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むつの花  作者: 野口 ゆき
51/77

五つの花 『二.小千谷談判』

慶応(けいおう)四年(1868年) 卯月(うづき)(4月)


三月に『新政府軍・参謀(さんぼう)薩摩(さつま)藩士・西郷吉之助(さいごうきちのすけ)隆盛(たかもり))と『旧幕臣』勝海舟(かつかいしゅう)が会見し、四月十一日『江戸城(えどじょう)無血開城(むけつかいじょう)』となった。

江戸の町は、火の海とならずに済んだ。

それと同時期、奥羽(おうう)諸藩は『会津(あいづ)藩降伏謝罪』を嘆願した。

しかし、それは『新政府軍』に受け入れられなかった。

これにより、『新政府軍』と奥羽諸藩との戦は回避出来ないものとなった。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _



私が町を歩いていると、数人の若い長岡藩士達が大声で歌っていた。


『薩摩長州(ちょうしゅう)を (まないた)に乗せて 


               大根きるように チョキチョキと・・・』


それを歌うのは、薩摩藩・長州藩に飽く迄対抗しようとする長岡藩士達だった。

鳥羽(とば)伏見(ふしみ)の戦い』以降、長岡藩内は殺伐としており、常に緊張感が漂っていた。

朝廷(ちょうてい)を味方に付け、偽の『錦旗』を掲げた『新政府軍』に対して、他藩は次々と『新政府』に『恭順(きょうじゅん)』の意を示していった。

力の弱い藩は、『朝敵(ちょうてき)』とならない為に・・・。

自藩を守る為に・・・。

また始めは『新政府軍』に抵抗していた各藩も、最新鋭の武器を持つ『新政府軍』に抗いきれず、降伏していった。

こうして『新政府』に与する事になった藩は、『新政府』の手足となって働かされる事となった。

『新政府』は『徳川慶喜(とくがわよしのぶ)公追討』の為、これらの大軍を東へ向かわせた。


諸藩は、揺れていた。


『新政府軍』に付くべきか、『旧幕府軍』に付くべきか?


いや。


『朝廷』に付くべきか、『旧幕府』に付くべきか?


『朝廷』に付けば、『官軍』となる。

しかし、それは『旧幕府』に対する『不忠(ふちゅう)』となる。


ならば、『旧幕府』に付けばどうか?

『旧幕府』に付けば、『誠忠(せいちゅう)』となる。

しかし、それを選んだ藩は『朝廷』に徒なす『賊軍(ぞくぐん)』となる。


長岡藩も、どちらに付くべきか決めあぐねていた。

長岡藩では、藩論が二つに割れていた。

筆頭家老(ひっとうがろう)稲垣平助(いながきへいすけ)様や藩校『崇徳館(そうとくかん)』の教授達を中心とした『恭順派』と、飽く迄徳川家の為に最後まで戦うと言う『抗戦派』に分かれていた。

しかし、長岡藩士の大多数は『抗戦派』だった。


私が大声で歌う藩士を横目で見ながら歩いていると、前から山本帯刀(やまもとたてわき)様と山本様のご家臣・渡辺豹吉(わたなべひょうきち)様が歩いて来られるのを見つけた。

「山本様!!」

私は山本様に声を掛け、走り寄った。

山本様は私に気付き、にっこり笑って応えてくれた。

「ああ・・・。

ゆきさん・・・。

お久しぶりですね・・・」

そう言う山本様を見ると、少し疲れた表情をしていらした。

私は心配になり、山本様に聞いた。

「山本様・・・。

どうされたのですか・・・?

少し・・・お疲れのようですが・・・?」

それを聞いた山本様は少し目を見開き、微笑みながら答えた。

「先程・・・河井様の家を訪ねて来たところです」

(つぎ)兄さん・・・?

もしかして、継兄さんに・・・何か・・・あったのですか?」

山本様は、少し溜息混じりに答えた。

「『あった』と言えば・・・ありました・・・。

全く・・・河井様は、剛胆過ぎます・・・。

ゆきさんも、知っているでしょう・・・?

薩摩藩・長州藩を中心とした『討幕派(とうばくは)』に牛耳られた朝廷に対して、『大政奉還(たいせいほうかん)』された前将軍・徳川慶喜公は自分が『朝敵』とならぬ為に、江戸に戻ってから上野の『寛永寺(かんえいじ)』にて謹慎されています。

長岡藩もそれに倣い『不戦の意』を表すべきか、それとも薩摩藩・長州藩に牛耳られた朝廷に戦いを挑むべきか、藩論が二つに分かれています」

「はい・・・」

「長岡藩は・・・『譜代(ふだい)藩』です。

だから、『抗戦派』が大多数です。

そして・・・私も、その一人です。

しかし、少数ですが『恭順派』もいます。

『筆頭家老』稲垣平助様、他に安田鉚蔵(やすだりゅうぞう)殿、酒井貞蔵(さかいていぞう)殿、そして本富安四郎(ほんぷやすしろう)殿などです」

「・・・」

「二月に『崇徳館』教授達は御殿様に、『勤皇(きんのう)意見書』を提出しました。

彼らは、朝廷に反抗するつもりはありません」

「・・・」

「先日、河井様が藩士を総登城させた事を覚えていますか?」

「・・・はい」

「その際、河井様は

『天下の形勢が、薩長に向いている事』

『長岡藩として、どうすべきか』

『長岡藩士としての心構え』

について皆の前で話しました。

河井様は『一藩武装独立』を唱えており、『戦わず』、そして『従わず』とおっしゃられた。

しかし河井様が行った改革・・・『西洋式武器の推進』『兵制改革』『禄高改革』は、『戦わず』と言う言葉に反しているように思われました。

これらの改革は『恭順派』や『新政府』に、

『これらは、来るべき戦の準備である』

と言う不審を抱かせました。

またそれと同時に、多くの長岡藩士達の不満も招きました。

『禄高改革』では禄を減らされた者達、特に大幅に禄を減らされた稲垣様の不興を買いました」

そう言った不審感や不満から、『恭順派』の安田殿達は河井様が長岡にいなかった時、政庁で『恭順論』を説きました」

「・・・」

「その後、長岡に戻られた河井様が安田殿を説得しようと自宅に招かれました。

しかし結局、河井様は安田殿を説き伏せる事は出来ず、蟄居(ちっきょ)を申しつける事にしました」

「・・・」

「安田殿の言い分も、分かります・・・。

『長岡藩を、何としてでも守りたい』

と言う気持ちからだと・・・」

「・・・」

「彼らは長岡藩が『朝敵』となり、『賊軍』の汚名を永遠に着せられる事を恐れています」

「・・・」

「もし朝廷が『正義』ならば、私も朝廷に楯突こうなどとは思わなかったでしょう・・・。

しかし私には薩摩藩・長州藩に牛耳られた朝廷が、『正義』とは思えないのです。

今の朝廷は、薩摩藩・長州藩が権力を手中に収める為の道具に過ぎません。

それでも『恭順派』は、『朝敵』となる事を回避する事のみに執着しています。

何が『正義』かは、彼らにとっては『意味の無いもの』なのです。

ただ長岡藩が『賊軍』とならない事のみに、重きを置いているのです。

しかし、本当にそれで良いのでしょうか?

自分達が『朝敵』とならなければ、『賊軍』とならなければ、『正義』は無視して良いのでしょうか?」

「・・・」

「いや。

そうではない・・・。

私はたとえ長岡藩が『朝敵』と呼ばれようとも、『賊軍』と呼ばれようとも、『正義』を貫くべきだと思います。

それは将来の長岡藩の為でもあり、これからも生き続ける人々の為でもあり、これから生まれて来る人々の為でもあります」

山本様は、そう力強く言った。

そして、私はふと山本様の横に立っている渡辺様を見た。

渡辺様は温かく、そして力強い目で山本様をじっと見つめていた。

それは、()()()()()()()()』だった。

山本様は、続けた。

「河井様はその為にも、『正義』を貫こうと考えていらっしゃるのです。

ただそれには、『藩論の一致』が必要不可欠です。

藩論を乱す安田殿がいれば、長岡藩はまとまりを欠きます。

藩が、内部分裂してしまいます。

長岡藩は、戦わずして崩れてしまいます。

だから・・・。

だから、安田殿の蟄居は・・・仕方のない事だったのです・・・」

「・・・」

「しかし『恭順派』からみれば、安田殿の蟄居は藩を思う藩士を処分する『愚劣な処分』と映ってしまったのかもしれません。

安田殿の蟄居は、『恭順派』の反発を更に招いてしまいました。

酒井殿など他の『恭順派』の藩士達は『斬姦状(ざんかんじょう)』を書き、河井様を亡きものにしようとしました」

「え!?

