四つの花 『十.死』
慶応三年(1867年) 神無月(10月)
團一郎が、私の部屋に突然入って来て叫んだ。
「姉上!!!」
團一郎は全速力で走って来たのか、大粒の汗をかいていた。
髪は乱れ、肩で大きく息をしていた。
尋常でない團一郎の取り乱しように私は驚き、團一郎に駆け寄って聞いた。
「どうしたの!?
何があったの!?」
見ると、團一郎の目は真っ赤で、今にも泣きそうな顔をしていた。
團一郎は、苦しそうに答えた。
「はるさんが・・・!!
はるさんが・・・『亡くなった』と・・・!!!」
私は、團一郎の言葉を理解出来なかった。
團一郎が何を言ったのか、分からなかった。
『はるちゃんが・・・。
死んだ・・・?』
私は何が何だか分からず、立ち尽くした。
團一郎は震えながら、話し始めた。
「今日、藩校の前で作助さんが私を待っていました」
「作助さん・・・」
作助さんとは『あの日』以来、まともに話をしていない・・・。
作助さんは私を、避け続けていた・・・。
だから、團一郎の所へ行ったのだろうか・・・?
團一郎は、続けた。
「作助さんは、私に言いました。
『はるは風邪をこじらせ、一昨日の夜、死んだ・・・』
と・・・」
「風邪・・・?
どう・・・して・・・?
だって・・・。
だって、三日前に会った時、あんなに元気だったじゃない・・・。
どうして・・・?
どうして・・・!?
どうして・・・!!?」
私は團一郎の両腕を掴み、團一郎を揺さぶりながら聞いた。
團一郎は私の問いに答える事無く、ただただ下唇を噛んで涙を堪えていた。
私は身体中から一気に力が抜けて、座り込んでしまった。
私は、はるちゃんの死が受け入れられなかった。
受け入れたくなかった。
受け入れたくないのに、涙は後から後から溢れ出て来た。
私は、泣いていた。
始めは、声を殺して・・・。
すると、どんどんどんどん、はるちゃんとの思い出が甦って来た。
そして、知らぬうちに声を出して泣いていた。
團一郎は声を上げて泣く私を抱き締め、私の声が外に漏れない様にしてくれた。
怪我をして、痛くて泣いた事は沢山ある・・・。
泣けば、痛みは少しは和らいだ・・・。
でも、この涙はいくら泣いても、痛みが増すだけだった。
止まらなかった・・・。
後から後から、涙が出て来た。
はるちゃんの『三味線の音』を、沢山思い出した。
はるちゃんの『声』を、沢山思い出した。
はるちゃんの『悲しい顔』を、沢山思い出した。
はるちゃんの『辛そうな顔』を、沢山思い出した。
はるちゃんの『一生懸命な顔』を、沢山思い出した。
はるちゃんの『笑顔』を、沢山思い出した。
はるちゃんの『言葉』を、沢山思い出した。
はるちゃんの『優しさ』を、沢山思い出した。
はるちゃんは、私に沢山の『勇気』をくれた。
後から後から、はるちゃんとの『思い出』が溢れ出て来た。
それは、途切れる事はなかった。
『人が死ぬ事』
『その人と、一生会えなくなる事』
こんなにも辛いものだったなんて、知らなかった・・・。
こんなに苦しいものだったなんて、知らなかった・・・。
私と私を抱き締める團一郎は、いつまでもいつまでも泣き続けた。
すると、誰かが私達に声を掛けた。
「ゆき・・・?
團一郎・・・?」
開いたままの障子の外には、お祖母様が立っていらした。
私の声が、漏れていたのかもしれない。
お祖母様は、心配そうに私達を見つめいていた。
そして、優しい声で私達に聞いた。
「何があったのです・・・?
