シロ!!」
シロは戸惑いながらも、頑として動こうとしなかった。
『それなら』と思い、私はシロを再び抱き上げて遠くへ連れて行こうとした。
すると、シロは抵抗して私の腕の中でもがいた。
シロは私の腕から逃れると、庭へ走って行った。
私はシロを追い掛け、叫んだ。
「シロ!!
いい加減にしなさい!!
此処にいたら、あなたまで死んでしまうの!!
出て行きなさい!!
早く!!」
でも、どんなに叫んでもシロは逃げなかった。
暴力は使いたくなかったけれど、私は庭にあった箒を持ってシロを追い払おうと箒を振り上げた。
けれど、途中で手が止まった。
私は振り上げた箒をぎゅっと握って、
『シロが、生き残る為だ』
と自分に言い聞かせた。
そして私は堅く目を閉じ、少しだけ力を込めてシロの背中を箒で叩いた。
「きゃん」
シロは、驚いたように鳴いた。
『どうして殴るの?
どうして?
どうして?』
シロは、そう言っているようだった。
シロは私をじっと見て、耐えていた。
でも、それでも私は何度もシロを叩いた。
ここで甘さを見せたら、シロはこれからもっと酷い目に遭うかもしれない。
シロも、死んでしまうかもしれない。
私はシロが怪我をしないように、でも力強く何度も何度も叩いた。
それでも、シロは抵抗した。
シロは、諦めなかった。
私は健気なシロを見るのに耐えられず、箒を捨てた。
そして、シロを強く抱き締めながら言った。
「お願いだから・・・。
お願いだから・・・逃げて・・・。
シロ・・・。
死なないで・・・欲しいの・・・。
お願い・・・」
いつの間にか、私は泣いていた。
シロは私をじっと見つめ、私の目から流れる涙を優しく舐めてくれた。
私は、もっと強くシロを抱き締めた。
そして、叩いたシロの背中を何度も何度もさすった。
「ごめんね・・・。
シロ・・・。
痛かったよね・・・。
人間が、勝手に始めた戦なのに・・・。
シロには、関係ないのに・・・。
シロまで傷つけてしまって・・・。
ごめんね・・・。
ごめんね・・・」
シロは『くぅくぅ』言いながら私にしばらく身を委ね、そして何かを決意したかのようにシロは私から静かに離れた。
そして家の外へ向かって、歩いて行った。
立ち止まっては振り返り、立ち止まっては振り返りを繰り返しながら、シロは出て行った。
そして、とうとう見えなくなった。
『シロ・・・。
どうか・・・。
どうか・・・私達の分まで生き抜いてね・・・』
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
シロを見送った後、私は急いで自分の部屋に戻った。
そして、私は髪の毛を短く切った。
こんなに短く切ったのは、初めてだった。
悲しい、辛いと、普通だったら思ったのかもしれない。
でも、その時の私は何も感じなかった。
女と悟られない為にも、動き易くする為にも、髪を切る事は『必要な事』だった。
そして、私は動き易い格好に着替えた。
私には長岡藩士達が着る黒羅紗(筒袖の洋服)と黒い段袋(ズボン)がなかったので、團一郎から黒い着物一枚と黒い袴を一腰貰って、それらに手を加えて着る事にした。
裁縫の苦手な私の為に、母上が着物の袖を切って筒状に縫って、急いで用意してくれた。
袴の裾は紐で結び、走りやすいようにした。
次に私は、清八郎様から頂いた簪を机の引き出しから出した。
私は、簪を強く握り締めた。
『どうか、皆を守ってくれますように・・・』
そう願うと、私は簪を緋色の帛紗に包んだ。
そして、その帛紗と一緒に、机の上に置いてあった矢立て(携帯用筆記用具)と紙を胸元にしまった。
準備が出来ると、私は仏間へ向かった。
準備が出来たら、仏間に来るようにと母上に言われていた。
私が仏間に入ると、其処には母上と共に團一郎も座っていた。
團一郎も、母上に呼ばれていたようだった。
私は、團一郎の隣に座った。
母上は静かに、そして真っ直ぐ私達の目を見て言った。
「二人とも、武士の子として最後まで正々堂々と戦い、長岡を守るのですよ」
「はい!!」
團一郎と私は母上の目を見て、固く誓った。
團一郎は、力強く言った。
「私は長岡の武士として、先祖の名に恥じぬ戦いをします!!