継兄さんを・・・殺そうと・・・?」

「河井様の命を狙っている者がいる事を我々も気付いていましたから、河井様に何度もお気を付け下さいと申し上げました。

しかし河井様は

『俺を殺せる者など、いやしない』

と言って、全く注意して下さる素振りがありませんでした」

「継兄さん・・・らしいですね・・・」

「はい。

しかし先日、とうとう河井家のご先祖の祥月命日(しょうつきめいにち)に河井様は暗殺されかかりました」

それを聞いて私は驚き、山本様の両腕を掴みながら大声で聞いた。

「継兄さんが!?

それで・・・!?

それで、継兄さんは・・・!?

継兄さんは、ご無事だったのですか!?」

山本様は私を安心させようとしたのか、微笑みながら答えてくれた。

「ええ・・・。

ご無事でした。

河井様は寺の物陰に暗殺者達が潜んでいる事に、直ぐに気付いたそうです。

そして河井様は何事も無いようにいつも通り振る舞い、歌を歌いながら歩き、暗殺者達の前を通ったそうです。

暗殺者達は歌いながら目の前を通り過ぎる河井様の『気』に押され、機会を失い、暗殺を断念したそうです」

「良かった・・・」

私は、大きな溜息をついた。

それと同時に自分が山本様の両腕を思い切り掴んでいる事に気付き、急いで手を離して謝った。

「申し訳ありません!!」

山本様は、にっこり笑いながら答えた。

「気にしないで下さい。

ゆきさん」

私は顔を赤くしながら、上目遣いで山本様を見た。

山本様は、ニコニコしたままだった。

そして再び真面目な顔になり、話を続けた。

「河井様はその時は運良く命は助かりましたが、その運が続くとは限りません・・・。

また再び、刺客に狙われる可能性は高いのです。

私は河井様に何度も

『夜道には、お気を付け下さい。

もう少し、従者を増やしたら如何ですか?』

と申し上げました。

しかし河井様はあのような性格ですから『不要』と言って、全く受け入れて下さらなかった」

「継兄さん・・・らしいですね・・・」

「本当に、そうですね・・・。

しかし、『もしもの事』があってはならないのです。

河井様は、長岡藩にとって『無くてはならぬ存在』です。

河井様の代わりなど、おりません。

私は河井様にもっと身辺に注意して頂こうと思い、今日は河井様の許へ伺ったです。

しつこくお願いした甲斐があったのか、河井様は嫌な顔をしながら『何とかする』と約束して下さいました。

先ずは・・・一安心です」

「そうですか・・・」

と私は言ったものの、

『継兄さんは山本様の助言を、しっかりとは聞かないだろうな・・・』

と思った。

継兄さんは、常に『正々堂々』『真っ直ぐ生きる』人だから・・・。

山本様は私に微笑み、続けた。

「そう言えば、先程ゆきさんは私が『疲れているよう』と言いましたね?

恐らく疲れと安堵から、『疲れた様な顔』になってしまったのでしょうね・・・」

「そうかも・・・しれませんね・・・」

「ゆきさん・・・」

「はい」

名前を呼ばれ、私は山本様を見上げた。

山本様は、優しい目をして言った。

「心配してくれて、有難うございます」

そして、山本様は私の頭を優しく撫でて下さった。

私は、少し照れながら答えた。

「・・・いいえ。

あの・・・山本様も、ご身辺には十分お気を付け下さい・・・」

「はい」

「でも、継兄さんを暗殺しようとする人がいたなんて、知りませんでした・・・。

確かに継兄さんを恨む人は沢山いるけれど、まさか暗殺だなんて・・・。

平和な長岡で、暗殺が実行されようとしていたなんて・・・。

今まで・・・そんな事・・・なかったのに・・・」

すると、山本様は西の方を睨みながら言った。

「京都の『狂気』が、長岡にも来つつあるのでしょう・・・」

京都の『狂気』が、長岡に来ている・・・?

もしかして、それはやはり

『長岡に、戦が近づいている』

と言う意味なのだろうか?

私は不安になり、聞いた。

「あの・・・。

山本様・・・」

「何ですか?」

「・・・継兄さんは、

『戦は、断じてしない』

と言っていました・・・。

それは・・・変わりありませんよね・・・?

長岡で戦があるなんて・・・そんな事、『()()()()()』ですよね・・・?」

山本様は少し考え、そして苦しそうに答えた。

「河井様は、飽く迄『武装中立』を貫くおつもりです。

しかし、旧幕府への『忠義』の為に・・・もしかしたらそれは、『()()()()』かもしれません・・・」

「・・・では、やはり・・・戦になる『()()()()()()かもしれない・・・と言う事なのですね・・・」

「はい・・・。

『恭順派』は、戦をしない事で藩を守ろうとしています。

しかし藩を無傷で守る事が、本当に国を、人を守ると言う事なのでしょうか?

藩は無事でも、自藩の為に『大恩ある幕府を裏切った』と言う汚名を背負い続ける事になるのではないでしょうか?」

「・・・」

「長岡藩は『義藩』の先駆けとして、後世に残らなければなりません。

『忠孝』が『美徳』だから、と言うだけではありません。

我々も、後に生きる者達にも、人として武士としての『志』を、我々の『生き様』で示し、残さなければならないのです。

武力でこの国を支配しようとする輩に、最後まで抵抗しなければなりません」

「・・・」

「この先我々が、これから生きる人々が『誇り』をもって生きる為にも、それはどうしても『()()()()()()』なのです。

その為には、戦をする事になるかもしれません」

「・・・」

「ただ・・・それには、多くの犠牲を伴う事を覚悟しなければなりません。

未だかつてない程の苦しみも悲しみも憎しみも、我々は全て背負う事になるでしょう・・・」


山本様の『目』は、あの時の父上の『目』と同じだと思った。


『戦をする』と言った、父上の『目』と・・・。


私は、山本様に聞いた。

「苦しみや悲しみや憎しみを背負うと分かっていても、それでも・・・戦をするのですか・・・?」

山本様は私の言葉を聞いて、一瞬口を結んだ。

きつく目を閉じ、そして、ゆっくりと目を開けて空を見上げた。

空は青色、(だいだい)色、紫色、様々な色に染まっていた。

とても美しい空だった。

その美しい空を愛おしそうに、山本様は見つめていた。

そして、振り絞るように言った。


「・・・はい」


_____________________________________



奥羽にいる『新政府軍』を援助する為、『新政府』は北越方面に諸藩を続々と出兵させていた。


四月十四日(6月4日)

薩摩藩・長州藩


四月十五日(6月5日)

金沢藩・広島藩


四月十八日(6月8日)

長府(ちょうふ)藩(山口)・富山藩


『新政府』は長州藩士・山県狂助(やまがたきょうすけ)と薩摩藩士・黒田了介(くろだりょうすけ)を『北陸道先鋒(ほくりくどうせんぽう)総督参謀(そうとくさんぼう)』に任じ、諸藩の指揮をとらせた。

また、名古屋・信州諸藩を指揮する土佐(とさ)藩士・岩村精一郎(いわむらせいいちろう)を越後方面に転入させた。


山県は江戸を出発する前、薩摩藩士・西郷吉之助にこう言われた。


『北越の長岡藩と交戦せず、和平を主として目的を達成すべし』


西郷は、長岡藩の軍事力を恐れていた。

いや。

それを率いる『継兄さんの存在』を恐れていたのかもしれない。


四月十八日(6月8日)

岩村精一郎率いる『山道軍』は、新井(信州から越後の入り口)に集結。

兵千五百人。

砲二門。


四月十九日(6月9日)

長州藩士・三好軍太郎(みよしぐんたろう)率いる『海道軍』は、高田(たかだ)(新潟)に到着。

高田藩は『新政府軍』に降り、出兵する事となった。

兵二千五百人。

砲六門。


四月二十一日(6月11日)

新井と高田をそれぞれ出発した『新政府軍』は、長岡に向かって進軍を開始。


_____________________________________



四月二十六日(6月16日)


『新政府軍』が、とうとう長岡の近くまで侵攻して来た。

新潟港(にいがたこう)を、攻略する為に・・・。


『新政府軍』にとって新潟港は、奥羽諸藩を攻める為にも重要な拠点だった。

奥羽諸藩は新潟港から武器弾薬の調達をしており、新潟港を『新政府軍』が制圧する事が出来れば、奥羽諸藩の武器補給を断つ事が出来、尚且つ奥羽諸藩への侵攻も容易になる。

その為にも、『新政府軍』は新潟港を支配している長岡藩を取り込む必要があった。

長岡藩を『味方』に付けるか、それとも『敵』とするか、それにより戦の風向きが変わる。

それを、奥羽諸藩も知っていた。

だから奥羽諸藩も、長岡藩を自分達の『味方』に付けたいと考えていた。

その為、長岡藩には奥羽諸藩から何度も『援軍要請』が来た。

しかし継兄さんは、それらには一切応じなかった。

それと同時期に、『新政府』からも『会津(あいづ)討伐要請』が来ていた。

そしてこちらの要請にも、継兄さんは一切応じなかった。

長岡藩は、『新政府』を認めていなかった。

『長岡藩の答え』は、決まっていた。


『どちらにも、付かない』


継兄さんは、長岡藩は、どんな事があっても『中立』を貫くつもりだった。

武装と守備を強化しつつ、領内に何人たりとも入る事を許さなかった。

奥羽諸藩であろうと、『新政府』であろうと、長岡に侵入するもの全てを『敵』と見なした。


何故、長岡藩が『中立』を貫こうとしたのか?