ゆき・・・。
團一郎・・・」
お祖母様の心配そうな顔を見て、私は益々泣いた。
泣きながら、お祖母様に言った。
「はるちゃんが・・・。
はるちゃんが・・・。
私の友達のはるちゃんが・・・死んでしまいました・・・。
死んで・・・しまいました・・・!!!」
それを聞いたお祖母様は私達に駆け寄り、私達を優しく抱き締めてくれた。
私達はその優しさに縋るように、お祖母様に抱きついた。
お祖母様は、私達の身体を優しくさすりながら言った。
「・・・今は、沢山泣きなさい。
その涙は貴方達にとって、はるちゃんが大切なお友達だと言う証拠なのだから・・・。
だから、今は、思い切り泣きなさい・・・」
私達はその言葉がきっかけで、力一杯大きな声で泣いた。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて・・・。
私は、いつの間にか眠ってしまっていた。
黄昏時、私はゆっくりと目を覚ました。
團一郎は、ずっと起きて私を支えてくれていたようだった。
私達の傍にはお祖母様が座って、私達を見守ってくれていたようだった。
私が起きた事に気付いたお祖母様は微笑み、言った。
「二人とも・・・沢山、泣きましたか?」
その言葉に対して私達は姿勢を正し、お祖母様の前に正座して答えた。
「・・・はい・・・」
お祖母様は私達の答えに対して頷き、続けた。
「では、『心の整理』をしなさい」
私はお祖母様のその言葉に戸惑いながら、呟いた。
「『心の整理』・・・?」
お祖母様は私達の目をじっと見つめながら、言った。
「そうです・・・。
心に、『区切り』をつけるのです」
「心に、『区切り』・・・?」
「そうです。
はるさんが亡くなった事に、『区切り』をつけるのです。
はるさんの死を、受け入れるのです。
受け入れ、貴方達は前に進むのです」
「前に進む・・・」
「そうです。
いつまでも、はるさんの為に泣き続けてはいけません・・・。
貴方達の為にも、はるさんの為にも、悲しみをいつまでも引きずってはいけません。
いつまでも悲しんでいては、残された人はこれから生きる道を進めなくなります。
亡くなった人はそんな貴方達が心配で、あの世へ逝く事が出来ません」
「・・・」
「どんな事があっても、時は流れます。
時は、止まってはくれません。
私達生きている人は、止まる事が出来ません。
立ち止まったままでは、いけないのです。
亡くなった人も生きている人も不幸になる、そんな悲しみを持ち続けてはいけません」
「では・・・心に『区切り』をつけると言う事は、亡くなった人を忘れると言う事ですか?」
私の問いにお祖母様は首を大きく横に振り、答えた。
「いいえ・・・。
亡くなった人の事を、決して忘れてはいけません。
忘れる事は、出来ないはずです。
亡くなった人との思い出を、消す事は出来ません。
その人が生きてきた事を忘れる事も、消す事も出来ません。
生きている人は亡くなった人との思い出と共に生き続け、その思い出を持ち続ける貴方達が別の誰かの思い出となる。
そうやって、人は生き続けていくのです。
肉体が滅びても、誰かの中に私達はいつまでも生き続けるのです。
誰かの中に、魂は生き続けるのです」
「・・・」
「魂は私達を通して、他の人の中に生き、そして、また次の他の人の中に生きるのです。
そうやって、ずっと、ずっと魂は生き続けるのです。
だからこそ、魂を生き続けさせる為にも、貴方達は心に『区切り』をつけ、はるさんを思い、はるさんの思い出を大切にしながら、一生懸命これから生きていかなければなりません」
「・・・」
「時間が掛かっても、良いのです。
時間が掛かるのは、当然の事です。
亡くなった人を愛していればいるほど、悲しみは強いのだから・・・」
お祖母様はそう言い、茜色に染まる空を悲しそうに見つめた。
お祖母様も昔、大切な人を・・・許嫁を亡くされた・・・。
でも、前を見て生きていかなければならないから、自分を愛する人達の為に、亡くなった人の為に、今の私達のように沢山沢山泣いて心に『区切り』をつけたのだ・・・。
お祖母様の『大切な人の思い出』『お祖母様の思い出』は、『私達の思い出』となり、お祖母様の大切な人は私達の中に生き続けている。
同じように私が『はるちゃんの思い出』を大切にしていれば、はるちゃんも生き続ける。
そして、『はるちゃんの思い出』を持ち続ける私達が『誰かの思い出』になれば、はるちゃんも私達も、『私達の思い出』も生き続ける・・・。
まだ心に『区切り』をつける事は難しいけれど、『はるちゃんとの思い出』が、はるちゃんが生き続けると思うと・・・少しだけ・・・。
ほんの少しだけ・・・悲しみが和らいだ気がした。
すると、何処からか音が聴こえて来た。
その音は優しくて、心が温かくなる音だった。
私は、その音を静かに聴いた。
笛の・・・音色・・・?