決して卑怯なまねはせず、死ぬ時は潔く散ってみせます!!」
私も、決意を込めて言った。
「私も、私達長岡藩士達の『生き様』と『戦の惨さ』をこの目で見て、この耳で聞き、そして生き残り、遺し、伝えてみせます!!」
私達がそう言った後、母上はしばらく私達の顔を眺め
『宜しい・・・』
と、小さな震える声で言った。
そして、少し微笑みながら続けた。
「・・・ここまでは」
「・・・」
「ここまでは・・・『武士の母としての言葉』です・・・。
これから言う『言葉』は、其方達の『母としての言葉』だと思って聞きなさい」
そう言うと、母上はいきなり私達を強く抱き締めた。
「どうか・・・。
どうか・・・無事で・・・。
死んでは・・・なりません・・・。
死んでは・・・なりません・・・。
どうか・・・死なないで・・・」
母上の暖かい身体から、良い香りがした・・・。
懐かしくて、甘い・・・。
母上の香り・・・。
母上の温もり・・・。
私達は、決してこの香りも温もりも忘れない・・・。
忘れる事なんて、出来ない・・・。
母上の暖かさを・・・。
決して・・・。
しっかりと私達を抱き締めた後、母上はゆっくりと立ち上がり、仏壇から桔梗色の風呂敷を持って来た。
風呂敷を広げると、中から一振りの懐剣と懐中鏡、それと瑠璃色のお守りが現れた。
母上は、私に懐剣を差し出しながら言った。
「ゆき。
この懐剣を、持って行きなさい。
柄には、女子だけが代々受け継ぐ『裏紋』が描かれております。
其方の『裏紋』は、『丸に揚葉』。
この懐剣は亡くなったお祖母様が、生前持っていたものです」
私はこの懐剣を見て、お祖母様の事を思い出した。
この懐剣はお祖母様の許嫁が亡くなった時、お祖母様が命を断とうとして使った懐剣なのだと思った。
母上は、続けた。
「この懐剣は『護身用』の為のものであり、『魔除け』の為のものであり、『誇り』を守る為のものです。
『覚悟』の為のものです。
精神と行動を、律する為のものです。
決して、苦しみから逃れる為に使おうとしてはいけません。
それは、神聖な懐剣を汚す行為ですから」
「はい」
「きっと、ご先祖様方が其方を守ってくれるでしょう」
「はい」
「それと、この鏡もゆきに・・・」
私は、小さい長方形の懐中鏡を受け取った。
母上は、私の頬を両手で優しく包みながら言った。
「ゆき・・・。
どんな時でも女子らしく、身だしなみをしっかりするのですよ」
「・・・はい」
そして、次に母上は團一郎の方を向いて言った。
「團一郎。
其方には母が作った、このお守りを・・・。
司郎が幼い頃、『蒼紫神社』へ行って取って来てくれた『桜の花びら』が、このお守りの中に入っております。
司郎が必ず、其方の『力』になってくれるでしょう」
團一郎は母上からお守りを受け取り、きつく握り締めた。
握り締めながら、言った。
「有難うございます・・・。
母上・・・。
母上も・・・どうかご無事で・・・」
母上は、優しく微笑み小さく頷いた。
そして私と團一郎は仏壇に手を合わせ、ご先祖様に願った。
『どうか・・・長岡をお守り下さい・・・』
『皆を、お守り下さい・・・』
その後、私達は母上に別れを告げ、仏間を後にしようとした。
その時、母上が團一郎に向かって言った。
「團一郎!!
ゆきの事、頼みますよ!!!」
團一郎は振り返り、母上をしっかりと見ながら力強く言った。
「はい!!
私が兄上の代わりに、自分の命に代えてでも姉上をお守りします!!!」
私は驚いて、團一郎の方を向いた。
團一郎は、続けた。
「私は、幼い頃から姉上に守られてばかりでした。
しかし、これからは私が姉上を守る番です。
母上もうめ姉上も、守ってくれる人がいる。
けれど、戦の中で姉上を守る事が出来るのは、私しかいない。
私が、必ず姉上を守ります!!」
私は、はっきりと応える團一郎を見つめた。
いつも弱虫で泣いてばかりだった團一郎が、この時、少し大人びて見えた。
『嬉しい気持ち』と、『悲しい気持ち』があった。
そして、私は誓った。
『團一郎の為にも、私は死んではならない』
空を見ると、厚い雲が長岡の空を暗く染めていた。
雨が・・・降る・・・。