無益な全面戦争は、日本を滅ぼし兼ねない。

継兄さんは、『戦を回避する方法』をずっと考えていた。

それは長岡藩が奥羽諸藩と『新政府軍』の調停役となって、早期に戦を終結させると言う事であった。

一刻も早く戦を終わらせ、日本を一つにしなければならなかった。

虎視眈々と日本を狙う諸外国から、日本を守る為にも。


しかし切羽詰まっていた奥羽諸藩は、煮えきらない長岡藩に苛立ちと怒りを抱いていた。

そんな時、小千谷(おぢや)(新潟)で『雪峠(ゆきとうげ)の戦い』が勃発した。


雪峠には、会津藩兵と『衝鋒隊(しょうほうたい)』などの『旧幕府軍』約二百人が布陣していた。

『衝鋒隊』は旧幕府脱走兵であり、『隊長』古屋佐久左衛門(ふるやさくざえもん)、『副隊長格・元見廻組(みまわりぐみ)今井信郎(いまいのぶお)等が率いていた。

彼らは赤い軍服を着て、最新のフランス式銃を持っていた。

彼らは強く、そして凶暴であった。

その為、越後農民は彼らを『赤鬼』と呼んでいた。


雪峠には『新政府軍』である高田藩や尾張(おわり)藩(愛知)、松代(まつしろ)藩(長野)の兵合わせて千五百人が迫っていた。

地の利を活かした戦いをしていた『旧幕府軍』は、当初優勢であった。

しかし数においても、武器においても、『新政府軍』の方が圧倒的に有利であった。

『旧幕府軍』は、次第に敗退していった。

そして『旧幕府軍』が撤退する毎に、『新政府軍』は長岡に近づいて来た。

『新政府軍』は小千谷に『本営』を設け、其処で防衛の采配をする事にした。

また『旧幕府軍』、特に会津藩兵は敗戦を繰り返す度に、長岡藩領に侵入して来るようになった。

会津藩には、思惑があった。


『長岡の近くで戦をする事で長岡藩を巻き込み、味方に付ける』


長岡のお城から雪峠は五()(約20キロ)も離れているのに、叫び声や鉄砲、喇叭(らっぱ)の音が聞こえて来た。


戦は、長岡の目の前にあった。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _




突然、玄関から大きな声が聞こえた。

私は


『何かが、起こったのかもしれない』


と思い、不安に思いながら走って玄関へ向かった。

其処には軍装をした長岡藩士と、それに応対する父上と團一郎(だんいちろう)がいた。

私は、壁に隠れて三人の話を聞いた。

父上が、(いぶか)しげにその長岡藩士に聞いた。

「どうされたのです?」

「出陣の用意をし、直ぐに中島の『兵学所(へいがくしょ)』に集まるように!!」

長岡藩士は早口でそう言うと、急いで出て行った。

それを聞いた父上と團一郎は急いで部屋に戻り、軍装を整え、軽く食事をとって家を出て行こうとした。

私はその直前、父上に聞いた。

「戦が・・・!!

戦が、始まるのですか・・・!?」

父上は苦しそうな表情で、答えた。

「長岡藩は、『中立』を守っている。

しかし、近くで『旧幕府軍』と『新政府軍』が戦っている。

長岡城下に、戦禍が及ぶ可能性がある・・・。

今回は、それを防ぐ為の出陣だ」

「では、戦をするのでは無いのですね・・・?」

「ああ・・・。

今回は・・・」

「今回は・・・?」

「遅かれ早かれ、長岡藩も戦に巻き込まれる事になるだろう・・・」

「え・・・?」

「『旧幕府軍』も『新政府軍』も、長岡藩の金と軍事力を欲している。

『中立』を保つ事は、恐らくもう・・・無理だろう・・・」


私はその言葉を聞いて、唖然とした。

戦をすると、決まった訳ではない・・・。

でも、戦をする『()()()()()()・・・。

『中立』を守っているのに、どうして戦に巻き込まれるのだろうか?

長岡藩は、誰も何も傷つけるつもりは無いのに、どうして巻き込むのだろうか?

『新政府軍』も『旧幕府軍』も、利用出来るものは何でも利用すると言うのだろうか?

私は、頭が混乱した。

父上はそんな私の頭を優しく撫で、にっこりと笑って團一郎と共に『兵学所』へ向かって行った。

私は、父上達が走って行く後ろ姿を見ながら思った。


『確かめなければならない』


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _


四ッ半(午前十一時)


私は母上に気付かれない様に、『兵学所』へ向かった。

『兵学所』に着くと私は木の陰に隠れ、『兵学所』にいる長岡藩士達の様子を窺った。

『兵学所』には、既に多くの長岡藩士達が集まっていた。

興奮した人、少し不安気な人、怒っている人、悲しそうな人、苦しそうな人、様々だった。

皆の声が、聞こえて来た。


「薩長など、返り討ちにしてくれる!!」

「『旧幕府』への『恩義』を徒で返す裏切り者などに、我々長岡武士が負ける訳がない!」

「どれ程の兵が、攻めて来るのだろう・・・?」

「もし『錦旗』を掲げている薩長と戦をする事になれば、天子(てんし)様に楯突く事になるのではないだろうか?

我らは『旧幕府』や会津のように、『賊軍』になるのではないだろうか・・・?」

「援軍は、どれくらい来るのだろうか・・・?」

「御殿様は、どのようにお考えなのだろうか・・・?

戦をするのか、それとも薩長に付くのか・・・?」

「河井様は、『中立』を唱えておられるが・・・」

「家族が、無事に生き延びてくれれば・・・」


皆、様々な思いで待っていた。


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七ッ時(午後四時頃)


叫び声が、聞こえた。

「殿が、お見えになられる!!

皆、静かにせよ!!」

話をしていた藩士達は一斉に声のする方を向き、じっとお殿様を待った。

すると『藩主』牧野忠訓(まきのただくに)様と『前藩主・老公』牧野忠恭(まきのただゆき)様、そして継兄さんが皆の前に現れた。

継兄さんは一歩前へ進み、胸を反らして静まり返った藩士達を見回した。

そして、継兄さんは大声で叫んだ。

「今、天下は混乱している!!

徳川家への措置も朝廷の挙動も、感服する事は出来ない!!

我が藩はこの事に対して朝廷へ上奏したが全く聞き入れられず、今日に至る!!

我が藩は『勤皇佐幕(きんのうさばく)』であるが、それはもう関係ない!!

今日においては、『勤皇』も『佐幕』もない!!

我々は日本と言う国を平定し、日本の民を治め、朝廷にも徳川家にも『忠誠』を尽くし、責めを負うべきだ!!

ある長州藩士が、言った!!

彦根(ひこね)藩には、『亡国(ぼうこく)(そう)』がある』

と!!

『彦根藩藩主』井伊直弼(いいなおすけ)様は西藩の怨みを買ってでも、国を維持する為に仕方なく『覇道政治(はどうせいじ)』を選んだ!!

それを、長州藩士は『亡国の相』と例えた!!

しかし、そうではない!!!

『鳥羽・伏見の戦』で彦根藩は大津の関門を閉じ、徳川家の冤罪(えんざい)を雪ぐ事もせず、徳川家を裏切った!!!

これこそが、本当の『亡国の相』である!!!

我が藩は、彦根藩のようになってはならない!!!

彦根藩は、軍備を整えていなかった!!!

だからこそ薩長の軍事力に圧倒され、抗う事も出来ず、徳川家を裏切ると言う結果になった!!!

そうならない為にも、『亡国の相』とならない為にも、長岡藩は軍制に従い、軍事力を高めなければならない!!!

『力』には、『力』で対抗するのだ!!!