それは、竹笛の音色だった・・・。
「お祖父様が、竹笛を吹いていらっしゃるのですよ・・・」
お祖母様が、懐かしそうに言った。
私はお祖母様の方を向き、聞き返した。
「お祖父様が・・・?」
「ゆきと團一郎の泣き声が、聞こえたのでしょう・・・。
あまり・・・器用な方ではないから・・・。
遠くからでも、ゆき達の気持ちを和らげようとしているのでしょう・・・」
私と團一郎は、竹笛の音色が聴こえる方を見た。
まるで、近くにお祖父様がいらっしゃるようだった・・・。
とても心地良くて、安心する音色だった・・・。
私は竹笛の音色を聴きながら、思った。
はるちゃん・・・聴こえる・・・?
竹笛の音色・・・。
とても・・・綺麗だね・・・。
本当は、はるちゃんと一緒に聴きたかった・・・。
はるちゃんと、もっと遊びたかった・・・。
はるちゃんと、もっと話したかった・・・。
でも・・・もう・・・無理なんだね・・・。
はるちゃん・・・。
私は、はるちゃんの事を一生忘れない・・・。
はるちゃんが生き続ける為に、『はるちゃんとの思い出』が『誰かの思い出』になるように、私は一生懸命生きる。
お祖母様は、呟いた。
「私もこの竹笛の音色に、何度も助けられました・・・。
きっと、貴方達も・・・」
竹笛の音色は私達を包みながら、優しく流れ続けた。
その音色を聴きながら、私はゆっくりと目を閉じた。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
外の光が、私の目の中に入って来た。
私は、少しずつ目を開けた。
私は布団の中で、寝ていた。
團一郎かお祖母様が、布団を敷いて私を寝かせてくれたのだろう。
辺りを見渡すと、團一郎もお祖母様も、もう其処にはいなかった。
私はゆっくりと起き上がり、障子を開けた。
太陽の光が、目に飛び込んで来た。
とても眩しかった。
太陽は、昨日と変わらず輝いていた。
微かに、音色が聴こえて来た。
「竹笛・・・?」
しかし今日の音色は、昨日の音色とは少し違っていた。
少し・・・寂しそうな音色だった・・・。
私はその竹笛の音色に吸い寄せられるように、音が聴こえる方へ向かって歩いた。
竹笛の音色は、お祖父様の部屋の方から聴こえて来た。
私は、お祖父様の部屋へ向かった。
お祖父様の部屋の近くまで来ると、お祖父様が縁側に座って竹笛を吹いている姿を見付けた。
私は竹笛を吹くお祖父様に近づき、お祖父様の横に座った。
昨日の竹笛のお礼を言おうと思い、私はお祖父様に静かに話し掛けた。
「お祖父様・・・」
お祖父様は竹笛をやめ、私の方に顔を向けてにっこりと笑い言った。
「ゆき・・・」
その笑顔を見ただけで、私は涙が出そうになった。
私は涙を堪えながら、言った。
「お祖父様・・・。
あの・・・。
有難うございました・・・」
するとお祖父様はゆっくりと微笑み、再び竹笛を吹き始めた。
私は、しばらくお祖父様の竹笛の音色を聴いた。
その音色はとても綺麗で、心が落ち着いた・・・。
私は音色を聴きながら、呟いた。
「お祖父様の竹笛の音色は、不思議ですね・・・。
聴いているとやる気が出たり、心が和んだり・・・悲しくなったりします・・・」
お祖父様は竹笛を唇から放し、竹笛をじっと見つめながら言った。
「聴く人が落ち込んでいる時は元気になるような『明るく高い音』の曲を、少し落ち着きたいと思う時は『暗く低い音』の曲を吹くようにしている。
あの時、ゆきも團一郎もとても『悲しんでいる』と思った。
だから、『温かい音色』の笛を吹いた・・・」
私はお祖父様が聴く人の気持ちによって竹笛の音程を変えている事に驚き、聞いた。
「聴いてくれる人によって、音色を変えているのですね・・・。
人の気持ちを察して、お祖父様は竹笛を吹くのですね・・・。
私には、そんな事出来ません・・・。
人の気持ちを察する事も出来ないし、竹笛も苦手だし・・・」
すると、お祖父様は私の目をじっと見つめながら言った。
「人には、得手不得手がある・・・。
私は俳句や竹笛、習字が得意だが、武術は不得手だ」
『お祖父様は、俳句は得意ではないと思うけれど』
と、私は心の中で呟いた。
お祖父様は、続けた。
「人を力づけたり、励ましたりする方法は、人それぞれ・・・。
私は得意な竹笛で、人の気持ちを和ませたい・・・。
そして、ゆきにも得意な事があり、それで人を救い、人を和ませる事が出来る・・・」
お祖父様のその言葉に、私は反論した。
「そんなの・・・私に人を救ったり、人を和ませたりする事なんて、出来ません・・・」
すると、お祖父様は優しく微笑みながら言った。
「ゆきは、とても明るい・・・。
それだけで、人は元気になる・・・」
「明るい・・・?