命懸けで、国を、日本を守ろうぞ!!!」

「おおーーー!!!」

継兄さんの演説の後、長岡藩士達は大声で叫んだ。

継兄さんの声は良く通り、また雄弁であった。

継兄さんは皆の応えに、満足そうに微笑んでいた。


私は継兄さんのこの演説を聞き、少し不安になった。

継兄さんは『戦をしない』と言ったのに、これではまるで戦をしに行くようではないか?

こんな事を言っては、皆、誤解するのではないだろうか?

『これから、長岡藩は戦をする』

と、皆思うのではないだろうか?

継兄さんは、戦をするつもりなのだろうか・・・?


演説が終わった継兄さんは後ろへ下がり、次に『藩主』牧野忠訓様が前にお進みになられ、藩士達の前でお話しされた。

しかし、遠くにいた私にはお殿様の声が良く聞こえなかった。

お殿様は元々病弱であらせられるから、大声を出される事がお辛いのかもしれない・・・。


お殿様からの『御言葉』を頂いた後、『出陣の儀式』となった。

『前藩主・老公』牧野忠恭様も、出兵する藩士に『お流れ』の盃を注いで下さった。

普段、お殿様達に直接接する機会のあまり無い藩士達の中には、感激して涙する者もいた。

皆嬉しそうに盃を頂き、大切そうに飲んでいた。

私も老公様を実際に拝見する事は初めてだったので、とても興奮していた。


老公様が全ての藩士達に盃を注ぎ終わった後、『弾薬方(だんやくがた)』は出兵する各隊士に弾包を配った。

そして『勘定方(かんじょうがた)』は『士分(しぶん)』に金二()(約3万円)、『足軽(あしがる)』以下に一分を渡した。

皆、引き締まった顔でそれぞれ受け取った。

これから、本格的な戦が始まる。


                     『ぽつり』 

          『ぽつり』 


『ぽつり』


頬に、冷たいものが当たった。

雨が、降って来た。

私は、空を見上げた。

太陽を隠し、長岡を覆う灰色の分厚い雲が、私達の上に広がっていた。

長い梅雨の雨がこれからの私達の『運命』を表しているようで、私は少し不安になった。


その後、『兵学所』の四カ所に樽酒(たるざけ)が置かれ、皆に振る舞われた。

それぞれの樽に藩士が集まり、皆手酌で雨混じりの酒を飲んだ。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _



暮六ツ時(午後6時)


兵士達は雨具を羽織り、隊列を編成して城南の藩境に向かって出陣する事になった。

父上は御殿様の『祐筆(ゆうひつ)役』と言う事で、藩主様達のお傍近くに残った。

團一郎はまだ若いと言う事で、町の巡回に加わる事になった。


出陣する兵は、『一個大隊(八個小隊)』約五百人と砲二門。


出陣の軍編成は、以下の通りだった。


軍事総督(ぐんじそうとく)』  河井継之助(かわいつぎのすけ)

大隊長(だいたいちょう)』  山本帯刀(やまもとたてわき)

軍事掛(ぐんじがかり)』   萩原要人(はぎわらかなんど)


銃士隊長(じゅうしたいちょう)』 大川市左衛門(おおかわいちざえもん)

『銃士隊長』  斎田轍(さいたわだち)

『銃士隊長』  波多謹之丞(はたきんのじょう)

『銃士隊長』  本富寛之丞(ほんぷひろのじょう)


銃卒隊長(じゅうそつたいちょう)田中稔(たなかみのる)

『銃卒隊長』  田中小文治(たなかこぶんじ)

『銃卒隊長』  渡辺進(わたなべすすむ)

『銃卒隊長』  牧野八左衛門(まきのはちざえもん)


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長岡藩の軍事編成は、『銃士隊(じゅうしたい)(士分)』と『銃卒隊(じゅうそつたい)(足軽以下の身分)』の『ニ個小隊』とする事が多かった。

『銃士隊』は『隊長』『小令(しょうれい)』『半令(はんれい)』『弾薬方』『営造方(えいぞうがた)』『嚮導(きょうどう)(先行偵察兵)』二名、『鼓者』一、二名、『銃士』三十二名以上で編成されていた。

『銃卒隊』もほぼ同じではあったが、少々違いがあった。

『銃卒隊』の『隊長』は『士分』ではあったけれど、『小令』『半令』は以前の『足軽組小頭(あしがるぐみこがしら)』が任命された。

また『銃卒』は、三十ニから三十八名位の『足軽』『中間(ちゅうげん)』『町同心(まちどうしん)』達が配属された。

『銃士隊』『銃卒隊』が『ニ個小隊』で戦闘する場合は『銃士隊長』が、『四個小隊』の場合は『軍事掛』が、そして『八個小隊』は『大隊長』が指揮官となった。


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『一個大隊』と砲二門は長岡城下の裏町(うらまち)表町(おもてまち)を通って、町口御門(まちぐちごもん)を出て行った。

残った藩士と町の人達は、その隊列を静かに見送った。

その中に、他の隊とは一線を画す隊があった。

その隊は、烏帽子(えぼし)鉢金(はちがね)小手(こて)具足(ぐそく)、腹巻きなどを身に付けていた。


刀隊(かたなたい)』だ。


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近代的兵器を用いて戦をする長岡藩の中にも、特別として昔ながらの戦い方、即ち刀や(やり)を用いる戦闘を許された隊があった。

それが、大川市左衛門様率いる『刀隊(別名『剣術隊』)』と安田多膳(やすだたぜん)様率いる『槍隊(別名『槍長隊』)』だった。

慶応四年三月一日(1868年3月24日)の『軍政改革』の際は、刀剣による戦をしないと藩内で決まっていた。

しかし、藩校『崇徳館』脇にあった『武道場』の出身者達がそれに断固反対した。

長岡藩には、

『武をもって、忠をなそう』

と言う藩風があった。

それを体言する為、日々修練してきた人達の思いを継兄さんは無視する事が出来なかった。

また、これからの士気にも関わり兼ねない事から、それぞれ一隊ずつのみ許した。

ただし二隊には、『西洋式兵制』も取り入れる事を条件とした。

二隊は銃を肩に背負い、手に刀槍を持って戦う事になった。

本来、近代兵器である『銃』には同じ『銃』で対抗した方が互角に戦える。

しかし、それを敢えて選ばなかったのは、武士として戦い、『死ぬ覚悟』があったからだ。


『たとえ時代が、世の中が変わろうとも、最期まで武士でありたい』


『たとえ古いと言われようとも、武士である事に『誇り』を持ちたい』


それは、彼らが『武士の生き方』を愛していたからだった。

人によっては『武士として生きる事』しか出来ない事は愚かで、不器用で、悲しい事だと思うかもしれない。

けれど『武士として生きる事』は、彼らにとって何よりも幸せだったのだ。

武士として刀を振るって戦いの中で死ぬ事こそが、『本望』なのだ。


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私は、『刀隊』を見て思った。


『『刀隊』や『槍隊』のような生き方が、自分の信じる事の為に『生きて死ぬ事』が、自分にも出来るのだろうか?』


私には、自信がなかった。

ただ私は、そんな生き方を『羨ましい』と思った。


私は、『刀隊』を見つめ続けた。


私は先頭が持つ提灯の明かりが見えなくなるまで、皆の無事を願いながら隊を見送った。


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その後、継兄さん達『本陣(ほんじん)(大将がいる本営)』は『三国街道(みくにかいどう)』を進軍し、摂田屋(せったや)の『光福寺(こうふくじ)』に入った。

その内『斎田轍隊』『波多謹之丞隊』『牧野八左衛門隊』の三小隊は、藩境の六日市(むいかいち)へ向かった。


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夜半九ツ(午前0時)


三小隊は、六日市の宿場に到着した。

到着すると、握り飯や沢庵、梅干しを『扶持方(ふちかた)』から受け取った。

宿場には、会津藩兵三名がいた。

三小隊の『隊長』は彼らに同情し、『新政府軍』を藩境に入れない為に各隊交代で妙見(みょうけん)榎峠(えのきとうげ)を警備した。


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四月二十七日(6月17日)


前日から降り出した雨は止まず、ずっと降り続いていた。


長岡藩の近くで、戦は続いていた。


魚沼(うおぬま)小出島(こいでじま)で会津藩兵と薩摩藩兵・尾張藩兵・松代藩兵が戦い、会津藩兵は六十里越(りごえ)まで撤退。

桑名藩領・柏崎(かしわざき)西南の鯨波(くじらなみ)では、桑名藩兵と薩摩藩兵・長州藩兵・大聖寺(だいしょうじ)藩兵(石川)・高田藩兵が戦っていた。


多くの他藩兵が、長岡藩領に続々と侵入して来た。


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四ッ時(午前十時)


長岡藩領に侵入して来る『旧幕府軍』や『新政府軍』に対処する為、第二陣として『一個大隊(八個小隊)』と砲八門が中島の『兵学所』に集まっていた。


『大隊長』  牧野図書(まきのずしょ)


『軍事掛』  花輪求馬(はなわもとめ)

『軍事掛』  三間市之進(みつまいちのしん)


『銃士隊長』 稲垣林四郎(いながきりんしろう)

『銃士隊長』 安田多膳(やすだたぜん)

『銃士隊長』 九里磯太夫(くりいそだゆう)

『銃士隊長』 鬼頭六左衛門(きとうろくざえもん)


『銃卒隊長』 大瀬荘左衛門(おおせしょうざえもん)

『銃卒隊長』 長谷川健左衛門(はせがわけんざえもん)

『銃卒隊長』 倉澤喜惣次(くらさわきそうじ)

『銃卒隊長』 槇三左衛門(まきさんざえもん)


私は前日と同様、隠れながらその様子を眺めていた。

私は集まっている『一個大隊』の中に、昨日出兵した『刀隊』と同じ軍装の隊を見つけた。

それは、安田多膳様率いる『槍隊』だった。

『槍隊』も『刀隊』同様、自分達に『誇り』を持ち、堂々とした様子で立っていた。


しばらくして、藩主様と老公様が長岡藩兵達の前に現れた。

そして前日同様、長岡藩兵達は藩主様と老公様から『御言葉』と『お流れ』を頂いた。


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正午頃


砲八門を携えて、『一個大隊』は出陣して行った。

ただ『鬼頭六左衛門隊』だけは、殿町(とのまち)の『崇徳館』に待機した。

市中を巡察する為だけではなく、反戦・恭順派の藩士達を牽制する為でもあった。

緊張感と恐怖が、次第に長岡の町を支配していった。


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「撤兵!?

どう言う事だ!?」


継兄さんの命令に、長岡藩兵達に動揺が走った。

摂田屋『本陣』にいた継兄さんが突然、藩境にいた長岡藩兵を『本陣』付近に撤兵させる命令を下したのだ。

また継兄さんは、出陣して来た第二陣『一個大隊』と砲八門も宮内村(みやうちむら)前島村(まえじまむら)周辺に留まらせた。

そしてその内ニ隊を城下に戻らせ、信濃川(しなのがわ)右岸の草生津村(くそうづむら)へ向かわせた。

六日市にいた『牧野八左衛門隊』にも、北方の十日町村(とおかまちむら)へ向かうよう通知し、午後十時頃から村の中を警備させた。

長岡藩兵は、継兄さんのこれらの命令に混乱した。


『戦の為に、出陣したのではなかったのか?』

『これでは、単なる警護の為の兵に過ぎないではないか?』

『河井殿は、『戦をしてはならん』と言っているそうだ。

では、出陣前の時にしたあの演説は何だったのか?』

『我らを出陣させたのは、戦をする為ではないのか?』

『長岡藩は、『旧幕府軍』として戦う為に出陣したのではないのか?』


継兄さんの行動や言動は、長岡藩兵達の混乱を招いた。


私も、継兄さんに少し疑問を持ち始めていた。

私は、継兄さんの『戦をしない』と言う言葉を信じたかった。

だから、自分に言い聞かせた。


『新政府』を罵倒した出陣前の演説は継兄さんの『本当の気持ち』であるし、

『長岡藩も幕府も、命懸けで守りたい』

と言う気持ちも継兄さんの『本当の気持ち』だ。

継兄さんの真意は、『武装中立』だ。

軍備を増強したのも、戦の為ではない。

今回継兄さんが長岡藩兵を出陣させたのは、飽く迄長岡藩を防衛する為である。

そして兵を引いたのは、この出陣が

『戦をする為のものではない』

と言う事を、より明らかにする為だと。

継兄さんは、絶対に戦をしない。

私は、継兄さんを信じている。

私は、継兄さんを・・・()()()()・・・。


しかし、皆が私と同じ様に考えている訳ではない。

継兄さんは『自分の心』を『言葉』にしないから、皆、継兄さんの『本心』に気付く事も出来ないし、理解する事も出来ない。

『言葉』にしなければ、伝わらない事だってある。

伝えない事によって、人は猜疑心に苛まれる。

それは、長岡藩の結束を乱し兼ねない。

継兄さんの『考え』を長岡藩兵でも理解出来なかったのだから、他藩は尚更分からないだろう。

継兄さんの今回の行動や言動は、会津藩などの他藩からは『裏切り』だと疑われてしまう可能性だってある。


『幕府に『忠誠』を誓い、軍備も整え、出兵までしているのに、長岡藩は戦をしようとしていない。

一体、何を考えているのか?

もしかして、長岡藩は裏切るつもりなのか?』


他藩からそう思われても、仕方のない事だ。


案の定、会津藩の佐川官兵衛(さがわかんべえ)様も継兄さんの今回の行動に驚きを隠しきれず、真偽を質す為に摂田屋『本陣』に乗り込んで来た。

軍議を開いていた継兄さんの前に、佐川様は怒りを露わにして言い放った。


「前日、貴公は藩士達の前で『徳川の為に、冤罪を雪ぐ』と言って出陣したそうではないか!?

にも拘らず兵を引き、警護を固め、一変して戦に対して消極的な態度をとり始めた!!

一体、どう言うつもりなのだ!?

貴藩がこのような曖昧な態度をとるのならば、我々にも『覚悟』がある!!!」

会津藩は長岡藩が『味方』なのか『敵』なのか判断出来ず、混乱し、怒っているようだった。

他藩にとって継兄さんの行動や言動は、不審を抱くには十分であった。

継兄さんは佐川様に対して、いつもの通り眼光鋭く、はっきりと答えた。

「脅しなど、甚だしい!!

そもそも、会津藩は八百名の兵と『砲兵隊』二隊を連れて来ると言っていたではないか!?

それにも拘らず、実際何人連れて来た!?

それだけの人数で、戦えるとでも思っているのか!?

会津藩の心構えとは、そのようなものなのか!?

それで良く、『共に戦おう』などと言えるものだ!!」

「・・・」

「長岡藩は小藩ではあるが、国を治める大名としての『誇り』を持っている!!

どんな事があっても、藩士一同命懸けで長岡に侵入して来るものから長岡を守る!!

それは『新政府軍』であっても、『旧幕府軍』であってもだ!!」

「・・・」

「たとえ敵を同じくする会津藩であろうとも、我が藩に他藩が入る事は決して許す訳にはまいらぬ!!

そうそうに、立ち去れ!!」

佐川様は継兄さんの勢いに圧倒され、力無く答えた。

「我が兵には、『奇策』がある・・・!

兵数が少なくとも、問題はない・・・!

だが、今一度問う・・・。

貴藩は他藩を領地に入れないと言ったが、それは本当なのか・・・?

会津藩だけではなく、『新政府軍』も決して入れないと言う事で良いのだな・・・?

その言葉、信じて良いのだな・・・?」

それに対し、継兄さんははっきりと答えた。

「俺は、嘘は云わぬ!!」


継兄さんの嘘偽りのない言葉に、佐川様は納得して帰って行った。


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四月二十八日(6月18日)


この日は、昨日と打って変って晴れていた。

早朝、『鯨波の戦い』で桑名藩を打ち破った『新政府軍(薩摩藩・長州藩・高田藩・加賀藩)』は柏崎に侵入して来た。

そして『新政府軍』は、市街地を蹂躙(じゅうりん)した。

それに対抗する為に桑名藩兵も町家へ発砲し、十八人を即死させた。

その後桑名藩兵は長岡藩領に入り、会津藩兵と一緒に行動する事になった。

長岡城下には既に会津藩『朱雀(すざく)四番士中隊』『砲兵隊』『朱雀二番寄合(よりあい)隊』が入って来ており、寺町(てらまち)の『妙宗寺』に『本陣』を置いていた。

長岡藩兵も続々と出陣し、城下の村に多くの兵が駐屯する事になった。

隊は、『七個小隊』と砲六門。


『銃士隊長』 武作之丞(たけさくのじょう)

『銃士隊長』 倉澤竹右衛門(くらさわたけえもん)

『銃士隊長』 今泉岡右衛門(いまいずみおかえもん)

『銃卒隊長』 毛利幾右衛門(もうりいくえもん)

『銃卒隊長』 佐野与惣左衛門(さのよそうざえもん)

『銃卒隊長』 長谷川五郎太夫(はせがわごろうだゆう)

『銃卒隊長』 稲垣善右衛門(いながきぜんえもん)