そんな事で・・・?」
「『明るい』。
それは、とても大事な事だ。
明るい声と笑顔があれば、人は前向きになれる。
明るく楽しい人だと言う事も、特技の一つだ」
「『明るい事』が、『特技』・・・」
同じような言葉を以前、私はお祖母様にも言われた事があった。
『ゆきは、とても明るい子です。
そして、友達の為に怒ったり泣いたり出来る優しい子です。
そんなゆきを皆が好きだから、ゆきの力になってくれるのです。
ゆきの『悪いところ』も『良いところ』も、全てを受け入れようとしてくれるのです』
お祖父様は深く頷き、続けた。
「そうだ。
だが、暗いと言う事が『悪い』と言う訳ではない。
明るい、暗いは、生まれながらの性格だ・・・。
明るい人もいれば、暗い人もいる・・・。
どちらが『良い』とも、言えない。
どちらも、『良い部分』『悪い部分』がある。
『良い部分』『悪い部分』を生かす事、お互いを補い合う事が大事なのだ。
私も、ゆきの明るさと笑顔に何度も助けられた・・・。
だから、ゆきには、いつまでもそのままでいてもらいたい・・・。
それは人も、ゆき自身も、幸せにする事だから・・・」
「・・・」
「一番大事なのは、その人を力づけたいと言う『気持ち』だ・・・。
いくら明るく振る舞っても、その人の力になりたいと言う『気持ち』がなければ意味がない。
逆に普段暗い人でも、その人を思いやる『気持ち』があれば、慰められた人は救われる。
どんな事でも、人を思いやる『気持ち』が大事なのだ・・・」
「・・・」
風が、そよそよと流れて来た・・・。
草の匂いがして来た・・・。
お祖父様が、私を覗き込むように言った。
「ゆき・・・。
大切な友人が、亡くなったのだろう・・・?」
私はその言葉を聞くと我慢が出来ず、また涙を流してしまった。
お祖父様は、涙を流す私の肩を優しく抱き締めた。
そして、お祖父様は風と共に言った。
「ゆき・・・。
『死』は、誰にでも必ず訪れる・・・。
私にも・・・ゆきにも、天子様にも、公方様にも、殿様にも・・・」
「・・・」
「愛する人が死ねば・・・皆、辛い・・・。
人の死は辛いが、それは変える事の出来ない『宿命』だ・・・。
その『宿命』を受け入れながら、人は生きてきた・・・。
そうやって、人は生き続けなければならないのだ・・・」
「・・・」
「たとえ掛け替えのない愛する人を失っても、その人の為に、自分の身体も、自分の心も、一緒に殺してはいけない・・・。
お前が愛する人は、同様にお前を愛している・・・。
お前は、愛する人の幸せを願っているはずだ・・・。
同様にお前の愛する人は、お前の幸せを願っている・・・。
お前が喜べば、愛する人も喜ぶ。
お前が悲しめば、愛する人も悲しむ。
お前が苦しめば、愛する人も苦しむ。
生きている時も、死んでも、それは変わらない・・・。
自分の為にも、愛する人の為にも、お前は生きなければならない・・・。
お前が悲しんで、愛する人を悲しませてはいけない・・・。
お前が笑えば、愛する人も笑う・・・。
だから・・・早く元気になれ・・・。
ゆき・・・。
そして、その笑顔を亡くなった友人に見せ、安心させてあげると良い・・・」
そう言って、お祖父様は再び竹笛を吹き始めた。
その音色は、優しく、明るい音色だった。
まだ元気になるには、時間が掛かると思う。
でも、もしはるちゃんが私が元気になる事を、私の笑顔を望んでいるのなら、早く元気にならなければならない。
自分の為にも、はるちゃんの為にも、私を心配してくれている皆の為にも・・・。
私は竹笛の音色を聴きながら、照り輝く太陽を見つめた。
そして、思った。
『この誓いを、はるちゃんに伝えなければならない』