『武作之丞隊』『毛利幾右衛門隊』と砲三門は蔵王村(ざおうむら)へ、『佐野与惣左衛門隊』『長谷川五郎太夫隊』と砲三門は摂田屋の南にある下条村(げじょうむら)に配備された。

その他の隊は、町を巡邏した。

それは、飽く迄防衛の為の配置だった。


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四月二十九日(6月19日)


摂田屋『本陣』の継兄さんは藩内の『恭順派』への更なる牽制の為、下条村にいた『長谷川五郎太夫隊』を呼び戻し、藩校『崇徳館』に駐屯させた。

長岡藩兵や他藩の兵が行き交う長岡城下は不安と恐れ、そして緊張感で騒然としていた。

多くの人々は怯え、家の戸を閉めた。

遠くへ避難する人々も、沢山いた。

『長岡町奉行』も人々に落ち着くようにと通達したけれど、それは最早、無理であった。

戦の音が間近に迫っている事を、人々はひしひしと感じていた。


ピリピリとした中、私が町を歩いていると、見回りをしていた藩士達の声が聞こえて来た。


「河井様は、一体何を考えておられるのだろうか?」

「ああ・・・。

河井様のお考えが、分からぬ」

「薩長軍に付いて会津を討つ訳でもなく、かと言って抗う訳でもない・・・」

「我らを、町の警備に当てるだけとは・・・」

「未だに藩論が統一されていないとは、どう言う事なのか?」

「聞いた話では、『大川市左衛門隊』の加藤一作(かとういっさく)殿が、その事について河井様に進言したらしい」

「進言・・・?

何と言ったのだ?」

「『何故、戦わないのか?

我が藩の方向が未だに定まらないのは、一体どう言う事か?』

と、河井様に聞かれたそうだ」

「おお・・・。

そして・・・?」

「河井様は、烈火の如くお怒りになられたらしい。

『俺には考えがある!!

お前如きに話す時間などない!!

お前は若いから、俺の考えなど理解は出来まい!!

早々に長岡に帰れ!!』

と」

「何と、非道い事を・・・。

長岡の為に命を賭して戦おうとする者ならば、皆、加藤殿と同じ思いだ・・・。

その思いを理解せず帰れとは、加藤殿を愚弄するにも程がある!!」

「ああ。

加藤殿も、侮辱を受けた事を悔しく思ったのだろう。

『隊を脱して長岡へ帰れと言うのは、私に死を命じたも同じ事!!

死ぬのならば、『総督』の御前で死ぬ!!!』

と言って、逆手に持った短刀で腹を切ろうとした」

「何だと!?」

「大川隊長が急いで加藤殿から短刀を取り上げて何とか事なきを得たが、他の藩士達の河井様に対する不審感は尚一層深まった。

その後、加藤殿の近くにいた篠原伊左衛門(しのはらいざえもん)殿が

『加藤殿の質問に対して、しっかりと答えて頂きたい!!』

と河井様に迫ったようだ。

そして続けて小林寛六郎(こばやしかんろくろう)殿が、

『『大総督』ともあろうお方が、言葉を失するとは何事ですか!?』

と叱咤したらしい。

流石に河井様も大人気なかったと詫びたそうだが、河井様への不満は募るばかりだ・・・」

「河井様には、何かお考えがあるのかもしれぬ・・・。

しかし、我らは薩長が憎い・・・。

我らは、会津と共に戦いたいのだ・・・。

河井様が、我らの気持ちをご存じない訳ではないはずなのに・・・」

「ああ・・・。

河井様ならば、『戦う』とおっしゃると思っていたが・・・。

全く・・・河井様のお考えは、理解出来ぬ・・・」


そう言って、彼らは通り過ぎて行った。


継兄さんを信じて良いのか、長岡藩兵も困惑してるようだった。

継兄さんは、どうして自分の『考え』をはっきりと言わないのだろう?

『長岡藩は飽く迄『中立』で、何処とも戦うつもりは全くない』

と、何故、継兄さんは言わないのだろう。

それとも、何か他に計画があるのだろうか?

その計画を言ってしまっては、計画が崩れる恐れがあるからなのだろうか?

言っても、誰にも理解されないと思っているからだろうか?

言うと、人々が混乱してしまうからだろうか?

それとも、秘密にしなければならない『理由』が他にもあるのだろうか?

でもこのままだと継兄さんが益々誤解され、憎まれてしまう・・・。

継兄さんはそんな事気にはしないかもしれないけれど、これでは藩がばらばらになってしまう・・・。

混乱を招かない為に、『真実』を隠した方が良い時もある。

でも『真実』を知らないと、多くの憶測が飛び交い、誤解され、人々を不安にさせ、却って混乱させてしまう・・・。

『不審』が、『不信』に変わってしまう・・・。

秘密にするより、『真実』を告げた方が良い時がある・・・。

継兄さんは、気付いているのだろうか・・・?

私は、継兄さんの事が心配になった。

本当に、これで良いのだろうか・・・?

継兄さん・・・。


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五月一日(6月20日)


『新政府軍』が小千谷『陣屋』に入った事を知った継兄さんは、『用人(ようじん)(連絡役)』の花輪彦左衛門(はなわひこざえもん)様を『新政府軍』の許へ向かわせた。


「長岡藩の花輪彦左衛門と言う者が、『長岡藩家老』河井継之助の言伝があって参ったそうです」


花輪様を取り次いだ兵の言葉を聞き、『新政府軍・軍監(ぐんかん)』土佐藩士・岩村精一郎は驚きを隠せなかった。

そして、訝しみながら聞いた。

「『長岡藩家老』河井からの言伝だと・・・?

どのような・・・?」

「『小千谷にて、話したい事がある。

長岡藩・河井継之助が会いたい』

との事です」

「長岡藩の河井が、話したい?

一体、何故?

『新政府軍』にも『旧幕府軍』にも与しておらず、未だに長岡藩の態度は定まっておらぬように見えたが・・・。

もしや、やっと藩論が固まったと言う事なのか・・・?

うむ・・・。

『家老』自ら直接会いたいのなら、それなりの『覚悟』があっての事だろう・・・。

『恭順』か、それとも『逆賊』に与して徹底抗戦か・・・。

他の藩同様『馬鹿家老』だと思うが、会う価値はありそうだ・・・。

よし!!

『使者』に伝えろ!!

『明日、小千谷の『慈眼寺(じがんじ)』にて河井と会う』

と!!」

岩村は、小千谷での会談を許可した。

花輪様はそれを聞くと直ぐに『本陣』へ戻り、『新政府軍』の許可が下りた事を継兄さんに報告した。


継兄さんは花輪様から話を聞くと、満足そうに微笑みながら言った。

「ご苦労だった。

花輪。

では次に、南境を守備している長岡藩兵に伝えろ。

『南境から、撤兵しろ』

と」

驚いた花輪様は、継兄さんに問い質した。

「何故、南境から撤兵するのですか!?

南境警備を手薄にしては、何時『新政府軍』が長岡に攻め込んで来るか・・・!!」

継兄さんはそれに対して、怒りながら叫んだ。

「不測の衝突は、避けねばならない!!

『新政府軍』と速やかに話を進める為にも、南境警備からの撤兵は必要なのだ!!

黙って、命令通りにせよ!!!」

そう言って、継兄さんは奥へと引っ込んでしまった。

花輪様は、納得がいかなかった。

花輪様は、呟いた。

「河井様は、一体何を考えておいでなのか・・・。

もしや、『恭順』の道をお選びになられたのではないか・・・。

このような命令を聞けば、南境を警備する長岡藩兵も困惑するだろうに・・・」


花輪様の中にも、わだかまりが残った。


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五月二日(6月21日)


「雨が・・・止まないな・・・」 


継兄さんは『新政府軍』のいる小千谷『陣屋』へ赴く途中、供として連れていた二見虎三郎(ふたみとらさぶろう)様にぽつりと呟いた。

二見様も空を見上げながら、少し緊張した面持ちで答えた。

「本当に・・・」

暗く重い雲が、二人を覆っていた。


しばらくすると継兄さん達は小千谷の『慈眼寺』に着き、継兄さんだけが『本堂』右奥に通された。

二見様は、別の部屋で待機する事になった。

継兄さんは下座に座ってしばらく待っていると、胸を反らせた『新政府軍・軍監』岩村精一郎と薩摩藩・長州藩の者が部屋に入って来て、上座に置いてあった椅子にどっかと腰掛けた。

平伏した継兄さんの前で、岩村は傲慢な態度で聞いた。

「お前が、『長岡藩家老』河井継之助か?」

継兄さんはその態度に立腹したものの、怒りを抑えて低い声で答えた。

「は!!」

目の前にいる岩村は『官軍』と言う名を利用し、かつて坂本龍馬(さかもとりょうま)の下で働いた事があると言うだけでのし上がって来た者。

二十三歳と若く、経験も浅く、実績もない。

会談には、不適切な人間であった。

本来、継兄さんとは話す事すら出来ない土佐藩の小者であった。

そんな男が会談役になった事に、継兄さんは怒りを覚えた。


『何故、このような無名の者が会談相手なのか?

何故、薩摩藩の黒田了介や長州藩の山県狂介が来ないのか?

この会談は、それほど軽いものと思ったのか?

長岡藩は、軽んじられたのか?』


継兄さんは怒りを抑えながら、頭を下げ続けた。

岩村は侮蔑した目を浮かべながら、継兄さんに聞いた。

「話とは、何だ?

長岡藩は、『恭順』すると言う事に藩論が固まったのか?」

岩村の人を見下す態度は、変わらない。

一呼吸おき、継兄さんは静かに、しかし、はっきりと力強く述べた。

「藩論は、未だに統一してはおりません。

何故なら、今、長岡藩に迫る『官軍』は真の『官軍』ではないからです。

もし真の『官軍』ならば、直ぐさま長岡藩は『恭順』をするでしょう。

しかし薩長の私心を挟む軍が『官軍』だと言うのならば、我が長岡藩はこれに抵抗するつもりです。

単なる政権奪取の為、私憤の為の争いと言うのならば、長岡藩は開戦します!!」

それを聞いた岩村は椅子から立ち上がり、額に血管を浮き上がらせながら怒鳴った。

「何!?

一体、どう言う事だ!?」

継兄さんは面を上げ姿勢を正し、岩村を見据え、冷静に、しかし怒気を漲らせながら続けた。

「徳川への『恩顧』を忘れ、これに弓引くのは『大悪無道(たいあくむどう)』である!!

長岡藩は飽く迄『中立』であり、会津とも『新政府軍』とも戦をする気はない!!

『会津征討』と言うのなら、戦とならないように仲介はする!!

新国家の為にも、『会津征討』は無意味であるからだ!!

戦をすれば、民が苦しむ!!

民が苦しむ事は、国が苦しむ事だ!!

国が苦しめば、民が死ぬ!!

民が死ねば、国が亡びる!!

おみしゃんらは、国を亡ぼすつもりか!?

もし本当に民を、国を思うのなら、兵を引き、民の為、国の為に尽くせ!!

自分達を守るのではなく、諸外国から民と国を守れ!!!」

継兄さんの言葉を聞いた岩村は、殺気立って叫んだ。

「何だと!?

たかが七万四千石の田舎の小藩の分際で、『官軍』を愚弄するのか!?」

継兄さんはあの眼光鋭い目で睨み返し、叫んだ。

「さっきも言ったように、おみしゃんらは『官軍』ではない!!!」

二人は睨み合ったまま、しばらく動かなかった。

そして、岩村が口を開いた。

「長岡藩の意志は、良く分かった!!

『会津征討』を拒否すると言うのなら、長岡藩は『敵』だ!!

『官軍』に楯突くと言うのなら、長岡藩は『賊軍』だ!!

河井!!

直ぐさま帰って、戦支度をするが良い!!!」

それを聞いた継兄さんは、青ざめた。

継兄さんはその時初めて、自分が『言い過ぎた事』に気付いた。

継兄さんは自分の感情を抑えきれず、岩村を怒らせてしまった。

継兄さんは大事な会談を、長岡藩や日本の存亡がかかった会談を、自分のせいで駄目にしてしまった事に気付いた。

『新政府軍』に戦の愚かさを説くつもりであったのに、感情が先走って思った事を全て吐き出してしまった。

継兄さんは後悔し、直ぐに岩村に謝罪した。

「お待ち下さい!!!

私が申し上げたかった事は、今は国内で日本人同士が戦をしている場合ではないと言う事です!!

戦で国力が失われれば、得をするのはこの国を手に入れようとする諸外国です!!!

日本人同士が殺し合うなど、愚かな事だとは思いませんか!?

国を守りたいと言う気持ちは、一緒のはずです!!

『新政府軍』も『旧幕府軍』もない!!!

このような時こそ、日本国民全員が力を合わせ、諸外国に立ち向かうべきではありませんか!!?」

継兄さんは、岩村に必死に訴えた。

しかし、もう遅かった。

怒り狂った岩村には、最早、話を聞く耳はなかった。

岩村は、憎しみを込めて叫んだ。

「もうこれ以上、話す事はない!!

帰れ!!

次に会うのは、戦場だ!!」

継兄さんは、部屋を出て行こうとする岩村の裾を掴んだ。

すると、列座していた諸士が刀に手を掛けた。

同時に別の部屋で控えていた二見様も立ち上がり、刀を抜きかけた。

継兄さんは持って来た『嘆願書』を差し出しながら、叫んだ。

「いいや!!

帰れぬ!!

せめて!!

せめて、この『嘆願書』を読んで下さい!!」

岩村は継兄さんの手を振り払おうともがきながら、叫んだ。

「ええい!!

離せ!!」

「いいや!!

離さぬ!!

私のとった失礼な態度は、お詫びする!!

言い過ぎた!!

申し訳なかった!!

しかし、どうか戦をしないでくれ!!

私が土下座をして済む事ならば、何度でもする!!

どうか!!

どうか!!

考え直してもらいたい!!

戦をしては、ならん!!

戦をしては、ならんのだ!!」

継兄さんは岩村の裾を掴んだまま離さず、畳に額を深く擦り付け土下座をした。

継兄さんは、誇り高く傲慢だ。

その継兄さんが、土下座をした。

ただ国を、民を守る為に、何もかも捨てた。

しかし、岩村は継兄さんの嘆願も説得も一切聞き入れなかった。

「離せ!!」

岩村はそう言って裾を払い、継兄さんを突き飛ばした。

継兄さんはよろめき、何度も何度も叫んだ。

「お待ち下さい!!

今一度、ご再考をお頼み申す!!

お願いでござる!!

ご再考を、お頼み申す!!

ご再考を、お頼み申す!!」

岩村はそんな継兄さんの嘆願を無視し、部屋から出て行った。

部屋には、『嘆願書』と継兄さんだけが残った。

会談は、三十分で終わった。


岩村には継兄さんの言葉を聞き入れる程の、度量も耳も持っていなかった。

確かに継兄さんは、抗戦的に話をした。

自分を、押さえきれなかった。

しかし、継兄さんが述べた事は『正しい事』だった。

岩村は、それを理解出来る程の人間ではなかった。

『江戸無血開城』を成し遂げた西郷吉之助と岩村とでは、『人間の質』に差があり過ぎた。

そんな人物を長岡藩に差し向けた『新政府軍』が如何に人材不足であったか、如何に私利私欲の為にしか戦っていなかったかが窺える。


継兄さんの『小千谷談判(だんぱん)』は、決裂した。


ただ、この談判が決裂した理由は、これだけではなかった。


岩村との会談中、会津藩と『新政府軍』との間で戦闘があった。

会津藩が、片貝村(かたかいむら)にいる『新政府軍』を襲撃したのだ。

そして戦闘後、会津藩はわざと長岡藩の『五間梯子(ごけんばしご)』の旗指物(はたさしもの)を残した。

長岡藩を、戦に巻き込む為に。

長岡藩が、『旧幕府軍』に与していると見せ掛ける為に。

そして会津藩のこの目論見は、成功した。


『長岡藩が『新政府軍』と会談しているのは時間稼ぎの為であり、長岡藩は本当は『新政府軍の敵』である』


『長岡藩は、信用出来ない』


そう言う印象を、『新政府軍』に与えた。


また『中立』の為に購入した大量の武器の所持なども、『新政府軍』に不審を抱かせる原因となった。


『『新政府軍』と戦う為の備えとして、軍備を整えたのではないか』

と、『新政府軍』に警戒された。


岩村が部屋を出て行った後も、継兄さんは何度も何度も会談を請いた。

しかし、許される事はなかった。

継兄さんは、諦めて城へ戻ろうとした。

戻る途中、『慈眼寺』本堂の隅や控室の端には、多くの信越諸藩の諸隊長と脇士が立っていた。

その中で、継兄さんは江戸の古賀茶渓(こがさけい)先生の塾で同門だった松本藩医・小松彰(こまつあきら)様を見つけた。

松本藩は信越諸藩と共に『東山道軍』の一翼を担って越後に入っており、小松様は『西洋兵制』を採用した松本藩兵の『参謀格(さんぼうかく)』として従軍していた。

継兄さんは、小松様に救いを求めた。

しかし、小松様は目を伏せてそれを拒絶した。

松本藩は『譜代藩』でありながら、たとえ『参謀』でも両軍を『仲介』する権限を持っていなかった。

二十七歳の小松様にとっては、古賀先生と佐久間象山(さくましょうざん)先生のところで洋学を少しかじったと言うだけで従軍させられたに過ぎなく、継兄さんの懇願は迷惑でしかなかった。

それに継兄さんと同門だった時、小松様は十四歳の少年であった。

継兄さんを助ける義理は、無かった。

ただ『戊辰(ぼしん)戦争』後、小松様は小金井良精(こがねいよしきよ)様達多くの旧長岡藩士を救済した。

長岡藩を助ける事が出来なかった罪悪感が、そうさせたのかもしれない。


継兄さんは小松様に面会の仲介役を拒まれた後も、何度も何度も会談の場を設けられるよう頼んだ。

しかし、とうとう受け入れられる事はなかった。

『慈願寺』を出た継兄さんは、小千谷の料亭『東忠(とうちゅう)』で昼食を取った。

その後、宿『野分(のわけ)』に着くと、また再び『新政府軍陣屋』へと赴いた。


継兄さんは、『陣屋』前で叫んだ。


「お願い申す!!

もう一度、取り次いでもらえぬか!?」


継兄さんは、何度も何度も嘆願した。

しかし、無駄であった。


その後、継兄さんは尾張藩・松代藩・加賀藩の『陣屋』を回り、せめて『嘆願書』を渡して貰えないかと頼んだが、全て拒まれた。

継兄さんは深夜まで徘徊し、結局、宿へ戻るしかなかった。

その夜、継兄さんは宿で二見様と酒を酌み交わし、詩を吟じて過ごした。

継兄さんは、吐き出すように呟いた。


「二見・・・。

俺は・・・とんでもない事をしてしまった・・・」


_____________________________________



五月三日(6月22日)


辰刻(たつのこく)(午前4時)


どうしても諦めきれなかった継兄さんは再び岩村のいる『慈眼寺』門前まで行き、岩村との会談を再度申し込んだ。

しかし、答えは変わらなかった。


「帰って戦支度をしろ!!」


そう言われ、継兄さんは小雨の中しばらく其処に佇んでいた。

雨は、傘を持たない継兄さんを少しずつ少しずつ濡らしていった。

雨によって着物の色が全て変わると、継兄さんはゆっくりと背を向けて歩き始めた。

それを見物していた薩長藩兵は、沿道で悪意まみれに罵った。


「河井、早く帰って戦準備をしろ!!

いずれ、戦場で会おう!!」

「田舎の小藩の分際で、『官軍』に楯突くなど片腹痛い!!」

「お前等なんて、皆殺しだ!!」

「今の内に、逃げる準備をするのだな!!」

「惨めなものだな!!

力の弱いものは!!」


継兄さんは目を大きく見開き、真っ直ぐ前を見ながら、全ての罵りを全身で受け止めた。


この時、継兄さんは『長岡藩開戦』を決意した。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _



「くそ!!

間に合わなかったか!!」


前日、継兄さんが岩村と会談した事を聞いた長州藩士・山県狂介は、継兄さんを直ぐに拘束せよと岩村に『伝令』を飛ばしていた。

しかし、『伝令』は間に合わなかった。

山県は、叫んだ。


「河井を長岡へみすみす帰すなど、何と言う愚か者だ!!

河井を拘束しさえすれば、長岡藩など恐るるに足らん藩だと言う事が、何故分からないのだ!!

そもそも岩村なんて小者を、何故、会談役にしたのだ!?

長岡藩の嘆願を、何故聞こうとしなかったのか!?」


山県は岩村の『無能さ』に、怒りを隠しきれなかった。


「最早、長岡藩との戦は決定的だ!!

長岡藩は、必ず『旧幕府軍』と手を結ぶ!!!

長岡藩の武器は、『新政府軍』にも引けを取らない!!!

そのような藩と戦をすれば、たとえ負けなくとも、『官軍』も()()()()()()()()!!!

『官軍』は、多くの『犠牲』を出す事になる!!」


山県が危惧したように、これから百五十日間に及ぶ『北越戊辰戦争』で、『新政府軍』は大打撃を受ける事となる。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _



継兄さんは長岡城に戻り、『藩主』牧野忠訓様に拝謁した。

そして、

『小千谷での嘆願は、失敗に終わった事』

『決戦を避ける事が、出来なくなった事』

をお伝えした。

忠訓様は、悲しい顔をしながら呟いた。


「致し方ない・・・。

戦を望んではいなかったが、事此処に至ってはやむを得まい・・・。

長岡藩は、最後まで幕府の為に、国の為に戦おう・・・。

それこそが、長岡藩の生き様だ・・・。

継之助・・・。

ご苦労だった・・・。

早速皆に伝え、戦の準備をしろ」

「はは・・・」

継兄さんは平伏して部屋を出ようとした時、お殿様は心配そうにおっしゃった。

「継之助・・・。

辛い役目を背負わせたな・・・。

許せ・・・。

そして、くれぐれも身辺には気を付けるように・・・。

『恭順派』が、今もお前の命を狙っている・・・。

それに、戦では『新政府軍』もお前の首を取りに来るだろう・・・」

継兄さんはお殿様を見つめ、微笑んで答えた。

「お気遣い、有り難く存じます。

ご助言通り注意は致しますが、首を斬られてはそれまででございます。

それはそれで、どうしようもない事です。

それで死ねば、継之助は『()()()()()()()()()()』と言う事でしょう・・・。

『覚悟』は、出来ております。

しかし、まだ死ぬつもりはございませんので、お気遣いはご無用でございます。

長岡藩が勝利するように、国を守る為に、継之助は命懸けで戦う所存でございます・・・」


継兄さんは何か吹っ切れたように、満面の笑みを残して部屋を後にした。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _



夜、継兄さんは摂田屋『本陣』となっている『光福寺』に戻った。

私はそれを聞き、走って『光福寺』へ向かった。

少し時間が掛かったけれど、混乱していたせいか誰にも気付かれずに『光福寺』へ行く事が出来た。

私は息を殺して隠れ、『光福寺』の中の様子を窺った。

『光福寺』には、既に長岡藩の諸隊長が集まっていた。

継兄さんは、興奮した様子で皆の前に出た。

そして、良く通る大きな声で叫んだ。


「長岡藩は、『開戦』する事となった!!!

君国の為、長岡藩は姦賊(かんぞく)を防ぐ以外に道はない!!

ただ、『軍令』が出るまで待て!!

たとえ敵に会っても、敵が発砲しない限りみだりに争う事はないように!!!

我らから、戦を仕掛けてはならぬ!!

我が藩境を侵し、我が民を駆り、我が農事を妨げる者は『官軍』ではない!!

姦賊である!!!

その時こそ、我らが『戦う時』である!!!」


それを聞いた長岡藩士は躍起し、一斉に叫んだ。


「やっと、賊を討つ事が出来る!!」

「たとえ死んでも、薩長軍に一矢報いてみせる!!」

「国の為、民の為に戦うぞ!!」

「賊め!

長岡藩の力を、思い知らせてやる!!」


皆、『新政府軍』と戦える事に狂喜していた。


私は、震えた。

戦が・・・とうとう始まる。

長岡藩が、戦をする。

戦は、町も人も殺す・・・。

本当に、それしか道がなかったのだろうか?


私は、継兄さんを見た。

継兄さんは苦しそうな、悲しそうな、嬉しそうな、複雑な顔をしていた。

人垣で良く見えなかったけれど、継兄さんの近くには山本帯刀様、牧野図書様、稲垣主税(いながきちから)様、三間市之進様、花輪求馬様、そして川島億次郎(かわしまおくじろう)様がいらした。

私は、川島様が()()()()()()()()()に驚いた。


川島様は、『非戦派』だったはずだ・・・。

どうして川島様が、()()()()()()()()()()のだろうか?

川島様も、戦をする事に同意したと言う事なのだろうか?

川島様は、継兄さんを止める事が出来なかったのだろうか?

私は、信じられない気持ちでいっぱいだった。

川島様まで同意せざるを得ない程、長岡藩の立場は苦しかったのか・・・。

やはり、戦をしなければならない状況なのか・・・。


私は、不安で身体が震えた。


司郎(しろう)兄上は、以前言っていた。


『河井様は絶対に戦にならないように、我々が武器を使わないように、『討幕派』と上手く交渉して下さるはずだ。

河井様は、必ず長岡を守って下さる』


私は、それはもう『()()』なのだと思った。


これから、長岡藩の命を懸けた本当の戦が始まる。


私は、震えながらその場を後にした。

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